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西郷派大東流の呼吸法 1
西郷派大東流の呼吸法 2
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西郷派大東流の呼吸法 2

脊柱の多々の歪みを矯正する自己整体の呼吸法。下丹田より上の上半身に、猫背などの崩れや、歪みが起っている人は、拇指の「指取りを行って、左右に上肢を捻ると、泉が徐々に解消されていく。指取りを行い、一杯一杯、拇指をとって息を吐きつつ、ゆっくりと左右に動かしていく。この動作を左右両方で行い、丹田呼吸に併せていく。腕の内筋が強化され、次に脊柱付近や、下腹の内筋が強化されていく。

●呼吸法ができる人、できない人

 呼吸法と雖(いえど)も、歴(れっき)とした「術」である。「術」である以上、それを理解し、身体に反映させきる人と、そうでない人が出てくる。「そうでない人」の中には、その多くが「何年やっても出来ない人」である。
 「何年やっても出来ない人」は、呼吸法に携わっている時間だけは長いが、一向に呼吸法が完成しない人である。

 こうした人に問題があるのは、技術的な、劣った面を挙げるよりも、問題はその人の考え方に起因する。考え方が貧弱であり、また、武術的な戦闘思想に問題がある。つまり、一種の「信念」の置きどころが間違っているのである。
 このように言うと、何か「精神主義」を奨励しているように聞こえるが、実はそうではない。精神だけでは呼吸法は完成しない。大事なのは、「正しく理解する」ことである。だが、この「正しく理解する」ことが中々できないのである。

 その元凶の一つに、「普段の食生活の間違い」がある。
 普通、「呼吸法と食生活は何の関係もないじゃないか」という考えを持つ人が多い。それは、食生活の内容が、例えば武術上達などとは殆ど関係ないように映るからだ。一般人の考え方は、ただ一生懸命に肉体トレーニングをして、肉体を虐めていれば、それが「肉体を鍛える」ことになり、鍛えられることにより、それで強くなると錯覚してしまうからだ。
 
「肉体トレーニング」イコール「強い」という、単純方程式に行き着いてしまうわけである。

 ところが、単純方程式だけでは、決して強くなれない。強くなれる部分は、単に体力であったり、技を遣う際の肉体的運動神経的反応だけである。しかし、体力も、肉体的運動神経も、若い内のものだけである。40歳の「初老の声を聞けば、こうしたものは退化を始め、60歳になったころは、すっかり影を潜めている。若い時に、肉体を虐めて体力を付けた人や、運動神経ばかりに気を取られて、「クイック・モーション」ばかりをトレーニングした人は、晩年に身体的な故障が多く顕われて来る。
 とれは概ね、次のような事柄に於てである。

決断力や理解度に欠け、その場の臨機応変さが失われて、急場のときは混乱を来す。
忘れっぽく、今習った技が一週間後には忘れて喪失している。
興奮し易く、直ぐにカーッとなって腹を立てる。また、こうした場合、直ぐに感情を押さえることができない。感情で物事を考え、論旨の主体が全般的に感情論である。
男の場合は性的不能であり、女の場合は不感症である。
自分の身だしなみら清潔さに、関心を払わず性格的にも粗暴である。また傲慢(ごうまん)な一面や、横柄な一面を引き摺り、礼儀や作法はクソ喰らえである。
集中力が失せていて、ボーッとすることが多く、行動の反映が成果となって顕われない。
忍耐力に欠け、直ぐに飽きる。根気が無く、他の事に心が奪われ易い。
イライラが起ったり、憂鬱(ゆううつ)が起ったりする。また、水が欲しくなり、疲れ易い。
心配や不安があり、その理由がはっきりしない。まだ来ない、明日への恐怖を抱えている。厭(いや)なことは、後回しにする癖がある。今日できないことは、「明日がある」と思う。しかし、明日になっても出来ない。そこで、また「明日がある」と思う。
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緊張の連続で、心の休む暇がない。何かに、追い捲くられている不安感がある。
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午前10時の太陽の烱(ひか)りが眩(まぶ)し過ぎると感じる。日光を凝視する「日想観」が中々できない。夜遅く、また、朝が遅い、
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瞬時に立つと、立ち眩(くら)みが起り、一瞬、意識喪失状態になる。
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日中に眠たさが襲う。特に昼食後の、2時から4時の間に懸けては、それが烈しい。
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猫背、または姿勢が悪く、腰骨の上に正しく脊柱を立てることができない。
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菓子、ケーキ類、チョコレート類、甘味料や香料が多く遣われたチューインガム類、コーラを始めとする清涼飲料水を摂取した後は、調子がいい気分となる。また、ハンバーガーとコーラは、食品としてとても合っていると思う。また、甘いもの、ケーキ、餅菓子、練り製品が無性に食べたくなる。
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時々、ガツガツする程、空腹感を感じる。回転寿司、牛丼屋、カレーライス店、たこ焼屋、焼き鳥屋、ハンバーガー屋、ステーキ屋、ファーストフード店、コンビニなどに飛び込みたくなる。
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暑さや寒さに参る。暑いときは発汗の量が多く、寒いときは冷え性で、冬場は足袋や靴下無しでは過ごせない。暑いときは口が渇き、寒いときは両手両足が冷たい。腰も冷える。
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喫煙をしている。タバコの常習性が身に付いてしまい、それを吸わないと、イライラする。
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毎日、量は少ないがアルコールを摂取している。

 以上の事を思い起こしてみて、半数以上も思い当たる節があれば、この人は「何年やっても呼吸法が完成しない人」である。また、「陽気」の発生などあり得ない人である。

 何故ならば、
「低血糖症」で食生活が根本的に間違っているからである。血液中の葡萄糖(ぶどうとう)濃度に問題があるからだ。こうした人は、呼吸法を何年やっていても、決して上達しない。また、これに似た現象として、力(りき)んでばかりで「中々合気揚げが上達しない」と言う人が居るが、この人も、何年やっていても、合気揚げが出来ず、ただ高級技法に眼が奪われて、そればかりを練習している人である。こうした人は呼吸法と同じく、合気揚げも上達しない人である。それは根本的な下地ベースである、食事が間違っているからである。

 低血糖症は食事の間違いから起る。こうした症状のある人は、事故や怪我をし易い。こうした症状の元凶は、精神分裂病者にも見られる。そして、低血糖症と精神的問題の関わり合いは深い。

 低血糖症について論ずるならば、食餌法の間違いにある。普通、人は食物を摂取すると、誰でも血液中の葡萄糖の量が上昇する。正常の人の場合、膵臓
(すいぞう)から分泌されるインシュリン(insulin)によって調整される。それにより分泌量は一定となる。また、インシュリンは膵臓のランゲルハンス島(脊椎動物の膵臓内に散在する内分泌腺組織で、インシュリンやグルカゴンなどを分泌)のB細胞から分泌されるホルモンである。

 分子量5733の小さな蛋白質で、肝臓、骨格筋、脂肪組織などに作用して、葡萄糖、アミノ酸、カリウムの取りこみを促し、グリコーゲンの合成促進や分解抑制の為に働く。また脂肪や蛋白の代謝にも作用し、結果として血糖を減少させる。しかし、その時にインシュリンが不足して、血糖値が上がらない病気が糖尿病である。

 この病気の病根には、精白食品
(白米、白パン、白砂糖、精白塩、化学調味料など)の常食が絡んでいる。次に、饅頭、羊羹、ケーキ、チョコレート、コーラなどの清涼飲料水などを頻繁に摂取すると、血糖値が大幅に上がってしまい、それを調整する為に膵臓から大量のインシュリンが分泌される。

 こうした状態は長期に渡り行われると、膵臓は疲れる。また、インシュリンの大量分泌が常習性をもつ。これがインシュリンの過剰分泌であり、持続的な高血糖かつ糖尿を呈する代謝疾患であり、これを糖尿病と言う。インシュリンの欠乏ならびに作用阻害があり、糖・蛋白・脂質の代謝異常を伴い、口渇・多飲・多尿を呈し、網膜症・腎症・動脈硬化を併発し易い。
 特に、コーラの常飲者は白砂糖の中毒に犯されていて、食事と食事の間などの、食べ物が口の中に入って来ない時には、血液中の葡萄糖が、正常な量よりも減少する。

 本来、葡萄糖は血液中にあって、全身を巡り、水に溶けやすく、還元性を持つ物質
(分子式C6H12O6  D‐グルコース)である。それの巡りが悪くなるのであるから、ありとあらゆる傷害が起り、脳もまた例外ではない。人間の人体は、脳細胞に充分な葡萄糖の供給があってこそ、はじめて正常な働きをするのである。
 しかし、それが正常に行かなくなると、心には空白が起る。あるいはボーッとした状態などは、心の空白である。精神障害者に多く、精神分裂病患者はこの空白に襲われ、ボーッとしたり、イライラなどが起る。

 登校拒否、家庭内暴力、ノイローゼ絡みの神経症、その他の精神疾患は、そもそも食生活の間違いと無関係ではない。一方、性格粗暴者や精神異常者も食生活に間違いがあり、その殆どが、インスタントラーメン、カップ麺、スナック菓子、ケーキ、チョコレート、饅頭、コーラなどの清涼飲料水とファーストフードのハンバーガーなどを食べ、まるで白砂糖の塊を丸呑みするような食生活をしている。これでは、喩え、糖尿病を辛うじて逃れたとしても、低血糖症は逃れられまい。

 昨今の青少年犯罪が多発する中、こうした犯罪に絡んでいる多くは低血糖症患者である。コーラなどの清涼飲料水を多飲すれば、子供だけではなく、働き盛りの壮年層や高齢者も例外ではないだろう。
 現在、アメリカには数千万人に低血糖症患者がいると言われているが、日本もその後を着実に追い掛け、既にアメリカに列ぶ数字に達しているとも関係者は言う。

 元凶は白砂糖であり、多くに日本人は老若男女を問わず、
「白砂糖中毒」を起こし始めているのである。こうした人は、骨などに定着するカルシウムも非常に激減しているはずであるし、心身共に異常状態がはじまっていると言えよう。

 こうした現状下で、呼吸法が本当に成就する人は、限られた人になって来ている。つまり、呼吸法や合気揚げが体質的に出来ない人が増えているのである。この、「体質的に出来ない人」を分類して挙げると次の通りである。

体質的には
食肉や乳製品を好み筋トレを信奉している人、痴呆症予備軍にある人、性格粗暴者や精神異常者、肥満症、拒食症、胃下垂患者、外食中心の食生活者、心臓や血管に異常を持つ人、蓄膿症患者、喘息患者、アレルギー体質者、ジンマシン体質者、インポ、猫背、タバコの喫煙者、コーラなどの清涼飲料水を好む白砂糖中毒者、大酒呑み、足または足の裏が汚い者、足の指が広がらない者、大食漢、脳出血で半身不随になった人、椎間板ヘルニアの手術をした人、冬場を素足で過ごせない人、脳梗塞で斃(たお)れた前科を持つ人など。
精神的には
臆病な人、優柔不断者、頑迷かつ頑固、自己中心で自分勝手、未練を引き摺る人、何事も今日できないことを明日に先送りする人、地道な稽古を嫌う人、思い切りが悪い人、先入観や固定観念が強い人、潔くない人、外野の言葉に左右され八方美人で世間を気にする人、悪想念を抱く人など。

 以上、思い付くまま挙げてみたが、体質的にも精神的にも、昨今は呼吸法やそれに附随する合気揚げの修行に適さない人が急激に増えているのである。それは、生まれて此の方、自分か育った環境とその環境の中で繰り広げられた食生活や、自身の作り上げた思想に、随分と間違ったものを取り込んでしまった人が、呼吸法などの不適格者になっているようだ。
 つまり、こうした不適格者は、「先天の気」は兎も角として、「後天の気」にそもそも問題があり、「気」を強化することができない体質になっているのである。



●気の強化

 全身に気が漲(みなぎ)り、それを体感できる人は、気の強化によって、これまで閉じていた竅(きょう/あな)を開き、深層心理に仕舞われた潜在能力を引き出すことができる。しかし一方、気の弱い人は致命的である。
 気を強化する為には、呼吸法と意識強化の集中法で「陽気」を熱エネルギーに変換し、これを発生させねばならないのであるが、現代人の多くはこの適格者としての適性を失っている人が少なくない。

 さて、呼吸法は単に呼吸法のレベルで終る為に行う行法ではない。呼吸法で得た調息呼吸を、実は一等も二等も高度な、武息や文息に移行させ、レベルアップを図っていかなければならないからである。

武 息
武火呼吸とも言う。武火とは、「強い火」のことを云い、この呼吸こそ、行法に用いる呼吸法である。行法第一段階の呼吸法で、意識をかけた強い呼吸により、下腹の丹田に陽気を発生させる呼吸法である。この呼吸法は、腹式呼吸である「調息」と同じであるが、吐気と吸気の間に「停気」という「とめ」を入れるのが特徴である。「とめ」を行う際には、強い意識を丹田に掛け、陽気の発生を促すわけである。
 また吐気と吸気の間には、同じ「とめ」でも長短により、三通りの違いが出てくる。
(以下口伝につき省略)
文 息
文火呼吸とも言う。文火とは「とろ火」のことをいい、呼吸は調息と同じであるが、これを行う場合は全く意識をかけず、下腹が自動的に動く腹式呼吸である。その動きが非常に幽(かす)かであり、しているかしていないか分からないくらいである。
 この呼吸の特徴は「温養」といって、発生させた陽気を、各経穴で止めて、その箇所を暖め、意識で気を練ることを言う。
(以下口伝につき省略)

 陽気の発生は、呼吸法に於ての中心課題であり、熱エネルギーを発生させることが重要なのである。また、適合者でも、熱エネルギーの変換する能力や、これを感じられないと云う人は、性欲や精液に代表される「性的エネルギー」を、意識の集中と陽気発生の為に、肛門の括約筋を充分に動かして鍛え、これにより陽気を発生させなければならない。

 陽気の発生であるが、性的エネルギーが大きく精力的である人は、また、陽気の発生も大きいと言うことである。最初に発生した性的エネルギーを男根の法に廻すのではなく、その箇所を回避して会陰
(えいん)後ろの「尾閭(びろう)」に導き、更に命門(めいもん)へと招き入れなければならない。もし、幾ら性的エネルギーが強い人でも、男根の方へ送ってしまえば、それは単に射精として精気が浪費され、丹田には幾ら藻掻いても陽気が蓄積できないからである。

 医学的に言って、熱量の多い人程、精力が強いのであるが、その精力を男根に送ってしまえば、元も子もないのである。また、熱量の多い人は、熱量が遍在していないと言う事が条件となり、男根の方へばかり気を通してはならない。
 一方で熱量が多いと言う事は、これが遍在している場合、下手をすると様々な病因を誘発するのである。ここに熱量の多い人が病気になる病因がある。そして、熱量の多い人は、多くが、実は正気ではなく、邪気ばかりを集めて、「自分は精力がある」などと自称しているのである。この邪気こそ、病気の根源なのである。



●呼吸法ができる体質づくり

 ゆとりあるリラックス状態に、まず周囲の環境を作ることである。
 次の手順をおって呼吸法実践の環境を作ることである。

丹田呼吸の第一順
鳩尾(みぞち)の部分に、深い窪(くぼ)みをつける積りで腹を思い切り引っ込める。この時、丹田部に掌(てのひら)を当てておく。
丹田呼吸の第二順
鼻で息を吐きながら、上半身を呼吸に吐気に合わせて前方に倒していく。この間、10秒〜30秒の時間を掛け、ゆっくりと行う。
丹田呼吸の第三順
充分に吐気(とき)を吐き終ったら、力まずに上半身を徐々に起こしていく。この時、ゆったりとしていることが大事である。また、息継ぎにおいては自然に吸気が行われるので、それに任せ、急いで吸気を行わないことが肝心である。この間、10秒〜30秒の時間を掛け、ゆっくりと行う。
丹田呼吸の第四順
充分に吸気を行ったら、上半身を伸ばす。そして中心部である下腹部である、丹田に気を感じることが大切である。この場合、幾ら掌(てのひら)で気を感じても、肝心な丹田部に気を感じないようでは、気の発信源である丹田の感覚は育たない。
丹田呼吸の第五順
次に再び、第二順の動作に戻り、吐気を吐きながら呼吸の動きに合わせて、上半身を前方に倒していく。
丹田呼吸の第六順
前方に倒しつつ、充分に吐き終わったら、第三順の要領で吸気の息継ぎを行い、吸気を行う。
丹田呼吸の第七順
吸気が完了したら、第四順の要領で上半身を伸ばす。そして、このサイクルを、ゆっくりと繰り返すのである。

 丹田の感覚を会得する為には、掌(てのひら)で気を感じると同時に、丹田でも気を感じなければならない。更には、丹田で気感を得ることができてこそ、丹田の感覚が育っていくのである。この気感を明瞭にすることが、本当の丹田呼吸の第一歩であり、これが感じて初めて、そのスタート地点に立てるのである。
 この丹田呼吸は、一種の深い深呼吸と掌
(てのひら)で腹圧を感得しながら、気の感覚を把握していくことが大事である。丹田呼吸はまた、頭脳と上半身に密接な繋(つな)がりを持ち、上肢を活性化するのである。

 深い腹式呼吸による「内観の秘法」を実践していると、次第に潜在意識の何らかの影響が現れてくる。これまで全身に散在していた気が、集中を始めるのである。呼吸を静かに、ゆっくりと行い、潜在意識に働きかければ、腰・脚・足の裏の足心
(湧泉)まで気が満ち、行き渡るのである。丹田部分の下腹部が「瓢箪(ひょうたん)」のように張りのある充実を見せ、この下腹の出来た状態を、「瓢腹(ひさご‐ばら)」という。瓢腹が完成すると、気が全身に漲(みなぎ)り、充実感が得られる。

 
また往年の呼吸法熟練者たちも、この瓢腹を体得している。
 瓢腹が出来上がり、充実感が漲ると、心臓が正常に機能し、高血圧や心臓病などの病気が一切消滅する。これが消滅した時に、手足から全身に移行する温かい気が充満してくるのである。この気を「陽気」という。陽気が隈無
(くまな)く全身に漲ると、何とも心地よい気持ちになり、そのままぐっすりと眠れそうな感覚に入っていくのである。

 さて、こうした順を追って呼吸法を始めるのであるが、わが流の呼吸法の究極の目的は、単に深呼吸を含む丹田呼吸が出来たり、調息法ができると言う、「深い呼吸」の完成にあるのではない。さらに奥にある「陽気」を発生させて、「周天法」ができると言う次元にまで高めていくのである。このレベルは、呼吸の吐納だけに止まらない。「陽気」の運用と活用が重視されるのである。そして、これこそが人体エネルギーであるからだ。

 この人体エネルギーは、陽気であり、また精気である。もともと「精」が体外に向けて迸
(ほとばし)ろうとする熱エネルギーであるなら、陽気とは、意識によってそれを引き止め、もとの気と重なり合うことで、熱を発し、具体的に感得することの熱エネルギーである。そしてこの熱エネルギーがある熱感を持つから、熱として感じられるエネルギーとなる。

 陽気を発生させる方法に、「武息」という独特の呼吸法がある。下腹の丹田部分で、意識を集中し、吐気から始め、次に吸うと言う順に繰り返すのであるが、この「吸う」「止める」「吐く」という三つの動作を繰り返し、陽気を発生させるのである。この呼吸法は、空中にある気を下腹に取り込む為の呼吸法で、同時に下腹の内筋運動と言うことになる。そして下腹の運動を持続させる為に、武息と言う呼吸法が必要になるのである。

 この下腹の運動で、陽気が発生した場合に感得する熱感は、不思議な力は発揮されたと言う感覚より、熱エネルギーが確かに発生していると言う感じになる。裡側
(うちがわ)に、お湯が沸く感覚である。
 こうした熱感は、本来ならば発生した当初、男根側に逃げてしまい、男根の勃起が起るのであるが、これを制して、外に噴き出そうとするエネルギーを丹田内の気海に溜め込むのである。
 この場合意識が弱いと直ぐに男根側に逃げるので、陽気の発生時には、下腹の内筋の鍛練と、意識の強さが重要なのである。



●竅を改善する

 気の流れの経路には、その途中に幾らかの気を停滞させてしまう「竅(きょう)」という箇所がある。竅とは、「穴」という意味であり、此処に気が落ち込み、停滞し、そこで散ってしまうのである。幾ら陽気を発生させても、「穴」に落ち込んで、気を散らしていたのでは、呼吸法をやればやるほど注意散漫になり、呼吸法をやっていること事態が無意味になって、また、精神を分裂させる精神障害が起るので、「穴」に落ちることの回避策は講じておくべきだろう。

 呼吸法の失敗は、実は「竅」にあり、自分である程度、呼吸法が完成していると自負している人でも、「穴」に堕
(お)ちて、精神障害を起こしている人が少なく無い。呼吸法を重要視する武術や武道をやっている人の中で、これを失敗して精神障害を起こしている人は決して少なく無いのである。その典型が、ある大東流の指導者で、呼吸法の失敗により「穴」に堕ちている人だ。

 「穴」に堕ちる人の多くは、呼吸法の基本的な姿勢にあると考えられる。姿勢が悪い場合、「竅」に堕ち易いのである。気を通す時、気が邪魔されずに流れる姿勢を保たねばならないが、この姿勢が悪かった場合は、「穴」に堕ち易い。その姿勢の悪さが、一つは「猫背」である。
 大半の大東流や合気道は、「弓身之足」という膝に屈伸を効かせ、股割動作をせずに、膝を突っ張ったまま、技を掛けようとする諸派に見られる「上半身重視の動き」は、実は一歩踏み外すと、「穴」に堕ちる危険と背中合わせになっている。

 さて、呼吸法の間違いから「穴」に堕ちれば、気の流れがそこで停められてしまうからである。折角下腹に陽気を発生させて、気を発気させるのであるが、気を流す場合、丹田から始まって「会陰」を経由して、「尾閭」に至った場合、この間にも気が停滞し、「穴」に堕ちる箇所が幾らかある。此処に堕ちることを「竅」というのである。

 この場合、上体を「芋掘り」上体にせず、上肢を垂直に立て、発生した気を下げれば「竅」に堕ちて停滞することはないのであるが、「竅」に堕ちる原因は、下腹に力を入れて、意識で気を通そうとすることが弱いからである。
 「竅」に堕ち、気が停滞したら、まず下腹に力を入れ、内筋圧を利用して、陽気の発生を強め、これを意識すれば気の停滞は回避されるのである。しかし、こうした意識も虚しく、どう努力しても停滞状態が回避されない場合がある。

 この場合は上肢の姿勢の悪さである。膝に屈伸力が無く、「突っ張り」状態で、技を掛けようとする場合、気は脊柱上の何処かで停滞する場合がある。多くは下部の「尾閭
(びろう)」から頸部の「玉枕(ぎょくちん)」までの何処かで、背中が丸まった場合、脊柱上に以上が顕われてくる。こうした場合は、停滞箇所で筋肉、特に内筋の異常な歪みを受けて、折角の陽気をそこで散らしてしまうのである。

 「竅」といわれる箇所は、脊柱上の骨に近い付近に多くあり、腰の部分であるならば、「夾脊」、背中から頸に懸けては「玉枕」である。この箇所で陽気が停まってしまったら、早急に対策を立てねばならない。一種の「気」が停滞する病気に発展し、酸過多状態になるか、気を散らしてしまい、注意散漫の状態が象
(あらわ)れる。こうした間違いは、坐禅三昧(ざぜん‐ざんまい)に打ち込む僧侶や、坐禅愛好者に多く見られ、所謂(いわゆる)「禅病」である。気の通し方に問題があったと言えよう。「禅病」は、白隠禅師でお馴染みである。

 
白隠禅師の「禅病」については、「西郷派大東流の呼吸法概論」を参照のこと。

 気が丹田
(下丹田)より下で停滞する場合は、腹部の内筋を鍛えることでこの病気は治ってしまうが、上半身で起る場合は放置できない。特に、上丹田は「神(しん)」を司るところで、中丹田は呼吸器系や消化器系で、肺や心臓に影響を与え易い。
 姿勢の崩れや歪みを矯正した後、筋骨の内筋部の骨に近い部分の内筋を治していかなければならないのである。つまり、腰骨の上に脊柱が垂直に直立するように矯正を行わねばならないのである。



●内筋と気の流れ

 気の流れには幾つかのコースがある。更に、気と内筋の関係については、両者が大きく関与していることが分かる。
 例えば、病気に罹っている人は、ある部分が非常にこわばっている。あるいは異常に固い。これはその内臓経絡上の異常だけに見られるのではなく、その周辺にも異常な固さが顕われている。

 東洋医学では経絡上の線上経路以外に、そのルートを同じように流れる「経筋」という内筋に沿ったルートがある。これか経絡を司るルートの裡側に存在する経絡上の内筋である。したがって、内筋の歪みや、骨に近い部分の経絡上の歪みは、「経筋」が異常を起している場合が多い。

 例えば、自称「呼吸法を完成している」という人でも、その人が猫背である場合、経絡に気を通せると自慢していても、実際には「穴」で気は停滞していて、決して気を通せるなどとはいかないのが実情である。特に背の高い人は、若い頃に覚えた「気の通し」も晩年には威力を失い、通せなくなっている場合が少なくない。これは生体の上肢である、上半身の脊柱の上部が異常に変形したことによる。

 特に、背の高い人で、痩せ型の人は、脊柱上部や、頸椎に異常が生じて背中が丸まり、猫背になることが多い。こうした猫背の人は、以前に気が通せていたのに、晩年にはすっかり威力を失い、通せなくなる人が多い。これが脊柱の崩壊や、歪みである。

 これらは一種の異常状態であるが、矯正することで、また、ある種の刺戟を与えることで、治すことができる。
 その治し方の一つが、食餌法であり、それに並行して行う基本的な呼吸法である。これを併せて行うことで、脊柱の崩壊や歪みを軽減する事が出来、内筋を元に近い状態にすることができる。これは100%完璧にすることができないが、陽気を発生させ、それを通すことぐらいはできるのである。

 更にもう一つは、自己整体と呼吸法を併せて行う、直接療法である。内筋と動き、あるいは内筋と気の通しと関係の深い「経筋」の正常作用は、「捻る」と言う動作を加えることにより、矯正することができる。
 この方法はは、気を、ある場所からある場所に移動させるという方法と意識を用いながら、それを意識的に経筋に通す方法であり、「捻る」と「通す」を併用して行う。

 但し、背中でも、腰でも、その一部分にだけ気を通し、その箇所を動かすと言うのは中々骨の折れることである。それは、例えば、両手の指の、薬指だけを動かせと言うことに似ている。あるいは両足の薬指だけを動かせと言う、普段遣われていない指を動かせるだろうか。また、更には頭の皮だけを動かすのも容易ではなかろう。それは不随筋であるから難しいのであり、同じように、耳も動かせないであろう。況しては、随意筋であっても、普段から余り遣わない骨格筋すら上手に動かせないのである。

 換言すれば、陽気を自由に動かせる人は、下腹の内筋なども自由に扱いこなせ、身体の如何なる箇所も、時代に動かすことができるのである。
 普段、人間が動かしている筋肉は哺乳動物特有の、横紋筋と平滑筋に大別され、前者は関節を挟む二つの骨または皮膚に付着し、骨格筋または皮筋と呼ばれ、随意運動を行う「随意筋」のみでる。

 これを意識強化して、動かせるようにするのが肝心であり、呼吸法の奥儀は此処にある。これが出来なければ、内筋の動きも、気の流れもコントロールできないのである。


つづく…



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