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戦場に散った乙女たち 2

水盃(みず‐さかずき)を受けて激戦地に従軍する日赤救護看護婦


●ある鎮魂歌

 先の大戦では、多くに非戦闘員の人命が多く失われた。しかし元々、人類の歴史はその背後に戦争があった。そして、戦争と深く関わったものが、軍服だった。
 昔から、市民の通常服と軍服は大きな関わり合いがあり、それらは互いに影響しあって発達してきた。
 特にヨーロッパにおいては、この影響が著しかった。軍人が着用する衣服を「軍服」という。国家間が戦闘を行う際、各々の国家で定められた軍服を着用することが国際法に定められている。もし、軍服を偽ったり、故意に偽って戦闘に参加して、捕虜になったりすれば、問答無用で銃殺をされても文句が言えないようになっている。

 衣服が変化して行く過程を追うと、衣服の変容は戦争に起因している場合が多い。またこれに関連して、社会構造や政治体制によっても変遷(へんせん)が起こる。
 日本は明治維新以降、急速に西洋化を図り、これまでの衣服は、欧米に習って一変した。そして市民服と軍服は、密接な関わり合いを示しつつ、明治・大正・昭和・平成の時代を流れていった。

第一次世界大戦当時の軍服。ロシア革命当時、反ロシア革命軍の応援に駆け付けた連合軍。左より、アメリカ、カナダ、イギリス、中国、イタリア、チェコ、日本の各国の軍隊。まさに「軍隊の軍服・軍装の博覧会」である。

 曾(かつ)て、歴史を見ても、女性が戦争に直接参加して、男どもを相手に戦った記録は決して少なくない。時として男以上の働きをする。事実、ジャンヌ・ダルクJeanne d’Arc/フランスの愛国者として知られる。オルレアンの乙女として名高い。北東部シャンパーニュ州の一農村ドンレミの娘として生まれ、百年戦争の末期、救国の神託を受けたと信じ、1428年シャルル七世に献策して納れられ、軍を率いてイギリス軍を撃破した。翌年オルレアンを奪還して後に敵国イギリスと通謀するルーアンの司教らによって、異端の宣告を受け、裁判の上焚殺された。1412〜1431)がそうではなかったか。
 彼女はフランスの愛国者として、百年戦争の末期、救国の神託を受けたと信じ、1428年シャルル七世に献策して納れられ、軍を率いてイギリス軍を撃破、更には翌年オルレアンを奪還したではなかったか……。

 東洋でも古くから、墨子集団ぼくししゅうだん/中国春秋戦国時代の、おおよそ2300年前に博愛主義や祖国防衛などを掲げた思想家集団で「墨攻」と称された)に指導された、小国の女を始めとして、老人や子供までが正規軍と互角に戦い、大国の進攻軍を多いに悩ませた史実が存在する。
 墨子ぼくし/魯の人。姓は墨。一説には顔が黒かった為ともいわれ、あるいは入墨者の意味で一種の蔑称ともいわれている。前480頃〜前390頃)は、春秋戦国時代の思想家で、墨家(墨家の「家」は儒家に対抗した意)の祖であった。

 また墨子は、最初宋に仕官して大夫たい‐ふ/周の職名で、士の上、卿(けい)の下に位する官位)となったが、やがて思想家としての道を歩く事になる。著書には現存本「五十三」編があり、兼愛説と非戦論とを唱えたもので、門弟の説も含まれるという。また墨子死後、弟子達は墨子集団を組織し、博愛主義に徹しながらも、一方で戦争技術者として諸国に自分達の技術を以って、弱小国の救援活動を行なった。そして彼等が指導したことは、単に戦争を男だけに任せるのではなく、女や子供も進んで戦闘に参加させ、祖国防衛に当たらせたのである。

 日本でも、墨子の思想を取り入れて、幕末の戊辰戦争を戦った小藩があった。その藩を長岡藩という。長岡藩の家老は河井継之助かわい‐つぐのすけ/越後長岡藩の国家老。1827〜1868年)であり、彼は陽明学の日本屈指の実践者もあった。そして彼は、大塩平八郎おおしお‐へいはちろう/江戸後期の陽明学者。大坂町奉行所の与力。「大塩平八郎の乱」で有名。1793〜1837年)に続く逸材といわれた人物であった。

長岡藩家老・河井継之助(44歳)
 継之助は幕末の人であり、名は秋義。号は蒼竜窟(そうりゅうくつ)といった。学問好きであった彼は、古賀謹堂こがきんどう/江戸後期の儒学者で、昌平黌(しょうへいこう)の教官。1788〜1847)・山田方谷やまだ‐ほうこく/幕末・明治前期の儒学者で、備中松山藩に仕え、のち江戸に遊学して佐藤一斎に入門し、藩校有終館学頭をつとめ、藩侯を補佐し、藩政刷新にも尽力した1805〜1877年)らの門に学んだ。

 斜陽であった藩財政を再建した後、洋式の銃砲を購入して、フランス式の調練を藩士やその子女にも行なった。彼は戊辰戦争にあたり、長岡城に籠城(ろうじょう)して、政府軍を苦しめたが、負傷して落城後に死亡した。
 しかし長岡城攻防戦では、男だけではなく、武家の妻女や子女も戦闘に参加し、信じられない程の長期戦を戦っているのである。

 ちなみに幕臣旗本・御家人で組織された、上野の彰義隊(しょうぎたい)の上野戦争は、情けない事に午前中の半日で決着がつき、徳川慶喜が指揮した鳥羽・伏見の戦いは僅かに四日で、この時、幕府軍は多大な犠牲者を出して、将軍慶喜は会津藩主の松平容保らを率き連れて、幕府の軍艦・富士山丸で江戸に逃げ帰っている。

 また会津若松城の攻防戦では約三十日戦っている。勿論、武家の子女も参戦しており、中野竹子(なかの‐たけこ)の「娘子軍(ろうしぐん)【註】ジョウシ軍とも)は、特に有名である。
 この娘子軍の名の由来は、唐の平陽公主(公主は皇女の意)が、女性だけで組織した軍隊にちなんだもので、会津藩では中野竹子が中心になり、武家の子女を中核として薩摩・長州・土佐・肥前の西南雄藩に対峙(たいじ)する婦人部隊を組織した。また、中野竹子は藩内きっての美女の誉れが高かった。

 こうした歴史から、女性が戦争に直接参加した例は決して少なくない。
 しかし明治維新以降、男尊女卑の思想は、女性を家庭に縛り付け、いつのまにか戦いは男のものになってしまった。
 特に太平洋戦争当時、日本女性は戦士として戦う場がなく、敵が迫れば自ら自決するしか為(な)す術(すべ)はなかった。サイパンの、崖から飛び降りる女性の自殺は、アメリカ兵から見ても、実に痛々しいものであったという。

 しかしこの後、「皇国婦女皆働令」によって、女性達も戦場へと駆り出されることになる。「阿弥陀如来は、女人を男子に変成させて極楽に往生せしめる」とした浄土教・念仏宗までが、これを覆(くつがえ)し、非戦闘員だった女性までもを、促成栽培的な戦闘要員として教練した。更には「七生報国」までを強要して、負け戦であるにも関わらず、戦争遂行へと協力を促していったのである。こうした歴史の背景に、当時の政治と思想には大きな矛盾があった。

本土決戦に備える女子学徒兵。(画/竜造寺丹羽) 負傷した愛国婦人会兵卒。(画/竜造寺丹羽)

 こうした歴史的戦史を踏まえて、竜造寺丹羽氏は、奇抜な思考で女子学徒で組織する「婦人部隊」を捉え、特異な軍服の絵の世界でシミュレーションを試み、そして観(み)る者を異次元の世界に誘い込む。
 竜造寺氏の絵は一種独特の視点から悲惨な戦争を捉え、また軍部の統制の要(かなめ)である軍服を捉えている。そして、それは単に「女性だったら……」というだけではなく、その根底には一種の思想のようなものが流れている。

 それは普段の日常では実在しないものであり、少なくとも太平洋戦争当時、一部において僅かに存在しただけであり、しかしそれでいて、何処か懐かしいような哀愁に駆られるのである。
 したがって一枚の絵をいつまで見ていても、決して飽きさせないのである。だからこそ竜造寺作品は、不思議な軍服の絵といわざるを得ない。

射撃練習をする女学生たち。

 戦争は悲惨なものである。特に敗戦国となった場合、その悲惨さは筆舌に尽くされないものがある。戦争が惨めなのは、そうした国家の敗戦で終結し、これまでの精神的肉体的価値観を、全て奪い取られた時に発生する。
 日本は先の大戦で、アメリカと中国ならびにアジア・太平洋諸島で干戈(かんか)を交えた。そして歴史的に見れば、朝鮮半島や中国大陸、それに東南アジア諸国と深い関わり合いを持っている。

 こうした歴史的経験から、日本はこれ等の地域を戦場として、兵站部(へいたんぶ)思想の抜け落ちたまま戦闘に明け暮れ、悲劇の傷口を拡大していった。まさに泥沼の様相であり、表面的には「大東亜共栄圏構想」を掲げながらも、その実は、脅威と警戒感と不信感を与えたに過ぎなかった。

 例えば朝鮮半島においては、当時の植民地支配からくる不信感が渦巻き、それはやがて怨念(おんねん)に変わった。この怨念が今日もなお、対日感情の根底をなし、中国においては、満洲国建国以来の憎悪と怨念が今日も消える事なく渦巻いている。中国戦争当時の脅威を引きずった対日感情は未だに消えることがない。また、東南アジアにおいても戦場になった、日本を憎悪する対日感情があり、それは自ずと、アメリカ人の対日感情のそれとは異なっている。

 だからこそ日本は「大東亜共栄圏構想」を掲げながらも、結局、共栄圏構想の全アジアの民族解放はならず、戦争勃発の張本人として、対日感情を激化させ、そのことが更に日米戦を悲惨な戦争に追い込み、そして敗れ、戦後は一様に戦争を嫌悪する生理的風潮と、平和教育の中で自虐(じぎゃく)的に、あるいは感情的に捉えるという点で、共通の戦争観で一致を見た。

 こうした風潮下で、竜造寺氏は「戦争とは何か」を自問し、その統制の要(かなめ)となる国家各々の「軍服とは」「女性とは」というテーマを掲げ、平和と哀悼(あいとう)の念が、一枚一枚の絵の中に込められているように思う。だからこそ、同じ絵を見続けていても、いつまでも飽きさせない、一種独特の不思議な哀愁を観(かん)じるのである。


映画『あの旗を撃て』昭和19年2月封切。フィリピン攻略を舞台にしている。(東宝映画/「昭和史11巻」毎日新聞社編より) 映画『海軍』昭和18年12月8日封切。真珠湾攻撃を題材にし、純真か少年が海軍に入隊し、海軍士官として小型特殊潜航艇に乗り込み、真珠湾内に突入するまでが描かれている。(東宝映画/「昭和史11巻」毎日新聞社編より)

 竜造寺氏は謂(い)う。
 「私の絵は鎮魂歌(ちんこんか)である。鎮魂歌であるからこそ、哀悼を忘れてはならず、その想いは今から約半世紀前に遡(さかのぼ)る娘たちの姿だ。当時の娘たちは現代女性には珍しい、純情な恥じらいがあり、そして含羞(はにか)む乙女らしさがあった。あるいはポッと頬を染めるようなそんな女達が多くいた。そうした表皮の裡側(うらがわ)にある深層部を、軍服とともに描き出して見たいと考えたのが、そもそもの発端(ほったん)であった。そして、あれからもう数十年を経たが……」と、こう回想する。

 戦時とは非常事態を指し、非日常的な現実が、突如、我が身を襲うことである。日本の場合は、即、国土が戦場になった。空からと海からと、敵が襲えば一溜まりもない状態となる。非戦闘員までが、戦闘員に仕立て上げられ、自分の意志とは関係なく、戦うことを余儀無くされる。こう言う時代を見て来た竜造寺氏は、非戦闘員だった女性達が戦闘員に仕立て上げられ、戦場に散っていった、半世紀前の娘たちにそれを回帰するようだ。その回帰が、また、当時の戦場に散った娘たちを思い起こさせ、それは明かに一種の哀愁になって反響して来る。

先の大戦前の女性の服装。
千人針の一刺しに協力する女学生

 そしてこの哀愁が、いつまで見続けても飽きさせない絵にしているのではあるまいかと思うのである。それはまさに女の中にしか見ることの出来ない、不思議な軍服の絵の世界である。竜造寺氏の絵には、そんな哀愁が漂っているのである。



●二つの世界大戦のもたらした意味

 人類は歴史的に見ても稀な、20世紀に二つの大戦を経験した。
 第一次世界大戦は、欧米列強が支配した植民地の分割に終止符を打ったことであるが、同時に、その中で目立ったことは、マルクス・レーニン主義で、1917年にロシアに赤色革命が起こったことである。

 また、第二次世界大戦は、侵略性を持たない解放戦争の糸口に終始してしまったことである。
 特に日本、ドイツ、イタリアにおいては、ファッショ及びファシズムからの解放であった。その解放の特徴は、敗戦国の同じ民族を二分化するという対立の様相を激化させたことであった。戦争に敗戦すると、戦争責任を負わされることが、新たな世界秩序の国際常識となった。

 戦争の悲劇は、戦争をしている間より、むしろ戦争が終ってから始まる地獄の方が恐ろしい。
 「勝てば官軍、負ければ賊軍」というアングロ・サクソン
(Anglo-Saxon)白人主導型の人為的な国際常識で、戦争責任と戦後処理が行われるのである。
 本来は戦争の勝敗と戦争の責任は別個のものであったのであるが、これが否定出来ないままに、第一次世界大戦以降、国際間の常識となってしまった。
 そしてこれらの戦争を画策した裏側に、必ずといっていいほどアシュケナジー・ユダヤ人
(アメリカ国籍を持つ、僅か2%の白人の肌を持つユダヤ系アメリカ人で元はカザール人)と、両陣営を同時に応援する資金援助などのフリーメーソンの裏工作があったわけである。

 近年の世界史に盛んに登場するアシュケナジー・ユダヤ人は、次に人達である。
 アメリカ大陸発見者のコロンブス、マキシズムの創始者で資本論のカール・マルクス、ロシア革命に尽くしたカール・ラデック、国際通信の権威ルーター、世界一の喜劇王チャールズ・チャップリン、蒋介石と親交のあった財閥ヴィクター・サッスーン、国際法学の権威レオン・カーン、ワッセルマン反応のワッセルマン、肺炎球菌の発見者フランケ、精神分析のフロイト、TNT火薬の発明者ワイズマン、ダイナマイトの発明者ノーベル
(ノーベル賞金設定者)、相対性理論のアインシュイタイン、毒ガスの発見者ハーバー、性科学者マグヌス・ヒルフェルト、ヨーロッパの大富豪ロスチャイルド、アメリカの大富豪ロックフェラー、モルガン、カーネギー、ハリマン、イギリスの金融王モンタギュー・ノルマンたちなどの第一級の実力者たちであった。

 彼等は、その時代の痕跡
(こんせき)を変えるくらいの強大な影響力を持ち、政治や文化のあらゆる範囲に及んで人類に影響を与えていった。
 彼等は10世紀頃に、ユダヤ教『タルムード』に改宗した世界史に登場するアシュケナジー・ユダヤ人
(正確には彼等は民族ではなく、ユダヤ教タルムードの改宗教徒であり、その根本はバビロン宗教に源を発する)たちであった。今日のイスラエルの二重構造は、此処に始まる。

 さて、「放浪の民」や「迫害された民族」を自称するユダヤ人にとって、国家や政府は必要でなく、彼等の目指すものは、唯一つ時空を超えた国際社会に君臨する「世界政府樹立」を目指す世界人の形象をとっていた。
 そして世界人こそ、人間と民族、国家と人間、人権と人類、人間と地球の関係のメカニズムを説き明かし、民族解放を提唱した人達であった。だが、その民族解放という言葉の裏に、第一世界大戦の裏に、ベルサイユ条約のような無限大的な責任賠償と分割、科学者の分割、資本の再分配と再建競争などの国際的な取り決めが、常識化しつつあったことは事実であった。

 しかし世界政府樹立を目指す彼等は、必ずしも一枚岩でなかった。
 アシュケナジー・ユダヤ人の構成するユダヤ組織は大きく分けて二つに分かれている。これは政治的及び人種的な区分の上から各々が分化されている。各々は掲げる目標も政治的にも人種的にもその主義や主張が異なっている。ユダヤには二つの流れがあるのである。

 一つは「シオンに帰ろう」を合言葉にしたシオニスト・ユダヤであり、彼やはイスラエルやエルサレムの宗教的教義や信条に異常なほど執着している。思想的にも大きな目標を掲げている。そしてエルサレムから全世界に向けて影響を与えなければならないと主張している。世界支配の野望も未
(いま)だに捨てていない。これはユダヤ教タルムードに説かれている選民意識から起るもので、「ユダヤ人だけが人間であり、他は全て動物(ゴイム。豚の意)である」という宗教的信条から来ているのである。

 もう一つは国際ユダヤで、シオニスト・ユダヤのように宗教的教義や信条に興味を示さず、イスラエルやエルサレムにも執着しない。彼等もまたシオニスト・ユダヤとは別の形で世界の新秩序を作り、世界政府樹立を目論んでいる。この国際ユダヤ勢力は、アメリカ東部のエスタブリッシュメントと深く結び付き、彼等の掲げる目標は、イギリス貴族階級によるイギリス大英帝国の再現である。

 彼等の血統はアングロ・サクソン系の血統をもっており、五世紀の半ば、ドイツの西北部からイギリスに渡って諸王国を建てたゲルマン民族の一分である。現在のイギリス国民の人種的根幹を成しているのは、このアングロ・サクソン系の血統をもった人達であり、頭髪は主にブロンドである。また彼等も選民意識が非常に強い。

 中世では国王までも動かした貴族階級の位置に属し、国政をコントロールしたり、裏で謀略を行って、植民地主義を押し進めてきた。謀略や政治工作に長け、その政治的ビジョンや戦略は世界的な視野に立って物事を思考する他次元的思考能力をもった集団である。古くからこの地で工作活動や諜報活動が盛んだったことも一応頷ける筈である。そしてこの歴史は四百年以上の歴史をもっている。

 太平洋戦争開戦前夜、彼等の諜報活動は日本の国策上の盲点を暴きだし、外交的に不利な状況に追い込んだことで知られている。その諜報活動の主犯格であった「キャツアイ」は、特に有名である。
 現在はアメリカ東部のエスタブリッシュメントの「奥の院」
(例えばサンヘドリン(Sanhedrin)であり、ローマ統治時代、エルサレムに設けられた議会。ユダヤ教の行政管理、裁判を管轄し、議長と70人の議員から成る。そして「最高法院」の異名を持つ)を形成し、これらを総称して国際ユダヤ勢力あるいは国際ユダヤ資本といわれている。彼等の目指すものは全世界を再び植民地にして彼等成りの願望を抱いて世界新秩序を形成しようとしているのである。

 彼等の握る実権は凄まじく、かってはシオニスト・ユダヤを手先に使い、金という餌を投げて謀略や政治工作を指示していたが、今日は宗教的信条に凝り固まってしまったシオニスト・ユダヤを嫌い敵対関係にあり、独自の世界秩序構築を目指して国際政治工作を行っている。その代表格はロスチャイルドやヴァールブルグなどである。

 勿論、彼等の双方の狙うものは世界制覇であり、このために古来より多くの画策を行ってきた。その他意表的なものが政治工作であり、この工作を巧みに利用しながら金融や政治を操って、時には決裂に追い込んだりして戦争を蜂起させてきた。

 彼等の裏で行った巧みな工作を行うことが出来た。政治謀略で国家間を犬猿の仲に追い込んだり、世界的規模の戦争を企てることが出来た。この工作で、第一次世界大戦が勃発し、またヨーロッパや中国大陸に付け火工作をして、あるいは恐慌を企てて経済不況に追い込んだり、その追い込んだ先に第二次世界大戦を画策したのである。
 当時世界的視野に乏しかった日本は、その盲点を突かれ、役者が一枚も二枚も違う相手と喧嘩して太平洋戦争に突入してしまったのである。

 また、太平洋戦争突入の経緯は、もう一つある。
 当時は世界各国に国際共産主義運動を指導する、第三インターナショナルというコミンテルンに利益を齎
(もたら)し、日本を赤化して、レーニンが発展させたとされるマルクス・レーニン主義建設に力を貸そうとした事実である。
 しかし、レーニン主義は「帝国主義論」や「一国社会主義思想」などがその特徴であり、国際色の強いコミンテルン的な思想よりは、ソ連赤軍に繋
(つな)がる利益であり、既にこの時、日本のソ連の属国化が目論まれて居た事になる。これに絡んだのが、「ゾルゲ事件」(日本政府の機密などをソ連に通報した疑いで、1941年10月ドイツ人新聞記者でソ連赤軍諜報員リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)と尾崎秀実(おざき‐ほつみ)らが逮捕された事件)である。

 ゾルゲは、近衛文麿
(このえ‐ふみまろ)内閣のブレーンであった尾崎秀実と共謀し、尾崎が得た「日本政府の機密情報」ならびに「満州の情報」また、ドイツ大使オットーとの信頼関係で得た「ドイツの機密情報」を、全てモスクワに送っていたのだった。ソ連の関心事は、日本軍が「北進政策」を採るか、「南進政策」を採るかだった。これだけを考えても、日本の国策を先取りして、近い将来、日本をソ連の属国化にすることが目論まれていたと謂(い)うことになる。

 そこには、尾崎個人の利益と言うより、主義主張が明確にされ、自分の信念の為に、進んで日本を滅ぼす側に廻っていたと言えよう。
 そして尾崎の流した日本の機密情報が、ソ連からアメリカに流れて、やがて「南進政策」が採られ、日本海軍の真珠湾攻撃の要因を作る事になる。

 この歴史の流れから考えて来ると、既に太平洋戦争の日本の敗因は、真珠湾攻撃によって作られたと言ってよいであろう。
 真珠湾攻撃は当時の、連合艦隊司令長官・山本五十六
(やまもと‐いそろく)の「戦争責任」であり、「敗戦責任」である。
 また、日本海海戦時の東郷平八郎
(とうごう‐へいはちろう)と違って、山本は「必敗の信念」で世を惑わし、「アメリカと戦えば、必ず負ける」と普段から豪語していたからである。

 山本は、首相の近衛文麿に呼ばれた時、日本海軍の勝算を訊
(き)かれたが、この時に「一年や二年は存分に暴れてみせる。しかし、三年四年となると確信が持てない」と云う「必敗の信念」を語っている。そして、最も無謀を思われる真珠湾作戦を、軍令部総長・永野修身(ながの‐おさみ)は許可している。
 しかし、これは非常に矛盾するではないか。

 山本は「確信が持てない」と云っているのである。「必敗の信念」で語っているのである。海軍作戦の専門家であるならば、直ぐ気付く事であるが、なぜ最初から「必敗」を信念に置いた指揮官を、わざわざ「興国の存亡が掛かったこの一戦」に連合艦隊司令長官に起用したのだろうか。

 山本は「確信がない」と云っているのである。つまり、「必敗の信念」を述べ、アメリカと戦えば、必ず負けると云っているのである。なぜ戦争に負ける提督
(ていとく)を、永野修身は重要ポストに起用したのだろうか。更に、無謀な作戦と解り切った上で、自らも「負ける」と云っているのであるから、真珠湾攻撃が失敗すれば、その時点で敗戦である。

 しかし、真珠湾作戦は日本側が仕掛けた時点で、敗戦は確定していたと見るべきであろう。それは山本が、必勝ではなく、「必敗の信念」でアメリカとの戦争を戦おうとしたからだ。ここに凡将・山本五十六の隠れた側面が浮かび上がって来る。

 当時の歴史の流れを見ると、ゾルゲはコミンテルンの主義主張を同じくする満鉄社員の尾崎に接近し、尾崎を介して、近衛から国家機密を聞き出し、ゾルゲ情報がソ連の情報部に伝わり
【註】日本の陸海軍や外務省はゾルゲの入手した情報が、ソ連に伝わったと言う証拠を、事件当時、入手することはできなかった。これが発覚したのは戦後の事である)、ソ連情報部からアメリカ大統領ルーズベルトに注進され、ルーズベルトはフリーメーソンの誼から、同じフリーメーソンである山本五十六にこの情報が齎され、山本は真珠湾攻撃を仕掛け、日本を敗戦に導き、日本列島の主要都市を、焦土に化したという図式が成り立つではないか。

 此処で注目したいのは、ルーズベルトのフリーメーソン三十三位階の最高位と、日本フリーメーソン支社となっていた日本海軍「水行社」に出入りしていた山本五十六が、同じメーソンとして裏情報の遣り取りがあった事である。ここに近代史が、穏微な集団の暗躍によって作られていると言う現実がある。

撃墜された零戦。太平洋戦争当時、日本海軍の主力戦闘機で、零(れい)式艦上戦闘機。

 その意味で、満鉄ならびに海軍の「水交社」、陸軍の「偕行社(かいこうしゃ)【註】日本陸軍の現役将校および相当官を社員として、相互扶助や親睦事業を行なった団体とされるが、秘密結社的な要素が強く、海軍の水交社に相当するものであった)は合法的な暗躍の場所であった可能性が高い。ある意味で、裡側から日本を亡ぼす売国奴的秘密結社が出来上がっており、一部の一握りのエリートによって戦争が操作された観が強い。



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