生死の循環・中有の思想

●満つれば欠く……おごれる人も久しからず
栄枯盛衰(えいこ‐せいすい)は人の世の習わしである。
『平家物語』の冒頭には、「祇園精舎(ぎおん‐しょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹(さら‐そうじゅ)の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久しからず、只(ただ)春の夜の夢の如し。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ」とある。
祇園精舎(Jetavanavihara)とは、須達(しゆだつ)長者が、中インドのコーサラ国舎衛城(しゃえ‐じょう/【註】中インド、迦毘羅衛(かびらえ)国の北西にあった都市。コーサラ国の首都。釈尊がしばしば説法教化した地で、当時、波斯匿(はしのく)王および瑠璃(るり)王の居城)の南、祇樹給孤独園(ぎじゆぎつこどくおん)に釈尊および、その弟子の為に建てた僧坊のことである。釈尊の説法の多くがここでなされ、「竹林精舎(ちくりん‐しょうじゃ)」と共に、二大精舎というのである。
また、竹林精舎は、中インドのマガダ国の王舎城の北方にあった僧院ことである。迦蘭陀(からんだ)長者が土地を、頻婆娑羅(びんばしやら)王が建物を、釈尊に献じたもので、仏教初期の僧院のことである。
時は刻々と変化し、止まる事がない例えを『平家物語』は顕(あら)わしているのである。その意味で、過去の英雄の、ありし日の姿も、栄華も、「只(ただ)春の夜の夢の如し」となるのである。
この物語は、平家一門の栄華とその没落や滅亡を描き、仏教の因果観や無常観を基調とし、調子のよい和漢混淆文(わかんこんこうぶん)に対話を交えた散文体の一種の叙事詩である。
特に、因果観や無常観の叙事詩は、平曲として琵琶法師によって語られた。
そして、『平家物語』を包含しているものは、万物は流転する無常観である。万物流転の理(ことわり)こそ、権力者が知らなければならない宇宙の真理だろう。権力に驕(おご)る者の栄華も、まさに“春の世の夢”なのだ。
それは武勇で名を轟(とどろ)かせた勇猛な武将であっても、最後には滅び行くのである。これは宛(さなが)ら「風の前の塵(ちり)」に酷似するではないか。こうした状況は、この国だけではなく、異国にも存在した。栄枯盛衰(えいこ‐せいすい)の例を挙げれば、ざっとユーラシア大陸を検(み)ただけでも、多くの栄枯盛衰があった。
古代から現代に至るまでの人類の数々の歴史を振り返れば、その大半は「戦争の歴史」である。戦争こそ、人類の築き上げた歴史であることが、雄弁に物語っている。一つの民族や国家が、敵対する他のどの勢力よりも、圧倒的な軍事力を持つ場合、そこにが壮大な支配体制が確立されることになる。
特にユーラシア大陸に於ては、これが顕著だった。マケドニア、ペルシャ帝国、サラセン帝国、蒙古などがそれである。しかし、どの民族、どの国家も、それが自然体である場合、栄枯盛衰はまさに大自然の摂理と言えよう。
平家の栄耀栄華も、こうした大自然の摂理の中にあったといえよう。とりわけ、六波羅(ろくはら)の入道、前(さき)の太政大臣(だじょう‐だいじん)、平朝臣清盛(たいら‐の‐あそん‐きよもり)は保元・平治の乱後、源氏に代って勢力を得、累進して従一位太政大臣になった人物である。そして、伝え聞けば、人間の想像を絶する筆舌に尽くし難い人物であった。
清盛の祖の先祖は、桓武天皇の第五皇子と発し、それから三代を経て「平」の姓を賜(たまわ)ったと言う。その九代目が平正盛(たいら‐の‐まさもり)であり、白河法皇に信頼され、検非違使(けびい‐し)・追捕使(ついぶ‐し)として諸国に賊を討ち、伊勢平氏興隆の道を開いたとされる。その正盛の孫が清盛だった。また、清盛は忠盛(ただもり)の嫡男(ちゃくなん)であった。
平忠盛なる人物は、白河・鳥羽両上皇に信頼され、1129年(大治4)に山陽・南海二道の海賊を追捕し、1135年(保延1)再度西海の海賊を平らげ、累進して、刑部卿に進み内昇殿を許された。更に日宋貿易に尽力したのである。こうして平家一門の経済的基礎を作った人物であった。清盛の平家の栄耀栄華は、忠盛の経済基盤によるところが多い。
しかし平家の栄耀栄華も、翳(かげ)りが見え始め、暗雲が垂れはじめるのである。
それは「都移り」に始まったのである。清盛の娘徳子が高倉天皇の皇后となった。そして、その子安徳天皇を位につけ、皇室の外戚として勢力を誇ったのである。平家の子弟はみな顕官となり、専横な振舞が多く、その勢力を除こうとする企ても、しばしば行われ、清盛の没後数年にして、平氏の嫡流は滅亡をみるのである。
●駱駝が針の穴を通るより難しい
滅亡は、何も人の頭上ばかりに顕われるのではない。国家にも、民族にも、また組織にも滅亡というものはある。それは、まるで肉体が崩れるように襲って来る。
時の流れは、決して人の都合を待ってくれない。歳月は人を待つ事はないのだ。
こうした変化の兆候は、人間に絶えず忍び寄っている。それを本人は知らないだけである。若い肉体は、やがて老化しはじめる。若かった事の強健な肉体も、歳月と共に老醜を帯びてくる。それが老醜というものである。老醜は、また一種の匂いを生じ、それが「老臭」となる。
人の「死」の予兆としては、「老臭」の汚臭とともに、失明、発汗、落花、更には絶望と言うものが顕われる。輪廻転生(りんね‐てんしょう)の法則により、人は寿命が尽きれば、その身に「五つの衰え」が顕われるのである。命あるものは、「死の法則」から逃れる事は出来ない。それは神においても同じである。神すらも、寿命が尽きれば、死ぬのである。
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▲満つれば欠く。月には様々な表情があり、意識がある。そして月の意識とその影響を拒否すれば、人間の生活は実に貧弱なものになる。
また一方で、太陽の意識と、その方向性を示す働きがなければ、月の意識は無秩序になり、暴力や狂気で覆われてしまうもとになる。したがって、古人は月を祀り、月の示唆に基づいて、日常生活を営んでいたのである。 |
「満つれば欠く」という言葉がある。
『史記蔡沢伝(しきさいたくでん)』には「月満つれば則(すなわち)虧(かく)」とある。何事も盛りに達すれば、やがては衰え始めるものだ。此処にこそ、栄枯盛衰の原則がある。栄えることと、衰えることは同じ数直線上にあるのだ。隆替は同義である。この言葉は、物事には必ず盛衰があるという意味で、「月盈(み)つれば則(すな)ち食す」とも言う。
月は満月まで満ちて膨らむが、十六夜(いざよい)ともなれば、欠け始めるのである。陰暦十六日の夜は「欠け」の始めである。美しい十五夜が見られるのは、三五(さんご)の夕であり、僅かに一日である。
こうした月の満ち欠けは、人間の「魂」の循環にも置き換える事が出来る。
大自然は循環するように出来ている。季節は移り変わるのである。人間も、これと同じである。人間は大自然の中にあって、そこで新しき肉体を受け取りつつ、四期(四季に準えて四期の生・老・病・死を指す)を経験して、再び繰り替えし、魂は循環し続ける。魂の向上と昇華を目指し、人間は人生を経験する事で、魂は長い時間をかけ高次元へと進化して行く。何代も受け継がれて……。
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| ▲月光菩薩像。薬師如来の右脇に侍する菩薩で、日光菩薩と共に薬師三尊をなす。 |
この場合、厳密に云うなら、人間の人生は一種の魂を向上させて行く為の手段であり、魂が進化向上するというのが、本来の魂の目的なのである。
栄枯盛衰(えいこ‐せいすい)、満つれば欠くという循環を繰り返しながら、魂は進化向上の方向に向かって行くのである。したがって人間の死は、生の終着点ではなく、新たな旅立ちの出発点であると言えよう。死を以て、新たな旅の門出(かどで)と言えよう。
ところが、新たな門出に、拍車を掛けるものがある。それは「老醜」であろう。老醜は歳と共に醜くなる。この「醜さ」に気付く晩年層は以外と少ない。歳を取って益々盛んになる、煩悩の火を抑えられない者がいる。これが「老醜」である。
「満つれば欠く」の理(ことわり)を知らない者は、人生の後半の、殊(こと)に物質に関する「見直し」が出来ないのである。
これは「駱駝(らくだ)が針の穴を通るより難しい」に俚諺(りげん)でお馴染みである。物質界の欲に追われる者への勧告である。歳を取っても、なお、あれも欲しい、これも欲しいでは、死際に平穏は訪れない。歳を取ると、「死に欲が出る」とういう。死に欲が出ると、却(かえ)って人間が物質に固執するようだ。だから、「駱駝(らくだ)が針の穴を通るより難しい」のである。これこそ、臨終を悪くする元凶となる。こうしたことは、世間一般ではよく見る事である。
人間の老年期というのは、明らかに青年期や壮年期の行動あるバイタリティーとは異なる。活力や生気は失われる。そのくせ、物にこだわる老人がいる。本当は、物に頼る時期ではないのだが、「死に欲」が出て、これに振り回される人がいる。
若い時分ならば、物質に左右され、金銭や色に振り回され、魅せられもしよう。しかし、老人はどう転んでも、これからは卒業していなければならない。また、老人のそれから先の人生は、右に転んでも、左に転んでも、大して大差はない。過ぎた年齢であるからだ。何しろ、時間がそんなに長くない。仕事もそんなにないし、年金生活者がやれることは高が知れている。
しかし、本当に遣り残している仕事は、老人にはまだある。それは欲から離れるということである。特に物質欲から離れなければならない。老後の人生で大事なことは、欲から離れることなのである。老人に残された仕事は、自己の内面的な最終仕上げだけである。自己の完成に向かって、心置きなく死んで行く準備だけである。これこそ、晩年の最大の仕事であり、重要な任務なのである。
「満つれば欠く」の理だけは、何とか修得したいものである。青年期を過ぎ、壮年期にバリバリ働いて、老齢に達し、晩年期に入ったということは、「そろそろ死ぬ準備」を始めなければならない。「そろそろ死のうか」という心構えに目覚めなければならない。
人生は、「目覚める」ことの連続である。しかし、これを全く自覚していない老人が多過ぎる。自分だけは無関係だと思っている安穏とした老人が多い、だから、惚(ぼ)けるのである。惚ければ、過去の如何なる栄誉も、功績も総て御破算(ごはさん)になる。
人間が死ぬ時に臨終は、前もってリハーサルは出来ないが、その心構えは前もって作れよう。死は、多い先の出来事だと思わないことだ。死について、若い時はから考えておく必要がある。人間は、みんながみんな老衰で死ぬわけではないからだ。
若くして、自己や事件に巻き込まれて不慮の死を迎えることもある。死の準備は、若いから無関係だとは思わず、非存在であるはずの人間は、この心構えだけは、しておくべきである。
人間は若い時から某(なにがし)かの夢を抱き、それに向かって努力して来たわけであるが、これを必ずしも自分の手にした人は少なかろう。誰もが、棒ほど願って、針ほども適(かな)わなかったはずである。奔走したが、「一敗地に塗まみれた」というのが多くの人の感想ではあるまいか。再び起つことが出来ないほど大敗したというのが、実情ではあるまいか。諦めとなって、誰もが老後に辿り着く。しかし、こうした老後でも、まだ戦いは終ったわけではなく、仕事は決して終っていない。まだ残された仕事がある。それは自己を完成させると言う仕事である。臨終に向かって、自己を完成させなければならない。
金の為に働き、金持になる為に働いたのかも知れないが、金持にはなれなかったというのが、大半の日本人の抱く感想ではあるまいか。しかし、「まあ、中流にはなれたのだから」ということが、大半の日本人の慰めではないだろうか。自分よりも下の人間がいることに、何となく安堵(あんど)を感じ、そのことで諦めを付けようとする。慰めに充(あ)てようとする。
日本人の抱く「中流の意識」は、あくまでも物質に関しての中流意識であろう。「まあまあの中流」であろう。しかし、人間は物質のみで生きているのではない。これこそが、歳を取り、死ぬまでの時間が短くなった老年期の人々にとっては、まさしく有益な生涯の総決算となる。この総決算時期に、人間が何をするかでその人の価値が決まるようになっている。だから「総決算」なのだ。
人生の教えるところは、この時期を「有益に過ごせ」と教えている。それは、まず、自分が此処まで易化されて来たことの「感謝」であり、その感謝をもって、今度は人々に還元して「与える」ことなのである。感謝し、与えることが出来てこそ、人間は死に際して「最高の有終の美」を迎えることが出来る。
人間のおける老後の余生とは、「有終の美」に向かって自己を完成させることである。ここで「息切れを起こす時期」ではないのである。今、一層に奮闘しなければならないのである。
しかし、多くの老人は此処で萎(な)える。気力も衰え、「惚けの世界」に半分片脚を突っ込んでいる人が少なくない。「まあまあの中流」で安堵したからだ。
駱駝が針の穴を通る以上に難しい難問が、老後に控えているのである。この時期に安堵など以ての外だ。人間が、それぞれ一人ひとりがに与えられた課題と使命を背負わされて、生まれて来たのであるが、今度はその点検が、臨終を控えて待っているのである。使命は成就しただろうか。しかし、そう容易(たやす)く成就したとは言い切れまい。そこに現代人の臨終間際の失敗がある。
●臨終間際の点検
晩年期は、「死の準備」の為に費やす時期である。物質欲から離れる時期である。物から心へと移行する時期である。
人間は、青年期ならびに働き盛りの壮年期は、人よりも一歩先んじようと奔走する。「先んずれば人を制す」の思考で突っ走る。『史記項羽本紀』ように、他より、相手より、敵より、先に事を行えば優位に立つことができると、そう信じて疑わない。野望をギラつかせ、出世街道を一っ飛びで駆け上がろうとする。
仮に、これが成就したとして、成功を勝ち取り、財を得、何某(なにがし)かの分野で頂点に立ったとしよう。金も、権力も、物財も、地位も、名誉も掴んだとしよう。物質界にあるものは、殆ど手に入れたとしよう。大富豪の位置まで駆け上ったとしよう。果たして、こうした人間の迎える晩年は豊かだろうか。精神的な安住はあるだろうか。心の静寂はあるだろうか。物欲から離れる勇気はあるだろうか。
創造しただけでも、物質に固執した老後は哀れである。
それは余命幾許(いくばく)もない病気になれば分かることである。死を目前に控えてみれば分かることである。
死に際して一番惨めなのは、この世の物財や権力を手に入れた人間であろう。しかし、自分の死を前にして、それらは何の行使も出来ないのである。金も、権力も、物財も、地位も、名誉も、それらのものは、死を目前に控えた老人や病人に何の威力も持たないのである。何一つ行使できないのである。
末期ガンで、余命数週間と告知されたガン病棟のガン患者が、その後の死ぬまでに過ごす時間は、今此処に挙げた物質でないことは、容易に理解できよう。
金持ちや成功者は、自らが持っている意識の中に、下々(しもじも)とは違う優越感を持っている。その優越感が、新幹線で云えば、「普通席」と「グリーン席」の違いであり、航空機で云えば「エコノミー・シート」と「スーパー・シート」くらいの違いであろう。
彼等は特別待遇を受けて然(しか)るべきと考える「VIP」の意識が強い。これこそ「権力者意識」である。したがって、入院治療を要する場合でも、一般病棟とは異なる「個室」に完全看護の形で占拠し、「同じ病気になっても、お前らとは違うんだぞ」という、鼻持ちならないところ優越感で病院と医師を一人占めする。
何故ならば、彼等のこれ迄の人生での生き方が、一般庶民とは悉(ことごと)く違っていたからである。
金持ちや権力者などの特権階級の意識は、「この世の中」というものが、いわば彼等の為に在(あ)ったようなものだ。大企業の代表権を持つ、社長や会長クラスは、自分の会社は自分の為に在るようなものだった。
また、国家にしても、政府要人は、各々の行政機関が自分の意の儘(まま)に操れることに限り無い優越感を抱き、わが「鶴の一声」で、全体を切り盛りする満悦感は最高のものであったはずだ。こうした人にとって、現世と言う世の中は、彼等の「生」を満悦するものであり、楽しみを与える多くの享楽や快楽が限り無く存在していたはずである。
ところが、彼等は「死」を目近(まじか)に控え、人間の死と言うものが、人各々に「平等」に与えられている事に気付かされる。最後は、「みな同じだ」と気付かされるのである。
だが、彼等はこの「同じ死」を認めようとしない。自分の死と、下々の死が同じである事を、最後までも拒み、最後の最後まで闘う。
この闘いには、専門の医師団を編成させて、「金に糸目は付けないから、最高の治療を施しト、五年や十年は延命できるように取り計らってもらいたい」などと、傲慢(ごうまん)な話を持ちかけるかも知れないし、あるいはどうしても死ななければならないのなら、最高の臨終を迎える為に、死刑囚さながらに、教誨師(きょうかいし)の連中を呼び、安楽に死んでいけるよう、特別な香油を躰(からだ)に塗るなり、最高のお経をあげるなりの注文を要求し、自分自身の死は、差別化された最高の形を望む事で、庶民とは一線を画した死を求めるかも知れない。
そして「平等」であるということに、最後の最後まで闘い、これに膨大なエネルギーを注ぎ込む。
この為に、彼等は最も重要な、死に行く者としての「大事な作法」を学ぶチャンスを見逃してしまうのである。VIPを自称する特権階級は、屡々(しばしば)、死を最終結果として、「謙虚に受諾する」という態度を逸(いつ)してしまうのである。
これは死を目前に控えた者にとって、最も大事な、「謙虚さ」を学ぶ絶好の機会を見逃し、ただ単に、「死への拒絶」と「死への怒り」を撒(ま)き散らせて、見苦しい態度で死に向かうのである。
筆者がこれまで立ち会った人の死の中には、こうした、死までをも優越感で乗り切ろうとした、何人かの特権階級に属する人を見た事がある。
そして不思議な事に、この手の特権階級が、死んで行くその死因となるものは、「ガン疾患」が最も多く、次に脳卒中や心臓病の順だった。あらゆる末期患者の中で、もっとも絶望的に、孤独な死を迎えるのは、こうした彼等だった。それは見苦しい態度を執(と)る為に、家族からの顰蹙(ひんしゅく)を買い、また取り巻から嘲笑(ちょうしょう)を買うような態度で死んで行ったからだ。
今日は、多くの日本人が、自分なりに「中流意志」を持ち、こうした意識は、VIPの連中と殆ど変わりがないようなところがある。その為に、「死に行く者としての作法」を知らずに死んで行く者が多くなって来ている。臨終を臨むには、「作法」がある。これは死に行く者の礼儀である。
生前、この作法を学ばず、霊界の事を知らずに死んで行く人の死は、実に哀れであろう。また、死した後の意識は、現在未科学の分野に入る為、これを医学的に証明できないが、死した後の意識としての波動は、確かに現存するにも関わらず、未(いま)だにオカルトの世界に圧(お)しやられ、非科学として一蹴(いっしゅう)される傾向にあるようだ。
つまり現代人は、「死のレベル」から云えば、絶望的な死を迎えようとしているのである。そして残念な事だが、生前、死に臨む作法の学習をせず、「人間は死ねばそれ迄よ」と豪語して来た人の死は、その人の死後が、実に哀れという事である。
かつては、60歳を超え、やがて自分が晩年期に達し、この年齢になったら、「還暦(かんれき)の祝い」(【註】60年で、再び生れた年の干支に還ることからいい、数え年の61歳をいう。本卦還(ほんけがえり)の宴などとも称す)を家族から祝ってもらい、いよいよ人生に磨きを掛け、最後のラスト・スパートを意識して、「肉体から霊魂への移行」の時期を迎えなければならないことを認識していた。
ところが現代では、60歳を過ぎても性欲が盛んで、こうした意識の切替が出来ず、単に、肉体に固執する人は多い。自分が本来、「意識体」である事を全く理解していない。こうした事から、今日の高齢者は、自らの「死」を見苦しくさせていると言えよう。
そこで、死した後の、自分の魂のあり方を末期患者に正しく伝え、死後の生活への理解を求める事も、末期患者との付き合い方の一つであろう。また、末期患者が「霊魂だの」「死後の世界だの」を全く信じぬ唯物論者であれば、臨終間際の態度は、「立派であるほど、その人の人格や品格が高い」ということを、教えてやるべきであろう。
●死の必然
生まれて死ぬ。これが偽らざる人間の実体である。これこそが「死の必然」である。
生まれる時と死ぬ時も、人は平等の生、平等の死が与えられている。現世で唯一つ、「平等」なるものがあるとすれば、「生まれる時」と「死ぬ時」に限り、唯一、「平等である」と言える。
命ある者は必ず死ぬ。これは死の必然である。
どんなものでも永遠のものはない。永遠どころか、千年、万年のものすら少ない。百年のものでも非常に珍しいと言える。これは生物だけではない。政治でも、思想でも、芸術でも同じである。
幾ら完全な思想であっても、時代が変われば、それはやがて過去のものとなる。ひと時代を経て繰り替えされるのは、古典に過ぎない。古典は新しい時代の、新しいものではない。どこまでも古典である。過ぎし日の残像である。新しい時代には、新しいものが生まれる。況(ま)して、その他の功績の顕著な事業などは、その時代のものに過ぎない。
政治でも法律でも、あるいは流行やファッションでも、こうしたものはその時代だけのものであり、歴史的なものに過ぎない。世の中が変われば、偉大とされた功績など、何の値打ももたない。総(すべ)ては「一時のもの」に過ぎないのである。
だが人は、この「一時のもの」に固執する。汗水(あせみず)垂らして、この「一時のもの」を必死に掴もうとする。そしてこの掴もうとする背景には、「たった一度の人生」という不確かな真理が、「一時のもの」を掴もうとする原動力になっている。
しかし「一時のもの」は、時代と共に変化するのであるから、虚(むな)しい功業に捧げてあくせくするのは、自分の吾(わ)が人生における生涯を、虚しいものに投じて、虚しいものにしてしまうのと同じになる。
幾ら手広く事業を展開し、大金を掴み、大儲けしても、その優越感に浸れるのは、結局、自分が生きている間だけである。しかも短い間の享受に過ぎない。人間の人生は、他の生物と比較しても、長生きして高々百年程度である。大自然に比べれば、余りにも短い束(つか)の間の人生である。それは単に短いだけではなく、やがては滅びるのである。どんな強健な肉体でも、やがては滅びるのである。そして最後は「死の必然」が待っている。
●死に方に、死相はあるか
釈迦は輪廻(りんね)を説いた。
輪廻があるという事は「生まれ変わり」があるという事である。人間は闇の彼方からやって来て、また闇の彼方に還(かえ)って行く。少なくとも、魂はこうした進退を繰り返す。あるいはそのように見える。これは輪廻転生(りんねてんしょう)の暗示であり、死ねばそれっきりという分けではないことを物語っている。
「不増不減の法則」から、霊魂は不滅であり、何度でも、生まれ変わりを繰り返す。この生まれ変わりの第一段階が「臨終(りんじゅう)」である。
そしてこの臨終に失敗するのが、横死(おうし)という不成仏の死に方である。
横死とは一般的に言って、不慮の死や非業(ひごう)の死を指し、事故・殺害など、思いがけない災難で死ぬことを言いが、この横死は、単に事故や災害に遭わなくても、床で死ぬ場合も、こうした横死の現実はある。これは死に切れずに死ぬ、死に方で、現世に未練を引きずりつつ死ぬ場合にこうした横死が起こり、臨終に失敗した時機(とき)の死に方なども、横死に含まれる。
こうした死に方の予定は、生前の善行など一切問題にされず、激痛と衝撃と悶絶(もんぜつ)が、臨終にあたり、待ち構えているという事を忘れてはならない。
《予定説》から行くと、死に態(ざま)が生き態に影響を与えている、と言えよう。
これはまさに予定説そのものである。
臨終とは、人が、今まさに死なんとする時、一挙に「死相」という形相(ぎょうそう)が形作られ、これこそが善業と悪業の総決算の時であり、空(くう)の世界に向かう来世の第一歩なのである。だから臨終に際しての死に方は、堕地獄に落ちるか、否かの形相を、「死相」という形で、その遺族に訴えてくる。
そもそも「臨終」とは、何であろうか。
一般的には臨終を「死にぎわ」とか「まつご」とか「いまわのきわ」などと言う。また「死に臨むこと」を臨終とも言う。
臨終に纏(まつわ)る言葉に、「臨終正念(りんじゅう‐しょうねん)」とか「臨終仏(りんじゅう‐ぶつ)」とか言って、死に臨(のぞ)んで心乱れず、往生を信じて疑わないことを臨終正念と言い、また念仏行者の臨終の際に来迎(らいごう)するという、阿弥陀仏(あみだぶつ)およびその聖衆あるいは臨命終(りんみようじゆう)の仏を臨終仏と言う。
こうして臨終を定義していくと、その死の刹那(せつな)に「死相」というものが存在し、死に際して、それぞれの形相を作り、死に就く「死に方」の明暗を分けているのである。つまり、「死相」とは、成仏だったか、不成仏に終ったかの判定が、死の「今わの際(きわ)」に、幽(かす)かに顕われる最期の人間の表情と言えるのである。
「中有(ちゅう‐う)」の思想に立ち返れば、「死相」は存在しなければならない。「中有」とは、四有(し‐う/【註】衆生が生れ、生き、死に、次に再び生れるまでの間の四時期を指し、生有・本有・死有・中有の呼称)の一つである。人間が死んで次の生を受けるまでの間を「中有」という。期間は一念の間から七日あるいは不定ともいうが、日本では「四十九日(しじゅうく‐にち)」である。
四十九日とは、人の死後49日間を指す。前生までの報いが定まって、次の生にうまれ変るまでの期間をいうのだ。俗に、この間死者の魂が迷っているとされる。何故、迷うのか。それは多くの魂が「不成仏」であるからだ。人の死後49日目に当る日、すなわち中陰の満ちる日を指す。この時、死者追善の最大の法要を営む。七七日(しちしちしじゅうく‐にちにち)といい、また「なななぬか」などともいう。満中陰(まんちゆういん)に当たる。
「しちしち・49」の盤面の縦と横なのである。七日事に、交叉するのである。
この間、七日ごとに法事を行う。これこそ自体、この儀式自体、中有の思想を肯定するものであり、中有が存在すれば、当然「死相」は各々に出る。則(すなわ)ち、多くは不成仏であるからだ。
これを非科学的な発想と一蹴できるだろうか。もし、これを一蹴できる人がいるならば、その人は、自らの葬式も挙げてはならず、別れを惜しむような告別式ですら無用であり、無神論者は最後まで無神論者で通すべきである。また、無神論者は、「祈り」すら必要ないであろう。
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