●国旗への常識を知らない日本人
今日の日本において、「国を思う」とか「国を愛する」あるいは「天皇を敬(うやま)う」という言葉を口にすると、直ぐに、あいつは右翼だと云われる風潮にある。
況して、アジア近辺からの日本叩きに対して、ナショナリズムに目覚め、「天皇陛下を尊崇信愛などの念」を表明すると、いわゆる進歩的文化人から、「許し難い時代錯誤」あるいは「反動分子」と視(み)られ、敵愾心(てきがいしん)を買う。
戦時中、自由主義者は官憲当局から「アカ」と看做(みな)され、検挙の対象になった。何かのレッテルを貼り、危険分子として扱われた時代があったが、今日では、愛国心などを掲げると進歩的文化人から、右翼的反動の輩(やから)と視られるようだ。
そして国民が、日本の国旗に対し、この旗を美しいと思ったり、ごく自然な形で「愛国の念」を国旗に注ぐと、革新を標榜(ひょうぼう)している連中からは、激しい一斉攻撃を受ける。それは「日の丸」や「君が代」が先の大戦において、戦争と直結していたからである。軍国主義を煽り立てた元凶となっていたからである。
彼等の言は「日の丸」や「君が代」を、日本国民の恥ずべき隠亡(おんぼう)だと考えているようだ。あるいは賤民の類(たぐい)と考えているようだ。
そして進歩的文化人の言が一貫している事は、「日の丸」が古い、由緒あるデザインであり、「君が代」が歌曲としても中々の文学的価値がありながらも、「悪だ」と云う考え方である。だから戦争と直結する、国旗と国家を一切廃止してしまえというのだ。しかし、この横暴な議論には、贊成しかねるところがある。
1960年代、1970年代、アカ一色で塗りつぶしてしまった左翼人が、先の大戦の反省から、君が代斉唱や国旗掲揚に反対しているのは、それなりの理由があると思われる。
日本が先の大戦に大敗北し、戦争に負けたと云う後遺症は非常に大きい。今日でもそのショックから立ち直れず、戦争アトピーを引き摺っている。
一方敗戦後、日本を占領した占領軍の中には、ニュー・ディーラーというユダヤ系のシオニスト運動を展開するアメリカ軍将校が多く居た。彼等の主導の許(もと)、マッカーサーの連合国軍総司令部(General Headquarters/通称GHQ)は、日本解体で動かされていた。彼等は、自国の民主憲法を日本人に押し付け、占領政策を推進し、戦後改革を行なった。
そして、「日の丸」や「君が代」も占領政策推進下で、「悪の権化(ごんげ)」とされた。これに便乗したのが、日本共産党や日教組などの革新主義者たちだった。
彼等は異口同音にして、「日の丸」や「君が代」は胸糞(むなくそ)が悪いと言う。これこそ、悪の権化と云う。
では、この胸糞が悪くなる国旗と国家は、欧米であったならば、どうなるのだろうか。
喩(たと)えば、英国のユニオン・ジャック(Union Jack)である。
進歩的文化人は戦前戦中、日本が朝鮮や台湾を植民地にしたことを厳しく指摘する。また、中国大陸に満州国を作り上げ、中国を侵略したと言う経緯から、これを激しく糾弾(きゅうだん)する。
しかし侵略国家の、「日の丸」や「君が代」に胸糞悪さを覚えると言うのなら、一体、英国のユニオン・ジャックはどうなるのか。
また、東亜侵略と植民地からの強奪した戦利品を展示する大英博物館の傲慢(ごうまん)ぶりは、一体どう評すればよいのか。これだけを考えても、日本の比ではあるまい。進歩的文化人のイギリスへの抗議は一体どうなっているのか。欧米人ならば許されて、日本人は許されざるものなのか。
また、戦後の平和教育を奨励した日教組は、「日の丸」や「君が代」に悪のイメージを戦後世代の子供達に培養した。国旗教育をする事を「悪だ」と決め付けた。
喩(たと)えば、かつて青年青年海外協力隊の隊員達が、発展途上国に出向き、農業・漁業・医療やその他の業種で技術援助・指導をし、その国の国旗掲揚の時、その場に居た日本人以外は全員起立して国旗に向かったが、日本の隊員は座ったままで、その国の人間から殴られたと言う話を聞いた事があるが、これは日教組の国旗掲揚反対運動が、裏目に出たケースと言えよう。国際常識を学校で教えないから、こうした外国人に誤解が生じるたのである。
国旗に対する礼儀を知らない大半の日本人は、国旗に対する侮辱や、国家に対する侮辱を殆ど意識していない。然(しか)も、この連中は日教組によって赤化教育を受けた為、「日の丸」や「君が代」に胸糞悪さを覚えるのであって、旧ソビエト時代のモスクワや中国・北京に行った時に、彼(か)の国の国旗に対して、絶対に起立しないと、首尾一貫しているのであれば別だが、社会主義の国旗ならば、いいというのでは全くの困りものである。
ここに日本人でありながら、歪(ゆが)んだ、欧米人並みの「日本憎し」の感情が働いている。これは最初から歪んでいたとは思えないが、赤化工作により、こうした感情が徐々に構築されたものと思われる。そして、気付いた時には、彼の国のエージェントになっていたと言うケースすらある。
これこそ、戦時中、作られた世論にまんまと乗せられ、負け戦を勝ち戦と信じて、凱旋兵士に日の丸の小旗を振り、あるいは堤灯行列で行進する、あの「煽られる民」の愚行に酷似するではないか。あるいは日教組教育で赤化工作で傾いてしまって、「ソ同盟」だけを礼讃する、あの愚行と同じではないか。
こうした日本人の、一部の人間の行動は、赤化工作の後遺症である。また日教組とか、左翼の反対があって、国旗掲揚拒否などの報道を、朝日新聞だけが大々的にやるので、これを見た外国人は、日本国民の大半が、「日の丸」や「君が代」に反対をしていると映るそうだ。
ところが、実際は、日本国民の85%以上が、「日の丸」は国旗に相応しいと思い、回答なしが約一割程度、そして「日の丸」は悪の権化だと固く信じて居る進歩的文化人やシンパサイダーが5%未満であるという調査報告(昭和62年の某新聞社調査による)がなされている。
要するに、日本人の大半は外国勢力(国際ユダヤ政策)を応援する5%未満の文化人や有識者の権威筋が、エージェントとなって、日本人をある方向に誘導する為に、「日の丸」や「君が代」がダシにされ、生贄(いけにえ)にされているという事である。
果たして、これが「亡国」の兆(きざ)しであって、何であろう。
●偏光レンズで見られる日本人
近代日本史を考える上で見逃してはならない事は、明治維新以降のいわるゆ「戦前」や「戦中」は、国家神道が席巻した為に「皇国史観」が歴史学界を支配し、また「戦後」に至っては先の大戦の反省から、「マルクス主義のよる唯物史観」が歴史学界を支配した経緯を持つ。
そして、近代日本史に一貫して流れているのは、「怨霊(おんりょう)」という、各々の人々の「唸(ねん)」のようなものが存在していて、戦前・戦中に強調された「皇国史観」は天皇を現人神(あらひとがみ)に祭り上げた為に、戦後は一貫して、社会科学の「唯物史観」でこれを、科学の名を以て徹底否定した。これは迷信の否定であり、一方に於いて、皇国・日本叩きの為の怨霊(おんりょう)の浮上だった。「日の丸」否定も「君が代」反対も、総て此処に由来する。
しかし戦前・戦中に吹き荒れた皇国史観も、戦後のマルクス主義唯物主観のも、右と左で双方は正反対の思想であるかのように受け止められるが、ここでは単に、右と左の違いであり、各々が特定のイデオロギーの為に奉仕する「歪(ゆが)められた史観」は、何(いず)れも同じ物である。
皇国史観は、日本は天皇を現人神においた神国であるという事を強調し論理であり「、また唯物史観では、やがて資本家階級は革命によって打倒され、それに代わって人民の世」「プロレタリアの世」が到来する事を強調した論理に過ぎなかった。
常に、歴史に附随される「史観」は、最初の結論が出ていて、その結論へ導く為の歪(ゆが)んだ「偏光レンズ」に過ぎない。
しかし、偏光レンズで、事象の真相を正しく見る事は不可能だろう。
「偏光レンズ」という、歪んだ特殊なレンズを用いれば、これまでの歴史は悉(ことごと)く覆(くつがえ)され、ウソがマコトになる。社会科学と謂(い)う「科学」の名を以て、捏造(ねつぞう)する事も可能だ。
喩(たと)えば、「唯物史観」という偏光レンズで、近世の江戸時代という封建主義の世の中を見れば、「江戸時代の農村では、農民が作った米は悉(ことごと)く武士階級に巻き上げられ、農民の多くは米が食べられずに粟(あわ)や稗(ひえ)などの家畜並みの下等食を食べていた」と云う論理を展開させれば、一方「武士階級は農民から取り上げた真っ白い米を食べていた」と云う事なる。これは明らかに偏光レンズから見た大ウソである。
 |
|
 |
|
▲五百石以上の上級武士の一汁一菜の食事
|
|
▲下級武士の玄米粥の食事
|
江戸時代の武士の食事は、一般的に言って、上級武士であっても非常に質素な食事であった。大名や豪商でない限り、白米は食べなかった。武士階級では、白米は「泥腐る」として敬遠された食品であった。逆に豪商らは、玄米を精白して、白米として食べ、江戸の町家では「江戸患い」などという脚気(かっけ)を病んで居た事は周知の通りである。
また、武士階級が「農民を搾取(さくしゅ)していた」という言も疑わしい限りであり、元々、下級武士は百姓の出である。これは平安末期から鎌倉初期の「武士団の興(おこ)り」を研究すれば直ぐに分かることである。
更に、武士階級の占める割合は、封建時代の全時代を通じて、全国民の5〜7%程度(【註】但し浪人を含めれば10%程度になる。但し、江戸末期になると「旗本」や「御家人」の株を買う町家や豪農の出身者が出て来て、名字・帯刀を持つ者が殖えた)で、この中でも上級武士の占める割合は7%前後で、共産党の幹部のように、あれこれと役割の担う特権階級は、殆ど居なかった事が分かる。
歴史の背景には、こうした偏光レンズで見る、ある勢力層の進歩的文化人が加担する意識が常に働いているのである。こうして考えれば、「日の丸」や「君が代」に対しても、唯物史観による偏光レンズで見られている事は明白であろう。
日本人の国旗に対する大きな誤解は、体制側の時の権力が「日の丸」を押し付け、愛国心を煽(あお)っていると思っている事だが、これはとんでもない間違いである。果たして、今日の与党を見回した場合、「愛国心」一つ取り上げて考えて見ても、国旗に忠節を尽くす政治家がいるだろうか。
時の体制は、必ずしも「日の丸」を、誰もが奨励しているわけではないのだ。
創価学会の「聖教新聞」を見ると、日本と韓国の政治対談の見出しは、日本が韓国についての事柄だから、本来は「日韓」となっているのが正しいのだが、「韓日」と記載されており、どうしても日本が韓国に下に来るということが強調されている。これも偏光レンズで見る政治力学が働いている。普通は日本の立場から、もの申しているのだから、対アメリカでは「日米」となり、対中国では「日中」となる。
なぜ、韓国の場合のみ、「韓日」と記載されれのか、この背後には、「怨念」としての日本への恨みがある事は明白であろう。
また、韓国大統領の反日感情は、紛(まぎ)れもなく偏光レンズで日本を見る主張が強調され、過去に遡(さかのぼ)れば、かつて日本が韓国併合で植民地にしたこと、あるいは十六世紀の豊臣秀吉の朝鮮出兵に禍根(かこん)があるのかも知れない。
昨今の近隣諸国からの反日感情が激しいのは、偏光レンズで見られる日本への「史観」がり、そして一方の日本人は、自分達が偏光レンズで近隣諸国から見られている現実を知らない為である。これでは正確で、等身大の日本の実像は見えてこないだろう。
常に、歪んだ偏光レンズで、日本人は見られる宿命を背負っているのである。
こうした事も、「日本人が滅んでいく要素」になるかも知れない。
また一方で、私たちが忘れてはならない事は、特に日本史を見る場合、この日本史の見方は、左翼よりの進歩的文化人が校正した歴史教科書が押し付けられ、そこに記されている多くの、偏った内容で、学習させられていると云う事である。
その学習の中心課題は、「唯物史観」であり、また「人民史観」であり、「江戸時代の農民階級の生活は、武士階級に搾取(さくしゅ)されて悲惨だった」と考える学者達によって論法が展開される事である。
この論法が、教育現場を支配する日教組教師によって、子供達に教えられている事だ。こうした教えを受けた子供達は、その後、世の中の景色を、総(すべ)て唯物史観で捉えてしまう事になるだろう。
1970年代、全共闘が猛威を揮(ふる)い、日本中を赤旗の波で埋め尽くした事実は、教育現場での偏光レンズによる、少年少女の学習指導からではなかったか。
全共闘は、全学共闘会議の略称を持ち、1968〜69年の、大学紛争にに関与し、諸大学に結成された新左翼系ないし、無党派の学生組織だった。この組織が猛威を揮って、日本中を革命の赤旗で梅尽くした事は、私たちの記憶に新しい。
その元凶は、日教組教師による歪んだ偏光レンズによる学習指導要領だった。進歩的文化人の理論展開は、まずイデオロギーが最初にくる。唯物史観や人民史観で、「こうあるべきだ」という断定から始まった。そして、その行き着く先は、この教育下の子供達一人一人を筋金入りの「革命分子」として成長を遂げさせる事だった。
かくして全共闘は、この筋金入りの「革命分子」によって、学習序列が決定され、組織的な運営がなされた。
近世や近代の日本史を考える場合、「江戸時代は農民は、米が食べられずに粟(あわ)や稗(ひえ)などの家畜並みの下等食を食べていた」という大ウソは、教えるが側の教育現場では慎むべき事柄であり、子供達にウソをつく事はよくないことだ。
しかし、「スターリン政権下で、農民は共産党幹部政治委員によって搾取され、これに反抗したものは、無期のシベリア送りになるか、粛清(しゅくせい)されて、対立分子は殺されていった」と教えるべきだろう。
こうした事を意図的に怠り、あるいは臭いものに蓋(ふた)をして、誤った特定の価値観をもって、日本の歴史について悪口を云い続けるのは、いかがなものか。
特に、日本近代史に関して、「戦前・戦中」と「戦後」という激しいギャップの食い違いにより、この現実下で、日本史を教え込まれた日本人は、甚だ不幸であったに違いない。
近世ならびに近代の日本史は、唯物史観的な偏光レンズで見ると、その中には明らかに「怨念」が潜んでいる。
「農民は常に搾取される側に廻り、虐(しいた)げられていた」という架空の怨念が渦を巻き、一種の感情論的な痛烈な批判が、時の体制側に向けられている。これでは正しく判断する歴史認識は失われよう。
●歴史を見る感情論
これを同じ眼で、太平洋戦争を見た場合、江戸時代と全く同じ、歴史的偏光レンズで見る過失を犯す。
戦前・戦中を生きた日本人の頭の中には「もう戦争はこりごりだ」という激しい憤(いきどお)り的な感情が渦巻いている。そればかりではなく、唯物史観の偏光レンズで、先の大戦を見ている為、見通す視野が狭くなり、「戦争はこりごりだ」とする一方、「自分たちの体験した悪しき戦争を、貴重な体験として、「韓日」と記載され後世に人達に、何が何でも伝えなければ」という使命感を持っている人が少なくない。
しかしこの「使命感」は、感情である。怨念に似た憎悪であり、まるで江戸時代、農民が武士階級から搾取されていたかのようなウソに匹敵する、「戦争は悪い」「あの戦争は誤りだった」「軍国主義反対」などの、結局、唯物史観の偏光レンズで歴史を見る一方的な感情から成り立っている。
そしてこうした感情が、進歩的文化人や朝日新聞の赤化工作により、軍国主義に異を唱え、また「日の丸」と「君が代」を徹底的に否定する事で、これが絶対正義にとって代わり、戦後永らくこの考え方が、日本国民の頭上に君臨した。
しかし、歴史の見方を誤らせる根本原因は、感情論により、怨念に似た激情を、次世代に説くと云う危険性である。偏光レンズで見る唯物史観や、人民史観の危険性は既に述べたが、偏光レンズに焦点を合わせ、そこで歴史を論ずることは極めて傲慢(ごうまん)であり、また極めて次世代を愚弄(ぐろう)する事になる。
何故ならば、次世代の歴史を検証する能力を奪うからだ。
これこそ、次世代の自らの感情の捌(は)け口として、これを利用し、自分の体験を押し付ける、悪しき体験主義であるからだ。
悪しき体験主義により、総ての歴史を怨念に似た感情論で、また唯物史観で事象を眺めた場合、ここに真相を見い出す事は出来ないであろう。眼に映る物は、悉(ことごと)く歪み、それでいて、自分が偏光レンズで歴史に向かっていると云う自覚症状を失わせるのである。
歴史を見つめる眼は、感情のみを露(あらわ)にするのではなく、理性や知性も必要だろう。勿論、一方的な「皇国史観」に偏る事もなく、中道視する「中庸(ちゅうよう)」が大事であり、先の大戦を体験した戦争体験者は、この点に注意して語り継ぐ必要があろう。
対面と云う形での激論を講ずるのであれば、感情は面と向かって、各々の批判に有効な機能を果たすかも知れないが、感情は常に偏光レンズを懐(ふところ)に忍ばせている為、最終的には怨念めいた憤怒(ふんぬ)に吸収されてしまう。しかし、こうした憤怒は、その実体が感情である為、時代が変わり行けば、「唯物史観」だの、「皇国史観」だのと、こうした重みは、時代の流れと共に自然消滅してしまうであろう。
「日の丸」を取り上げ、「君が代」を取り上げると、「軍国主義だ」と眉を潜める表情を示す人達を、一概には否定しない。また、過去の戦争を研究し、武器を研究する、こうした行為を大いに奨励もしないが、また否定もしない。
それよりも、歴史の中で、「なぜ先の大戦が起らなければならなかったか」という、メカニズムを知る事こそ、先決問題だろう。これを知らずして、わが国の防衛はない。
戦争に至るメカニズムの中で、政治的手腕の、どこに誤りがあったか、あるいはアメリカを筆頭とする国際連合国軍(【註】日・独・伊の枢軸国に対抗した、反ファシズムで連合して戦った国々)の当時の傲慢(ごうまん)は、果たして彼等が云う「正義」に基づいた論理で展開されていたのかという処まで掘り下げなければ、このメカニズムは解明されないだろう。
然(しか)し乍(な)ら、戦争体験を語る反戦論者の中で、「戦争メカニズム論」を掲(かか)げて論じている人は一人も見た事がない。単に、左翼を支持し、シンパサイダーを気取り、進歩的文化人の権威筋に偏った「戦争感情論」だけを大いにアピールしているのである。
いわば、「私的な感情論」の押し売であり、唯物史観の偏光レンズでものを言い、自分だけが絶対的正義に身を置いて、他の意見は総(すべ)て間違っていると錯覚した「戦争反対論」である。
そして、この「戦争反対論」の主体は紛(まぎ)れもない感情であり、私的感情に、「悪しき戦争体験論」がプラスされている為、「教訓に学ぶ」という最も貴重な事柄を見逃している。
教訓に学ぶものがなければ、未来への反省材料も見つからず、「見通しの効かない眼」を持って、未対を展望しなければならなくなる。
果たしてこのような眼で、未来への「見通し」が立つと言うのか。また、同じ過ちを繰り返さないと言う反省心が湧き起こるのか。
日本人は、憲法上交戦権が制限され、自衛隊と云う「戦力なき軍隊」が存在するが、国を守る戦闘思想に欠けていれば、もはや亡国と云う外ないではないか。
いま、日本の近隣諸国が何を考えているか、日本人は気付いているのだろうか。
1999年、中国では『国家安全(グオシアアンチワン)』(王湘穂(ワンシャンソイ)著)という本が出版された。この本は、人民解放軍の現役も空軍上級大佐が書いた本である。
この本の内容から幾つかの要点を拾えば、次のようなことが分かる。
|
1
|
中華人民共和国は、1964年10月に核実験に成功し、世界から軍事大国として尊敬を受けるようになった。人間と言う生き物は、弱肉強食の論理から、強者に尊敬を覚えるものである。 |
|
2
|
中国は百年前の過去を振り返り、日本、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカなどの帝国主義国家から甚だ迷惑な侵略を受けた。中国人民は近代史の中で、この事を決して忘れてはならない。 |
|
3
|
二十一世紀の世界規模の大戦は、陸上戦ではなく、洋上戦が主体になるだろう。その時、核弾頭ミサイルと、空軍に支援された海軍が、洋上作戦を展開する事により、わが国は大勝利を収めるだろう。 |
|
4
|
日本は中東からの石油に頼っている国である。したがって、日本は「東シナ海」を「日本の生命線」と云っているが、「東シナ海」は、わが国の生命線である。この点、日本は大きな間違いを犯している。(【註】かつて日本は満洲国を、「日本の生命線」と称した事があったが、これを中国人から見て、今日の「東シナ海・生命線論」は、満洲を日本が傀儡(かいらい)国家として利用した図式に酷似すると映るようだ) |
|
5
|
日本はわが国の領土である釣魚台群島(尖閣諸島)に触手を伸ばしている。歴史的に謂(い)っても、この群島と周辺海域の主権は中国側にある。しかし、この議論は棚上げして、日本と共同開発する名目で、まずは漁業や海底探査などを民間に任せ、更にはいざこざを起させて、その後、激しい摩擦状態を引き起こしておいて、これに北京政府が介入する。(【註】日本が巨額な資金を投じて開発したものを、タダで生け捕る考え方は中国のお家芸である。かつて日本が満洲の広大な曠野(こうや)に、突如近代的なビル群を建てた後、ソ連参戦により、ここから追い払われ、満洲に居住した日本人居留民は裸同然で追い払われ、一切の財産を無くした、あの図式。その時、最強を誇っていた関東軍は、日本人居留民の生命と財産を守らないばかりか、自らが我先に、日本に逃げ帰った。当時の日本政府に騙されて、満洲に渡った居留民側からすれば、暗い過去には凄惨な歴史がある) |
|
6
|
日米安全保障体制は、これまでの防衛型から攻撃型に変わった。中国人民は海洋からの軍事的挑戦を覚悟し、この防衛態勢を強化しなければならない。同時に、海洋を統治する為には、わが国のような強大な国家でなければ国際秩序が保てないのは歴史の証明するところである。 |
以上を検討すると、軍拡に情熱を燃やす現在の中国と、日本に対する人民解放軍の方針が見えて来る。果たして日本人は、こうした軋轢(あつれき)に何処まで耐えられるだろうか。
また韓国が、大統領指揮の許(もと)に空母を持とうとするこの時代、「戦争反対論」や「戦争感情論」で、近隣諸国の脅威は取り除くことができるのだろうか。
私たち日本人は、「悪い時には悪い事が重なる」ことの俚諺(りげん)を甘く見てはならない。
これより先をご覧になりたい方は入会案内をご覧下さい。
 |
daitouryu.net会員の入会はこちら |
<<戻る 次へ>> |