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▲ジャングルには、「ジャングル法則」なるものがある。險しい山路は、楽で平坦な平野地を歩くのとは異なる。分け行っても、分け行っても、ゴロゴロとした岩や石であり、その先に見えるのは安直な平野地ではない。この悪路は頂上を極めるまで連続する。そして、一旦頂上を極めたならば、その帰路は、險しい山路が続くのである。
下りは、登りより困難で、難儀が予想されることは、登山を知って居る者ならば誰でも容易に察しが付く筈である。人生とは、登山に例えれば、山に登ることと、降りることなのだ。苦労して登頂し、山頂に立つ事が出来たら、今度は無事に生還できるか否かに掛かるのである。人生、山あり谷ありは、平地を疾走するのとは訳が違うのだ。 |
●梟雄とジャングル法則
斎藤山城守秀龍(やましろのかみ‐ひでたつ)は後の、斎藤道三(どうさん)である。後世から戦国期の梟雄(きょうゆう)と指名された人物である。
梟雄とは、残忍で猛々(たけだけ)しい戦国大名を言い、永らく下剋上(げこくじょう)の悪の代名詞として使われた。
普通、梟(ふくろう)は普段は大人しい、とぼけた顔をして立ち木の止り休んでいる。特に昼間はそうである。しかし、いざ夜に入ると獲物(えもの)を前にして残忍となる。その上、獰猛(どうもう)で、残忍の本性を顕(あら)わし、情け容赦(ようしゃ)が無い。
斎藤道三もこの梟雄に喩(たと)えられた。また、この時代にあって、「美濃の蝮(まむし)」とも称せられ、懼(おそ)れられた。然(しか)も、権某術数(けんぼうじゅっすう/巧みに人を欺(あざむ)く謀(かはりごと)のことで、マキアヴェリズム(Machiavellism)にも喩えられる。目的のためには手段を選ばない、権力的な統治様式で、マキアヴェリの『君主論』の中に見える思想)に長け、下剋上の代表として世に知れ渡っている道三であった。
戦国期を、近世の歴史学者達は、一口に「下剋上」の時代を言い捨てる。
しかし、文弱(文事ばかりにふけって弱々しいこと)に流れ、政務を放り出して風流韻事(ふうりゅういんじ)に現(うつつ)を抜かし、「われ関(かん)せず」を決め込んだ守護家は追放されても不思議でなかった時代である。
「君(きみ)、君たらざれば臣(しん)、臣たらず」
この時代は、このように評された。
主君が主君らしい人格と力量を備えていなければ、家臣もまた、こうした主君には忠誠を誓うことができないのである。「まこと」を尽す心の原動力となるものは、その人の持つ正義感ではない。また潔癖感(けっぺきかん)でもない。人を遇する能力である。
実力主義が横行する時代、少しでも隙(すき)を作れば、下剋上の起るのは日常茶飯事であり、当時の武家に於ては物の道理であった。
問題なのは、誰が国の主になろうとも、君主らしく人民を愛し、外敵から国を護り、善政を行わなければならない。善政とは、人民の為になる政治であり、必ずしも正しい政治とは限らない。人民が利益を得る政治であり、至る所に罰則を設け、何事も規制し、監視し、清廉潔白(せいれんけっぱく)の政治を断行することではない。
したがって、実力者の世の中になると、過去は問題ではなく、「今」が問題であった。こうした世の中では、敢(あ)えて過去を問う必要はないのである。
問題なのは、いつの時代においても、「今」の天下の実情を見渡さければならない。
平安期が終り、鎌倉期に突入し、主上は、公家の平安時代的な飾り雛(びな)から転落した殿上人(てんじょうびと)は、最早(もはや)無用の長物に成り下がっていた。更に、北条高時(ほうじょう‐たかとき)の滅亡により、室町期に入ると、足利氏が擡頭(たいとう)するが、その時代の後期には「応仁の乱」が起り、その後は戦国時代と称される、激しい競争の時代が訪れる。戦時のこの時代、文弱は無用の長物であった。
こうした時代の終焉(しゅうえん)は、第十五代将軍義昭が織田信長に追われるまでの、約180年間続いた室町幕府に終止符が打たれることになり、信長の天下統一までの経緯(いきさつ)の中に様々な日本人の歴史と、歴史の中に記された多くの教訓が残されている。
戦国時代、室町幕府の威信は地に墜(お)ち始めていた。殿上人と呼ばれる公家たちを守護し、天下を治めるべき将軍家は、一介の飄客(ひょうかく)と成り下がっていた。まさに花柳(かりゅう)界隈の巷(ちまた)に遊ぶ「浮かれ男(お)」(【註】浮かれて遊びあるく男)の如きであった。
将軍が浮かれ男の如き遊人(あそびにん)となり、政務を蔑(ないがし)ろにすれば、当然、世の中は乱れて来る。戦時の風雲急を告げるこの時代、格式や見栄、形式や権威にこだわると、名家と雖(いえど)も、没落が免れなかった。
世の中が乱れに乱れている時は、人々は喩(たと)え天下に多少の害毒は流そうとも、国主として国を治め、これを立派に経営して行く能力が有れば、こうした人間の出現を喜ぶ。将軍家を助けて主上を奉じ、争乱を鎮圧し得る英雄であれば、多少の悪事は眼をつぶるものである。
暴力が横行し、争乱が常である世の中では、仁義や道徳と云った最善を理想と掲げる道では、到底、天下は治まりそうもないのである。争乱の世の中の人民は、最善が得られない場合、それに次ぐ第二の次善を欲し、強き覇者(はしゃ)を求めるものである。そして、毒を以て毒を制する武将が、文弱な主君に成り変わり、出現するのである。
それには、家柄や格式や生まれなどは、二の次となる。
瀕死(ひんし)の重症患者に、最終的に施される投薬は、非常に副作用の激しい猛毒である。猛毒も重病人にとっては良薬となることがある。斎藤道三も、蝮(まむし)の毒をもって、瀕死の世の中を立て直そうとした戦国武将だった。
事実、文弱な守護家の統治によって、瀕死の重病人であった美濃の国が、果たして生き返るか否かの瀬戸際(せとぎわ)にあった。
斎藤道三は、守護の美濃源氏の土岐氏(ときし)に取り入り、天文21年(1552)土岐氏を追放して美濃国を領する国主となり、後に織田信秀(おだの‐ぶひで)と結び、信長を女婿(じょせい)とするに至った。
斎藤道三が戦国有数の「梟雄」と畏怖(いふ)され、近国無双の大将と評されたのは、実に此処にあったのである。
これは近代の政治家・毛沢東に匹敵する。毛沢東は大変な女好きであったが、一方で偉大な政治家であった。では、毛沢東が女好きの不評を買いながら、なぜ偉大な政治家と呼ばれたのか。
それは、政治とは本質的に結果責任の世界であるからだ。終わりよければ総(すべ)て善しである。それ以外に、政治家を判断する上で、正否を断ずる価値尺度は存在しない。
時代の指導者が無類の女好きで、癖悪く手当りしだいに女を犯し、人妻を寝取り、抱き放題であったとしても、事に臨み沈着冷静であり決断と実行により英断できれば、人民はこうした人を覇者(はしゃ)に選ぶ。
また、浴びるほど酒を呑み、アル中寸前であったとしても、剛毅果断(ごうきかだん)かつ意志がしっかりした信念の持ち主ならば、『論語子路(しろ)』が論ずるように、「剛毅木訥(ぼくとつ)仁に近し」であり、意志が強く、飾りけがなくて、実行力に富み、口数が少ない人物ならば、道徳の理想とする仁に近いと評されるのである。不言実行である。
この不言実行の人こそ、人民に平和を保障し、生活基盤を支えて仕事を与え、国中の人民に一家団欒(いっかだんらん)の日常生活を約束する人なのである。この一面を取って有能な指導者と称するのであって、潔癖な政治家、不正のない政治家、賄賂(わいろ)などの腐敗を嫌う政治家を有能と言うのではない。単に清廉潔白(せいれんけっぱく)な政治家を言うのではない。
人民に安らぎを与え、平和を与え、経済を安定させ、仕事を保障できれば、後世の歴史学者達は「第一級の政治家」と歴史書に記録する。政治家の善悪を決める物指しは、これ以外にない。
ところが、デモクラシーを二言目に持ち出す輩(やから)は、民主制の陥る罠(わな)が控えていることに気付かない。一国の主権が人民にある等というと、体制や機構が民主的に変化すると錯覚し勝ちである。
そして、デモクラシーは自己主張ばかりが強くなると、愚民政治に陥り易い。マスコミに誘導され、角(つの)を矯(た)めて、巨牛を殺すのは衆愚(しゅうぐう)の常である。人民が愚民であればあるほど、民主主義は「悪魔の道具」になり易いのだ。
民主主義が正しく機能するのは、人民一人一人が有能な政治家を選ぶ見識を持たねばならない。その為には、確立した個人を確保する為に、相当な教養が必要になる。人民が政治家を選ぶことによる自覚がなければ、この社会システムは正しく機能しない。無知と事なかれ主義が蔓延(まんえん)している世の中にあっては、全く機能しないのである。
このように民主制の欠点を指摘すると、似非(えせ)民主主義者達は、民主制そのものを批難していると思い込むようだ。そして、デモクラシーの抱える欠点を指摘する有識者に噛(か)み付き、攻撃する。これこそ、民主主義が歪曲(わいきょく)されている現実であろう。
これは自分の国が一番と思い込む人間や、自分の信じる宗教や宗派が一番と思い込む人間が顕われる現象である。自分の国、自分の信仰する宗教や宗派が、世界の中で一番と思い込むことは非常に結構なことである。
そして、デモクラシーと言う政治システムが、世界最高に社会システムと思い込むことも、非常に結構なことである。
しかし、客観的に観(み)る事を忘れている。「世界の中で一番」と信ずる盲信は、実はその中に含まれる欠陥や盲点に全く気付いていないという事である。これこそ、多難が予想されるジャングルの中を、安穏とした平和ボケに浸り、愚行を地で行くようなものである。
二言目には民主主義、民主主義と喚(わめ)き立てている人間には、その中に、一定の法則を見る事ができる。それは彼等が揃(そろ)いも揃って、似非(えせ)民主主義者であると言うことだ。与野党の政治家を含み、デモクラシーを標榜(ひょうぼう)している政治家は、総て似非民主主義者である。
これは自分が生まれ育った環境と、その生活様式が最高であると思い込むのと酷似する。あるいは自分の信じる宗教の宗派こそ最高である、世界中で一番である言う考え方に酷似する。そしてこうした盲信的な思い込みは、常に裡側(うちがわ)から境界を付けていることである。
更に、こうした盲信的思索を、自然科学的に分析すれば、例えば地球は、他の星に比べて驚くほど恵まれていて、その恵まれた条件が偶発的に重なり、突然変異が繰り返されて生命が生まれ、人間は猿から進化した生き物であると、ダーウィン進化論を安易に信じる愚行によく似ている。
また、こうした結論を下す人は、地球と言う肉体生命を養う環境下に生まれたからこそ、地球が一番いいと思うだけであって、こうした思考回路で物事を考える人は、民主主義を世界最高のシステムであると信じる人と同じ種類の人間であり、こうした人が現代の世に、驚くほど溢れていることに気付かれよう。つまり、権威の一仮説を盲信する人達である。
盲信者は誘導によって作られる。権威のマスコミ誘導によって作られる。これこそが、民主主義の盲点である。また、偽善者たちがマスコミを煽動(せんどう)媒体にして、政治の世界の倫理を論(あげつら)ったり、モラルを持ち込んで、政治の本質を茶化してしまうのである。
そして最終的に選ばれて、合格点を貰(もら)うことのできる政治家達は、エネルギーに乏しく、右顧左眄(うこさべん)して、前進や後退の瞬時に下さねばならない命令系統に確信が持てない、気弱で軟弱な人間だけとなってしまうのである。
こうした人間は、まさに文弱なであり、流れのままに身を委(まか)せ、その日暮らしの、八方美人の優等生だけになってしまう。
しかし、国家や人民に災厄(さいやく)を齎(もたら)す可能性の高い政治家は、実にこうした種類の人間であり、真面目(まじめ)だけが取柄(とりえ)で、その実は無能な指導者であることを忘れてはならないだろう。
この世の中の構造は、タテマエとホンネが罷(まか)り通り、あるいは建前と偽善が交叉(こうさ)している。どんな人間でも、自分の恥部を隠すイチジクの葉をもぎ取れば、その根底にある魂胆(こんたん)は我田引水の利益誘導が隠せず、実に弱肉強食であり、優勝劣敗であり、適者生存の過酷な「ジャングル法則」が横たわっており、そこはまさに修羅の巷(ちまた)である。この巷を、どうして真面目で、無能な政治家が切り盛りできると言うのであろうか。
適用される「ジャングル法則」は、洋の東西を問わず、また、昔も今も変わらない。
人間は欲望の生き物である。したがって、汚濁や腐敗に真っ直ぐに眼を向け、社会正義の実現の為に身を燃やし、焼け爛(ただ)れた躰(からだ)で、夜も昼も寝られないという高潔(こうけつ)の士は十万人に一人、あるいは百万人に一人であろう。
戦乱の時代、激動の時代、需(もと)めるベきは多少行儀が悪くても、有能な指導者である。風が吹いて、海が大荒れになれば、わが身の保身の為に、浅瀬に立つ指導者ではない。安直で律儀な正義論を振り回し、不正撲滅の小旗を振り翳(かざ)す真面目が取柄だけの無能な指導者ではない。
デモクラシーの世の中に必ず登場し、民主制の落し穴に気付かない安直な人間は、マスコミに誘導され、自称インテリと銘打った女達を煽動し、人民を盲目にさせ、本来の政治の結果責任を安直な倫理で縛り上げ、本性が善なる指導者までもをこき下ろす。
こうした指導者が世に出て来ると、敵国にいいようにされ、丸腰外交を展開させて、弱気に笑い、相手の言い成りになって注文に応じ、幾らでもその注文に準じた無償援助を湯水の如く浪費する。
軽薄才子(けいはくさいし)。指導者にこうした人物が選出されるようになると、その国は滅ぶと『韓非子(かんぴし)』には出ている。沈香(じんこう)も焚(た)かず、屁もひらない。一穴主義。女にも近寄らず、義理や人情にも流れず、人情の機微も知らずに、潔癖(けっぺき)を守り通す。汚濁の中に遊び、俗(ぞく)に塗(まみ)れ、しかし俗に染まらない、そんな指導者を殆ど見かけなくなった。これこそ、時代の悪しき反映である。
こうした実情下にあり、政治的なビジョンのスケールが大きく、エネルギーに溢れた指導者は、最早(もはや)日本では困難になったと見るべきであろう。そして、軟弱なインテリ層の支持を受けた指導者が導く国家展望は、国家エネルギーを衰弱させ、これが政治力に連動されて、やがて崩壊の道を辿るであろう。
「国は汚職では滅びないが、正義は国を滅ぼす」とは、当代一流のコラムニスト・山本夏彦の言葉である。
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