好機到来の法則
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| ▲カエデやウルシの葉が紅色に変るこの季節は、葉緑素が分解する季節でもある。それと同じように、人間の古い固定観念も分解され、次の時期の備えて変化しなければならない。現象人間界は変化の連続なのである。 |
まえがき
筆者は、人間には「好機」を感得する力があり、これを、もし人が謙虚な心で、聴く事ができれば、どんなにか、人は倖(しあわせ)になるのではあるまいかという、気持ちを込めて書き上げてみた。
好機とはそのような、聴く耳があるか、否かの、紙一重の差からはじまっているものなのである。
さて、好機到来には、ある種の一定法則がある。それは偶発的に突然にやって来るものではない。逆境に立たされたり、窮地(きゅうち)に陥ったり、苦悶(くもん)の淵(ふち)に佇(たたず)んでいる時は、それが隣り合わせの、直そこに到来していることを予感させるものである。
だが凡夫(ぼんぷ)は、それを好機到来とは思えないようだ。そして気付かない儘(まま)、苦境の淵に立たされ、苦悶と悶絶(もんぜつ)とを繰り返えし、永遠に好機へ転換させるチャンスを失うのである。
日本は古来より神国といわれた。神国には、その民族が窮地に陥った場合、「神風」が吹くものである。「元冦の役」(蒙古来襲/1274年(文永11)元軍は壱岐・対馬を侵し博多に迫り、81年(弘安4)再び范文虎らの兵10万を送ったが、二度とも大風が起って元艦の沈没するものが多かった)の頃より、日本には常に神風は吹いていた。太平洋戦争当時も、この神風は吹いた。日本はその地理的構造において、欧米列強やユーラシア大陸から外圧を受けやすい構造になっている。「元冦の役」も西欧の差し金であったし、明治維新も、日清日露の戦争も、また太平洋戦争ですら欧米からの外圧であった。
日露戦争前夜、イギリスとロシアは世界帝国主義の本家本元であり、玄洋社の創設者・頭山満(とうやま‐みつる)をはじめとする我が国の愛国者は、「西に英獅あり、北に露鷲あり、虎視眈々(こしたんたん)として我がしりえを窺(うかが)う」と嘆き、当時の超大国の武力行使に驚愕(きょうがく)とした事実があった。日露の差は歴然としていたが、それでも日本は、勝てるとは思っていない戦争に勝てた。
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| ▲「運の良い男」と称された日本海海戦当時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥。東郷元帥は、幽(かす)かに囁(ささや)く、「神風」を聴く事の出来る人であった。 |
鎧袖一触(がいしゅういっしょく)と思っていた田舎国家の日本海軍は、戦艦「三笠」以下連合艦隊を率いて日本海海戦を戦い、ロシアの、当時世界最強と謂(い)われたバルチック艦隊に勝った。これは連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥の謙虚で、細心大胆な行動が功を奏したというべきであろう。そして東郷元帥は、運命の幽(かす)かな囁(ささや)き、好機の、この幽かな囁きに、謙虚に耳を傾け、聴く耳を持っていた人であった。
もしこの時日本が、日本海海戦で敗れていたならば、日本の姿は、また別のものになっていたであろう。
そして、日清日露を勝ち誇った日本軍は、太平洋戦争において躓(つまず)きを見せた。近代戦の戦い方が違っていたからである。
戦後六十有余年に亙(わた)り、太平洋戦争について、有識者の間で論じられることがある。だがそれは、表皮的な部分のみで一般論に終始し、大国と戦うことは無謀であったという意見が殆どであり、その根拠として、日米の工業生産力の差を挙げる歴史評論家が少なくない。だが果たしてそうだろうか。
日本人は小が大を倒す逆転劇、あるいは巨大な敵、誰が見ても勝てない敵に勝つことに異常な情熱を燃やす民族である。歴史的に見ても、日本人が好む戦績は、源義経の「鵯(ひよどり)越え」、楠木正成の「千早城(ちはやじょう)」、織田信長の「桶狭間(おけはざま)」であり、これ等は孰(いず)れも大敵に圧勝した、逆転勝利であった。太平洋戦争の構造も、この巨大な敵の挑む戦いではなかったか。
もし巨大な敵と戦ったことが無謀であるとするならば、「鵯越え」「千早城」「桶狭間」は、無謀なるが故に総て否定されねばならず、また「日清」「日露」の戦争も否定されねばならない。そして大戦以降に起った朝鮮戦争もベトナム戦争も否定されねばならない。
何故ならば、孰(いず)れの戦争も、小が大を倒す戦争であったからだ。
アメリカの圧倒的な国力に手向かうことは無謀であるから、朝鮮人民も、ベトナム人民も、尻尾を巻いて、戦わずしてアメリカの軍門に降(くだ)るというのが、正しい判断であったのか、と言うことになる。
だがアメリカはアジアの、発展途上の地において勝つことは出来なかった。もし太平洋戦争のみが、無謀で非常識な見解から起った戦争であるとするならば、そして日本の進歩派文化人の譏(そしり)を受けねばならないとするならば、アジアにおけるこれ等の戦争も、また譏を受けねばならぬ。
では、太平洋戦争の敗因は何か。
太平洋戦争は日本にとって、先ず第一に、戦争目的がなかったことの一語に尽きる。
第二に、戦争技術者たる軍人が「戦争とは何か」という命題に、真剣に取り組まなかったことである。
第三に、戦争技術たる軍人の指揮官を養成する陸軍士官学校、海軍兵学校、陸軍大学校、海軍大学校等の軍官学校の構造が、明治後期以降の藩閥政治の慣習を受け継ぎつつ、官僚主義の形式を強め、ペーパーテストでこれ等の軍人を選抜したことにあった。
そしてその結果、出身期・年功序列の軍隊官僚という、日本特有の悪しき伝統が出来上がったことである。
それは平時においても、戦時においても変わることはなかった。軍隊官僚と言う形式が固定化した。それに一定の文化理想を身に付けた想像的な理解力を顕わす教養分野が低く、自己顕示欲が強い、軍閥を中心とする高級軍人が政治に介入したことであった。彼等には円満な常識がなかった。
また、戦争目的の何たるかを知らず、国家目的の何たるかを知らぬ儘(まま)、日本の国策の戦争指導を行ったことである。東条英機や、その腰巾着(こしぎんちゃく)であった冨永恭次(とみなが‐きょうじ/大戦末期、東条の置き土産と誹(そし)られ、フィリピン第四航空軍の軍司令官)らはその最たるものであろう。これら高級軍人の多くは、下級の将兵の多くの犠牲者を出しながらも、戦後も温々(ぬくぬく)と生き残り、政府から高額な恩給を貰いながら安穏(あんのん)とした余生を送った不貞の輩(やから)である。
彼等は戦中・戦後を通じて傲慢(ごうまん)であり、独断と偏見を以て、日本を敗因の泥沼に引き摺(ず)り込み、麗(うるわ)しき日本の国土を焦土と化した。また彼等は度々日本に吹く神風を無視し、あるいは聴く耳を持たず、愚行にもそれを聞き逃して、それこそ無謀な作戦の中に多くの将兵を生贄(いけにえ)にしてきた。
陸軍の行ったインパール作戦は、その最高指揮官であった牟田口廉也(むたぐ‐ちれんや/陸軍中将。その作戦参謀は陸軍の親睦団体の「偕行社(かいこう‐しゃ)」に席を置いたユダヤ・フリーメーソンであった辻政信。辻の上司は服部卓四郎。辻の部下に伊藤忠商事を造った瀬島龍三などがいた)の責任である。また、最初から欧米のトップと内通していたのでは、勝てる戦争も勝てるわけがない。
更に、ミッドウェー作戦の大敗は、連合艦隊司令長官・山本五十六(海軍将校グループの「水行社(すいこう‐しゃ)」に属し、ユダヤ・フリーメーソンの高級会員)の責任である。この牟田口のインパール作戦は、山本の仕出かしたミッドウェー作戦に比べれば爪の垢ほどでしかなく、日本は建国以来の「白村江(はくそうこん)の戦い」の大敗北に匹敵する以上の無残な負け戦であった。
神風は常に吹いていた。
しかし、それを聴く耳は、あまりにも無能であった。奢(おご)りばかりが高く、負けを知らぬ当時の日本国民は、軍部と一緒になって、真珠湾攻撃の圧勝に現を抜かし、シンガポール攻略の圧勝に現を抜かした。そして連日連夜、堤灯(ちょうちん)行列を行い踊狂うという醜態を見せた。この日本人の国民性は、軽佻浮薄(けいちょうふはく)を通り超して、何事にも得意満面になる「驕(おご)り」の一面を曝(さら)け出したとも言える。
この熱し易く、冷め易い民族気質は、最も慎むべき日本人の最大の課題である。深く慎む事を忘れず、謙虚になる事こそが、好機到来の微かな神の声を聞く「戒め」となるのだ。
そして、日本の太平洋戦争敗北の最大の原因は、戦争目的の不在にあった。戦争目的がないが故に、統一的な戦争計画も立てられず、戦争に向けて国家の総力を動員する事も出来ず、またその証拠に陸海軍の足並みは揃(そろ)わず、国家よりも軍の立場を最優先した事である。これによって勝てる筈の戦争を、みすみす負け戦にしてしまったのである。
今日多くの歴史評論家は、アメリカの工業生産力を挙げ、アメリカ人魂の反撃の凄まじさを挙げるが、元々アメリカは、イギリス人やドイツ人のアングロサクソン系の白人が建国した国家ではなく、その裏にセム族と混血を作ったユダヤ人が骨子をなした国家である。アングロサクソン系の白人がアメリカの顔のような形をとるのは、あくまで便宜上のことである。彼等は家来の立場であり、その主人はあくまで支配中枢の白人系のユダヤ人である。
彼等はイスラエルの建国に関わり、長い歴史の中で、近親結婚を繰り返し、知能指数170以上を超える天才を作り出してきた。
現在のアメリカで活躍している超エリートといわれるヘッジファンドの連中もこの近親結婚を繰り返してきた、白人の肌を持つアシュケナジー・ユダヤ人の末裔である。
歴史的に見ればルソー、マルクス、レーニン、アインシュタイン、ヒトラー等、天才といわれた人物の多くはこうしたアシュケナジー・ユダヤ人(【註】西南アジアの王国・カザール人の血縁で、アブラハム以降の真当のユダヤ人ではない)の血縁を受け継ぎながら、歴史に名を残した人達である。ノーベル賞受賞者も圧倒的に白人の混血であるアシュケナジー・ユダヤ人が最も多い。
さて、困窮と好機は一枚岩と昔から言われれ来た。しかしその実体は全く別のものであり、老子の謂(い)う、「天がその者に大役を与えんとするとき、その者が大役に値するだけの力量と度量を持ち合わせているか、それを試すために苦難と困窮を与え、その真価を試す」という事であり、いわば苦悶と悶絶は試煉(しれん)の手始めの為の、単に手段に過ぎない。これを古人は《天命》と呼んだのである。
その天命の囁(ささや)きは余にも小さく、微かである為、それに気付かない儘、渦中の逆流に翻弄(ほんろう)されて、それを聴き逃している場合が多い。それはあたかも、遠望する先の庭先に一匹の蜉蝣(かげろう)が、羽音を静かにたてて羽博いているが如き、弱わ弱わしく幽(かす)かなものである。だからこそ聴き逃し易い。
人生は、人間である事に途中で躓(つまず)き、失敗したからといって、再び母親の胎内に戻って、羊水の眠りからやり直す事が出来ない。
生・老・病・死の四期を経験する人生において、何かを失敗する度に、羊水にぬるむ春の眠りからやり直す事は出来ないのだ。人生には再度の出直しや、遣(や)り直しはきなかい。一回限りの事であり、それは真剣勝負である。
したがって聴き逃しや見逃しは許されないのである。人生の究極に向かうところは「死」であり、時間と共に、死に向かっている関係上、今日出来なかった事を「明日こそは」という、錯覚する「生の哲学」では片付かない。人生の構造は複雑多岐であり、「先送り論」は通用しない。
生の哲学は、その生き態(ざま)にある種の緊張を与えない。この哲学は「先送りの理論」で構築されており、「今日という一日」を安易に考え、蔑(ないがし)ろにする欠陥をもっている。
現世において、存在しているものは「昨日」でもなく、「明日」でもない。「今、この一瞬」という瞬間が存在しているのである。この一瞬を蔑ろにして人生は成り立たない。
四期を経験する人生において、一からの遣り直しは絶対に成立しないのである。刻一刻と変化する流転の現世無常は、昨日や明日などという不確実の要素は何処にも存在しない。だからこそ、その人の生き態の根底に、絶えず流れているのは「生の哲学」ではなく、「死の哲学」なのである。
一日一日を、自分の死に当てて生きることは、その一瞬に緊張感や鮮明さを与え、その緊張感や鮮明さがあるからこそ、その生き態、戦い態は本物になる。
俗界に、往々にして罷(まか)り通っている「先送りの理論」は、逆に「今、この一瞬」に緊張感や鮮明さを失わさせ、ついには堕落へと導くものである。今日遣れなかった事は、明日に遣れる訳が無く、明日遣れなかった事は明後日に遣れる筈(はず)が無い。
人生の明暗を分ける悲劇は、「今、この一瞬」という幽かな蜉蝣の羽音にも似た微弱な振幅の中に隠されているのである。好機到来は常に苦悶の淵と隣り合せであり、ピンチとチャンスは常に表裏一体の関係にある。
この「今、この一瞬」に真剣に生きること、即ち「一日一日を自分の死に当てて生きる」事こそ、好機到来の羽音を聞き入れる唯一つの方法である。そして本当の無垢(むく)な自分自身を凝視する時、巷間(こうかん)に溢れる運命学者達が、人間の盲や、無知や、不安につけ込んで、如何に大きな誤りを犯して来たか、その妄想を知る事が出来るであろう。
無力の淵(ふち)に悩み、無知のどん底から這い上がられずにいる俗人の多くは、占い師や運命学者の祈祷師的な雰囲気や、フィーリングや、表面的な虚仮威(こけおど)し的な外形に酔い痴(し)れ、他力本願的な助力を得て、脱出を試みているようである。しかしそれは低次元の錯覚であり、無慙(むざん)な幻想である。
本書には、人生舞台を、人間模様の一つの瓢逸(ひょういつ)な「からくり人形」の人形劇と見立てながら、これを複眼的に冷静に見つめて、九星気学や四柱推命学や西洋占星術等の、あるいは占いや運命学等の微視的視野を否定する、新たな運命学として、独自な世界が繰り広げられている、と固く信じ『好機到来の法則』に臨んだ次第である。
第一章 現世の構造を知る
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▲日本最古花の窟神社
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●労働の意味
人間は「なぜ働かねばならないか」これを明確に回答できる人は少ない。
成人になれば、人は誰でも社会人として労働の義務を負い、就労年齢に達した者は、その殆(ほと)どは働いている。人は、日々何かをして働いている。しかし、「なぜ働くのか」その意味を把握している人は少ない。
多くは「知」による働きの固執する。「知」によって見たものを働きと思っている。客観的に、働きと云うものを見る。しかし、、「働き」というものは、自分が「生」において、働きをしているのだから、実は客観視などできようもない。働きは、外に向けて視(み)るものでない。自分の働きというのは、外に向けて視ることの出来ないものである。
また、労働に憑(つ)き纏(まと)う、「幾らになったか」とか、「幾ら儲(もう)かったか」とか、「幾ら得をしたか」というのは、本来の働きとは無関係なものである。これは労働の「跡」を問題にしているのである。しかし、労働の跡は第二次的なことである。自分が仕事をして、努力し、どれくらいの仕事を残したかと云うことは、本来の労働の意味とは無関係である。労働と報酬は無関係なのである。
人間の存在理由は「生」において、価値観を求めるものであり、働いたことで、その人は「生」の意味を見い出しているのである。
世の中が商業社会になり、グローバル的な営利世界になって、世界規模の市場経済が確立されると、こうした世の中では、総(すべ)てが商品として扱われるようになる。また、そこで働く人間も、単に歯車的な労働者であり、頭脳的な仕事に携わっていても、一知能的労働者に過ぎないのである。そして商業主義社会は人間も物に見立てて「使い捨て」であり、その予備軍は、無数に存在するシステムが出来上がっている。一生懸命の労働も、勤勉に働く姿も、この社会では、総てが商品として扱われることになる。
そして、労働を報酬に反映させる思想は、資本主義が共産主義と酷似する点である。遂に、労働は報酬への対価として計算され、足跡のみが問題にされるのである。
足跡問題が、また自分でも、自分の労働を、金銭で推し量る思考が優先するようになる。この点が資本主義も共産主義も酷似する。金の為に働くからである。
しかし、この考え方は一方で、労働の本質や、勤勉の意味が不透明になり、人生観的な意味は分からなくなって来る。現代社会の生活の寂寥(さびしさ)や、荒廃(こうはい)は、実はこうした、分からなくなってしまった労働の側面に貼り付いているのである。
それは「外から視る」あるいは「外から測る」ということが、労働の価値観にされているからである。
現代人の誤ちは、「生」の、働いた「跡」を評価するだけに止まっている。「跡」の大小や、功績を議して、形や量をもって、人間の「生」に押し当てて、これを計測する愚行を冒しているのである。功績主義であり、その価値観のみに、「生」を測ろうとしていることである。
つまり、労作して「幾ら金になったか」を、働いた跡の結果として残そうとしていることである。しかし、これは「働き」の原因でもなければ、目的でもないのである。
本来の労働から云えば、「働いて幾らになったか」とか、「丸損あったか」とか、「割がよかったか」とかは、因縁によって蹤(つ)いたことであり、本来の「働く」とは無関係なのである。「生」そのものの価値と、幸福とに、何ら関係はないことなのである。
自分の奔走した努力の足跡が、如何程の仕事になったか、それは「働き」とは無関係である。その成果の跡に至っては、むしろ運命についての事であり、その為に尽くした努力は、「生」とは一切無関係である。
つまり、人生における「生」の意義と価値は、結果から得るものではなく、「今を働いた」に懸(か)かるのである。働く意義は、「今を行為した」「今を行動した」「今を努力した」ということにあるのである。
「今」の捉(とら)え方で、状況は大きく変って来るのである。「今」を、どう「生」に結び付けているかが問題なのである。
一般人が想像する「好機」とは、よい機会とか、チャンスとか、あるいは「千載一遇」の機をいうようであるが、元々よき機を得るなら、その機の軌道の上に乗っていなければならない。単に、「好機逸(いつ)すべからず」の、巡って来た機会を取り逃してはならないと云うものではない。「バスに乗り遅れるな」と云うものではない。
則(すなわ)ち、好機は外からやって来るものでなく、「自分の裡側(うちがわ)」にあるものなのである。また、幸せも、自分の外にあるものではなく、自分の裡側にあるのである。それを見つけ出すか否かは、個人の価値観によるところが大きい。
自分の裡側にあるものを、客観視して、外から検(み)たのでは、その好機の連続も、厄日の連続と何ら変らなくなる。外側から検た価値観ではなく、自分の裡側を見詰めた「真の価値」が大事なのである。
これは「働くこと」と相似の関係を持つのが分かるであろう。働く行為は、自分の裡側にあるものであるから、「自分が働く」と言うのは、極めて主観的である。したがって、働く中には、「働いて幾らになったか」とか、「丸損あったか」とか、「割がよかったか」とかではない。そんなものは第二次的なものである。
ある小説に、一組の男女が、幸福を夢見て結婚する話が出て来る。この結婚した二人は、裕福な者達ではなかった。極めて貧乏であり、病気勝ちで、不幸で惨(みじ)めな生活を強いられる運命が待ち構えていた。貧乏で、病気勝ちで、その前途は、惨じめ一色で覆われていた。
彼等の運命は、予測通りの不幸の真っ只中に陥った。夫は勤勉でよく働いた。しかし、その仕事は重労働の為に過労で病気になった。妻も病気勝ちで、夫を支えて内職などに励んだが、病気の夫を支えるほどの稼ぎはなかった。そして、やがて二人に迫ったものは死であった。貧困から医療の世話も受けられず、薬も買えない状態になった。
死ぬ間際に、二人は次のように、これまでの人生を回想する。
「私たちは、幸福を願って結婚したが、遂に幸福には達し得なかった。しかし、幸福への道を二人で歩いたことは、実に幸せだった」と。
つまり、幸福に到達したか否かは、運命的なことであり、幸福と結果はイコールではない。問題は、自分の裡側にある幸福に気付き、幸福に向かって、その一歩を踏み出すことなのである。その一歩を踏み出した時、既に「幸福への道」を歩いているのである。その努力に価値があり、幸福への道の上に、我が身を置くことが大事なのである。そこに我が身を置ければ、それは幸福そのものなのなのである。
今が困窮していても、それは「楽しい苦労」になるからだ。これこそ「働き」によって、「生」を充(み)たしたことになる。存分に生きていると云うことになるのである。これこそが、実は幸福の正体であり、幸福は結果から得られるものではないのである。これに「働くこと」と置き換えれば、働く本当の意味が見えて来るはずである。
好機とは、「最初の第一歩」を、それに向かって踏み出すか否かに懸かるのである。
●恥をかく
「背伸びをする」という言葉がある。
実力もないのに、実力以上の事をしようとする時に、この言葉はよく使われる。人間は見栄を張る為にこうした、心にもない行動を執(と)ることがある。無意味と知りながら、敢(あ)えてこうした行動を執(と)るのである。
これを裏から見れば、分相応の分別ある、俗世の常識力を越えて、分不相応な高所な位置に攀(よじ)じ登ろうとする非常識な行動である。無分別とも言える。これはまさに、危険な場所を攀じ登ろうとする登攀者(とうはんしゃ)の姿なのである。見栄を張り、背伸びし過ぎるのも困りものだ。ほどほどに、ということが大事になる。しかし、闘志だけは失わないでいたいものだ。
「熟柿を得るには、危険を冒(おか)さなければ捕れない」という言葉の例え通り、今より更に高いものを追い求めていけば、下から上に登って行くのであるから、当然、危険は付き纏(まと)う。
日々三度三度の温食にありつき、現状を維持して、そこで細やかな倖(しあわせ)を求めて満足するか、あるいは無理な背伸びして、遣(や)ること成すこと大恥をかき、一敗地に塗(まみ)れながらも、その闘志を見失わない反骨精神とでは、どちらが、その志が高いであろうか。
「常識」として考える物事の常道には、「分別知」と「無分別智(むふんべつち)」がある。
人間的な成長を助けるものは、分相応の世間風の常識の中には存在しない。その常識を超えたところに、成長を助ける大きな力が潜(ひそ)んでいる。ただ温室の中に籠(こも)り、平穏な生活を求め、分相応に甘んじていては人生修行に迫力がない。
無分別に、分不相応な位置に攀じ登ってこそ、その生き方に迫力が出てくるのである。そして何よりも大切な事は、へこたれない事が肝心である。それには思い切り恥をかく事だ。
その恥が大きければ大きい程、その反骨精神も大きくなる。そこに至ってこそ、人間的な成長がなされるのである。
また、それらの恥や、不当な暴力に、打たれ強い体質になる事も大切である。気怠(けだる)い退屈な安全地帯に非難するような、甘やかされたような人生を歩いていては、突然の不意打ちに対処することが出来ない。
可もなく不可もなくの、ちっぽけな、脆(もろ)い、転び易い体質では、無慙(むざん)に破壊されるしかないのである。自分の本領と、葛藤をあますところなく発揮する為には、多いに恥をかき、無知を罵(ののし)られ、短所を誹(そし)られて、尻尾を巻くのではなく、先ず安全地帯に固執する消極的な自分自身を、外に向けて叩き出す必要があるのである。
「生きる」という事は、外に向かって抵抗することだからである。
●本当の恐怖
人生には恐怖がつきものである。その恐怖は何処からともなく忍び寄るもので、あたかも得物を狙う豹(ひょう)のように忍び寄り、心の奥底に取り憑(つ)いて、やがてそれが癌(がん)のように、心の奥底にこびりつく。この恐怖に一度取り憑かれれば、浮き足が立つ。
恐怖はこのように脳裡(のうり)に描く幻想が、自らを悩みの淵(ふち)に近づける要因となる。
人間には様々な不安が取り憑く。将来への不安。時代に見通しの効かない未知への不安。起こりもしない明日への不安。持病を持つ者の、持病から起こる種々の精神的肉体的不安。これらは不安の潜在的な材料になり、予測の付かない恐怖へと変換されていく。そして、これは計算されるような生易しいものではない。
自我(じが)があるが故に、小さな我に囚(とら)われ、囚われるが故に、ありもしない不安に振り回される。この不安は知性や理性などでは、決して解決されない不安である。解決されない不安であるからこそ、これが将来ありもしない恐怖になっていくのである。
即ち、自分自身の影に怯(おび)え、弱味となるのである。人はこのように、何処かに弱味を纏(まと)っている。この弱味が何なのか、何処に存在しているのか、それを突き止めて、原因が分かったら、その克服に努めなければならない。
それは自我を解き放つ開放に向かってである。
自らがその開放に向かって、自我と格闘を始める時、既にその自我は解き放たれたと言ってもよい。絶対に恐怖に蓋(ふた)をして、それを避けてはならない。蓋をすれば不自由になり、不自由は不安が次の新たな不安を呼び、いつまでも解決されない堂々巡りの恐怖に変わるのである。
したがって、それらが解決されなければ、生涯、何ものかの不安に怯え、「杯中(はいちゅう)の蛇影(だえい)」を抱いて、不安に満ちた人生を歩いていかなければならなくなる。
恐怖は否定するものではなく、それをあるが儘(まま)に認め、受け流し、頭ごなしに否定しなければ、やがてそれは、いつの間にか姿を消すのである。恐怖の実体も、また夢で作られた「からくり」でしかない。
「からくり」は実体を伴わないものである。いつまでも持続しないものである。時が経てば、やがて自然消滅するものである。我々は時として、そのような実体の無いものに振り回されている時があるのだ。
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