●ガンジーの「塩の行進」が欧米の画策だった
ガンジーの「塩の行進」を逸速(いちはや)く、世界の国に先駆けて報道したのは『ニューヨーク・タイムズ紙』であった。この新聞社は、ユダヤ勢力傘下の報道機関として有名で、いわばアメリカに棲(す)む国際ユダヤ系報道機関(【註】ユダヤ教の『タルムード』やユダヤファンのシオニズム運動の宣伝団体)の都合のいいようにコントロールされるマスコミ機関でもある。『ニューヨーク・タイムズ紙』は、何故、「塩の行進」を報道したのであろうか。
ここにはアメリカの政治的な意図が見て取れる。
ガンジーを徹底報道することで、軍縮ムードを盛り上げ、その隙(すき)に軍備を整えるという、1930年代当時の画策があった。これはロンドン軍縮会議に、明確に現われている。そして、その裏には、日米軍艦建造競争があったのである。
日本が日露戦争に勝利を収め、アメリカの軍艦が大西洋から太平洋への回って来て、太平洋艦隊が編成された二十世紀初頭、日米戦争が両国の政府首脳間で密かに囁(ささや)かれ始め、排日移民法などで、日米両国間は、摩擦状態に突入していたのである。
また、日本では二国標準主義というのがあって、仮想敵国を有力な隣国と見立てて、軍備を整えるという考え方があり、その考え方を露骨にしたものが日本の「八八艦隊計画」構想(【註】旧日本海軍で、艦齢八年未満の戦艦八隻・巡洋戦艦八隻を主力とする艦隊の呼称で、1907年(明治40)の帝国国防方針制定以来海軍の建艦目標であったが、21年(大正10)のワシントン軍縮会議の結果中止された計画)であった。
「八八艦隊」というのは、戦艦八隻、重巡洋艦八隻で編成する強大な大艦隊のことである。八八艦隊の構想は、最新鋭戦艦8隻と、巡洋戦艦八隻をペアにして、艦隊決戦兵力として編成しようとするものであった。
そして、八八艦隊構想は、まず大正2年までに「八四艦隊」、同7年までに「八六艦隊」、同9年までに「八八艦隊」予算案が通過し、更に同17年までに一番艦の「長門」と二番艦の「陸奥」を加えて同年を目安に実現される予定になっていた。
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▲金剛型巡洋戦艦「榛名」(2万7500トン)の進水式。この時、「榛名」は最新鋭艦だった。神戸・川崎造船所で。(昭和3年12月24日)
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▲ 大正年間の海軍の八八艦隊の象徴として兵装中の「榛名」は、36cm砲8門を備えた戦艦であった。しかし、戦艦巨砲主義に流れる世界情勢に日本は、八八艦隊の構想を破棄する運命を辿る。(昭和4年)
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これに対して、アメリカの艦隊計画は当時、まだ未熟で、日本が優勢であることから、日米海戦を行う場合、これにどう対処するかの問題が起こった。
日本の快速戦艦に比べて、アメリカの巡洋艦は、速力の遅い六隻のマサチューセッツ級、四隻のウェスト・バージニア級というもので、砲力にしても、アメリカ艦が16センチ砲に対し、日本側は18センチ砲を所有していた。海上勢力比は、兵力が二倍では、「二乗均等の法則」が働くから、当時の勢力比は、日本対アメリカでは、四対一あるいは、それ以上になる。
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▲糸車で糸を噤むガンジー(1869〜1948)
人種差別政策の撤廃運動に従事。1915年インドに戻り、非暴力・不服従主義によりインド民族運動を指導。また、不可触民制の除去、農村の復興に努力。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に腐心したが、インド独立後まもなく狂信的ヒンドゥー教徒に射殺された。インド人はマハートマー(大聖、偉大な魂)として讃仰。
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当時の歴史的背景はこうした軍事バランスがあり、日本を警戒する為の宣伝媒体として、『ニューヨーク・タイムズ紙』が、非暴力主義を全面に打ち出した、ガンジーの「塩の行進」を報道したのである。ここにはアメリカの政治的な策略があったのである。
また、当時の日本人には、ガンジーの非暴力主義は軟弱な考えとして受け入られなかった。そして、むしろ、ガンジーの「塩の行進」を政治的に利用して、日本の「八八艦隊計画」構想を叩き潰すのが目的であった。
こうした現実を、無視して、一方的な側面だけを報道した、NHKの放映は、片手落ちというものであろう。
そして非暴力主義は、戦後の日本において、「無抵抗主義」と言う名で宣伝され、この思想が平和主義の原点をなしたのである。
無抵抗ならば、何ものも襲わず、侵略されないと言う考え方である。しかし、この考え方が幻想であることは、湾岸戦争やイラク戦争を見れば明白であろう。
日本人にも同じ真似をさせ、ガンジー当時の「無抵抗服従主義」の思想を広めようとしたのである。そして戦後教育の中で、平和主義の原点を「無抵抗主義」に求め、何をされても文句を言わず「服従」するという考え方を、日本人は記憶中枢に叩き込まれ、こうした考え方を培養されてしまったのである。
今日の日本人の、政治スキャンダルに対する「沈黙」と「忍従」は、実に、ここに始まっていると言えよう。
そこで、日本人に等しく教えられたことは、ガンジーの無抵抗主義運動が、インドの独立を齎(もたら)したということであった。アメリカの意図は、イギリスと共謀し、日本に武装させない策謀があった。
平和教育の狙いは、ガンジーの無抵抗主義運動を教育題材に遣い、日教組の手助けを借りて、太平洋戦争後の占領国側が、日本人に無理強(じ)いした思想教育である。誰もが、「無抵抗」という美酒に酔(よ)わされ、集団催眠術を掛けられてしまったのである。
太平洋戦争終結を前後して、アメリカやイギリスは、インド人をはじめとするアジアの有色人種に対し、端(はな)から人間と思っていなかった観が強くあった。日本人も然(しか)りであり、それまでの日本人は、「イエローモンキー」という侮蔑的な考え方があり、猿同然の存在であり、どう酷使しようが、あるいは無差別に殺そうが、何の痛痒(ちゅうよう)も感じない意識が、白人主導型の政治政策にあったのである。広島・長崎の原爆投下も、こうした彼等の痛痒(つうよう)を感じない意識の現われである。
また日本の敗戦下、日本人の多くの婦女子が、アメリカ兵から、言語に絶する強姦や輪姦の言語に絶する卑劣な行為を受けたことは周知の通りである。混血孤児院で有名になった「エリザベス・サンダースホーム」は、こうしたアメリカ兵から強姦や輪姦を受けて、仕方なく生まれてきた混血児の私設収容所だったのである。
非暴力不服従主義は、一見、加害者の蛮行を抑制する崇高(すうこう)な思想のように受け取ってしまいがちである。
しかし、崇高(すうこう)に見える無抵抗主義も、これを解さない民族の前では、全くの無力である。
かつてガンジーが展開した、「非暴力不服従」と対(つい)になった「無抵抗独立運動」など、イギリスが本気になって武力弾圧に出れば、あっさりと潰(つぶ)されていたはずである。
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▲チャンドラ・ボース(1886〜1944)
写真はインド国民軍婦人部隊を閲兵するチャンドラ・ボース(Rash Bihari Bose/インド民族運動の指導者)
大正4年(1915)イギリスの厳しい追及の手を逃れて訪日。第二次大戦中、インド独立連盟の総裁として日本に協力し、昭和18年(1943)日本軍の庇護でシンガポールに自由インド臨事政府を樹立した。 |
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▲ネール(1889〜1964)
インドの政治家で社会民主主義者。国民会議派の指導者としてマハトマ・ガンジーらと民族運動を指導する。
1947年(昭和22年)インド独立後の初代首相で、非同盟諸国の中心的指導者として世界平和の確立、アジアの解放に尽力した。太平洋戦争当時、日本軍の展開したはインド洋作戦には、欧米の白人支配からの脱却を目指す、多くの独立運動指導者や志士達に大きな影響を与えた。 |
インドを真にイギリスの手から独立させたのは、ガンジーの無抵抗主義の独立運動ではなく、チャンドラ・ボースの自由インド独立政府である。ボースによる武力独立の孤軍奮闘が、イギリスの植民地政策から手を引かさせ、以降の植民地化を断念させたのである。
また、如何なる優れた政治システムも、武力弾圧や武力独立を抜きにして、達成できないことを、歴史は如実に物語っている。
インドにおけるボース、ビルマにおけるアウンサン(アウン・サン・スー・チー女史の実父)らの武力独立を目指す集団が相次いで蜂起(ほうき)したから、傲慢谷(ごうまんきわ)まるイギリスも、これ以上は東洋人を弾圧できないと断念したのであって、決してガンジーの無抵抗主義の独立運動が功を奏したのではない。
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▲アウン・サン将軍(ビルマ/現在のミャンマー)。ビルマ独立運動の指導者であり、国軍の創始者で反英運動に参加。
現在、ミャンマーの民主化運動の指導者として有名なアウン・サン・スー・チー女史はアウン・サン将軍の忘れ形見である。
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いわばガンジーの無抵抗主義は、こうした混乱時の「漁夫の利」であり、政治的に利用されて、言葉の響の、最も美しいところだけを、欧米人が戦後の日本人の脳裡(のうり)に培養した「甘い格言」に過ぎなかったのである。
そしてインドは、ボースによる激しい抵抗があったからこそ、インドは独立できたという経緯(いきさつ)がある。この抵抗が激しければ激しいほど、これ以上の弾圧は出来ないという経緯の下(もと)に、インドの独立があったのである。
多くの日本人が見逃しているところは、こうした真実の裏側の事実であり、単に、憲法の中で謳(うた)い上げる戦争放棄でなく、また無抵抗主義運動が功を奏したと言うことでもなかった。
何故ならば、人類は闘争を繰り広げ、支配者と被支配者の関係が永遠に解決できない運命的な宿痾(しゅくあ)を背負っているからである。
そこで登場するのが、万一、何者かに威圧された場合、安易に諸手(もろて)を挙げて万歳する場合と、某(なにがし)かの抵抗を試み、一度闘えば、強者といえども、無傷では済まされないという闘志である。
「敵に回せば厄介な相手」というイメージこそ、イザとなった場合、その支柱となる「切り札」であり、これを持っているのと、そうでないのとは雲泥の差が出るのは明白であろう。
私たちは、安易に「自分は特別である」あるいは「不慮の事故」などには巻き込まれないなどと、普段考えてしまう。しかし、突然に襲って来る「不測の事態」は、はるかに人知を越えたところで働いている。これを普段から予測できないでいると、万一遭遇した場合、大きな禍根(かこん)を、「人生の後遺症」として残す事になる。
また安易に、進歩的文化人と言う人種の無責任な発言に耳を傾けるのではなく、一応それを疑ってみる狐疑(こご)の意識が必要である。
現世と言う「この世」は、多くの矛盾と欺瞞(ぎまん)に満ちている。したがって、こうした矛盾と欺瞞に対し、事に臨んで疑い躊躇(ためら)うと、直ぐに自らの命を危険に曝(さら)さねばならなくなる。
狐は、狡猾(こうかつ)な動物に対して、疑い深く、その真意を探ると言う。現代日本人に欠けているのは、こうした狐の、疑い深さだ。進歩的文化人の言を鵜呑(うの)みにすることではなく、一応、この言葉の裏に隠れているものを疑ってみる必要がある。
●警察庁白書
警察庁白書によれば、「最初から、暴力に対して、あくまで抵抗すると決心して、あくまで戦った人は、軽いケガくらいはしても、決して殺されたり、強姦されたりはしないものだ。これはどんな弱い人でも、自分自身を最後まで、命を賭(か)けて護ると決意する人は、確かに刃物で襲われた場合、ケガはするが、命までを失う結果にはならない」と述べている。
喩(たと)えば、街の路地裏で強盗に遭ったとしよう。その時、激しく抵抗し大声を出す人と、全くの無抵抗で金品を奪われ、犯人の為(な)すがままに任せた人とでは、結果はおのずと違ったものになる。
果たしてガンジーの非暴力に徹した無抵抗主義を模して、無抵抗に徹底することで強盗犯人は、これに感激して、何も奪わずに引き揚げて行くであろか。
むしろ、激しく抵抗し、犯人に傷つけるかも知れないが、その危険性を顧みず、あくまで抵抗する方が、逆に、強盗に犯行を断念させ、何も奪われなかったという例の方が圧倒的に多いのである。但し、傷つけられると言うことは覚悟しなければならない。
これは強姦事件にも同じことが言える。
アメリカなどで起こる強姦事件を見てみると、ナイフやピストルを突きつけられて脅(おど)され、無抵抗のままで強姦され、その後は、必ず殺されている結果を見ても明らかである。
日本でもこの種の犯罪が多くなり、女子大生などが殺されて、山中に埋められるという事件が起こっているが、この殺されるに至った経緯は、余り知られていない。またニュースでも、こうした経緯を報道しない。
しかしその背後には無抵抗のまま、犯人の暴力と脅迫に屈して、強姦をされ、貌(かお)を覚えられたから殺されたという真実があったのである。ただ殺されて、山中に埋められたという事ではない。
まず、抵抗することが先決であり、これなくして生還の道は閉ざされる。
1995年の少し古いデータであるが、アメリカでは10万人規模の都市で、年間レイプ事件が平均27回だったと言う。同じ時期の日本でのこの種の事件の発生率は、年間2回程度だった。この数字だけを見て、アメリカの治安は非常に悪いと思いがちである。ところが、この裏側にはぞれぞれの国民性が顕われている。
日本では、世間体などもあり、女性が強姦されると殆どは泣き寝入りする。自分の立場や家族の立場を優先し、わが身の小さなプライバシーに固執する為である。ところが、アメリカでは、レイプが起ると、殆どの女性が警察に通報する。
アメリカでレイプには、恋人同士でも男側が無理にセックスを強要した場合、立派なレイプと看做される。恋人である女性とデートをし、食事をし、その後、バーかスナックに立ち寄り、酒に酔わせてラブホテルに誘うと言う日本式の婚前交渉は、「デートレイプ」と呼ばれ、アメリカでは犯罪である。
こうして考えて来ると、デートレイプも含めて、日本の方がその発生率は多くなり、日本の男どもは、強姦罪という、人間の人権を無視したこの手の罪に対し、殆ど無知である事が分かる。
強姦罪とは、13歳以上の女子を強姦することによって成立する罪である。また、13歳未満の女子に対しては本人の同意がある場合も成立し、淫行や淫行勧誘罪として処罰される。これらの総称として、「姦淫罪」といい、強制猥褻(わいせつ)罪・強姦罪・淫行勧誘罪などを指し、個人の性的自由を侵害する犯罪である。
日米の女性の意識を比較しても、日本は以外と貞操観念が低い。また、マスコミなどの風俗紙が、愚かな性情報を垂れ流しているが、これを真に受けて、行動の及べば、とんでもないことになる。
昨今は、人間の人権が叫ばれる時代である。人権・人権の世の中では、被害者であるはずの自分が、いつ加害者になるか分からない。
かつての別れた愛人が、執拗(しつよう)に女性を付け回すストーカー行為も、実は無抵抗で、何もしないからであり、無抵抗に徹することが、こうした最悪の事態を招くのである。
したがって「抵抗する」訓練は、常日頃から身に付けるべきで、新聞などを見ても、無抵抗に徹した人は殺される事が多く、あくまで抵抗したり、大声を上げたり、騒いで逃げ回った人は殺されずに助かっている。
また窃盗においても、大声を上げて追いかけられたスリや、カッパライや、自転車やバイクに乗ったヒッタクリは最後まで、徹底的に抵抗することが肝心であり、こうしたことで被害を最小限度に止めている。
一人で留守番をしていて泥棒に入られ、何もせずに無抵抗で、脅されるままになる人と、最後まで徹底抗戦をする人とでは、結果は自(おの)ずから違ってくるのである。
▲ 米俵を背負う女性。
何年か前、全く武術の心得のない、七十歳か八十歳のおばあさんが、一人で留守番をしていたところ、若い男の強盗が入って来て、ナイフで脅(おど)され、これに素手で飛び掛り、ナイフを叩き落として捕えたという事件があったが、これなどは徹底的に覚悟を決め、抵抗したところに、被害を最小限に止めたという典型的なものであろう。ここで問題になるのは、刃物に対する対処法である。
さて、無抵抗で脅(おど)しに屈するというのは、最悪の事態を招く。結果的に取り返しのつかない事態が生ずるのは、殆ど、脅されるままに犯人の言い成りになって、最初から抵抗をしない人達である。
子供でも、女性でも、はじめてあった男に、うまく口車に乗せられて、ノコノコ蹤(つ)いて行って、性的な悪戯をされた上に、殺されて山に埋められてしまうような状態では、最後に少しばかり抵抗しても、もう「後の祭」である。
また、甘い言葉でなく、ヤクザ擬(まが)いの怒鳴り声で脅されて、これで最初にすくんでしまうと、蛇に睨(にら)まれたカエルのようになって、後は犯人の意の儘(まま)になってしまう。
特に、最近増加の一途にある、サラ・クレの返済に窮して「闇金」に手を出し、迂闊(うかつ)にもこれを借り、僅か十日で50〜120%という暴利を強要される被害者の多くは、最初の怒鳴り声ですくんでしまい、意の儘に操られるという消極的な要素を持った人達である。そして、一度こうした相手に甘い汁を吸われると、骨の髄までしゃぶられ、後は自殺する以外に手はなくなる。
勇気という闘志力がなければ、骨の髄までしゃぶり尽くされるという弱肉強食の世界が、今、私たちの生きている現世の現実なのである。相手から簡単に付け込まれない為にも、わが身は自分自身で防衛する以外ないのである。自己責任が課せられる今日、安易な諦めは禁物であり、屈辱に対しては何処までも抵抗し続けなければならないのである。
常日頃から、子弟教育として、家族全員が揃う一家団欒(いっかだんらん)の席で、こうした現実を、解り易く子供に教える親と、そうでない放任主義の親とでは、何らかの事件に遭遇した場合、雲泥の差が出ることは明白である。また、子弟教育において、「抵抗する」あるいは「誇り高く生きる」ことを教えるのは、その家の家長の使命であり責任であった。
ところが家長制度の崩壊した昨今は、一家団欒といっても、テレビのアニメ番組やクイズ番組やグルメ番組を見ながらの夕食の席が多くなり、肝腎なポイントのおカブは、総てテレビにとって代わられている。
果たしてこうした家庭教育の中で、今日多発する青少年犯罪は防げるのであうか。
そして肝腎なことは、自分の子供が被害者になることを警戒しなければならないが、しかし一方で、犯罪に荷担したり、加害者にならない為の、厳格な家庭教育も必要になってくる。
●生兵法は大怪我のもと
被害者にならない為には、日頃から地道な訓練をして、武術の心得を身につけておかなければならない。
しかし少しばかり、生齧(なまかじ)りの護身術を身につけていても、それが即席のものであっては、イザという時に、全く役に立たない。
かつて、某武道の初段の腕前を持つ女子高生が、無慙(むざん)に暴行され強姦されてしまったという強姦傷害事件があったが、これなどはやはり、「生兵法は大怪我のもと」を地で行くような事件であった。
スポーツや、一対一で格闘する競技武道と、本来の武術というものは根本的に違いるから、この違いも区別して覚えておく必要がある。
そして最近は不景気が吹き荒れているせいか、道場の先生の中にも、一介の武道屋に成り下がった人が少なくなく、金銭で段位を売り渡している現実がある。黒帯の実力がなくても、金で簡単に免状を出す武道指導者が多くなっている。
特に弱年者の黒帯は、実力から言っても要注意であり、最近は小学生の男女が黒帯をしているの、体育館や試合場で見掛けることがある。
その為、高々、初段程度の腕前では、やはり、ささやかな抵抗に終わってしまう。そして、威力がない為にこうした結果に終り、かえってこの程度ではむしろ邪魔になってしまう。
この女子高生は、自分の習う競技武道を過信したところに、大きな判断ミスを侵してしまったのである。
また空手は「一撃必殺」を豪語するが、この言葉は最早死語であることは明白であろう。人間は一撃では殺せないのである。
襲う側の賊も、モノにしようとして必死で襲うのであるから、少女が繰り出す、突きや蹴りの一撃で、戦闘不能になるということは、まずあり得ない。
素人考えで、空手は「瓦を割る」武道を錯覚する。凄いイメージがある。しかし今日の空手家の中に、本物の屋根瓦(強化セメント瓦)を割る人は、数える程しかいない。試割用瓦(しわりようがわら)は既に、特殊に細工されたセメント貫の瓦が用意され、ブロックも、試割板も、野球のバットでさえも、「試割用」として造られ、空手愛好者を対象に武道具店で販売されているのである。
競技武道は実戦を無視した試合形式で、ルールによって試合が展開されるから、ルールにない方法で攻撃された場合、最悪の結果を生じる。また、それ以外の演武形式の武道も同様である。
喩(たと)えば強盗に遭遇して、自分は普段から空手を稽古している。しかし賊も空手か拳法をやっていて、自分以上の腕前であるかも知れない。そう思った瞬間に、戦意は失せてしまう。結果から、抵抗する気持ちすら起こらなくなる。
脅しに挑発されて、ナイフを握っている賊に、自分の一撃必殺のパンチが躱(かわ)された場合、それ以上の抵抗は無駄と悟り、抵抗は益々萎(な)えてしまう。一番危険なのは、こうした状態に陥ることである。
巷間(こうかん)には格闘技や競技武道として、剣道、柔道、空手、テコンドウ、競技チャンバラ、競技システム合気道、合気空手、合気拳法、その他各種拳法や、新手の格闘技道場が処狭しと乾板を掲げている。こうした武道の本来の目的は、何もケンカ用のものでなく、精神修養として、心を鍛えることを目的としている。それも一対一の試合形式である。
またボクシングやレスリング、素人相撲はスポーツであり、リングの中や土俵の中で、両者が同じ状態にしておいて試合をするという形式をとっている為、普段の稽古も、こうした試合形式の稽古が展開される。
現代でも、柔剣道の猛者で、敵が刃物で振り掛かっていたら、どうしようか。ピストルを出してきたら、どうしようか。眼潰(めつぶ)しなどの、巧妙な方法で攻撃をしてきたら、どうしようか、と普段から実践的な工夫を研究されている人も居るだろうが、そうした人は非常に少ないようだ。
この事は、警察官で、柔剣道いずれかの高段者でありながら、犯人逮捕の際に、犯人の隠し持ったナイフで刺され、あえなく一命を落として殉職するという結果を見ても、試合形式に慣れてしまった選手は、高段者といえども、狂人の刃に斃(たお)れてしまうのである。
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