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国際食糧政策 2


●愛すべき庶民的微生物の危機

 さて、世界は私たち大衆・庶民の知らない所で、多くの陰謀が渦巻き、その渦の中に、好むと好まざるとに関わらず、人類は巻き込まれようとしている。
 かつて「大衆」と云う言葉は、裁判所の定義する
「善良な市民」であった。置き換えれば、意志決定権のない「無力な善人」でもある。この定義の根拠は、「可もなく不可もなく、従順で、社会ルールを守り、底辺を支える愛すべき庶民的微生物」に、その源を発している。

 ところがこの
「愛すべき庶民的微生物」にも、異変が起き始めた。
 かつて中国の五行説思想の中では、人間の人体は、天体の大宇宙に対して「小宇宙」に喩
(たと)えられた。事実、この小宇宙では、天体社会と同じような構図で、歴史が刻まれている。

 その喩
(たと)えは、現象人間界の弱肉強食の世界を、大脳生理学の鬩(せめ)合いの世界(間脳という部位は「第三の目」という霊眼の働きを司っていたが、知性体が封じられ、享楽と遊戯と物質思考に走る物質文明を創造した)に喩えたり、または腸内微生物の世界に喩えたりする。
 消化器官内は、腸内微生物が暮らし難
(にく)い環境になりつつある。これは、まさに「この世」での生活が、日増しに困難になって来て、世情不安を作り出していると言う、今日の由々しき現実と酷似する。つまり生存環境の悪化である。

 生存環境が悪化すると、地球上の多くの生物は、腸内微生物と同様に混乱が生じ始めた。この混乱によって、死滅する腸内微生物も、数も、いまや増加の一途を辿っている。また、これによって暴動が起る事は、これまでの人類の歴史を振り返れば一目瞭然であろう。
 暴動が起これば、多くの生物に見られるように、「善と悪」や「陰陽」の中庸
(ちゅうよう)バランスが崩れ、殺し合いなどの「共食い」が始まる。

 更に、雄
(オス)・雌(メス)の異性間の正常関係が狂わされ、同性同士が結びついて同性愛関係となり、一定量以上、増殖してはならない連中までが増加する現象が起る。これらはマウス実験などでも見られ、この関係を超小型のミクロの世界に置き換えたのが、腸内微生物の世界である。
 これは人間社会でも、同じ現象が起っている。

 物質至上主義が持て囃
(はや)され、物質一辺倒、科学一辺倒になって来ると、社会構造全体の遠心分離器化した器の回転数が高速化する。高速化すれば、そこから弾(はじ)き出される者が出て来る。常識とは異なった考えの者が出て来る。これまでの秩序や道義を破壊しても、何とも思わない者が出て来る。その結果、常識は一変する。価値観も変わる。奇抜なファッションが表面化する。愛情の表現も変わる。これまでの愛情は、情愛から肉愛へと変化する。性欲のみが、愛の表現型へと変わる。

 そうなると必ず同性愛現象が起る。生物学的に云う、ホモ接合体の出現である。これが現代社会の恥部とも云うべき「ホモ増加現象」である。
 彼等は市民権を求めて運動をする。これにより、畸形
(きけい)なる思考が常識化する。文明が衰退するのは、これまでの常識が一変し、肉愛に傾いた時に、その文明は崩壊している。これは歴史を見れば明らかである。ローマ帝国の滅亡は、これを如実に物語っている。西ローマ帝国は、476年ゲルマン人オドアケルに滅ぼされた。東ローマ帝国は、建国以来千余年にして1453年、トルコに滅ぼされた。
 現代人が、滅ぼされるローマ帝国のような、腸内微生物と同じような環境に置かれていることは疑いようもない。

 今日の地球では、環境汚染が進み、食品ばかりでなく、生命の根源である飲料水にも、安全と安心を脅
(おびや)かす、元凶の触手が伸び始めている。安全で、安心して飲める水を探す事も、現代人に課せられた一つの徒労になりつつある。
 かつての高度成長期の高台の垂れ流しで、水を汚染させたツケが、いま廻って来たからである。安全で安心だった、かつての水は、今や「毒水」と化しているのである。

 人間の腸の構造を考えた場合、これは植物における「根の構造」と、全く同じであると言う事に気付かされる。
 もしも、これらの毒水を飲み続けて、農薬に守られて育った米や、均整のとれた美しい色をしたトマト・レタス・キュウリ・茄子
(なす)、その他の温室育ちの緑色野菜や、あるいは食品添加物たっぷりの舌触りのよい食品を毎日食べ続けたら、私たちの躰(からだ)は一体どうなるであろうか。

 肉体が病変するばかりでなく、思考や価値観にも狂いが生じて来る。物事の善悪が崩れ、陰陽の中庸バランスが崩れ始めている、人間社会の今日の実情を見れば、人間社会も、腸内の微生物世界と同じ事が繰り広げられていることが分かる。人間社会でも、腸内の微生物世界でも、これまで、底辺を支えていた
「愛すべき庶民的微生物」の数が激変・激少している事である。現代社会の偽らざる正体は、腸内微生物の生態系同様に、異常事態が発生しているのである。

 腸内世界で例えれば「腸内異常醗酵」である。

 「愛すべき庶民的微生物」は、腸内異常醗酵によって苦しめられ、苛められて、テロや暴動によって、次々に抹殺されているのである。

 昨今の人間社会での不穏を呈する世情不安は、まさに腸内微生物の世界と全く同じの、生態系の異常と看做
(みな)すべきであろう。
 この生態系の異常は、腸内での発生する異常醗酵の、大量のガス化である。これにより放屁
(おなら)も臭くなり、大便も臭くなって、便秘や下痢と言う異常現象が起る。こうした状態が、現代人の腸内で激化し、異常醗酵化し、日常化しているという事なのである。
 そして不快な悪臭の根源は、食肉や乳製品、肉加工食品が齎
(もたら)す、人体に有害な動蛋白であった。

腸内に異常醗酵を起こさせる食肉や乳製品使用の食事。精白ライスに、すりおろしたチーズやパン粉などをふりかけたグラタンは腸内で乳製品特有の異常醗酵を起こさせ、葡萄酒・酢・油・香辛料などを混ぜた漬け汁に漬け込んだ食肉のマリネなどは二級アミンや硫化水素やアンモニアが発生して、腸内での停滞現象が起る。やがて、これらが腸内の腐敗物質となり、長期の宿便の形態を取る。そして、こうした宿便は炎症を招き、この炎症はガンへと病変する。

 悪臭の最大の原因は、硫化水素(鶏卵のような悪臭を持つ可燃性の毒性気体)、アンモニア(窒素と水素との化合物で、刺激性の悪臭ある無色の気体)、フェノール(特有の臭気をもつ無色の結晶で有毒)、インドール(不快な臭気をもち糞に含まれる)などの有毒物質であり、動蛋白によって持ち込まれた腸内微生物群は、環境の悪化で起こした時に生成される物質である。ガン患者の放屁や大便は非常に臭いものである。

 これは腸内異常醗酵によって、動蛋白や水道水などの有毒物質が過剰に生成され、その結果として元凶が顕われたものであり、これ等の有毒物質は、やがて腸壁から吸収されて、血管に入り、門脈
(毛細血管から移行した静脈が再び毛細血管に分れるもの)と肝臓のチェックを旨く潜り抜け、これが各臓器の隅々にまで運ばれてしまうのである。そしてそこで、これまで正常だった細胞が炎症を起こし、「ガン化」するのである。

 臭い放屁、臭い大便は腸内で異常醗酵が起っている証拠である。これは消化器官内部で、実に多量多彩な有毒物質が生成されていると言う証拠でもある。

 夜の喧騒
(けんそう)や、激しいビートのロック音楽等に曝(さら)されるような生活をしていると、心の平安の安らぎは崩され、静寂な静けさは乱されて、慎みを忘れた食生活は、やがて動蛋白を中心とする暴飲暴食に趨(はし)ってしまうのである。
 また、これが社会を狂わす元凶となり、現象人間界が大きな歪
(ひず)みで揺らぐ深刻な問題が発生するのである。

 暴走族が夜中に駆け回る、道路の近くにお住まいの方は分かると思うのであろうが、彼等の不穏分子が夜中に駆け回る実情下に、果たして安らぎを齎す眠りは訪れるであろうか。
 こうした事態も、実は騒音とロック音楽で大脳皮質を刺戟
(しげき)する異常性が起り、そこはまさに腸内微生物の「愛すべき庶民的微生物」の精神的抹殺が行われているという、同じ現象が起こっているのである。こうした凶事を持ち込んだのは、肉や乳製品を摂取するという欧米から持ち込まれた動蛋白食品であった。

 そこで、「食」の改革と、心と魂を洗い、磨く、穀物菜食の重要性を訴えているのである。人間は「食の化身」である。また、何を為
(な)すにも、基本は「食」にある。
 しかし実情は、日本人が簡単に食糧を自給自足出来るだけの状態になく、その多くは海外からの輸入に頼っている。そして海外から輸入される多くの食糧は、日本人の霊的神性を曇らし、霊的波調を狂わせるものばかりである。
 このように「食」が乱れていたのでは、何事も始まらない。肉食に乳製品と云った元凶の食に頼りながら、開運だの、神祀りなどをしても、根本である「食」が狂っていたのでは、神の「力添え」などあり得ない。

 まず、人間は礼儀を正
(ただ)し、「型」を糺す必要がある。その為には、まず自分自身の魂と心の清浄化から始めなければならない。それ故、玄米を中心とした「穀物菜食」の実践が重要課題になるのである。

 では、何故こうまでに穀物菜食が重要なのでしょうか。
 それは、人間は「食」の中に
「多くの吉事の有無」が隠され、これが人間の運命の明暗を分けていると言う事です
 では、その吉事に結びつく利点を上げてみよう。

身・魂・心を養う完全無欠の栄養食が、玄米を中心とした「穀物菜食」であり、粗食小食に徹すれば開運に繋がること。
以上の食物は、血液を浄血する大きな働きがあり、浄血されれば、霊的神性が高まり、神気の正気を受け易くなること。
以上を食する事で、病気に罹(かか)り難い体質となり、邪気や外邪を受け難くなること。また、地縛霊や浮遊霊と化した先祖の死霊の波調に共鳴する事がなくなり、統合失調症などの精神障害に罹り難くなる。
以上を食する事で、怪我や事故、不和や争いと云った不幸現象が極力小さくなること。
以上を食する事で、大難が小難になり、余計な心配事や不安が減り、無駄な迷いや悩みが減少すること。また節食に繋がるので、食糧費やそれに伴う燃料費が半減する。
以上を食する事で、躰が軽快になり、疲れ難くなり、時間が有効に使えること。
以上を食する事で、判断力、直感力、記憶力、思考力が高まる。
以上を食する事で、運が開け、運勢に勢いがつく。凶運を吉運に転ずる事ができる。
以上を食する事で、心が豊かになり、歓喜を観じ、肚(はら)が据わって度胸が出来て来る。

 そして玄米を中心とした「穀物菜食」の実践の有効性は、科学的にも、歴史学的にも、神霊学的にも、全く疑いようがない。

穀物菜食の食餌法。玄米を中心とした未精白米を主食とし、それに煮野菜食を実践すると、血液は一ヵ月足らずでサラサラとなる。そして、「よく噛む」ということが体質をよくする極め手となる。

 しかし、世の多くの人々は、穀物菜食を実行しようと思っても、難しいとか、半ば強制的では辛いばかりで長続きしないとか、味が薄味なので美味ではないとかの、不平と御託ばかりを並べ、こうした理由で以上の食する事を止めて、明らかに躰には有害であると断定できる食肉や乳製品ばかりの乱れた、慎みのない食事をしている実情は、何とも不思議な限りである。まるで、自ら不運と不幸現象の中に身を曝(さら)し、この領域の止まろうとする考え方自体が、自分で自分の墓穴を掘っているという気がしてならない。

 しかし、以上の食餌法
(しょくじほう)を敢て、無理矢理に他人に押し付けたり、薦める事はしない。せめて「四ツ足の肉」を断ち、未精白の玄米と、白米の半々の食事に切り替えるくらいは、いつでも出来るのではないかと思う。

 凶運を吉運に転じ、不幸現象の影響を最小限度に止め、地縛霊
(じばくれい)や浮遊霊(ふゆうれい)などの邪気や外邪に妨げられる事なく、霊的神性を高めて、神からの「力添え」を頂く為には、それなりに魂と心を洗い、磨いた状態になっていなければいなければならない。



●ヒトの食性は歯型で分かる

 では、魂と心を洗い、磨いた状態を実現させる為には、どうしたらよいのであろうか。
 それは、日々摂取する「食」にかかっていると言えよう。食は、人体を造り、人体は食の化身であるからである。同時に、食の正しい食餌法を実践しなければならない。つまり「一二三
(ひふみの祝詞)の食餌法」の実践である。

 その基本は、まず、身土不二
(しんどふじ)の思想に基づき、自分の棲(す)む土地の近くで採れた穀物、野菜、魚介海藻類を食べる事である。したって、遠く離れた異国の地で育った食肉、ヨーグルト(どんなに優れたものであっても、日本人はこれを消化する酵素が少ない)などの乳製品、農作物や乾物類は、日本人には不適当であると言う事である。

 次に、よく噛むという事で、よく噛みながら、唾液と十分に混ぜ合わせる事である。人の唾液には、アミラーゼ
Amylase/酵素の一つで、澱粉・アミロース・グリコーゲンなどを液化・糖化してマルトースやグルコースなどを生ずる)やマルターゼMaltase/麦芽糖(マルトース)を2分子のブドウ糖に分解する酵素、アルファ(α)グルコシダーゼの慣用名)などの消化酵素を含み、澱粉を一部消化し、また食物を呑み下し易くする成分が含まれている。また、唾液とよく混ぜ合わせる事は、発ガン予防にも繋(つな)がり、食事療法におけるガン治療は玄米穀物の雑穀ご飯を、唾液と混ぜ合わせながら「よく噛む」ことから始まる。

 人間はその歯型から見て、草食動物である。生物学上は穀物菜食をする哺乳動物である。したがって、全く肉食をする必要はないのである。ヒトの歯型を見れば、それは菜食を告げている事が一目瞭然であり、歯型のうちでも「臼歯
(きゅうし)」は、人間が穀物菜食の哺乳動物である事を顕わしているのである。

ヒトの歯の構造による穀物菜食性

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 日本人は伝統的の古来より穀物菜食を行って来た民族である。したがって、必然的にその躰付きは、菜食に適応する体躯となっている。
 しかし、日本人だけがこうした体躯構造をしていると考えるのは、実に短見である。人間は、民族や人種に関係なく、穀物菜食に適するように造られているのである。その一例を示すのが「歯型」である。

 人間の歯は、成人で通常32本であるが、その中でも20本が臼歯である。臼歯は「うす」のような形をした歯であり、これは穀物を噛み砕き、擂
(す)り潰すのに便利なように出来ている。また門歯と呼ばれる歯は、8本あり、前歯の部分は、根菜や葉菜を包丁のように切る為に造られた歯である。

 残りの4本は、「犬歯」という歯であり、尖
(とが)った形をした歯である。肉食常食者の中には、犬歯こそ、人間が肉食をする為に生まれて来たのだと主張する人もいるが、これは大きな誤りである。犬歯は肉食をする為の、肉を切り裂く歯ではなく、木の実などの固い物を砕く時に使われる歯なのである。
 この事から、人間の歯は、32本が総
(すべ)て、穀物菜食をする為に神から与えられた歯であると言う事が分かる。

 現代人の肉食主義による誤りは、犬歯の解釈であり、犬歯は人間が肉食をする為に造られた歯ではないと言う事だ。
 ちなみに、人間が食肉などの動物食を摂り過ぎると、犬歯は徐々に尖って来て、肉食動物のように大きく鋭くなり、これが成長すると門歯より長くなると言う。一方、犬に植物性のエサを与え続けると、犬の犬歯は総て抜け落ち、その相貌は、非常に穏やかになると言う興味深い報告がなされている。

 人間も体力主義で押しまくる人間程、食肉を好み、その性格も好戦的で、いつも人と争っていないと気が済まない相貌となる。そしてこれは人相に反映され、ただ怕
(こわ)いだけの、強(こわ)持ての人間に成り下がる。若いうちは、強持てでも良いであろうが、これ以外に能がないとしたら、晩年は実に哀れなものである。やはり、人間は年齢と共に腰を低くし、刺(とげ)が抜け落ちるが如く、円熟して、円(まる)くなりたいものである。

 次に、ゆったりとした気持ちで、喜びをもって食べ、人間を生かしてくれ、自分の命を捧げてくれた食物に対して感謝の心を抱く事である。今日の日本人で、食事をする時どれ程の人が、命を捧げて犧牲になった食物に対し、「感謝の念」を抱いているであろうか。

 お金さえ出せば、何でも、幾らでも、簡単に手に入ると安易に考えているのではないではないだろうか。
 こうした金銭至上主義的な考え方が、人間を不幸に陥れ、病気や戦争が世界中に蔓延しているのではないではないだろうか。また、国は国で病み、世界は世界で病み、山も川も海も総てが病んでいる。これこそが不幸現象の元凶ではないではないだろうか。
 そして、総ての基本は「食」であり、食への乱れと慎みを忘れていると言うのが「現代」という時代なのである。

 食への慎みを忘れ、食への乱れを生じさせて、現実には種々の凶事が派生している。その凶事の元凶こそ、「食べないで死ぬのではなく、食べ過ぎて死ぬ」という、過食や飽食が、一切の不幸現象の元凶になっている事が分かる。
 戦争や病気と云った世界の不幸現象の根本には、「食」が密接な関係を持っていて、災いの種は、此処から派生している事が分かる。

 そして、以上の述べた
「粗食少食」に徹すれば、人間がこの現象会を生き抜いて行く食糧相当数は、「今の半分」で済むと言う事である。これこそ「省エネ」の原点ではないだろうか。
 人間が食餌法を実践し、粗食少食に徹すれば霊的神性は徐々に向上するが、これが向上するに従って、食事の量も半減し、粗食少食になって行くのは必然的な流れである。何故ならば、粗食少食は血液を浄化し、頭脳明晰にする為、運勢に勢いをつけ、揺るぎない吉運に転ずる秘訣を秘めているからである。

 また、強運を掴む一つの養生訓として、人間は朝の日の出と共に起き、夜、早めに寝ると言う事を心掛ければ、自分が人生に掲げた目標に限り無く近付くことができ、必ず幸運な人生が歩める筈である。これこそ、単純明解な理論ではないか。何も、難しい理屈や特別な行法など、何も要
(い)らないのである。

 これを世界中の人々が実践すれば、聖書の預言されているハルマゲドンとか、気象庁や地震学会が予測する東京大地震のような、大天変地異など、起りようはないのである。

 もし仮に、日本中の国民すべてが、肉食や乳製品などの動蛋白摂取を一切止めて、穀物菜食に切り替えた場合
(この可能性は限り無くゼロに近いが)、まず、日本国内でのコメの自給率は完全に達成する事が出来る。日本は、自給自足が出来ない国であると思われがちだが、工夫すれば、多くの見落とした部分に、自給自足の可能性が残っている。
 しかし、これを真剣に考える政治家や経済戦略家は、殆ど皆無と云った状態である。

 そして日本の盲点は、自給自足できないと言う、輸入経済の上に胡座
(あぐら)をかき、お金で世界中の食糧倉庫から、珍味や美食の食材を買い集めている事である。
 これは他人の家に土足で上がり、他人の米櫃
(こめびつ)の中に、勝手に手を突っ込み、お金でその量を計ると言った傲慢(ごうまん)な行為に匹敵するのではないだろうか。そして、そこの家の人の口には、一粒の米も入らず、お金によって、自分のところの食糧が持ち去られると言う、恨みに似た唸(ねん)を落して行くことになる。
 また、世界中の倉庫から食材を買い漁
(あさ)るという行為が、今日の日本の飽食を支えていると言う現実を忘れてはならない。

 それにも況
(ま)して、日本は南北に長い島国列島である。この列島の一番の弱点を上げれば、これは日本の地形と地理上の位置から考えても明白となる。
 アジア大陸と太平洋に位置する日本は、非日常の異変によって、直ぐに世界戦争に巻き込まれ易い状態にある。海岸線が長く、縦深
(じゅうしん)の浅い日本の国土は防衛上から言っても、非常に守り難い地形をしている。
 更に、日本の国土をよく観察してみると、狭い平野に人口と機能が集中し、地形は「核攻撃」に脆弱
(ぜいじゃく)な状態にある。東京や大阪などの大都市は、その典型的な地形と言えよう。

 太平洋戦争末期、広島や長崎にアメリカ陸軍のB29重爆撃機が、日本の制空圏
(大戦末期にも、源田実海軍大佐が率いる、「源田サーカス」の異名をとる海軍最新鋭の「紫電改」を配した松山航空隊があったが)を簡単に超えて、人類初の原子爆弾を頭上に浴びたのも、海岸線が長いと言う守り難い国土上の地形にあった。

 こうした当時の歴史的事実を、今日の社会に当て嵌
(は)めてみると、食糧と資源を運ぶ、長いシーレーンを維持するのも、また、これを守ることは至難の業(わざ)と思われる。
 更に、日本人が古来より、ユーラシア大陸やヨーロッパ大陸の民族と異なり、何よりも異民族戦争の経験が殆どない。僅かに「元冦の役」の二回
(1274年の文永十一年と1281年の弘安四年)の蒙古来襲のみを経験しただけであり、その他には異民族戦争の経験がない。こうした経験の乏しい民族は、元々、軍事戦略思考が根本的に欠落していて、太平洋戦争の無惨な惨敗は、この事を明確に証明している。

 そして、日本人の軍事思想の欠落は、太平洋戦争中の経験が示すように、十年や二十年で中々直るものではない。したがって、今日の日本の在
(あ)り方は、世界平和を守る為には、あらゆる手段を講じてこれに貢献し、あらゆる行動をとる必要があるが、平和ボケした日本人に、こうした行動をとる勇気はなさそうだ。

 また日本政府の弱腰外交をみても分かるように、世界平和を守る為には、相当の経済的犧牲と、幾分かの人的犧牲も覚悟しなければならないだろう。しかし、北朝鮮
(朝鮮民主主義共和国)のような世界平和を乱す国に対して、経済的制裁は率先実行するべきなのであるが、八方美人の形をとる日本政府は、以上を発動する決断力がなく、また現在の日本の政治家の中にも、これを断固決断しうる政治家は一人もいない。



●肉食礼賛の罠

 私たち日本人の大衆層は、こうした現実下で、「社会ルールを、電車に乗る時のようにお行儀よく順番を守り、従順で底辺を支える愛すべき庶民的微生物」として、生きる事を余儀なくされているのであるが、この愛すべき底辺も、今や、不穏な社会の混沌(こんとん)とした現実の縮図に巻き込まれて、絶滅の危機に瀕(ひん)する第一歩を歩き始めた。愛すべき底辺の世界にも、異常が現われ始めたからだ。

 それは日本の食糧事情や、食を乱す料理の仕掛人に「悪魔の元凶」を見る事ができる。
 料理の仕掛人達は、一種の日本人誘導の政治理念をもって、「食肉文化を礼讃
(らいさん)する政策」を、影の画策者と共謀して押し進め始めた。
 食肉や牛乳、チーズや肉加工のハムなどの動蛋白製品と云った食品を生産する為に、日本は年間2700万トン前後の家畜の飼料が海外からの輸入に頼っている。この数字は、決して国内で賄
(まかな)いきれるものではない。

高級和牛の肉の霜降。霜降り肉は、抗生物質等で牛を畸形にすることで生産される。しかし、人間によって畸形化され、屠殺された牛の怨みは、永遠に消えることがない。

 そして更に重要な事は、飼料農作地を、人間の食糧供給で換算して計算した場合、牛一頭で、一人の人間の穀物菜食分の、約十倍の穀物飼料を消費していることになる。裏を返せば、牛一頭育てる穀物飼料があれば、十人の人間が、牛の生存期間中に食べていける事実である。
 ところで、古来より日本人の食養道に関する歴史を研究すると、日本人には遺伝的に、欧米人と違い、肉は勿論の事、牛乳やバターも、チーズやヨーグルトなどの乳酸発酵食品も、日本人には全く必要がないのである。

 更に、これらを食すれば、血は穢
(けが)れ、霊的神性は曇らされ、直感が衰えて、判断力や決断力が鈍り、古来より連綿と日本人の血の中に受け継がれて来た霊性は、地に落ちたも同然となる。こうした美味しく食べる家畜を生産する為に、どれだけの無駄を繰り返しているか、想像に難しくない。

 そして屠殺された動物達の、霊的な怨念
(おんねん)が蹤(つ)いて廻り始める。
 宗教でも保護されている家畜を殺せば、殺された彼等は、人間と同じ性
(さが)を所有しているから、怨み、怒り、悲しみ、人間の憎悪を抱いて「悪想念」を発する。この悪想念は肉眼では見えない唸波(ねんぱ)となって、その波動が人間に伝わり、昏(くら)い、憂鬱(ゆううつ)な翳(かげ)りを投げかけ、種々の精神障害を始めとする病気を齎すのである。
 また、世情的にも憂鬱
(ゆううつ)な陰を投げかけるのは必然な事であり、昨今多発する青少年犯罪の低年齢化と凶悪犯罪は、家畜が殺されていると言う恨みや悲しみが、直接人間に反映して起っている社会現象とい言えよう。

 私たちの現代社会と言うのは、殺された動物達の憂鬱な唸
(ねん)が渦巻いている社会なのである。
 その一方で、国際ユダヤ資本系
(アメリカ東部のエスタブリッシュメント。国家・市民社会のさまざまな次元で意志決定や政策形成に影響力を及ぼす既成の権力機構)の思想環境団体かつ宣伝工作隊であるグリーンピースGreenpeace/国際的な環境保護団体を装っているが、その活動資金は国際ユダヤ金融資本から提供されている)が、「鯨(くじら)やイルカは殺してはいけないが、アメリカの食肉業者や食糧メジャーの牛殺しは黙認する」と言う訝(おか)しな論理を展開させている。

 しかし、日本国民の現実を見てみると、こうした現実を余所目
(よそめ)に見ながら、この危険な状態に危機を感じるわけでもなく、またアメリカ等の外圧の理不尽を指摘するわけでもなく、金銭至上主義と拝金主義に走り、「金儲けで忙しい」というのが、偽らざる日本人の今日の姿ではないだろうか。

 この金儲けに走る日本人を名指しで、エコノミック・アニマルと称されて随分と久しいが、日本人のこうした、経済的な利益のみを追求する働き蟻
(あり)を皮肉って言う揶揄(やゆ)は、華僑かきょう/中国本土から海外に移住した中国人およびその子孫で、牢固たる経済的勢力を形成し、その本国への送金は、中国国際収支の重要な要素をなす)の経済雑誌にも掲載されている。

 「日本人は強者に媚
(こ)びを売り、弱者を見くびり、外見で人を判断し、あるいは日本国民の多くは、北京政府の独裁者に金を貢(みつ)ぐだけの三流・四流政治家(共産党を除く与野党の政治家を指すのであろう)しか選ぶ能しか持たず、国旗への意識も忠誠心もなく、国家百年の計よりはマイホーム主義に入れ上げ、自分だけのこじんまりとした小人数家族を構成して、悪しき個人主義を謳歌し、金銭に抜け目のない世界最低の経済動物」と、酷評されていのだ。

 「金儲けで忙しい」日本人は、しかし、こうした酷評にも「カエルの面に小便」である。
 儲ける為には、他人の米櫃
(こめびつ)の中に平気で手を突っ込んでも、何の恥じる事もない。かつての礼節を重んじた日本人の面影は、今では何処にも残っていない。モラルも年々低下しているのである。
 したがって宗教で保護されるべき動物を喰
(く)らっても、恥を知るどころか、それが当たり前であると言う概念を、若い世代に植え付けたのである。その美味なる味を求めて、何処にでも出没する。日本人の礼儀知らず、恥知らずは、こうしたところから出発した。

 礼儀知らず、恥知らずは、ご都合主義にも反映されている。
 ご都合主義は、「他人がどうなろうと知った事ではない」と言う、民主主義下の悪しき個人主義である。この個人主義は「基本的人権」として、民主主義では一種のエゴイズムを認め、憲法で保証されている。このエゴイズムが組織化されれば、生産企業側のご都合主義となり、定見をもたず、その時々の都合によって行動する手段が用いられる。

 食肉産業の家畜を殺すと言う行為が、如何に恐ろしい悪想念を作り出し、時空を歪
(ゆが)め、悪想念で汚染さているかご存じだろうか。
 私たちの今生きている社会を、歪ませ、ねじ曲げて、多大な悪想念を及ぼしているのである。
 一方で、こうした生産企業側のご都合主義は、「安全な肉」などと標榜
(ひょうぼう)して、消費者を欺(あざむ)く。

 また、通常の業者が生産する牛や豚などの家畜は、農薬漬けの外国産の安い飼料が与えられ、肉を柔らかくする為に女性ホルモンが投与されたり、成長ホルモンや様々な薬物や抗生物質などが使われているのである。これこそ、ご都合主義の最たるものではないか。そして、こうした食肉を食べた人間は、一体どう云う結末を迎えるか想像に難しくないだろう。

 現在アメリカ産の牛肉が、危険視され問題になっているが、これはアメリカに限らず、日本の生産者の飼育法にも問題があり、あくなき食肉への欲望は、結局、自分で自分の頸
(くび)を絞めている愚かな行為でしかなかった。ところが、この現実に気付く日本人は殆どいないようだ。

 この現実にも、何の反応も見せず、繰り返して反芻
(はんすう)する自責の念もなく、それでいて、大地震などの大異変や、大型台風が襲って来ると、自分だけは助かりたいと言うのは、些(いささ)か虫の良過ぎる話ではないだろうか。
 この儘
(まま)では、間違いなく日本人の頭上に災難が、大難となって日本社会を襲う事であろう。

 人間と言う、もともと穀物菜食を主体としていた動物は、美食の欲望から、地獄の精肉工場を作り出し、世界の食糧事情を複雑化し、食糧危機が起る誘因を引き寄せた。
 しかし、もし政治の英断によって、今日の食糧を、穀物菜食に改めれば、おおよそこの問題は解決する。
 世界の約六十億の人間が生きて行く為には、年間六億トンの穀物があれば事足りるのである。現在世界の穀物総生産量は年間約十八億トンであるから、この計算からすれば300%も過剰生産している事になる。それでいて、あの目を覆
(おお)いたくなるようなソマリアの餓鬼難民の現実は、いったい何なのであろうか。

 「餓鬼」は天災ではない。紛れもなく「人災」である。
 結局、愚かな中流以上の飽食層が、あくなく食肉への欲望を走らせ、また、美食を追いかけた結果から派生した現象ではないだろうか。
 自分自身で蒔
(ま)いた種の責任は、日本人にもあるのではないだろうか。
 そして、私たち日本人は、今少し、慎み深く、更には思慮深くなる必要があるのではないだろうか。

 私たちが、いま最も知らなければならない重要な情報は、「Jリーグでは、どのチームが勝ったか」とか「プロ野球はどのチームが今年は優勝するか」とか「芸能人では、今噂されている誰と誰が結婚するか」などではなく、食生活を基盤とした現実問題を見詰め、「明日の私たちの命が、どのようの運ばれるか」と言う運命と、日常生活に則した真の情報を知らなければならないのである。

 私たちの日常生活と直接的・間接的に関係を持つ、健全な日常生活を送ろうとするならば、まず、日本の「政治家選び」から行わなければならない。この判断基準になるのが、次の事柄である。また、こうした人は要注意であり、私たちの食卓を狂わす張本人だと警戒する必要がある。
 国際貢献を強調する人、国連
(国連の正体は、第二次大戦当時、日・独・伊を敵に廻して戦った、米・英・仏・中・オランダなどの対日経済制裁を加えた「国際連合軍」つまり「United Nations」だ)の決議に従うべきだと力説する人、コメの自由化を煽る人、環境問題をエサに環境保護を強く訴える人、中央集権や官僚制を強調する人……などである。私たち日本人は、「食」を基本においた真相を、もっと知らなければならない。

 しかし、こう言う人が居るかも知れない。
 「そんな真相など、知らなくても人生は全う出来るのではないか」と。


 それは、確かに人生は全う出来るかも知れない。しかし真相を知らずに、人生を全うする事は、私たちの子孫にも暗い翳(かげ)りを投げかけ、同時に未来を失う事になるのだ。

 「いま世界で何が起っているか」それを私たちは知る必要がある。または「これから未来に何が起ろうとしているのか」その、真の姿を見詰めて行かなければならない。
 これこそが、美しい日本の国土と自然を、愛すべき子孫の未来に対し、確実に手渡す方法だと信じているからである。




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