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| ▲西郷派大東流の足運びは、“能”の足運びと酷似する。足運びとは「足遣い」のことであり、足遣いは事に応じて、大小遅速があるが、その何れも「歩むが如し」を旨とする。(有馬能楽堂の能舞台より) |
●摺り足の秘儀
剣術における足遣いは、敵に対峙した時の足の運び方を云う。この場合の足の運びは、心持ち爪先を浮かし、踵(きびす)を強く踏むことを旨とする。
また剣の足遣いには、大小遅速があるが、何れも「歩むが如し」の感覚で遣うのが肝心である。この場合、飛ぶように速い足遣いや、浮き上がった足遣いは禁物である。
足遣いは「歩むが如し」の自然体であることが肝心であり、その理由は、剣術と言うものが、剣を握る腕よりも、足の方が大いに疲れるからである。足は、間合を取る為に間断なく動かしていなければならない。足を動かすものは敵との間合であり、間合によって進退が決定されるからである。
一方、腕の方は、それが伸びたからと云って、その範囲は制限がある。幾ら伸びても、間合があれば敵へは届かない。したがって、それを補うのが「足」ということになる。腕の伸びる範囲を補うのが足であり、足の進退には上限がないことは容易に分かるであろう。
しかし、足は全身を支えて、自在に動かさねばならないので、「疲れる」という現象が起こる。この「疲れ」を補う為に、一番自然なのは、「歩むが如し」の動かし方である。つまり、「普段の歩き」がそのまま、敵との対峙(たいじ)に用いられるのである。
この場合に、敵に仕掛ける為に飛び上がったり、敵の変化を誘う為に足を浮かしてはならない。また、足遣いが固くなり、踏み付けるような動きになっては、敵に隙(すき)を与えることになる。
こうした隙が起こった場合、喩(たと)えば、自分の方から飛びかかった途端に“胴”を打たれたり、足を浮かした瞬間にその拍子を図られて、“籠手(こて)”を取られたり、更には、足を固く踏み締めた途端に“面”を打たれたりするのである。また、自らの隙を敵の攻撃に対して、「躱(かわ)す」ということが難しくなり、これは足の動かし方が、普段とは異なってしまうからである。
自然体による普段の足遣いは「歩むが如し」が肝心であり、この理(ことわり)を外してはならない。普段の足運びは、原則として緩急自在であることが大事である。この足運びこそ、最も安全であり、平常心が保てるものである。むしろ、せわしなく飛び跳ねたりするのはマイナス効果であり、これが一方で隙に繋(つな)がるのである。
昨今は、理由もなく、ぴょんぴょん飛び跳ねる格技が流行しているが、こうした格技では、刃物を持った敵と対峙した時、致命的な攻撃を受けるであろう。
ステップと称し、飛び跳ねる足遣いは、その拍子を測られ易く、拍子に合わせて斬り込まれれば、防ぐ手立てがないからである。この手の格闘家が、夜の巷(ちまた)で名も無い少年にナイフで刺されたりするのは、実は「跳ね足」が災いしているのである。
一方、平常心を保ち、無駄な飛び跳ねも慎めば、敵の隙に乗ずる余裕が出て来るのである。
これは所謂(いわゆる)「足が地に着いている」という心の正安定であり、この状態に到達すると、前後左右にも、また、緩急自在においても、その移動がスムーズに行われ、最も有効な足遣いとなる。
更に足の動きには、陰陽がある。したがって、「陰陽の理」を厳守し、決して片足だけを動かさぬことである。片足だけを動かしていると云うことは、残されたもう一方の足を動かしてないことになる。したがって、こうした足遣いになってしまうと、偏ってしまい、太刀を握って斬り結ぶ腕も偏頗(へんぱ)になる。偏頗は隙を招き、敵への攻撃力も弱まる。
則(すなわ)ち足には、陰陽があると云うことである。陰陽は、敵に向かって場を確保する時も、進撃する時も、退却する時も、斬り付ける時も、敵の刃を受け止める時も、あるいはそれを躱す時も、常に陰陽が働いているのである。この陰陽が、左右の何(いず)れが有利か、進退の何れが有利か、それを決定するのである。したがって、陰陽は交互に訪れると言うのが剣技の理であり、交互に入れ変わることを学ばなければならない。また、これは自分の体勢を崩さない為にも大事な事柄である。
その為、片足だけで敵に向かって踏み込むと、まず、躰(からだ)が伸びてしまう。躰が伸びれば、不安定になり、同時に隙を作ることになる。また、片足だけで退こうとすれば、体勢が狂い、その隙に敵から斬り込まれる。足運びは片足だけでなく左右を動かして、陰陽の理を厳守する必要がある。
柳生但馬守宗矩が著わした『柳生武芸帖』には次なる教えがある。
「神通力とか、神変自在とかいうものは、格別、天空から鬼神が舞い降りて、奇蹟を起こすのではない。自由自在な足の動きを云うのである」
これは様々な太刀構えや、策略と雖(いえど)も、足が動かぬのでは大用をなさない。種々の武器を用い、あるいは飛び込んだり、飛び退ったり、敵の剣を奪ったり、敵を蹴り斃(たお)すなどは、足の自由自在がなければならない。これを「大用」というのである。大用とは、全能力を出しきることを云い、自己の持つ能力の発揮である。平素の訓練が、そのまま真剣勝負に移行させたものであって、特別な状態を云うのではないと教える。
●大東流剣術と居掛之術
殿中剣法の剣操法は「居掛之術(いかけ‐の‐じゅつ)」を以て、敵の動きを制する操法である。殊(とく)に殿中に於ける居合は抜刀して戦う事を目的とせず、己の刀が鞘(さや)の裡にある意念を以て、斬り合いをする事なく、勝ちを納める技術である。
さて、二刀剣によって左右の手を自在に使い熟すようになると、再び一刀剣に戻り、宮本武蔵が指摘したように「左手さして心なし」あるいは「両手に太刀を構ゆること実の道にあらず」という一刀剣の極意に戻ってくる。
合気二刀剣は左右の太刀を自在に操る術であるが、しかし、この場合に中心となるのはあくまでも自己の利(き)き腕である。仮にその人の利き腕は右手であるとしよう。その右手こそが主要な働きをする大太刀の握り手であり、よく鍛練した左手をそれに添えれば、その威力は絶大なものになる。即ち右手が利き腕である人が、左手も同様に鍛練すれば右手を負傷しても左手だけで、対敵応戦が出来る訳で、二刀剣はあくまで実戦に用いる為に稽古するものではない。
戦場に挑む時、二刀を以て敵の甲冑を片手だけで打ち据えたり、貫く事は容易ではない。また騎乗した場合、片方の手で馬の手綱を取らなければならない関係上、利き腕に大太刀を握り、反対側の手で手綱を取る事になる。更に時代と共に戦法が変わり、弓矢が鉄砲に変わって主力を占めると、その戦い方や甲冑(かっ‐ちゅう)の作りが古い時代のものに比べて簡素化され、布陣の配置体形すら変わってしまった。
また、武士階級がただ戦場で勝つ事のみを目的として鍛練された技術が、江戸期に入ると、儒教的あるいは仏教的倫理観が深まるり、それに付随する心が重要視される事になる。即ち心の如何で敵を制したり、心の隙(すき)を窺(うかが)って、敵の刃を抜かせずに済むというような霊的次元を持った技術が、古神道や密教の行法を取り入れて編み出された。
ここで紹介する殿中剣の「居掛之術(いかけ‐の‐じゅつ)」も、その心の動きを巧みに取られた、二刀剣から発した片手打ちの技術である。片手の抜刀のみで敵を制する高級技法である。
居掛之術は殿中居合の独特の剣操法であり、己の鞘の裡(うち)の剣を静向法(せいこう‐ほう)の起姿で抑え、敵の動きを封じる半身半立ちの構えである。室内での抜刀は、その剣の裡(うち)に自らの小宇宙を作り上げ、小さな動きで敵を制する。
居掛けの術には「静」の鞘(さや)の裡に秘めた敵への精神的威圧と、「動」の鞘から抜いた物理的な威圧がある。何れも敵に居掛けて動きを封じる殿中居合独特の高級技法であるが、この根底には武士道の「日々を死を以て生きる」という死の哲学が流れている。
現代は生の哲学に代表され、兎(と)に角(かく)生き存(ながら)える事が人生の基本となっている。病気を虞(おそ)れ、只管(ひたすら)家内安全を願って、不確実な明日に向かっての、死を忌み嫌う事が前提となっているようである。従ってそこには行動の新鮮さが失われ、時間という時の流れが人間を従順にさせ、その輝きまでを曇らせている。
武術家は言葉を換えれば行動家であり、行動家は死を虞れ、死を避けた場合に最大の不幸が起こる。もし行動家に最大の不幸が起こるとするならば、死ぬべき時機(とき)に死ななかった時機ではあるまいか。そこには今まで一点の曇りもなかった行動哲学が、醜く輝きを失い、汚点が添加されて、生のみに固執する哀れな自己を晒け出す結果となるのである。
現代の社会風潮は美しく生き、美しく死のうとして、実は醜い死を選択し、同時に鮮明なまでの輝きと美しさを失い、結果的に醜く生き、醜く死ぬという最悪な結末を選択する事が多い。人間の生存本能は、生きるか死ぬかを選択する、ぎりぎりの境地に追い込まれた場合、生きる事に執着を見せるのは当然の事である。
しかしこれは死を忌み嫌い、怖れる結果が招いたもので、時代が太平であればある程、生き延びることに執着を見せる。戦後民主主義は、生き延びる事を前提とした社会構造がとられている。したがって、人間の「ずるさ」だけが表面化し、それは西洋の処世術に代表される、現代風の小利口な生き態(ざま)になってしまう
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元々武人の行動原理は、「日々を死を以て」あるいは「死を充(あ)てて」生きる、爽やかさが備わっていた。武人が大事に当たり、死を虞(おそ)れ、死を回避した場合は、最早そこには武人の姿はなく、単に口先だけで平和主義を豪語する哀れな弁論家に成り下がってしまう。ここに現代の精神的動脈硬化で苦しむ哀れな現実が存在するのだ。
従ってこれらの人間が死に至った場合、惚(ぼ)け老人に見られるように、病院の固いベットの上で死を向かえ、直ぐに処分されて骨壷に収まるような、精神性のない小さな死を向かえなければならなくなる。
●刹那の迷い
さて、居掛之術であるが、居掛けは精神的行動原理が死を超越した場合にはじめて行える技法である。この技法は剣道型のような、単に約束事で決められた「形」の領域のものではない。その精神性の内側には常に死を心に充(あ)てるという崇高(すうこう)な精神が流れている。
人間が今日死ぬと思って行動を起こす時機(とき)、その行動は急に生き生きとした輝きを放つように、その動きすら、一部の隙(すき)のない「決断」を示すのではなかろうか。
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| ▲西郷派の秘剣・睾丸斬揚之術。この剣技は、まず抜打態(ぬきうち‐ざま)に吾(わ)が剣の柄頭(つか‐がしら)を敵の顔面に打ち込み、当身合気で、敵が怯(ひる)んだ刹那(せつな)、一気に股間に吾が剣を差し入れて跳ね上げ、睾丸や肛門を含み、骨盤までを切り上げる凄(すさ)まじい儀法(ぎほう)である。 |
決断はその根底に死の哲学の根本原理が流れていなければならない。そして人が決断をした時機、そこには死の選択と同時に本当の自由が訪れるのである。死を虞れ、死を回避する消極的な行動原理は、結局、醜さと輝きを失って、無慙(むざん)な「犬死」を招く結果となってしまう。そこに残るものは敗北であり、「虞(おそ)れるもの」から只管(ひたすら)逃げようと格闘した醜さだけが、後味悪く残るだけである。
敵を斬らず、敵に斬らせない境地を自らの心の裡(うち)につくる事こそ、居掛けの術の極意なのである。
武術に迷いは禁物である迷いは、即、自らの敗北に繋(つな)がる。殊(とく)に、実戦に於ては大切な掟のなる。実戦は非情なものであり、そこに迷いや躊躇いが起こると、その儘(まま)、自分の命取りへと繁栄されてしまう。殊(とく)に、型通りにはいかないものである。
安易な修練しかした事のない者は常に大きな落し穴を抱えている。非情の事態に即応できる心を持ち合わせていないのである。これは即、自らの敗北を意味するのだ。
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▲時間差を刹那の巧に用いた跳ね上げの術
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▲撥ね上げから相打ちに流す術
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時間というものは恐ろしいものである。何故ならば、時間は人の心に「分別」を与えるからである。分別が起これば、最早それは新鮮なものでなく、色褪(いろあ)せた、不透明なものになってしまう。そこで決断が鈍り、自らの行動は覇気(はき)のないものになってしまう。行動家が、行動する事を失った場合、そこに残るものは「敗北」の二字しか残らない。これはまさに悲劇というしかないであろう。殊に、試斬りに於て居掛けの斬刀を行う場合、これは極めて貴重な教訓となる。
斬刀術は、考え込んだり、迷ったり、躊躇(ためら)ったりすると中途半端になって斬り据える事が出来ない。あくまで無分別に、一切の心の柵(しがらみ)を打ち捨てて切り込まねばならない。鮮明な、残像だけを心に描いて斬り据(す)えるのである。此の世の現象は、心に描いたものが必ず実現されるという、心像化現象で、全てが成り立っているのである。
迷いは禁物であると言う。しかし、迷いの多いのが人生であり、人は迷いにより、優柔不断に陥れられ、自らを失ってしまう。更に迷いは、時間を空費させ、空費から、一向に冴えない剣儀が生まれる。その為に奥儀が見えなくなり、目先の勝負に拘(こだわ)り、墓穴を掘る事になる。
居掛之術(いかけ‐の‐じゅつ)の境地から刀を説明すると、尖先(きっさき)五寸迄を「過去」、鐔元(つば‐もと)五寸を「未来」、刀身の半ば凡(おおよ)そ一尺三寸程を「現在」と教える。
吾(わ)が「過去」で、敵の「現在」に近寄り、その瞬間に「未来」を超して。敵に居掛けると説くのである。尖先五寸を飛び越して、二歩踏み込んで七寸とし、これは「現在」に纔(わずか)二寸しか交わってはいない事になる。つまり躊躇(ちゅうちょ)する事なく、現在から未来に向かって、「居掛けねばならぬ」としているのである。
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