陽明学・生きる為の人生哲学
人生は空虚なるもの、無為なるものと感じさせることがある。
人生において、絶望、貧困、理不尽などは人間の生きる上で、たびたび“計算違い”という不意打ちで、これまでこうした事とは無縁の人が、その呪縛によって雁字搦めにされることがある。
そしてその呪縛において、意識と行動をもって、それに人間に反応せざるを得ない現代人。
現代人こそ、不意打ちに起こった場合の、あるいは予期せぬ窮乏に見舞われたときの準備が充分になされていなければならないのである。
『陽明学』はこうしたときの“行動の哲学”である。 |


●知の行動学
陽明学とは、なんぞや?!
こう問うと、多くは危険思想とか、過激とか、怪し気(げ)な光芒(こうぼう)を放つ如何わしいものだ、と答えるようだ。
それは古くは“大塩平八郎の乱”を彷佛(ほうふつ)とさせ、あるいは近年では“三島由紀夫事件”を彷佛とさせて、陽明学所縁(ゆかり)の人達の悲劇を連想させるからだ。そしてこれらの先達たちは、その背後に死が想起していたと思われている。
また、陽明学の祖・王陽明(おう‐ようめい/明の大儒・政治家。陽明は中国南東部の長江下流の浙江(せっこう)余姚(よちょう)の人で、初め心即理、後に致良知の説を唱えた。朱子学が明代には形骸化したのを批判しつつ、明代の社会的現実に即応する理を打ち立てた。世にこれを陽明学または王学と称する。著書に『伝習録』『王文成公全書』などがある。1472〜1528)が優れた戦略家であり、その行動の至るところに陽明学の実践としての学問の原点が此処にあるといってもよい。
これを明確に表わすのが、次の言葉である。
「数町歩の水源のない池の水となるよりは、わずか数尺にすぎなくても、滾々(こんこん)と湧(わ)き出て尽きない井戸の水になったほうがましである」
これこそ、王陽明が訴えたかった「行動第一の実践学」であり、そこには“主観の燃焼”と“精神の躍動”を感じるのである。
この両者が欠けていれば、人生は何を遣ってもうまく行かないだろう。また、“見通し”や“展望”も開けないであろう。
そして陽明学は、理想論でもないし、危険思想でもない。ただ人間の「知」の世界における、「知」の原点において、それは行動と結びつかなければ何にもならないと訴えているのである。
確かに陽明学は“行動の哲学”であり、吉田松蔭にしても、止(や)み難い行動をもって、志向が内包されていて、それが無謀な発露から出発したと思われている。しかし、行動に至る経緯を検証するならば、その総てに無謀は暴発とは程遠い、陽明学の持つ「知行合一が表裏一体の関係のなって、「知ることは行う事である」という“実践学”が根底に流れて居たことが分かる。
それは「危機の時代」の思想である。世の中が乱れ、人倫が乱れ、モラルが低下し、渾沌(こんとん)とした時に、陽明学は浮上する。そうした危機の時代の思想が、まさに“陽明学”なのである。
陽明学は明の時代の起った“東洋哲学”である。そして思想家・王陽明は、南宋の宋学の大成者・朱熹(しゅ‐き)が、北宋以来の理気世界観に基づいて大成した儒学の体系の朱子学に対する批判の中から起った学問であると言う事である。
宋代に完成された朱子学は、訓詁註釈に墜していた従来の儒学の面を一新し、宇宙を、存在としての気と、存在根拠・法則としての理と、二元論的に捉えら学問である。この学問は、人間においては前者が“気質の性”と、後者が“本然の性”となり、本然の性に「理」がそなわるとして、性即理の命題をうち立てた。
また、この「理」の自己実現を課題とした。
その方法として、「格物致知」「居敬窮理」「主敬静坐」など挙げたのである。更に、その理として、規範や名分を重視するところから、以後、明代・清代を通じて、封建的身分制的秩序イデオロギーとして、体制教学化され、李氏朝鮮や江戸時代の日本もその面から導入された。それは体制側にとって非常に都合がよかった為である。
しかし王陽明は、いかなる思想も、時を経て形骸化することが免れないとしたのである。新しい息吹を吹き込んだと思える朱子学も、もとは儒学が基盤であり、それはやがて時が経つにつれ、形式主義の陥る。思想としては活力のないものになる。
これに逸早く目を付けたのが王陽明であり、形骸化された学問では用を為(な)さないとしたのである。王陽明は、形骸化した朱子学を徹底的に批判する事で、陽明学を登場させている。
本質的には、朱子学も陽明学も、もとは儒学から出発した学問であり、その過程には孔子の教えや、孟子の教えが継承されている。その限りでは、共通の基盤に立っている。
ところが、両者には大きな違いがあるのである。
つまり陽明学の特徴は、既に述べた通り、“主観の燃焼”と“精神の躍動”であり、此処には実践第一主義が横たわっている。「実践」こそ、行動哲学の要なのである。知識だけで、実践の伴わない学問は、単に「教科書の上の知識」であり、仮に、教科書の「何ページに何が書かれているか」を知っていても、それは本当の知っている事にはならない。「知っている」とは、知っている事を実践して、はじめて「知っている」ことになるのである。丸暗記では何もならないのだる。
「知」は教科書の丸暗記ではない。行動が伴って、「知」が生きてくる。これを「知行合一」というのである。
陽明学と朱子学の違いは、『大学』にある「格物致知(かくぶつ‐ちち)」を巡っての解釈の相違である。
朱子学では、「格物致知」は後天的知を拡充(致知)して自己とあらゆる事物に内在する個別の理を窮め、究極的に宇宙普遍の理に達する(格物)ことを目指す。
一方、陽明学では、先天的道徳知としての自己の良知を十分に発揮(致良知)し、それによって物事に正しく処する(格物)ことを目指す。そして陽明学の特徴とするところは、「知行合一説」である。
「知行合一説」では、朱熹の先知後行説が「致知」の「知」を経験的知識とし、広く知を致して事物の理を究めてこそ、これを実践しうるとしたのに対して、王陽明は「致知」の「知」を「良知」であるとし、知は行のもとであり、行は知の発現であるとし、知と行とを同時一源のものと捉えたのである。
次に朱子学では、「性即理」を唱え、事々物々(【註】あらゆる事物や現象)のあらゆるものには「理」という“天理”があると認め、その理を極める事が「格物致知」としたのである。
これに対し陽明学では、「心即理」とし、自らの心の良知こそが、本当の「理」であるとしたのである。
この「理」に対して、陽明学は次のように言う。
「格物致知(かくぶつ‐ちち)とは、わが心の良知を事々物々に致すことである。わが心の良知を事々物々に致せば、事々物々みな理を得る。わが心の良知を致すのが“致知”であり、事々物々みなその理を得るのが“格物”である」と。
これは人間の内なる良知に絶対の権威を認め、「致知」とは万物の理を極める事ではなく、それぞれの持っている「良知」を充分に発出せる事としたのである。それは朱子学が、いたずらに「主知主義」に傾倒するのに対し、陽明学では、まず「主体性を重視する」という、“わが心の良知”の実践であった。つまり、これが「致良知(ち‐りょうち)」なのである。
端的に言えば、「良知を致す」ことである。
●致良知
良知とは、もと孟子から出た語で、先天的な道徳知をいい、王陽明はこれを借りて、心即理説を「致良知説」へと展開した。良知は心の本体としての理の発出であり、この良知を物事の上に正しく発揮することによって、道理が実践的に成立するとする。
儒学の目指すところは、「修己治人」である。目指す目標は、社会有用の人間たるべく自分を鍛え上げると言う点にある。これは指導的立場にある人ほど重要で、この立場の人は「修己」が望まれる。己を修めることだ。
この点は、陽明学喪主理学も、何ら異なる点はない。しかし、その方法論は大きく異なる。
学問並び修行と言う立場で、論ずれば朱子学は「居敬(けいきょく)窮理(きゅうり)」を主張している。
朱子学で言いう「居敬」とは、宋の程頤(ていい)の説で、常に一を主として他にゆくことなく、敬(つつし)みを以て徳性を涵養することをいい、心を集中専一の状態に保つことで、「窮理」とは、格物を「物の理に窮め至ること」としたことから、理を窮(きわ)める事を言う。また、宋学は窮理の学と称されるに至った。
朱子学曰(いわ)く、「居敬」によって人間と仕手の道徳性を高め、「窮理」をもって幅広い知識を身につける事を言う。そして、程朱学(【註】程頤と朱熹の学説で、宋学の別称)の「窮理」と相対する。
一方陽明学では、自らの内なる「良知」を発現することが「修己」の目標となるが、その為の方法論としては、先ず第一に「省察克治(せいさつ‐こくち)」であり、その第二が「事上磨錬(じじょう‐まれん)」である。
「省察克治」とは、自分自身を省みて考えめぐらし、己に勝ってそれを治める事を言う。
王陽明によれば、人間は誰でも、「良知」と言う素晴らしい心を持って居ると言う。しかし、素晴らしい心を持っていても、それは様々な人間の思惑から起る欲で、その心は妨げられ、「良知」を発出できない。そしてこれを妨げる「人の欲」を一つ一つ点検し、取り除いて、努力の結果、克治する行動を「省察克治」というのである。
また、「事上磨錬」とは、実際の事に当って精神を錬磨することをいう。毎日の日常生活の中で、自分の仕事や行動を通して、自分を鍛える事をいう。この「鍛える」という行為が、「修己」には大事だというのである。
これは現世の修羅場の世界を想像すれば分り易いであろう。
人生の修羅場では、教科書に掛れた百の知識、千の知識よりは、実践を通して身に付けた体験や経験がものを言う。これが、つまり「知恵」である。実践の中で身に付けた知恵は、遥かに知識を凌駕(りょうが)するものである。
これを得る為に「事上磨錬」を待つ以外ないと言うのである。したがって、「事上磨錬」を重要視するのも陽明学の特徴である。知識より、知恵を第一番目においているのも陽明学の特徴であり、その裏付けとして、「知行合一」が説かれている。知って居る事と、行える事は「同じ事」を意味しているのである。此処に実践学の「行動」がある。行う事の出来ない知識は知識であって、実践に行う事の出来る行動こそ、「知」と位置付けているのである。
つまり「良知」も、そこから発露されると言うのである。
●志と勇気
人の志(こころざし)は「人格」と「品格」の有無で決定される。品格は志の別名であり、志を胸に秘めている者は、気高(けだか)い品位を持っている。また、その人に備わった人格は、徳的行為の主体とした自律的意志を有し、自己決定をくだす上で、その人の「人品」と「態度」を顕わすのもである。こうした人品を、「品位」ともいう。
その品位は、人に自然に備わっている人格的価値であり、「気品」とも云われる。気品とは、「けだかい品位」であり、目的意識としての将来の「見通し」を明確にし、人が何を考え、何を求めて求道(ぐどう)の道を進んでいるのか、その心の向う方向性を自(おの)ずと示してくれるものである。
さて、尚武(しょうぶ)を語り、武勇について論じていると、何やら猛々(たけだけ)しい、強(こわ)持ての、近寄り難い人物のように誤解され易いが、これは大きな誤りである。
本当の志を裡(うち)に秘めている者は、威張(いばっ)り腐ったり、頭ごなしに他人を軽く扱ったり、目下を罵倒(ばとう)するような、下す暴言は吐かないものである。
志は、別名、「親切心」の標榜(ひょうぼう)である。また「厚意」の現れである。そして「慈愛」という、愛情も兼ね備えている。したがって、鄙劣(ひれつ/品性・行為などの、いやしく下劣なこと)な態度には出ないものである。
「親切」の言葉からも窺(うかが)えるように、物言いは「優しさ」がある。しかし、物言いが優しいからと云って、その人が軟弱であるという事ではない。
それは逆である。軟弱な人間程、「空りきみ」があり、威(い)を張って見せるものである。
巷間(こうかん)で、「弱い犬程、よく吠える」と言う。まさにこの言は的中である。弱い犬程、よく吠え、相手が年下とか、弱いと見抜けば、とことん吠え捲(まく)り、更に、バックに何者かが控えていると、「虎の威を藉(か)る狐」を決め込む。つまり、このタイプの人間は、自分以外の他人を、色眼鏡で軽く視(み)ると言う事だ。
個人でも、悪意のある眼で視ると、何もかもが悪いように映ってしまう。
世間では、大人しい控え目な人間を女々しいと言う。また、朴訥(ぼくとつ)な人間を田舎ッ平と愚弄(ぐろう)する。
しかし、目標を掲げ、大旆(たいはい)を掲げ、心の目指すところのある者は、こうした愚行は侵す事がない。
さて、酷薄(こくはく)な印象を与える人間は、古来より、君徳(首長の徳)の欠ける者として決して高い評価は下されなかった。
温情味がなく、人生の機微(きび)に疎(うと)い者は、評価が低かったのである。何故ならば、明治維新前、武人と言うのは、当時の知識層であり、その見識の中には、深い思慮と、人間理解の徳育の成果が備わっていた。これは武人が「武をもって全人格を代表していた」からである。
西郷隆盛は当時、武人の典型のような人物として、深い尊敬を受けていたが、この尊敬は、彼が猛々しい、武張った人物では、決してなかったからだ。
時代小説や時代劇では、作者が勝手に作り上げた武張った武士が登場するが、武士も上・中・下のランクがあり、日本陽明学の祖・中江藤樹(なかえとうじゅ/江戸初期の儒学者で日本の陽明学派の祖)が、上のランクを付けた武士は、猛々しい武張った武士ではなかった。
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▲ 中江藤樹の図
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▲ 中江藤樹像
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中江藤樹が示した「武士とは」を題して書かれた『翁問答』には、かつての自分が仕(つか)えた大洲藩(おおずはん/媛県西部、大洲盆地にある現在の大洲市で、もと加藤氏六万石の城下町である。中江藤樹の旧宅があり、藤樹は大洲藩の藩士であった)の同士の為に、士道について述べられている。
この書の筆には、一種独特に気魄(きはく)があり、叙情的に情熱が籠(こも)り、時に、それ程もでにと思わせる迫力がある。
中江藤樹は、脱藩をして、一旦は武士を捨てた筈(はず)であったが、武士に期待を繋(つな)いでおり、士道を明らかにする事によって、その使命感を明白にしている。
【註】「士道」と「武士道」は、根本的に異なるので注意。士道は、武士の発祥とともに鎌倉時代から、武士階層に発達した道徳であるのに対し、武士道は江戸中期頃に起った、儒教思想に裏づけられて大成、封建支配体制の観念的支柱をなした倫理観が母体となっている。その多くは『葉隠』などに見る事が出来る。つまり、後者は、仏教の「無分別智」に類する所があり、無分別をもって、その道義に回帰されるとしている。両者は一見似ているようで、根本的には異なる。
さて、『翁問答』では、まず武士を「士」として捉えている。
藤樹の言う「士」とは、天子・諸侯・卿大夫(けいたいふ)・士・庶民の五等の身分のうち、卿大夫を助けて、様々な役職に就(つ)き、政治上の実務を担当する人物を指すのである。この人物は、「道」の実現の為に、渾身没頭して、その開発事業の一翼を担う身分の士を指すのである。
したがって、士道とは、明徳を明らかにし、仁義を踏まえて、天下の泰平の為に尽くす人格を備えていなければならないと説いたのである。
当時の言う「武士」とは、そのような身分と、身分相応の職分にあって、然(しか)も文武の統一に心掛けねばならないとしたのである。
世間では、気立てが優しく、起居振る舞いが優美な者を「文人」といい、猛々しく、荒々しい者を「武人」と云っているが、それは大変な考え違いであると指摘した。
「文」とは、天下国家をよく治め、人間関係を正し、この機能を正常化させる仕組みを言う。また、「武」とは、悪逆秘道の者が、「文」の道を妨げ、こうした者に対し、懲罰を下したり、成敗する者を「武」としたのである。
即ち、「武」とは、天下国家の秩序を回復する役割を担う者を「武人」と定義したのである。
文の道を実現する為に武道(【註】武道と言うのは、今日で言う武道とは異なる。武士の厳守すべき道を言う)があるとしたのが、中江藤樹だった。武道の根拠は、武を擁護(ようご)し、それを守る事であった。文なくして、武道はないとしたのである。
しかし、文道も、武道も、威力と実力によって実現が維持される限り、文道の根拠はあくまでも武道であった。
即ち、中江藤樹の考える文武両道は、総じて「一徳」であり、武なき文は、真実の武ではなく、文なき武は真実の武ではなかった。両者は、両輪の輪の如き役目を果たして、文武両道と言い、かくして、文は「仁道」の異名であり、武は「義道」の異名であった。
藤樹の説いた文武両道の、目指すところは、士道は「文武の道」であり、仁義の道であって、これまで考えられて来た、武張った武辺(ぶへん)の武道ではなく、儒教の説く、「君子の道」なのであった。
したがって武士は、人倫の道の担い手として、農工商の三民の模範とならなければならないとしたのである。
しかし、現実は中々そうはいかなかった。理想のようには行かないものである。 現実を見回すと、武士には上、中、下の区別される要素が歴然として横たわっていた。同じ武士にも格差があり、ランクがあったのである。
このランクは、家柄や身分を指すものではない。精神面での思考や心の在(あ)り方で、武士は三つランクに区別されていると観(み)たのである。
上の武士は、明徳が明らかであり、名利私欲に趨(はし)らず、仁義を行う勇気があって、文武を兼ね備えているものであると定義した。
中の武士は、明徳が充分ではないが、私利私欲に迷わず、自分の名誉や同僚等への義理を命賭けで厳守する者であった。
下の武士は、上辺は義理を大事にするように見せ掛け、“仁”にも厚いように思わせ、しかしそれでいて、心の裡側では私利私欲が逞しく、立身出世を狙っている者であるとしたのである。
武士の上、中、下の品定めをする要点は、“徳”と“才能”と“功”であり、これが文武と一致しているかを観たのである。
武士にとって徳分は、“文武合一”の明徳である。また、才能とは、天下国家の政治を運営する上で、「文武両面」に亘っての智慧(ちえ)や能力、技術や工夫であった。次に功は、国家を運営し、国難を打開して、国防を全うするなどの、国政上の実績であった。
この三つの、武士のランクを区別する物指しとして、適切に処遇する事が、また主君たる者の是非となったのである。
●酔生夢死
人間と言う生き物は、現象界で生きる“生き物”である。そして現象界で日々起っている現象を、「日常」という。この日常の中に人間の「日常生活動作(activities of daily living)」というものがあり、これは人が日常生活を送るための各人共通に繰り返すさまざまな基本的動作を指す。
人間はこの日常の動作の中で、特に仕事をする行動の中で、自分を磨いて行かなければならない生き物である。磨く事により、自分が確立し得るのである。
この「確立」においては、静時であろうと、動中であろうと、いつ如何なる事態においても、冷静に対処する事が大事である。
陽明学には、こうした人が手堅く生きる実学の側面を持ち、その中から溌溂たる情念を躍動(やくどう)させる「人間行動学」でもある。
現象界に生きる、人間の寿命は思ったほど長くない。人の一生は短いものである。五十路(いそじ)の折り返し点の声を聞くと、その時点で、いたでも年齢の意識を感じさせられる。況(ま)して、六十を過ぎ、七十に達すると、この事実はまさに顕著となる。特に肉体の衰えは、身につまされるものがあり、その思いは切実なものとなって、種々の故障や痛みが肉体を襲う。
「酔生夢死(すいせい‐むし)」という言葉がある。
この言葉は、何のなす所もなく、いたずらに一生を終ることの喩(たと)えを言う。人は、うっかりしてただ生きているだけでは、この言葉を地で行かなければならなくなる。したがって、人生を有意義に過ごすには、「意味のある人生」や「楽しみのある人生」を両立して生きる事が大事であろう。
人生は短い。だからほんやりして生きる事は、人生を台無しにしてしまう元凶となり易いのだ。
陽明学では、人生における有意義な意味だけでなく、楽しみすらも否定しない学問である。ここで言う「楽しみ」とは、“嗜(たしな)む”という意味であり、遊び呆(ほう)けて、生涯、楽に甘んじる生きることではない。人生を実践すると言う事の中に、楽しみを見い出し、見つけ出すのである。
陽明学は言う。人は誰でも素晴らしい潜在能力を持っていると。そしてその能力を生かしきる事こそ、人生の実践であると言うのだ。しかし、折角の能力も、磨く努力をしなければ、それを発揮することはできない。与えられた能力を、磨いてこそ、それは結実するのである。磨く努力が、また人間の人生に課せられた課題なのである。
現代という世の中は、肥大化した組織や氾濫する情報の中で、ややともするとそれに埋没してしまうような状況にある。その中に人間が埋没し、個人の役割が著しく矮小(わいしょう)化されている。個人が蔑ろにされ、極めて低く扱われ、小さく扱われる現実がある。
しかし一方で、こんな時代だからこそ、人間が生きる道としての“生き方”の示唆や、“死に態(ざま)”の大旆(たいはい)を掲げる根本原理が必要ではないのだろうか。
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