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戦場に散った乙女たち
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哀悼の念を込めて 5







小学一年生の「サイタ サイタ」の国語の教科書。昭和8年にはじめて色刷りの教科書が登場し、昭和16年の国民学校誕生まで使われた。しかし色刷りの教科書にもかかわらず、何か、その後の不吉さを感じさせる黄昏の暗示があった。

 昭和と言う時代の幕開けは、「暗い時代の幕開け」として象徴的だった。そして日本は、この時、明治以来の最大の危機に瀕(ひん)していた。
 華やかなる大正ロマンを満喫し、大正デモクラシーを謳歌した時代は、大正12年9月1日、午前11時58分に発生した、相模トラフ沿いの断層を震源とする関東大震災
(マグニチュード7.9。被害は、死者9万9千人、行方不明4万3千人、負傷者10万人を越え、被害世帯も69万に及び、京浜地帯は壊滅的打撃をうけた。また震災の混乱に際し、朝鮮人虐殺事件・亀戸事件・甘粕事件が発生)で、この時代を謳歌した自由人達に冷や水を浴びせかけた。

 この関東大地震を皮切りに、駒ケ岳大噴火、三陸大地震、室戸台風、北伊豆地震、函館大火災と続き、昭和9年には東北地方の大凶作によって、農村部全域は壊滅状態に陥った。また大凶作が全国に波及し、全国には至る所で欠食児童が溢れた。
極貧の農村

 人々は、木の皮や草の葉をかじり、食べられるものは総て食い尽くした。辛うじて飢えを凌いだ娘たちは、売られ、一方都市部でも、金融恐慌による大不況が失業者を増加させ、労働者のストライキや、右翼による政財界人の暗殺が相次いだ。

 血盟団事件、小林多喜二拷問虐殺、大本教不敬弾圧、5.15事件、鐘紡争議などが次々に起った。時の政府は力で弾圧する以外の手段を持たず、国家権力によって多くの血腥い惨劇を次々に巻き起こしていた。

 これまでアメリカは建国以来の、未曾有(みぞう)の経済的繁栄を謳歌(おうか)していた。しかし、この繁栄も1929年10月23日迄であった。
 そして、中産階級の経営していた会社や工場は次々と倒産し、一日にして街には失業者の波で溢れ、アメリカに始まったこの恐慌は、数年に亘
(わた)って世界全体に蔓延(まんえん)し、当時の資本主義経済を根底から揺るがし始めた。

 これはまさに、西ローマ帝国の滅亡
(476年)を彷彿(ほうふつ)とさせる暗黒時代の様相を呈した。当時、ローマは圧政が行われ、あるいは道徳や文化が衰える等の、暗い感じのする時代であった。そして歴史では、滅亡以降の、紀元1000年頃までのヨーロッパ中世前期を、「知的暗黒時代」と西洋史では呼んでいる。
 これはまさに、世界大恐慌の引き金となった「暗黒の木曜日」以降に、酷似する歴史的事実であった。

 1929年と言えば、日本では昭和4年のことであり、それ以前の大正12年9月に起こった関東大震災、及びそれを受けて提案された「震災手形損失補償公債法案」と「震災手形善後処理法案」が議会に提出され、更には、支払い不能になって焦げ付いた「手形処理問題」で悩む若槻礼次郎内閣の苦悩を浮き彫りにした時代である。

 そして世の中は、5・15事件
(海軍青年将校の指導したクーデター事件で、陸軍士官候補生・愛郷塾生らも参加、1932年5月15日首相官邸などを襲い、犬養毅首相を射殺、政党内閣制に終止符をうった)や2・26事件(1936年2月26日、陸軍の皇道派青年将校らが国家改造・統制派打倒を目指し、約千五百名の部隊を率いて首相官邸などを襲撃したクーデター事件)の軍閥(ぐんばつ)クーデターを経験しつつ、東条英機内閣の登場で日本は太平洋戦争突入へと、軍靴の足並みを揃えていくのである。

従軍看護婦を宣伝する陸軍恤兵部発行の『陣中倶楽部』(昭和14年)

 
まず、当時の「大本営」という組織体は、戦時下における天皇の軍の総司令部と言う事になっていましたが、中身は陸軍参謀本部が独走した形で作り上げた「大本営陸軍部」であり、また、これに対峙(たいじ)した、海軍軍令部が作り上げた「大本営海軍部」だったのである。要するに、戦時になれば「大本営」という看板を付け替えただけのものであった。

 旧大日本帝国憲法では、国家の主権者たる天皇の下
(もと)に、陸軍と海軍をが並立して存在していた。そして各々の軍の統帥は、天皇の大権として不可侵なものであったのである。
 しかし、天皇と雖
(いえど)も、各々の軍を勝手に動かす事は出来なかったのである。ここが立憲君主制度と、絶対君主制との違いであり、軍の統帥と言う大権は、各々が天皇に帰属している為、誰も外部から口出しする者が居(お)らず、軍を制御できなかったのである。天皇でさえ、軍の独走は制御できなかったのである。

 太平洋戦争当時、国民は愚か、国家意識までも不在であった。軍は、眼の前に起きた問題が発生した瞬間において、国家の戦略など、全くお構え無しに、自らの要請に基づいて、勝手に行動をしていたのである。日中戦争が泥沼化していく要因だった、1937年7月7日の盧溝橋
(ろこうきょう)事件以来、日本の全面的な中国侵略戦争が展開されます。中国は重慶(じゅけい)を遷都(せんと)して抗戦し、長期戦化し、1941年12月8日には太平洋戦争に発展していくのでる。

 アメリカの突き付けた最後通牒
(さいごつうちょう)は、完全に和平交渉の希(のぞ)みを断ち切り、日本海軍は真珠湾Pearl Harbor/ハワイ、オアフ島南岸のアメリカ海軍根拠地)に奇襲攻撃を敢行した。

日赤の従軍看護婦、いよいよ戦場へ。そして彼女らの多くは、再び生きて日本の土を踏めなかった。

 また、陸軍は「万歳」の声も高らかに、南方方面へ、あるいは中国大陸の奥地に侵入した。
 それは愚かにも「兵站部
(へいたんぶ)」を持たない進攻であった。南は広東Guangdong/中国南部の省)を目指し、また奥地の漢口Hankou/中国湖北省東部の都市)を目指しての愚かなる進撃であった。戦線は伸びきり、拡大され、点から点に移動する、まさに愚かしいまでの戦線拡大策を日本陸軍は選んだのである。
 そしてこれがまた、大日本帝国の「落日」のはじまりだった。
 またこれが、男女の性別を越えて、非戦闘員が兵士として、一億国民は火玉となって、戦争へと突き進んで行くのである。

 戦
争は悲惨なものである。
 特に敗戦国となった場合、その悲惨さは筆舌に尽くされないものがある。戦争が惨めなのは、そうした国家の敗戦で終結し、これまでの精神的肉体的価値観を、全て奪い取られた時に発生する。
 日本は先の大戦で、アメリカと中国ならびにア
ジア・太平洋諸島で干戈(かんか)を交えた。そして歴史的に見れば、朝鮮半島や中国大陸、それに東南アジア諸国と深い関わり合いを持っている。

 こうした歴史的経験から、日本はこれ等の地域を戦場として、兵站部
(へいたんぶ)意識の薄いまま戦闘に明け暮れ、悲劇の傷口を拡大していった。まさに泥沼の様相であり、表面的には「大東亜共栄圏構想」を掲げながらも、その実は、脅威と警戒感と不信感を与えたに過ぎなかった。

 例えば朝鮮半島においては、当時の植民地支配からくる不信感が渦巻き、それはやがて怨念に変わった。この怨念が今日もなお、反日感情の根底をなし、中国においては、満州国建国以来の憎悪と怨念が今日も消える事なく渦巻いている。中国戦争当時の脅威を引きずった反日感情は未だに消えることがない。また、東南アジアにおいても戦場になった、日本を憎悪する反日感情があり、それは自ずと、アメリカ人の反日感情のそれとは異なっている。

松竹歌劇団も慰問に駆り出されて戦場へ。水の江滝子華北慰問団。

 だからこそ日本は「大東亜共栄圏構想」を掲げながらも、結局、共栄圏構想の全アジアの民族解放はならず、戦争勃発の張本人として、反日感情を激化させ、そのことが更に日米戦を悲惨な戦争に追い込み、そして敗れ、戦後は一様に戦争を嫌悪する生理的風潮と、平和教育の中で自虐
(じぎゃく)的に、あるいは感情的に捉えるという点で、共通の戦争観で一致を見た。

 こうした風潮下で、竜造寺氏は「戦争とは何か」を自問し、その統制の要
(かなめ)となる国家各々の「軍服とは」「女性とは」というテーマを掲げ、平和と哀悼(あいとう)の念が、一枚一枚の絵の中に込められているように思う。だからこそ、同じ絵を見続けていても、いつまでも飽きさせない、一種独特の不思議な哀愁を観(かん)じるのである。

 竜造寺氏は謂
(い)う。
 「私の絵は鎮魂歌である。鎮魂歌であるからこそ、哀悼を忘れてはならず、その想いは今から約半世紀前に遡
(さかのぼ)る娘たちの姿だ。当時の娘たちは現代女性には珍しい、純情な恥じらいがあり、そして含羞(はにか)む乙女らしさがあった。あるいはポッと頬を染めるようなそんな女達が多くいた。そうした表皮の裡側(うだがわ)にある深層部を、軍服とともに描き出して見たいと考えたのが、そもそもの発端(ほったん)であった。そして、あれからもう数十年を経たが……本当に戦争は終ったのだろうか」と、こう回想する。

 戦時とは非常事態を指し、非日常的な現実が、突如、我が身を襲うことである。それなのに竜造寺氏は、半世紀前の娘たちにそれを回帰するようだ。それは明かに一種の哀愁であろう。

 そしてこの哀愁が、いつまで見続けても飽きさせない絵にしているのではあるまいか。それはまさに、あの時代の女性の中にしか見ることの出来ない、誰もが一生懸命だった時代の、不思議な軍服の絵の世界である。また、一枚の軍服の絵を通して、そこから漂って来るものは一種独特の、既に我々日本人が忘れてしまった、あの懐かしい郷愁である。
 だが、この郷愁は、その出処を探れば、「戦争」と言う悪夢であった。

 当時の日本の戦争指導層は、この悪夢のぷんぷん漂う、中身を「聖戦」という衣で覆い隠し、その戈先を正義に見せ掛けた。国際世論を躱し、巧妙に見せ掛けた。
 そして、これらの悪夢を一掃する手段として企てられたのが、満州国建
(日本が満州事変により、中国の東北三省および東部内蒙古(熱河省)をもって作りあげた傀儡(かいらい)国家。1932年、もと清の宣統帝(せんとうてい)であった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を執政として建国、1934年に溥儀が皇帝に即位。首都を新京(長春)に置く。1945年日本の敗戦に伴い消滅)であった。
 しかし、これは日本を国際社会から孤立させる悪夢の始まりだった。

 また、それより三年前の1929年10月24日、ニューヨーク市の中枢をなす、マンハッタン島
(Manhattan)にあるハドソン川の河口に位置したウォール街(Wall Street)の証券取引所では異変が起っていた。
 昨日の高騰
(こうとう)とは一変して、朝から「売り」が殺到し、午後の開始から株価の大暴落が起こった。世に言う「暗黒の木曜日」である。これが世界大恐慌(the world crisis) の引き金となるのである。




 第一弾『大戦末期の女子学徒兵たち』part1
(本掲載の作品を含む)

製作 綱武出版
様式CD−R 約2MB
 WinMac両対応
各種ブラウザにて閲覧
 Flash再生セット
 が必要です。

商品コードNo.GCD−001
全作品数20画(サンプル)
定価1,575円(税込)











前盒(ぜんごう)。前盒には実砲収納数が30発入で、実砲5発単位で6個収まった。 配給用軍要水筒(兵・下士官用)。飲料水などを入れて持ち歩けるようにした容器。



14年型の南部14年式拳銃の下士官配給用のフォルダー・ケース。 38式小銃の先端に91式小銃擲弾(てきだん)を装着したもの。擲弾器は手榴弾(てりゅうだん)を遠くへ射出する為に考案されたもの。



鉄帽(てつぼう)。弾丸・落下物などから頭部を保護する鉄製の鉄製の帽子。 脚絆きゃはん/ゲートル)。厚地の木綿・麻・ラシャ・革製で、脛(すね)を包む服装品。



14年型の南部14年式拳銃の下士官配給用のフォルダー・ケース。 92式重機関銃を(昭和七年に制定。重量55.3kg)800ccバイクに搭載し、サイドカーに乗車する兵員は膝撃ち姿勢で射撃を展開する。



本来は実砲盒であったが、大戦末期、陸軍女子看護隊員が携帯した小型の救急医療ケース。 後盒(こうごう)。実砲5発単位で12個が収まり、合計60発。側面には油缶(あぶらかん)が附随された。


 第二弾『大戦末期の女子学徒兵たち』part2(本掲載の作品を含む)
 商品コードNo.:GCD−002
 全作品数20画(サンプル)

発売予定日/平成18年11月発売予定

 定価1,575円(ご予約にて、ご注文承り中)





■■以降の発売予定作品■■

 第三弾『陸海軍総合編』part3(女性たちを描いた架空の軍隊)
 商品コードNo.:GCD−003
 全作品数47画
 定価発売予定3,675円

 第四弾『陸軍部隊編』part4(女性たちを描いた架空の軍隊)
 商品コードNo.:GCD−004
 全作品数48画
 定価発売予定3,675円

 第五弾『海軍部隊編』part5(女性たちを描いた架空の軍隊)
 商品コードNo.:GCDー005
 全作品数46画
 定価発売予定3,675円




CD-R『竜造寺丹羽 軍服の絵の世界』

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