●由紀子とのつき合いはじめ
由紀子と私は同(おな)い年である。
彼女が六月、私は八月の生まれである。九星気学(きゅうせいきがく)で言うならば星回りが七赤金星で、女から主導権と取られた男は、どうなるか。少なくとも幸福とは言えまい?何故なら、同じ年に生まれながら、彼女とは生まれの次元が違うのである。
ここで生まれの違いを定義づけるとするならば、差し当たり環境の違いであろう。双六(すごろく)のゲームで言うならば、スタート地点が違っているのである。
そして彼女は私の生涯の天敵であった。では、その天敵である証拠を八門遁甲(はちもんとんこう)の『命術』(めいじゅつ)から実際に証明してみよう。
ここに、「十干(じっかん)」の出し方と「八門」の出し方を上げているので、この表から読者はその割り出し方をご理解していただきたい。
【資料・表1】は十干の出し方である。また【資料・表2】は八門の出し方である。
ここに上げているのは十二支(じゅうにし)である。所謂、子(ね) ・丑(うし)・寅(とら)・卯(う) ・辰(たつ)・巳 (み)・午(うま)・未 (ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)である。
その生日支の十二支と生月支の十二支から八門を割り出すのである。
【資料・表3】は暦であり、例として、昭和23年生まれの暦をあげている。
ここに八門遁甲「先天の命術」割り出し方をあげてみた。
命術の先天の気割り出し式は、次の式から求めることができる。
私は昭和23年8月1日生まれである。
昭和23年は【資料・表3】から分かるように「戊子」の年であり、昭和23年の8月は同表から「庚・申」の月であり、その日の1日は、「戊・午」の日にあたる。
「十干」は、生まれ年の「戊」と、生まれ日の「戊」から【資料・表1】を参考に十干の割り出して、「癸儀(はつぎ)」と決まり、八門は、生まれ月の「申」と、生まれ日の「午」から【資料・表2】を参考に八門の割り出して、「驚門(きょうもん)」と決まる。即ち、昭和23年8月1日生まれの私の先天的な生まれ方は、「癸儀」と「驚門」の基本性格から、消極的で無気力な性格であり、それに加えて、臆病で小心者となる。
|
|
甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
|
|
甲
乙
丙
丁
戊
己
庚
辛
壬
癸
|
乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 甲
丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 甲 乙
丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙
戊 己 庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙 丁
己 庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙 丁 戊
庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙 丁 戊 己
辛 壬 癸 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚
壬 癸 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛
癸 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬
甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
|
|
|
|
|
|
|
景門
|
休門
|
生門
|
死門
|
開門
|
驚門
|
傷門
|
驚門
|
開門
|
生門
|
驚門
|
杜門
|
|
休門
|
景門
|
驚門
|
驚門
|
景門
|
開門
|
生門
|
死門
|
生門
|
開門
|
死門
|
驚門
|
|
生門
|
驚門
|
景門
|
杜門
|
驚門
|
死門
|
開門
|
驚門
|
死門
|
驚門
|
開門
|
休門
|
|
死門
|
驚門
|
杜門
|
景門
|
驚門
|
生門
|
生門
|
開門
|
驚門
|
傷門
|
休門
|
開門
|
|
開門
|
景門
|
驚門
|
驚門
|
死門
|
生門
|
生門
|
杜門
|
開門
|
休門
|
傷門
|
驚門
|
|
驚門
|
開門
|
死門
|
生門
|
生門
|
景門
|
杜門
|
生門
|
死門
|
開門
|
生門
|
傷門
|
|
傷門
|
生門
|
開門
|
生門
|
生門
|
杜門
|
死門
|
休門
|
驚門
|
驚門
|
開門
|
驚門
|
|
驚門
|
死門
|
驚門
|
開門
|
杜門
|
生門
|
休門
|
景門
|
生門
|
生門
|
死門
|
開門
|
|
開門
|
生門
|
死門
|
驚門
|
開門
|
死門
|
驚門
|
生門
|
景門
|
杜門
|
生門
|
生門
|
|
生門
|
開門
|
驚門
|
傷門
|
休門
|
開門
|
驚門
|
生門
|
杜門
|
死門
|
生門
|
生門
|
|
驚門
|
死門
|
開門
|
休門
|
傷門
|
生門
|
開門
|
死門
|
生門
|
生門
|
景門
|
驚門
|
|
杜門
|
驚門
|
休門
|
開門
|
驚門
|
傷門
|
驚門
|
開門
|
生門
|
生門
|
驚門
|
死門
|
|
|
昭和23年(1948)戊子
|
|
月
|
|
|
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
|
|
酉6日
卯5日
子5日
卯5日
亥5日
寅5日
未7日
子7日
丑8日
酉8日
亥7日
未7日
|
癸・丑
甲・子
乙・卯
丙・辰
丁・巳
戊・午
己・未
庚・申
辛・酉
壬・戌
癸・亥
甲・子
|
乙・酉
丙・辰
乙・酉
丙・辰
丙・戌
丁・巳
丁・亥
戊・午
己・丑
己・未
庚・寅
庚・申
|
|
|
甲尊
乙奇
丙奇
丁奇
戊儀
己儀
庚儀
辛儀
壬儀
癸儀
|
|
上品で気高い。
穏健でおとなしい。
強引で押しが強い。
知的で、知恵で勝負。
要領がよく交際上手。
人気があり異性にもてる。
決断力が強い。
精神面に重きを置く。
行動的で実行型。
消極的で無気力。 |
|
|
|
|
休門
生門
傷門
杜門
景門
死門
驚門
開門
|
|
落ち着きがあり、温和。
積極的。
冒険好きで無鉄砲。
陰日向があり嘘つき。
派手で表面的。
保守的。
臆病で消極的。
明朗で開放的。 |
|
|
|
▲十干先天命の基本性格の読み方
|
|
▲八門先天命の基本性格の読み方
|
私は、占いの類(たぐい)を信じる程、ヤワな人種ではないが、八門遁甲(はちもんとんこう)が下す命(めい/五術の命・卜・相・医・山の一つ)は別扱いであり、これは方(まさ)に的中といわなければならない。これは歴(れっき)とした兵法であるからだ。
したがって、先天的な生まれ方自体の基本性格は、余り良い生まれではないということが分かる。更に先天の気の生まれ方から起こる行運の基本暗示の割り出し方は、生まれ日が、「戊・午」で、昭和23年の年の行運は、「戊子」の年であり、「戊」の日と「戊」の年で、これは「癸儀(はつぎ)」であり、「子」の年と「午」の日で、「傷門(しょうもん)」と言う先天的な暗示に定められた行運を辿(たど)るわけである。即ち、生まれた年の行運の暗示は、死亡するか脆弱(ぜいじゃく)で非常に弱々しく、万一生き残ったとしても、病気などの健康上の障害を起こす暗示を持っていたことである。
一方、彼女の場合は、昭和23年6月15日生まれで、昭和23年は「戊子」の年であることは既に述べたが、昭和23年の6月は、「戊・午」の月であり、その月の15日は、一日が「丁」であるので、「丁」から数えて15日後(1日目の丁から始まって、戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)・甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊・己・庚で、15日目が辛にあたる)は、「辛」であり、その月の15日は、1日が「巳」であるから「巳」から数えて15日後(1日目の巳から始まって、午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午で、15日目が未にあたる)は「未」である。したがって生まれ日の干支は、「辛・未」である。
彼女の「十干」は、生まれ年の「戊」と、生まれ日の「辛」から十干の割り出し表を見て、「丙奇」と決まり、八門は生まれ月の「午」と、生まれ日の「未」から八門の割り出し表を見て、「休門(きゅうもん)」と決まる。
即ち、昭和23年6月15日生まれの彼女は、先天的な生まれ方は、強引で押しが強く、冷静で洞察力があり、温和で諂(へつ)らわない性格で、合理的な考え方をする成功を暗示させる星の許で生まれてきたということがわかる。
更に、先天の気の生まれ方から起こる行運の基本暗示の割り出し方は、生まれ日の干支(かんし)が「辛・未」で、昭和23年の年の行運は「戊子」の年であり、「辛」と「戊」で「丙奇(へいき)」と決まり、「子」の年と「未」の日で「驚門」で、先天的な出発は、いくぶんの不安定な要素を生まれた年には持っているが、金銭に困ることがなく、先天的な生まれの良さと、良い家庭に支えられて育った暗示を持っていたことが窺(うかが)える。
参考のために、十干と八門の組み合わせ表を挙げてみた。
以上あげた各資料の内容から、私は彼女の天敵にされる他なかった。
このように彼女とは第一、先天的星回りの生まれ方、即ちスタートラインがそもそもが違っていた。更に良い家庭に生まれ、経済力も違っていて、裕福な歯科医の一人娘でもあった。
この条件のもとで、人生双六が始まっているのである。
これらの要素は貧者の劣等感であり、また主導権を彼女に握られる原因でもあった。
─────陽(ひ)は既に傾き、辺り一面を美しい夕日が支配していた。
真夏の海で、泳ぎを楽しんでいる由紀子の水着姿を見ると、これらの劣等感が頭から消え去るのである。水際で、敏捷(びんしょう)な女鹿(めじか)のように飛び回る彼女の美しい脚は、私を感動させた。
卑猥(ひわい)な空想が頭の中で、一瞬空回りをする。水着の下のはじけるような裸体を思い浮かべた。
海岸線の砂浜に腰を下ろし、彼女たちの泳いだり飛び跳(は)ねたりする姿をじっくりと鑑賞している。食い入るように見ては、肉感的なことを想像する。そんな卑猥なことを考えている私の心の奥など、彼女たちは知る由(よし)もない。
道場の子供たちの水掛け遊びの輪の一団に混じって、彼女たちも一緒にはしゃぎ、彼らと笑い声を漏(も)らしながら戯れ合っていた。
由紀子以外の、他の二人の女性も容姿は決して悪くなかったが、彼女たち二人が由紀子に比べて、はるかに美しくないことが、私の優越感を満足させていた。特に由紀子だけが、沈み行く夕日に輝いて光っていた。時々、彼女は自分の存在を示すように、私に笑顔で手を振ってくる。
肉感的な想像と欲望に耐えかねて、男の殆(ほとん)どが想像する下品な下心で由紀子を見ているのだが、彼女の清々しい清潔感を前にしてしまうと、恥じらいのようなものが湧き起こって、ある種の自制心が蘇(よみがえ)ってくるのだった。
彼女たち三人と道場生の十五人の子供たちは、海に入って、沈みかける夕日を背後から真っ向に浴びて、水掛け遊びの一団となって遊んでいた。その50〜60メートル程先にある飛び込み台は、太い鉄の櫓(やぐら)の影を倒し、船舶の艦橋(かんきょう)を思わせた。まるで沈没した船が、その艦橋だけを海面に表し、無残な残骸の廃墟(はいきょ)の後にも見えた。
西日に影を曳(ひ)く、それは壮大にして悲愴 (ひそう)なものであった。そしてその前方に由紀子たちがいる。
私はこれを不思議な絵画でも見るような目で、一時間程見ていた。
このようにして、残りの日程は、すっかり由紀子たちに世話しなってしまった。はっきり言えば、世話になったというより、振り回されたというべきであろう。
こうして、この年の夏合宿は、何か煮え切れない気持ちを残した儘(まま)終わったのである。そしてこれから、由紀子とのつき合いが始まろうとしていた。
─────ここから帰る時、由紀子に名刺を渡しておいた。
「これが僕の名刺です」
「へーッ、岩崎君。こんなお仕事なさっているの?」
「柄(がら)にもなく気宇壮大(きうそうだい)な野望に取り憑(つ)かれた食えない武術家ですよ。毎日が困窮しています」
「では、どうして困窮しないお仕事に代わられないの?」これは鋭い質問であった。
一瞬、狼狽(ろうばい)し、彼女の質問に対して、これを補足する自己弁護が急がれた。
「これには口で言い表せない不思議な使命感のようなものが働いていて、簡単に逃げ出すわけには行かないのですよ」
「じゃあ、一生お続けになるの?」
「どうも、そのようになりそうです」
「そのためには毎日が困窮しても構わないの?」
由紀子から突っ込まれていくうちに、段々言葉を失い、萎(な)えていく自分に気付いた。彼女の経済観念は鋭いからだ。その鋭さに、次々に突き崩されて行くからである。
「……困窮するのは、僕の生まれながらの性分です。糊口(ここう)を凌(しの)ぎ、赤貧(せきひん)洗うが如しの貧乏を甘んじて受ける覚悟でいます」
「では、お嫁さんも貰わずに、この儘(まま)ずっと押し通すの?」
「そうなるかも知れませんね」
「それで一生押し通すって、寂しくない?」
「寂しい、寂しくないよりも、心に何を持って生きていくかですよ。僕は自分の持っている野望に、人生を賭けてみたいのです。果たせるか、また果たせないかを。そして、人生は常に挫(くじ)けそうになる自分自身との戦いですよ」
自分の持論を、自分也に述べた積もりだった。
「それはそうだけど……」
相槌(あいつち)を打ちながらも、由紀子は承諾しかねるような返事をした。話題が尻切れとんぼになって空白化する中で、私はある憶測が脳裡(のうり)に浮かび上がり、その質問を投げかけた。
「ところで、あなたこそ、どうなんですか?」
私は彼女に恋人か、それらしき者が周囲にいないかどうか、その穿鑿(せんさく)の駆逐を試みた。
「どうって、何がですの?」
質問されることで、親密な感情抱き、それが私に次の質問を必然的に用意させた。
「あなたのような美人だったら、世の男どもは、決してほってはおかないと思いますが……」
彼女とは気が合うという自惚(うぬぼ)れから、このようなお節介事まで喋ってしまった。
「あたしは、そんなものには全く興味がありませんわ。今は、一日も早く優秀な女医になることばかりを考えてています」
そこには彼女の思慮深い眼差しがあった。
彼女の返事は、何処かにある種の気高い格調高さがあり、私の穿鑿は見当外れだった。様々な彼女への憶測が、的外れであったことが、私を何よりも安心させた。まだ、彼女に特定の男性は存在していないようだった。それがまた、私を更に気丈にさせた。
由紀子の声は、女医を志す理想に燃えていて、あたかも聖女のように気高く響いていた。彼女には、世の結婚適齢期の男女が憧れる、軽い恋愛感情のようなものは、どうも今は存在しないらしい。
そして、その中には私自身の存在すらも眼中にないようにも受け止められた。私に話かけて来たのは、小学生時代のクラスメートとしての好(よしみ)からであり、単なる彼女の気紛(きまぐ)れ過ぎなかったのだろうか。
私の心の中には、仄(ほのか)な予感が胸騒ぎを始めた。切ない恋心の幻影がめらめらと燃え上がり、私の胸裡(きょうり)をほろ苦い味で、いつしか締めつけていた。この時、私一人が彼女に仄な想いを寄せ、甘く切ない余韻(よいん)を伴って、それが密かに空回りしてる自分に気付いた。そして、ほろずっぱい甘味(かんみ)のような、何かが残った。
由紀子の存在は、私の心の中で、巨大な難攻不落(なんこうふらく)の要塞(ようさい)のような建築物となって、高く聳(そび)え始めたのである。私はそれに圧倒され続けるしかなかった。
しかし彼女が、私のような蹉跌(さてつ)に困窮(こんきゅう)する者に目を向けることは、ありもしない空想だと言い聞かせ、その空想は、夢のまた夢という、諦めにも似た感想が湧き起こっていた。
─────由紀子とその仲間は、私たちより、一日早く此処を出立した。
私は彼女と別れるに際し、駅まで見送りに行って、彼女の在学する東京の大学女子寮の住所を訊き出すことに成功した。
これは果たして、些(いささ)かでも私に脈があるということの証(あかし)なのか。まだ、付け入る隙間(すきま)が残されているのか。そんな穿鑿(せんさく)を重ねながら、軽率にも、(作戦通りだ)と内心思い、自負の気持ちまで湧き起こっていた。付け入るチャンスがある事に、私は一縷(いちる)の希望を夢想したのである。
由紀子の去った後の、この場所は無残な廃墟(はいきょ)と化しているように思われた。彼女の幻影が、いつまでたっても頭から離れない。
私の体内には、彼女に恋慕する種子がしっかりと蒔(ま)かれていて、その種子が発芽しているのではないかという錯覚を覚えた。何処を眺めても彼女の残像が現れ、幽(かす)かな幻影となって、その輪郭(りんかく)を象(かたど)り、私に屡々(しばしば)快く、時には辛く襲いかかってくるのだった。
果たして、彼女は味方なのか、それとも敵なのか。その識別すら、付け難い状態に陥っていた。とんでもない妖怪に魅了され、魅入られてしまったものだという軽い苦笑いが込み上げた。
夕方、海岸線にぽっかり浮かんだ月を見ていると、その月の中央辺りに、由紀子の姿が浮かび上がった。その月に彼女の輪郭が現れ、やがてあの近くで、はっきりと如実に見据えた大きな美しい眼が優しく笑いかけてきた。何と言うものを見てしまったのだ、という恐れに似た戦慄(せんりつ)が、躰中を駆け抜けた。
こんな時、無力な仔羊(こひつじ)は、何をしなければならないかという課題が化せられたような気がした。
私は由起子を失うかも知れないと云う危惧(きぐ)を何度も感じて、手紙を書くことを決意した。それは恋慕への想いの、胸の裡(うち)を秘めた手紙を書くことだった。
だが、手紙といっても、必要な用件だけを伝える伝言では用をなさず、私自身の心情の披歴(ひれき)が必要だった。
文才のない私としては、手に負えることではないと何度か思い直してみたが、しかし簡単に諦(あきら)めることは出来なかった。気障(きざ)っぽい美辞麗句を並び立てる気にはなれないし、そうかといって浮いた気持ちの、愛だの、恋いだのと、そんな軽々しいものも憚(はばか)られた。
しかし私の心は、最後まで由起子への胸の裡(うち)を伝えるその思いが、愛の障害となって葛藤している、そんなやりきれなさを、改めて感じないわけにはいかなかった。
そして書き上げたものが不自然な形体を成し、また読み返してみても妙な違和感と抵抗感があり、照れくささが付き纏(まと)うものであった。それは恋文の一種であった。
しかしそれは、恋文の形式をとらない恋文であった。それを何度も書き直しては破り、破っては、また書いた。
これで私の想いは届くだろうか。そう考えると、まだそれが達せられていないように思えてきて、再び読み直しては破り捨て、また書き始めるといった徒労努力を繰り返していた。恋への情熱が燃え盛っていたのである。
いよいよポストに投函した。書き上げた手紙は、ほぼ満足する自信が持てるものであったが、これから三日が過ぎ、一週間が過ぎ、更に、一ヵ月が過ぎてもその返事は来なかった。こういう事態は、もとより予期したことであったが、落胆を抑えて、二度目の挑戦に望みを繋(つな)いだ。まだ、終わったわけではない。恋に破れたわけではない。そんな気持ちが、徒労を繰り返す結果を招いていた。
つらつら失策を反省してみた。渾身(こんしん)の力を振り絞って書いた今回の手紙は、精密に拵(こしら)えたつもりであったが、返事か来ないことを考えると、彼女は私のことなど眼中になかったのか、という敗北の色が濃厚になり始めていた。
そう思うと、文面の一言一句までが鮮やかに思い返され、そして克明に、また滑稽に、無残な様相を呈して、反芻(はんすう)されてくるのだった。その刻み込まれた文面を、小刻みに思い出す度に、敗北の色は益々深まった。そして往生際(おうじょうぎわ)悪く、最後の手段として、彼女の知性と教養に訴えるべく、更に巧妙な草案を練って、二通目を書いた。しかしこれも返事は貰えなかった。
果たして手紙は、彼女の手元に渡ったのだろうか?という疑いさえ抱いた。
もしかしたら、彼女の寄宿先に意地悪な中年女の寮長がいて、男からの手紙を全部チェックし、彼女に届かなかったのではないか。そんな勝手な空想さえ描いた。
だが、私の手紙が、彼女によって開封され、その感想として、不愉快で虚栄的で、見栄一杯の、楽しくないものだとしたら、あるいは差出人の宛名を見て開封するにも値しないものだとしたら、などとそんなことを思うと、私自身の心の中には、空恐ろしい大それたことをしてしまったという、償(つぐな)う術(すべ)のない失態が羞恥(しゅうち)のうちに泛(うか)び上がって来るのだった。彼女は苦痛に近い蔑(さげす)みを、私に抱いたのだろうか。
そして彼女は手紙を貰った事で、気を悪くしたのでは?と言う自己嫌悪に陥っていた。
かれこれと、再び失策を反省してみた。
愛とか、恋とか、そいうい語は一言も使わずに、巧妙に書いたつもりであったが、それが巧妙過ぎて、かえって失敗したのではあるまいか、あるいは心ならずも、二人が結び付くことの必然性を説いて、その筆が滑り過ぎて、私の奥底を、彼女が見破ったのではあるまいか、などと、そんな反省を繰り返していた。自信に溢れ過ぎていた自分自身の過失から、失敗を招いたのでは、などと思ってみた。いやはや、些(いささ)か軽率であり過ぎたのか……。
それにしても、人は巧妙な作文に、どうして動かされないのだろうか。
もし動かされないとすると、本当に人を動かすのは、虚飾(きょしょく)のない正直で、率直な純粋な手紙だけなのか。私の心には二重の反省が起こった。
恐らく私の手紙は、この条件から食(は)み出してしまったのだろう。そして考えられるだけ考えて、次の策は出てこなかった。
この時、私の頭の中に悲しく現れたものは、「二度あることは三度ある」という故事(こじ)に準(なぞら)えた格言(かくげん)であった。俚諺(りげん)の予想通り、二度ある事はやはり三度あるのだろう。
二度手紙を出して返事を貰(もら)えないものが、三度出して返事を貰(もら)えるわけがないという結論であった。心の片隅には、何か訴えどころのない寂しさが次第に大きくなって行った。
今頃、由紀子は私の恋文とも、身勝手な人生論とも分からぬ滑稽な手紙を見て、笑っているのであろうという勝手な辛い想像が浮かび上がり、打ちひしがれた気持ちに陥っていた。
私のしたことは所詮(しょせん)、分別を知らない愚か者の愚行、あるいは世間常識を度外視(どがいし)した愚かな冒険者の如き、大胆不敵な卑しい下心であったのかも知れない。それを手紙に託したのではなかったのか、という届かぬ願いを恨み始めていた。
更にその恨みは、『お高く止まった』彼女に対しての恨みに変わり始めていた。そして男という生き物の哀れさを感じ始めていた。
女と固い約束を求めることによって、男は、女に自分の真心を誓って見せる。
しかし誓った真心は、何処かで空回りして女には届かず、空しく潰(つい)えるのである。こう言う意味で、男は純真かつ鈍馬(とんま)な生き物である。お目出度(めでた)屋である。そして茶屋や水商売などを女に見られるような、女の巧言(こうげん)に逢えば、まんまと欺(あざむ)かれるのである。
私は、欺かれる側のお人好しなのである。
女に欺かれながら、泰然(たいぜん)として取り乱さず、憤慨(ふんがい)せぬ者を、世間一般では紳士というらしいが、一体こんな馬鹿な決まりを誰が作ったのだろうか。
今私がやるべき作業は、先ず心の整理であり、気(け)高くも、倨慢(きょまん)な彼女の存在を、一日も早く心の中から消し去ることであった。
やはり、もう女は懲り懲りと言うべきものか……。
|