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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 15


●感情の鍛錬

 (しばら)く沈鬱(ちんうつ)な日々が続いた。稽古にも身が入らない。何かに取り憑(つ)かれたような夢遊病者のような状態になった。由紀子のことが頭から離れない。彼女を想い、あの大きな美しい切れ長の目を思い出すと、胸が締めつけられるような感じになる。身が入らないのは、何も稽古だけではない。何をやっても、口から自然と溜め息が洩れてくるのである。
 行き付けの飲み屋に腰を下ろしても、片手で頬杖
(ほほづえ)をつき、酒を呷(あお)っても何処からかともなく溜め息が洩れてくる。飲み屋の誰かが話しかけても、それに気づかないくらい。心は何処かに飛んで行ってしまっているのだ。
 そして、夢想が起こる。

 今まで何人の女と色恋ざたを繰り返し、それが我が所有物になり、仮にそれが何十人であろうと、大した自慢にはならない。そんなことに気付き始めていた。私の女性観の感覚が、今までとは変わり始めていたのである。

 今までつき合った女たちはどうであったか。一人の女性と、つき合いの承諾を得るのに、十数人に声をかけ、結局、やっとの思いで承諾を得る。この確率は約十二分の一位であろうか。逆から言えば、一人の女性を落とすのに十一人の女性からは、肘鉄砲を食らう分けである。

 普通の男なら、しぶとさと根気がある者でも、これを二、三回も繰り返せば、心は振られたダメージで、二度と立ち上がれなくなるくらいペチャンコになるであろう。失恋に失恋を重ねて、更にまた、それを繰り返し、何度も片思いに破れて平気で居れるような心臓の持ち主は、滅多にいない筈だ。自尊心もペチャンコになる筈である。

 しかし私は鈍感なせいか、それを懲
(こ)りずにやったことがある。人の三倍以上も恥をかき、しぶとく粘り抜いて、複数の女性と関係を持ったことがあった。そしてそれを唯一の自慢にしていた。だが、これが一変したのだった。

 今まで、女性と見れば見境なく、誰にでも声をかけ、肘鉄砲を食らっても意に返さず、恋愛は確率だ、そう言わんげに手当たり次第に場数を熟
(こな)していた。
 そして思うのであった。
 恋に夢見る鈍感は処女、あるいは色と金に転ぶ尻軽女は、自分が愛されていると思い、誰でも彼でも身を任せ、結局淫らな女に成り下がる。昨今のハイティーン等は、これに属する女が多い。若さ故に、転落の向こう側の落とし穴が見えないのである。
 こんな程度の低い女を何十人相手にし陥落
(かんらく)させたところで、それが決して自慢にはならない事を……。要するに見境のない女タラシでは、自慢にならないという事に気づいたのである。ジゴロgigolo/女にたかって生活する男)は所詮ジゴロなのだ。

 女性を射止めるとは、あるいは本当の色恋沙汰とは、気品のある、身を守るに固い女性を、その陥落までのプロセスにおいて、心理的な術策
(じゅつさく)を用い、ついに落とし、陥落せしめることである。私は、女性の中に肉欲の滿足以外に、精神的な何かがあると、そう信じる、信奉者なのだ。世間には、誘惑者だの、漁色家(りょうしょくか)だの、遊蕩児(ゆうとうじ)だなどの、快楽主義の男に投げ付ける言葉があるが、この手の男どもは、単に女を欲望の対象としてみている人種に過ぎない。肉欲が達成されれば、それで総てが終わりなのである。

 ところが、私は同じ誘惑者でありながら、たやすく手に入らない、高い気品と、やや気位の高い、そんな女性にぶつかり、誘惑し、安易に肉体的な快楽しか求めない、その手の男どもとは次元の違うものを求めていた。肉の征服ではなく、心の征服を企んでいたのである。

 由紀子のあの美貌からして、周りには家柄と頭脳にものを言わせた海千山千の、誘惑上手の手練
(てだれ) が犇(ひし)めき合っているに違いない。私の気持ちが届くまで、彼女は果たして彼らの誘惑を撥(は)ね付け、身を固く守り抜いてくれるだろうか。

 もし彼女の心が、その方向に靡
(なび)くようであれば、もはや手の打ちようはなくなる。私の方に注視させるには、どういう術策があるというのだ。そんな想いを巡らせながら、八方塞(はっぽうふさ)がりに陥っていた。

 こんな時、自然と足の向くのが、山村師範の稽古場であった。別段行きたくないが、行かずにはおれない不思議な引力で惹
(ひ)き寄せられてしまうのである。
 山村師範の稽古場に足を運んだ時、この爺様
(じいさま)は、正月の準備でも始めるのであろうか、わが家の清掃にせっせと励んでいた。

 山村師範は私に気づくと、
 「丁度いいところに来た。その桶
(おけ)に、すまんがちょいと水を汲んで来てくれんかのう」
 いきなり人使いの荒い本性を現してきた。
(何がちょいとだ)と思った。しかし嫌とは言えず、黙って従うしかない。これに逆らって、この爺様の怒りを買うこともあるまい。そう思った私は、井戸まで一走りした。

 手に提
(さ)げた二つの大きな手桶(ておけ)は、修行者用と思えるような、不思議な工夫がなされており、手桶の横に渡す水平な棒が外されていて、そこに荒縄(あらなわ)を二重にした、太さが直径2cm程の麻(あさ)で出来た縄になっていた。
 その二重の縄は、その一本ずつが違った長さになっていた。一本はほぼピンと張られ、もう一本は弛
(ゆる)ませてあった。

 最初これをどのように使い分けるか考えもしなかったが、井戸の水汲
(みずく)みを何度か往復させられるうちに、この使い分けを考え始めていたのである。どちらかそれぞれを握っても、何となく運び辛い。
 そうかといって、長短の両方の縄を同時に掴
(つか)んでも、その長短は何の意味もなさない。では、どうすれば良いかということが、この運んでいる間中、付き纏(まと)った。結局、これは質問するしかあるまいという結論に至ったのである。

 「この桶の、縄の長短はどういう意味ですか?」
 思わず、こう口走っていた。

 しかしこの爺様は、それを簡単に教えてくれない。勿体
(もったい)ぶりながら、
 「しからば、その桶にもう一度井戸水を汲んでこい。ただし桶の縁
(ふち)まで並々だぞ。そして一滴も零(こぼ)さぬようにじゃぞ」
 この爺様の、またしても難題が飛び出した。まずは言われる儘
(まま)に黙って従うしかない。
 井戸の釣瓶
(つるべ)を滑車(かっしゃ)で巻上ながら、「並々と」と言うことだけを念頭に置いて、桶に水を張った。汲み終って、桶を持ち上げようとした途端、「一滴も零さぬように」という、念を押した言葉を思い出した。
 果たしてこれが、一滴も零さぬように持ち上げることが出来るだろうか?仮に持ち上げたとしても、一滴も水を零さず、元の場所に運んで行けるだろうか?そんな疑念が込み上げて来たのである。

 言われる儘
(まま)に、恐る恐る足を進め、慎重に運んでいくのであるが、桶の水の揺れは中々止まらず、つい、ポトポトと零れてしまうのである。やっとの思いで、山村師範の前に姿を見せた時には、桶の上から4〜5cmのところまで、水を零して減っており、「一滴も零さぬように」という言い付けが破られていた。

 「いいか、これはこうして使うのじゃ」
 山村師範は、桶の縄の使い方の説明をした。長い方の縄を、その縄の中央部で自分の手首に巻つけ、もう一方のピンと張られた縄を握って持つのである。

 《ほーッ》という感想で、色々と道具には使い方があるもんだという気持ちで、有り難く拝見した。
 そして、もう一度井戸水を汲んでこいという。

 これを早速
(さっそく)試さなければならない。本当にそうなのか、そうでないかを。
 井戸の所に行って並々と桶に水を張り、言われた通りに、これを実行してみた。成る程これは中々、使い易いものだ。揺れるには揺れるが、安定していて、運ぶのにも苦にはならない。足腰さえ、ふらつかなければ、一滴も零すことはないであろう。いいことを教わった、という気持ちになった。

 武術家は自分を鍛えようとして、種々の術を編み出すものだ。この術を策として用いてこそ、武術家が、一ランク上にのし上がって、戦略家になれるのではないか、という模索が始まっていた。

 帰り道、この事を考えていた。
 一滴も零さないということは、端
(はた)から見れば、単に名人芸の一つに過ぎないであろう。
 しかし桶の中の水全体を、人の心に喩
(たと)えるならば、喜怒哀楽を表す感情であり、その水の表面は感情を覆(おお)い隠す顔、あるいは表皮のようなものだ。感情の動揺が表面に伝われば顔色は変わり、その動向や浮沈が表面化してくる。

 さて、恋は一種の戦争のようなものである。
 戦争には綿密
(めんみつ)な作戦計画と、戦争遂行上の戦争設計がいる。また敵の動向を探り、それを観察する観察能力、それを分析する分析能力が必要である。これを怠ると如何に大軍を有していると雖(いえど)も、単に烏合(うごう)の衆となり、烏合の衆の大軍は、ただ右へ左へ敗走するばかりで、決定的な戦果は期待できなくなる。

 逆に、敵が強力な大軍である場合、小兵力では勝ち目がなく、ここには戦術の粋
(すい)を凝(こ)らし、全体像を遠望した戦略が必要である。進退を繰り返しながら、敵の反応を見て、自分の行った攻撃が敵に対してどのような影響を受けているか、あるいはその攻撃によってどのように反応し、次にどのような作戦で来るか、それを分析しながら、次の攻撃方法を検討しなければならない。それが作戦というものだ。
 これを更に広範囲な立場から総合的に検討すれば、戦略・詭道
(きどう)となるわけである。

 戦略は武略であり、武略は敢
(あ)えて方便さえも持さない。明智光秀(あけちみつひで)は、仏家の嘘(うそ)を「方便」といい、武家の嘘を「武略」とさえ言いのけた。
 武略とは、軍事上の策略だが、敵に我が方を弱者だ路侮
(あなど)らせ、誘い込ませて、深入りさせ、いい気になっているところを、逆に反撃に出たり、あるいは、追撃していると思わせながら、撤退(てったい)して、部分的な戦局に、濃淡粗密(のうたんそみつ)を設計し、作戦を展開しなければならない。

 戦争は、大軍をもって、戦術の正攻法のみで勝てるわけではない。全体像を把握
(はあく)し、敵を動揺させ、掻(か)き回す駆け引きが大切なのだ。

 もし、由紀子を手中に収めんとするならば、相手は強力な防備をなしていると考えて、これを陥落せしめる戦略が必要である。そしてその戦略を使う以上、私自身は感情の鍛錬が必要なのだ。
 この戦争は、全て、この感情の鍛錬如何に|かっていると言ってもよい。事実、これが鍵を握っているのだと思った。しかしこれは夢想でしかなかった。

 果敢ない夢想であった。この夢想から醒
(さ)めた私には、再び重苦しい現実が伸(の)し掛かり、何処からともなく深い溜め息が洩れた。
 そして由紀子の顔が目の前をちらつくのであった。



●野稽古

 この日は小雪がちらついていた。
 昨晩由紀子から道場に電話があった。
 「明日、少しお時間つくれて?」
 やけに甘ったるい声で、何処か気取った電話だった。私の弱みを知り抜いているのだろうか。あるいは手玉にとっているのだろうか。そう思わずにはいられないような誘いであった。

 そして私は、由紀子の誘いを受けて、次の日、ある喫茶店で待ち合わせることにした。
 この誘いは彼女の手早い先制攻撃なのか?まさか……。そんな疑念を抱きながらも、この誘いは何処か息苦しくも、また一方で、小躍
(こおど)りするような嬉しさが込み上げていた。心が舞上がり、有頂天の絶頂だった。完全に喜怒哀楽の「歓(よろこ)びの渦中」の渦に巻き込まれていた。浮ついた胸中は、悦楽の鼓動で満たされていた。それが束(つか)の間の幻(まぼろし)であると言う事も知らずに……。

 私の戦略上の感情の鍛錬は、なされているのであろうか?
 そんな不安を感じながら、表面的には快活を装っていた。こんな胸の張り裂けるような私の思いに、気付かないでいる由紀子が羨
(うらや)ましいと思った。

 ここは彼女が指定した店で、余り目立たない小じんまりとした、それでいて、中々洒落
(しゃれ)た店である。壁には西洋風の版画や骨董品の装飾具が掛けられていて、ちょっとしたアンチィーク調の、ロココ様式フランス風の造りが成されていた。昨今流行のギャラリー喫茶という感じだった。恐らく由紀子の趣味や感性は、このようなものなのであろう。

 私は心が浮かれる儘
(まま)に任せて、待ち合わせの時間より30分程早く来てしまったのだった。早かったせいか彼女は、まだ来ていないようだ。この店の人目のつかぬ片隅の席に腰を下ろし、彼女の来るのを待つことにした。

 注文したコーヒーをすすりながら、
(一体、私に何の用があるというのだろうか?)と、一人であれやこれやと穿鑿(せんさく)はするものの、これは愚かな彼女への探りであり、新たな寂しさを作るのではないかと、一種の不安らしいものもうっすらと感じていた。
 それは恋の真似事
(まねごと)が、やがて私に辛い幻影を投げかけるのではないかと言うふうに……。

 住む世界の違う彼女に、近付き過ぎてはいけないと歯止めがあるのだが、その美しい彼女に、絶ちがたい禁断の魅力に魅せられて、ついには惹
(ひ)きつけられてしまうのである。まるで蜜に集(たか)る蠅(はえ)のように……だった。

 どうやら深みに嵌
(はま)って行く最悪?の運命であるらしい。そこには男を取り殺すような、怪しくも美しい、異次元の妖怪に、見入られてしまったような観があった。
 そして私の自らの魂も、由紀子に魅了されて、その中に溶け込もうとしていた。忘れ難き彼女への恋慕の想いが、微妙に目の前を交錯
(こうさ)していた。


 ─────その時不図
(ふと)、学生時代のことを思い出した。異様な男との出会いである。
 大学に入学して、直ぐに野仲義治という男と知り合った。
 身長183cm、体重95kgの巨漢である。彼は柔道二段という。蟹股
(がにまた)で威風堂々(いふうどうどう)としたその巨漢の体躯から窺(うかが)える傲慢(ごうまん)は、大学一年生にしては莫迦(ばか)に態度がデカかった。

 いつも白緒の高下駄
(たかげた)を履いていた。大学では下駄履きは禁止であったが、この男はこれを無視していた。無視しているというより、自分のカラーを押し通していたのである。

 学生課の教官から、
 「おい!君。駄目じゃないか。本学は下駄履き禁止であることを、よもや知らぬ筈
(はず)があるまい。学則で下駄履きは禁止だ。君、以後気を付け給え」

 こう注意されても、意に介さず、「こりゃ、どうも」と云って、また次の日下駄履きで来るという、大学の学則を嘗
(な)めたようなところがあった。
 彼にとって規則等あって無いようなものであった。その後も度々注意されていたが、一向に改める様子が無かった。
 いつも学生服に身を固め、坊主頭で腰に手拭
(てぬぐい)を下げた、博多弁丸出しの男であった。

 私と彼とは学部が違っていたが、ひょんなことで彼と知り合ったのであった。
 彼の父親は福岡天神で法律事務所を構える検事出身の弁護士で、彼は次男であり、長男は福岡郵政局の郵政事務官をしていた。彼は気儘
(きまま)な親の脛(すね)かじりの放蕩息子であった。
 私はこの男と高校時代の級友に紹介されて、学食
(学生食堂)で知り合うことになったのである。私が、突然紹介された彼に、熱心に会津自現流の話を持ち出したことがあった。

 彼に、「合気」の説明をすると、それを疑ったところが若干あり、「柔道の技を使って、こういう時はどげんするとか?」とか、「相手がこういう絞め技で来た時機
(とき)は、どう外すとか?」という具体的な挑戦じみたことを云ったことがった。そして私の会津自現流を些(いささ)か甘く見たところがあった。

 私は彼に説明は不要だと思い、技で具体的に説明するしかないと思った。
 そこで私は彼に極め技を掛けて、
 「この程度の軽い技だ。使う者が下手であれば実戦には全く役に立たない。俺もその下手の一人だ」と技を掛けながら説明したら、「もう、よか。よう解ったばい。骨が折れるやなかや、骨が!ああッ……」と、余りの痛さに飛び上がって喚
(わめ)いた。
 私が手を放して、彼に冷静さが戻ると、今度は私に非難の声を向けた。
 「あのくさ、そげんことして無茶苦茶に技を掛けたら、手首の関節が開いて駄目になるやなかや。これで俺は柔道ば、出来んごとなったやなかや。さっき俺の高校の先輩が柔道部に誘いを掛けてきたっと。もう、こげんな手じゃ、柔道は出来んぜェ。どげんしてくれるとや」
 彼は柔道部入部に断わりを、私のせいにするらしい。私は呆れた顔で、彼の話を聞いていた。しかし、彼の根底には、どうやら柔道部に入りたくないという意図が隠されていたようだ。

 「なって了
(し)もうた以上は、どげんも、こげんもあるかァ。人間は諦めと往生際が肝心たい」
 私は、柔道部に入りたくない彼に、それを増長させ、拍車を掛けてやった。
 「ほんなら、もう柔道が出来んごとなったけん、今日から俺は会津自現流に転向するたい」と勝手な言い訳をし出した。
 柔道部に入部したくない意図ばかりではなく、どうやら、ささやかなお手並み拝見の中から、私の実力を認めたようだ。

 それからというものは、私を師と仰いだようだ。武術に関する限りの注意事は素直に聞くようになった。そして二人で『会津自現流同好会』なるものを体育会に作った。それは半ば強引に行われた。

 体育会の交渉は彼が全て引受け、いきなり年間予算と部室を確保して来た。体育会の先輩役員を彼独特の態度のデカさで威圧したのであった。そして誰もが彼を、まさか入学間もない一年坊主であるとは思っていないようだった。

 彼の部費を調達した最初の言葉が、「これでいっちょ、パーッと中洲
(なかす)にでも繰り出そうやなかや」であった。
 一年分の部費を、僅か今日一日で全部遣う気でいるらしい。
 これ以来、彼が大学を中退して、警察学校を卒業するまで、彼と一緒に訝
(おか)しな行動に付き合わされることになる。

 時には、分けの解らぬ沖仲仕
(おきなかし)のようなアルバイトまで探して来て、その誘いを受けて、筋肉痛で二三日動けないことがあった。

 当時、世の中は学生運動たけなわであった。
 「共産主義者で非
(あら)ずんば、人に非ず」の革命を標榜(ひょうぼう)する激動の時代であった。全学連と左翼グループの集団がバリケードを作り、至る所でデモっていた。大学へ行っても殆ど毎日といっていいほど休講が続き、またそんな中で学校に行くことが馬鹿馬鹿しくなり、いつの頃か大学から足が遠ざかり、博多界隈(はかたかいわい)の色街で遊び惚(ほう)けて、徐々に崩れいった。

 博多駅前で徒党を組んで、ジグザグ行進でうねり歩く赤いヘルメットの学生を横眼で見ながら、私たち二人はいつの頃からか、玄洋社
げんようしゃ/元福岡藩士・頭山満翁が明治十五年に創設した政治結社)の傘下組織と思われる九州学生会議に出入りするようになっていた。
 大学では「右翼学生」の異名をとり、自治会活動を嫌い、何者にも束縛されない自由の中で気儘に奔放し、色事だけに興味を示して、それらを好き勝手に楽しんでいた。
 そして野仲は、赤ヘルを被り、ゲバ棒を振り回し、デモって気勢を上げる連中に対し、「あいつら、アホじぇ。騙
(だま)されているのも知らんと」と口癖(くちぐせ)のように言っていた。
 私が「何でや?」と訊くと、それには言葉を濁して中々答えようとはしなかった。

 これは後で分かった事だが、彼の父親は、かつて満洲で検察庁の検事をしていたと言うが、ソ連が、日ソ不可侵条約を破り満洲に攻め込んできた際に、ソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留された経験を持っていた。シベリアや中央アジアには第二次大戦で、対日参戦したソ連が、投降した日本軍兵士を送り込み、強制労働に従事させたことから悲劇が始まる。抑留者は50万人を越え、劣悪な環境におかれて、多数の死者が出たのである。
 そして、シベリアに強制的に抑留された日本人の中には、単に軍人や軍属ばかりでなく、逃げ遅れた政府の官憲や、新京市
(旧満洲国の首都)の一般市民までもが含まれていたのである。

 この抑留生活の中で、徹底され、強制されたのが思想教育であり、日本軍捕虜の頭の中を共産主義に改造する学習であった。そこで野仲の父親は五年間抑留され、自己反省と学習の日々を送らされたと言うが、最後まで矛盾を感じ、これに馴染めなかったと言う。そして、最後に行き着いた結論が、「共産主義は虚構である」と言う事であった。

 共産主義や社会主義を一言で、「労働者独裁」と言う。ソ連では、労働者上がりの党幹部が、党を支配する場合、それは強大な支配力を持つ事になる。口々に「平等」を標榜
(ひょうぼう)しているが、その制度を維持し、指導していく事は、党幹部に強大な権力が集中し、その結果、党幹部だけがいい暮らしをして、一般大衆はその弾圧下で搾(しぼ)り上げられ、苦しい生活に喘(あえ)ぐ事になる。

 マルクスやレーニンの名は、1917年以降、ロシアで革命が起こって以来、日本でも共産主義者や共産党の存在が明確になっていく。不況の度に、共産主義理論や社会科学が大衆の関心を集めることになる。
 昭和8年には、プロレタリア作家の小林多喜二が官憲の拷問によって殺され、またそれ以前に、日本共産党の幹部だった野坂参三は昭和3年3月の共産党大弾圧により、中国に亡命していた。同じく幹部の徳田球一や志賀義雄らは、捕らえられ網走刑務所に繋
(つな)がれていた。

 そして、当時の共産主義イデオロギーには、福本イズム、プロレタリア独裁、コミンテルン、あるいは野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』などの共産主義啓蒙のイデオロギーが知識階級の間で絡み付いて、大流行していたが、その根本的な論理は、労働者に政治的な支配力を与える為には、暴力による革命以外ないと信じられていた事である。
 それは先ず、労働者の生活権を確保し、それを向上させるには、資本家を暴力で葬り去る以外方法はない。したがって、暴力革命を起こし、暴力によって政治体制を根本的に覆
(くつがえ)す必要があると信じられていたのである。

 当時、知識階級は共産主義をもろに信頼していた。その革命論理は正当だと信じる論拠は何処にもなかったが、それを世界で一番優れた正義と信じている者は少なくなかった。
 ところが、この論理はやがて化けの皮が剥
(は)がれる事になる。徐々に虚構である側面が、姿を見せ始める。

 それは、「労働貴族」という言葉が、共産主義や社会主義の虚構を証明しているようなものである。
 喩
(たと)えば、共産党内部で、指導者が特権階級となり、それに反撥(はんぱつ)・反抗すれば、忽(たちま)ちリンチに遇うか、粛清(しゅくせい)される事になる。
 また、共産党がオルグとして指導する労働組合では、中央執行委員会が総ての方策を決定するし、その委員長や書記長の役職にある者は、組合の資金を個人的な生活費に当てたり、遊興費に流用してしまう事も起きて来る。更には、裏で資本家と結託し、癒着
(ゆちゃく)する現象が起きる事も見逃せない事実の一つとなる。

 「財産の共有」と「権利の平等」と言うのが、共産主義をアピールする時のスローガンである。もし、そうであるならば、この社会システムを監督し、管理する一握りの幹部は、その誰もが「聖賢君子」でなければならないし、人格者以前の崇高な存在でなければならなくなる。
 一握りの幹部は、何事にも無私に徹し、権力欲など縁のない、神に等しい存在でなければならない。果たして、権力の座に昇った者が、こうした心境で、欲にも権力にも転ばない聖賢君子状態を維持できるのだろうか。

 それに、刑務所の喩
(たと)えは極端であるにしても、例えば、捕虜収容所に入れられた初期に状態の人間を見てみればいいだはないか。
 入所した初期において、その時点では、誰もが平等である。これは刑務所でも、捕虜収容所でも同じ事であろう。それなのに、年月が経つに従い、この中に格差が生じるのは何故か。平等ならば、支配階級も被支配階級も生まれないはずだが、こうした集団には必ず階級が生まれて来る。

 平等を掲げた楽園は、誰の眼にもそこがユートピアのように映る。「地上の楽園」のように思えて来る。
 日本の昭和初期を顧みても、当時のインテリ階級が、財閥や官僚の腐敗、軍部の派閥抗争などに不満を抱き、「地上の楽園」を夢見て、共産主義に関心を深めていったプロセスは、平等のユートピアの夢想から始まっている。だが、この夢想するユートピアの裏には、口先ばかりの「平等」が標榜された背後に、共産主義世界を一つのユートピアと考え、このユートピア実現の為に、その初期段階に社会実験を「社会科学」の名において実施し、その国の実験段階を「社会主義」と称したのである。

 ところが、科学の名を借りた社会科学は、そのシステムの中で、指導者と民衆とに区別され、命令者と奴隸のような関係が浮上して来るのである。

 刑務所でも、捕虜収容所でも、入所当初は、誰でも同じ財産あるいは、同じように何も持っていないはずである。入所前には厳重な検査があり、私有財産は持ち込めないからである。その為に、貧富の差など起こりようがないように思える。ところが、こうした集団にも必ず貧富の差が出来はじめる。

 入所者は当初、一様に無産階級であり、裸同然の人間である。そしてこうした集団内では、定められた食糧が平等に配給され、この金網内に幽閉された人間達は、極めて平等に近い状態である。皆平等に食糧や衣服の配給を受ける。この意味で、所内は架空のユートピアである。しかし、このユートピアも長続きはしない。権力支配構造が出来、格差が出来るのである。この事は、裏から見れば、ユートピアの共産主義を、そこの住人の大多数が望んでいなかったことになる。

 また、ロシア革命を裏から透視すれば、帝政ロシアを倒す為の手段に共産主義が遣われたに過ぎなかったことである。単に、政権の交代が目的であり、共産主義の「平等」と言うスローガンは、民衆を騙す為の巧妙なスローガンであったことが分かろう。
 これが歴史の中で証明されたのは、帝政ロシアが斃れた後、スターリンの恐怖政治とテロの弾圧で権力の座に就き、マルクス・レーニン主義が、共産主義の針路や結末を明確にしたからである。

 そう言う意味で、野仲がぽつりと云った、「あいつら、アホじぇ。騙されているのも知らんと」といった言葉も、以上の事によるものであった。


 ─────野仲とは、エロ映画を皮切りに、ストリップ、はたまた女郎屋通いまで付き合わせられる破目になった。
 
 博多川丈
(かわじょう)のエロ映画館に入った時のことである。
 学割を効かせて百円で切符を買い、真っ昼間
(午前11時前後だった)からエロ映画を見た。この映画館には先客がいて、何処かの大学の応援団らしき、ガクランを着た柄の兇(わる)い学生が五、六人入っていた。客は彼等以外、誰もいなかった。

 映画のベットシーンになると、必ずといっていい程、この先客の学生達が騒ぐのである。
 彼等は勝手な想像で、「入った、入った」と拍手をした後、「うぁっちゃー、いやらしかァー、あげんこっしちょるばい」と大袈裟
(おおげさ)に云って、こちらはこちらで、もう少し黙って見られんものか迷惑していた。しかし、また決まって、ベットシーンになると騒いだのである。

 これに煮えを切らせた野仲は、「きさん
(貴様)ら、静かに見られんとヤ!」と一声を発した。

 これに相手も黙っていなかった。
 「なんば、いよっとかー、きさん」と、二人が竹刀袋から木刀を抜いて襲い掛かってきた。

 野仲は「待っていました」とばかりに派手な立ち回りを始めた。私もそれを見ていて、黙っている訳には行かなくなった。応戦しなければ、私も一蓮托生
(いちれんたくしょう)で滅多打ちされるのは必定だった。

 仕方なくこの乱闘の中に飛び込んだのである。これからが大暴れとなり、私と野仲は映画館のスクリーンの舞台に上がって応戦していた。二人の顔や衣服に、エロ映画の濡
(ぬ)れ場場面が映し出される。
 そして野仲は奴等から木刀を奪い取って叩くだけ叩いて、一目散に逃げ始めた。私もその後に続いた。彼の逃げ方は凄
(すさ)まじかった。喧嘩に慣れた男の逃げ態(ざま)だった。
 この日は野仲のお陰で、とんだ目に遭ってしまった。

 「ああ、あいつ等のお陰で百円も損したぜェ」野仲はこぼすように云った。これで帰るのは何となく惜しかったので、中洲川端にあるストリップ劇場『ハリウッド』に入った。昼間の特別料金に学割を利かせて三百円であった。

 昼間のストリップは客が少なかった。私たち二人の他に、昼間から酒によった親爺が居て、僅かに三人という有様であった。この客の少なさでは、踊り子も遣
(や)る気が起る筈が無い。既にライトが照らされ、曲が鳴っているが、中々出てこない。

 「なんばしよるとか!はよう出てこんか!」どこかの客席に居た親爺が怒鳴った。
 「今、行くよ、そげんあわてんでもよかと。待っときんしゃい」舞台の袖
(そで)から踊り子の声がした。そしてやっと出て来た。
 しかし踊ってくれない。ただ舞台に俯
(うつぶ)せに、寝そべった儘(まま)で、こちらを向いて足を静かに動かしているだけであった。この踊り子の歳からして三十前後だろうか。

 これを見ていた酒に酔った別の親爺が、
 「何で、きさん
(お前)踊らんとや?オマンコ腐っとると違うか」
 これを聞いた踊り子も黙っていなかった。
 「こら親爺!真っ昼間っから、酒食らって、なんばぐじゃぐじゃいっとるとか!とっとと帰って、早よう寝ろ!」
 「馬鹿たれ、なんばいよっとか。誰が腐れマンコなど見るか!」
 このやり取りをしているうちに、この小屋の用心棒らしき、やくざ者が出て来て、後ろ襟を掴み上げられて表に連れ出されて行った。

 それを見た野仲が、
 「うわっちゃー、えずかー
(怖わかー)。おい、此処はえずかでェ、はよう出ようぜェ」と口の中に両手の指を突っ込んで云った。

 すると踊り子が、
 「こら!そこのボクたち。お前たちゃア、帰るこたァならん!ちゃんと勉強の為に見ていきんしゃい」と云って、立ち去ろうとした私たちを引き止めてしまった。こう云われれば黙って見て行くしかないと思った。
 私は別に女の性器など、厭
(いや)というほど見ていたので別段興味はなかったが、野仲は彼女のそれを食い入るように見ていた。

 踊り子は既に踊る気配はなく、私たち二人の前にデンと腰を降ろし、大股開きで、
 「ボクたち、よく見んしゃいよ。しっかり勉強ば、するとよ」と云いながら各々の名称を教えてくれた。
 野仲はしきりに拍手しながら上ずった声で、「うわちゃーァ、凄かーァ。ほんなこツ
(本当に)、よかーァー」と馬鹿声を出している。一人ではしゃいで、彼の独り舞台だった。
 「坊主頭のボク。そんなに凄か?」
 「はい!ものすごかです!」
 「じゃあ、しっかりよく見て勉強ば、するとよ。女には穴が三つあるけんねェ。上から順に尿道、腔、肛門とならんどるけんねェ」
 「はい!しっかり勉強ば、させてもろうとります。ところで、子宮はどれですか?」と切り出した。
 踊り子は笑いながら、「馬鹿!そげな処、見えるわけなかろうが」と云って、また笑った。

 こんな馬鹿なやり取りをしながら、音楽が終わって次の踊り子の番になった。
 やがて音楽が鳴り始めた。

 「こんだ
(今度)は、マリー・ローズと書いているぜェ。外人やなかヤー?」
 「こげなところに、外人おるわけなかろうが」
 金髪の踊り子が出てきた。
 「おいおい、あの姉ちゃん金髪ぜェ」 
 「ありゃ、髪の毛染めとるんじゃ」
 「目も青いぜぇ」
 「ありゃ、目に青色のコンタクトはめとるんじゃ」
 「外人やったら、アソこの毛も金髪じゃろか?」野仲は興味津々に、次々に私を質問攻めにした。

 するとこの踊り子嬢は、些
(いささ)かこの会話がうるさいとみえて、
 「こら、そこの子供!うるさか!黙っとけ!」
 「ほら見ろ。外人じゃなかったろうが」
 この踊り子嬢も途中で踊りを止めて、私たちの前に、自分の前を抑えてデンと座ってしまった。

 野仲は、神社に詣
(もう)でた時のような祈願の形で合掌(がっしょう)をして頭を下げ、念を込めるように二回拍手を叩いた。
 「あのッ……、マンマンちゃん、見せて貰えますか?」
 「はい、どうぞーォー」その云った言葉は、色気も糞も何もなかった。
 それでも野仲は食い入っていた。

 「うわちゃー、凄かー。あのッー……、ボ……、ボボばする時、何処の穴に挿入ば、するとですか?」
 「ここよ」それを指で開いて見せてくれた。 
 「そこに金玉も、一緒にはいりんしゃるとですか?」
 「馬鹿!そげなもんまで入る分け無かろうが。馬鹿なこというんじゃない!」
 「すいまっせェーんー」万事がこの調子であった。

 次はベットショーであった。
 肩に入れ墨の入った男が、ランニングシャツ姿で舞台の真ん中に蒲団
(ふとん)を運んできた。そしてそれを敷いた。
 まもなく音楽が鳴り始めてネグリジェ姿の女が出てきた。そしてお決まりの“独り善がり”を始め出した。
 女は声を上げて悶
(もだ)えている。勿論これは演技である。しかし野仲は、これを演技と取らなかったようだ。

 「げーッ、あげなことし始めたぜェ」そう言って、この悶
(もだ)えるような演技する女性に近づいていき、舞台に片足を掛けて、
 「あの、もし。どげんなさったんですか。何処か……苦しいとですか?」と訊く。
 しかし女は答えなかった。

 「男と、したかとじゃァなかですか?」そう云われてもいい迷惑だという顔をしながら演技を続けていた。そして演技も絶頂に達した頃、野仲は舞台に掛け上がって、
 「そんなに欲しいんだったら、ぼぼ僕が、ボ、ボ……、ボボしてあげましょうかァ?」と吃
(ども)り声で言い出したものだから、とうとう女が怒ってしまった。

 先程の親爺の時と同じように、この小屋の怕
(こわ)いお兄さんが出てきて、怒鳴られた。
 「こら!おまえら。うるさか。はよう出ていかい!」
 実に凄みのある濁声
(だみ)だった。そして、とうとうこの小屋からも追い出されてしまった。この日は野仲のお陰で、とんだ厄日であった。



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