●人恋初(そ)めし始めなり
私は恋愛を単に、肉欲あるいは愛欲の範疇(はんちゅう)に必ずしも止め置かれるものではないと思っている。
男女の最初の出逢いは、単に、その場、その時のフィーリング的なものがあるかも知れないが、容姿や顔立ちの、見てくれから始まる肉欲あるいは愛欲は、決して一生涯に連れ添う、良き伴侶(はんりょ)となる相手に巡り合える事は意味せず、これにより良き伴侶を得ることは極めて稀(まれ)であろう。
容姿や顔立ちだけで、人生の伴侶を求めた場合、それが飽きないのは知り合っての、一年程度であり、その後は倦怠期を伴った腐れ縁となる。特に、男女の何(いず)れかに、教養などの人生を語り合う上での大事な要素が欠け落ちている場合、ただ可愛いだけの相手では直ぐに飽きてしまうからだ。これでは人形と一緒にいるようなものであるからだ。
人間は容姿や顔立ち以外の何かに、惹(ひ)かれる魅力があるからだ。
また、恋愛と云うものは、肉欲や性の問題にしても、肉を通じて愛情を確かめ、その確かめた結果、心が通い愛と云うものでもなかろうと思っている。肉を通じての愛ならば、例えば、男同士のともだち関係にある者は、ホモ関係により、肉を通じてのみ、その信頼関係が確保できると云うものであれば、何とも、肉は汚らしいものになってしまう。したがって、友人関係イコール男色主義者同士という図式は成り立たないはずである。肉の関係を通じ、男色に趨らない男同士の友情は、人類の歴史上多く存在している。
したがって、肉欲ならびに性の問題は、性欲を蔑視してそれを罪悪の最たるものと決めつけたり、逆に今日の進歩的文化人が唱えるように、愛欲や肉欲こそ、男女の心を通じ合う唯一の方法と考えるのは、甚だ賛成し難いのである。
しかし、今日の多くの恋愛小説や歌謡曲には、肉による愛を取り上げ、肉欲イコール心の疎通としているのは、何とも不可解な男女のあり方と云わねばならない。
例えば、恋愛を通じて、知り合った数日後、あるいは数ヵ月後、一旦許してしまった肉の関係は、その関係が深まれば深まるほど、その事後は虚しいものがあり、徐々に身も心もくたくたになって行くのは、恋愛を通じて肉欲に奔った男女であれば、誰ももが経験することであろう。
その上、相手に対して疑心を抱き、悩みを抱き、憎しみを抱き、嫉妬を抱き、悲しみを抱き、苦しみを抱き、こうしたものが相乗効果を為(な)して、虚しさのドン底に叩き落すからである。
何と、肉を交えても、それは永遠に持続できるものでない。「欲」というものは、これで満足できる状態には辿り着けないのである。それだけに空しいものがある。特に婚前交渉を重ねた男女ならば、このことは、よし切実に迫って来る事を、既に経験済みであろう。肉だけを通じて、男女が絡み合う行為は、その事後が、実に虚しいのである。大変な空虚を感じるのである。そして、それは想い出だけに、虚しさが残るものである。
また、男女の愛において、口先だけで、愛し、愛されたと言う事実は存在しても、時間が経てばそれは、一種の「想い出」に成り下がる過去の記憶でしかない。更に実体を追求しても、それは極めて抽象的で、ハッキリとした形で残る事はない。
恋愛を通じての、肉を交わした歳月は、それなりの意味があるであろうが、それを通じて、「幸せを感じる時短」というのは、瞬間的で、実に刹那的なものであろう。むしろ、苦しんだり、悩んだりする方が大きなウエイトを占めるのではないか。
ここには、肉に絡む腐れ縁が、後を曳く虚しさがある。それは、「肉愛」を通じての男女の愛情交換は、結果として、要するに引きずり回される側面が存在するからである。そして、一度、肉の絡んだ恋愛の中に突入すれば、頭で考えていた事と、肉体が求めようとする事は、同一性を持たないようになり、統一的な思考が崩壊してしまうのである。
恋愛を通じての肉の交わりは、統一性や同一性を欠くところに、多くの男女はそれによって苦しみ、悩み、悲しみ、離したくないとする独占欲と、その一方で嫉妬し、憎悪する不可解な現象が入り交じって、混乱を起こすのである。この結果、身も心も、くたくたとなる。それは恋愛と云う「愛」の根源に、肉体を通じて深く絡み合ったものは、それが深ければ深いほど、複雑さをまし、雁字搦めの腐れ縁の状態になるのである。
これは則(すな)ち、愛憎という「愛」の根源に潜む、魔物に人間は支配されると言う現実があるからだ。
したがって、肉体の交わりという一線を超えれば、後は倦怠期と云う、狎(な)れによる腐れ縁が派生するのである。それは長年連れ添った夫婦の多くが、狎れにより、性を軽々しく弄(こてあそ)んだ代償として、倦怠感の中に突き落とされるのである。これは夫婦関係だけではなく、恋人関係でも同じだろう。その代償は、肉の絡み付きは根深ければ根深いほど、大きなものを払わされるのである。
私は、これまでの多くの失敗を通じて、性は軽々しく弄ぶべきでない。これをやらかせば、とんでもない火傷(やけど)をする恐れがあると考えていた。その火傷の始まりが、肉に絡めた恋心であり、恋愛を通じた矛盾は、結果的に二律背反(にりつはいはん)の恐ろしい牙に懸(か)けられることである。しかし、恋愛行為にこうした牙が潜んでいる事を知らず、安易に容姿や顔貌から入って、腐れ縁状態に遭遇する男女は少なくないようだ。
その意味からすれば、由紀子は、単に在(あ)り来たりの、鑑賞用の美人ではないのだ。とびっきりの実力を備えた、滅多に居ない、特異な女なのだ。これは私の安易な結晶作用が齎した結果に於ての評価ではなく、魂に触れて、これが判明したのであった。由紀子を、肉の塊と視るよりは、肉の内部に躍動する魂の根源に、そうした崇高なものが潜んでいる事を、私は見て取ったのである。
たからこそ、おめおめと指を銜(くわ)えて、ここで由紀子を篠田氏に奪われることは、何とも口惜しい限りであった。しかし策を弄(ろう)しても、おいそれと、いい案は浮かんでこなかった。
─────『シラノ・ド・ベルジュラック』というエドモン・ロスタン(Edmond Rostand/フランスの劇作家で、初め詩人となるが、後に軽快な韻文劇で知名を得る。1868〜1918)の著わした有名な戯曲がある。この中の主人公シラノ・ド・ベルジュラックは、十七世紀半ばに実在した人物であり、パリのガスコン青年隊と称する貴族で組織された戦闘隊の隊員であった。彼は、文武両道に優れた剣士で、パリでは無双の遣い手として知られ、また、同時に詩人であり、哲学者であり、音楽家でもあった。
ところが彼には、人並外れた大きな鼻の持ち主で、その容貌は不様の一言に尽きるものだった。
人が、シラノの鼻を見て、少しでも嘲(あざ)ける者がいれば、容赦なく叩き付け、さもなくば得意の哲学的毒舌ならびに鋭い舌峰(ぜっぽう)をもって、相手を完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめすのであった。剣の才能に恵まれ、豊かな教養の持ち主であったシラノだが、自分の貌(かお)が醜いと云う事だけは、何とも残念でならなかったのである。
その為に、身分の高い貴族でありながら、女性から一切ちやほやされず、また、女性から、愛される幸せにも遭遇しなかったのである。
そんなシラノにも、長い間、心の中に密かに想う、従姉妹(いとこ)のロクサーヌという美貌(びぼう)の女性が居たのである。しかし、シラノは彼女に対しての思慕の想いが傾けば傾くほど、自分の貌を思い、自らの醜い巨大は鼻が、総てを一切帳消しにするのを知っていたのである。
一方、ロクサーヌは自分の従兄弟(いとこ)のシラノが、自分に対して、これほどまでに烈(はげ)しい恋心を抱いて、情熱を傾けているとは、全く気付かなかったのである。ただ、シラノの事は、顔貌(かおかたち)は醜いけれど、心根は優しく、包容力のある兄のように彼の事を考えて居たのである。
こうした、その頃に、ガスコン青年隊に美男なるクリスチャン・ド・ヌーヴィレットという貴族の青年が入隊してきたのだった。彼のマスクは実に均整がとれ、その面貌(めんぼう)は、まさに美男子の形容に相応しい、それであった。
ところが、クリスチャンは教養や才智にかけては、並の凡夫(ぼんぷ)の域を出らず、然(しか)も剣の腕前も、そこそこの凡庸(ぼんよう)な男だったのである。つまり、外形的な顔貌や容貌はそれなりに見栄えのするものの、その精神面や気質である、この分野に於ては、今日で云う、「可もなく不可もない善良な市民」という、この程度の分別知(ふんべつ‐ち)の持ち主であった。
このクリスチャンが、ある日、ロクサーヌを見初(みそ)めて、彼女に恋をしたのである。また、ロクサーヌはロクサーヌで、自分の前に顕われたクリスチャンは、颯爽(さっそう)として恰好よく、処女の彼女はクリスチャンの容貌に、一目見て心を惹(ひ)かれたのである。
シラノはロクサーヌから、クリスチャンを恋している事を告げられ、一瞬狼狽(ろうばい)して大変なショックを受けるが、しかし、ロクサーヌはシラノを兄とも慕う間柄であり、彼はロクサーヌのために一肌脱ぐ事を決心するのである。
しかし、シラノの本心は、自分もロクサーヌを愛していて、非常に苦しむのである。そして、苦しみ、悩み、悲しんだ末に、遂に到達した心境は、自分がロクサーヌを想う、その恋に殉(じゅん)じようとしたのである。
この心境は、まさに『葉隠』を彷佛(ほうふつ)とさせるものであり、『葉隠』の、「忍ぶ恋」に匹敵するものであった。
シラノは、それからというものは自らの恋に殉じる為に、積極的にロクサーヌとクリスチャンが結ばれるように働きかけ、奔走するのである。
その奔走の第一は、凡庸で凡人レベルのクリスチャンに、ロクサーヌへの恋文を代筆してやることであった。わが憧れのロクサーヌに、まるでわが心をぶつけ、美しい語句をふんだんにちりばめて、愛の籠(こも)った手紙をクリスチャンの代筆者としてしたためたのであった。それはあたかも、自分がロクサーヌに恋の告白を打ち明けるが如くの烈しいものであり、熱烈たる恋文を書き上げたのであった。
次にその第二は、二人の中を、出来るだけ積極的に接近させ、仲を取り持つ事であった。その為に、様々な機会をつくり、二人の恋仲を成就させる為に、脇役に徹した事であった。
ロクサーヌは、恋文を貰った時、それがシラノの代筆による恋文とは知らず、これを受け取り大喜びするのである。「わたしのクリスチャンさま」と、天にも登る気持ちだったのである。
しかし、ロクサーヌは、自分の受け取った愛の告白が、誰の手によって作られたか、誰の口から吐露(とろ)されたのか、全く知らないまま、それがクリスチャンの唇から出たものだと、信じて疑わなかったのである。そして二人は、烈しい恋仲の恋人同士となるのである。
この当時のフランスは、ドイツならびにハンガリーと砲火を交えて居たので、ガスコン青年隊は、やがて最前線へと派遣される事になる。シラノもクリスチャンも、戦士として隊列に加わり、最前線へと赴いたのである。
最前線での戦闘は激しさを増し、その戦場は激戦地と化して居た。この激戦地では、次第に兵糧(ひょうろう)にも困るようになり、戦闘も日増しに激しくなり、やがて死を決意しなければならない状態に陥って行くのである。
この時、クリスチャンはシラノに向かって、これまでのロクサーヌに対する慕情を訴え、またシラノは自分のロクサーヌに対する恋慕の思いを告白するのである。
こうした中、ロクサーヌは戦場に赴いた恋人のクリスチャンに、益々想いを募らせ、ついに一大決心して、ガスコン青年隊が戦っている陣地へ馬車を仕立て、大変な危険を冒して、戦場まで出向くのである。この戦場は、俗に言う「アラスの戦い」である。
クリスチャンはロクサーヌが戦場までやってきたことに大変驚くが、ロクサーヌにこうした思いを決意させた背景には、シラノの助けがあって、シラノが自分のために恋文を書いてくれたからだと知るのである。彼は自分の力で、ロクサーヌを射止めたのではなかった事に激しい衝撃を受けるのである。
ロクサーヌが此処までやって来たのは、シラノの書いた恋文が自分の心の打ち明けではなく、シラノそのものの恋の打ち明けであった事に、計り知れない衝撃を受けるのである。結局、ロクサーヌを此処まで連れ出したのは、シラノの恋の打ち明けが、彼女をこうまでして危険を冒させ、激戦地までやってこさせたと考え、これに耐えられなくなるのである。
こうした最中、敵弾の一発がクリスチャンを貫き、彼は倒してしまうのである。クリスチャンの死を知ったロクサーヌは酷い悲しみに暮れるが、この機を利用してクリスチャンに変り、ロクサーヌに付け入る事は、シラノは、しなかったのである。シラノは、ただただロクサーヌへの忍ぶ恋を貫いたのであった。
ロクサーヌはクリスチャンの戦死後、めっきり気力が衰え、次第に老け始めた。それから十五年の歳月が流れ、初老を迎えたロクサーヌは、未亡人としてある尼僧の修道院に身を寄せていたのである。目は衰え、躰は日増しに弱って行くロクサーヌであった。シラノは毎日此処を訪れ、ロクサーヌのために新聞を読んでやるのであった。
しかし、シラノはロクサーヌに、自分の心の裡(うち)は、一言も打ち明けるものではなかった。ただ、彼は毎日の習慣に従って、新聞をロクサーヌに読んでやるのだった。
ところが、ある日、シラノは修道院に向かう途中、ある家の二階から落ちて来た材木により、頭にそれを受けて重傷を負うのである。それを知ったロクサーヌは、直ちにシラノを見舞うのである。シラノは既に重傷のため、もう、そんなに長い命ではなかった。
そして、シラノは最後の願いとして、ロクサーヌが肌身は出さず持っているクリスチャンの恋文を見せて欲しいと頼むのだった。一字一句、間違いなく暗誦しているシラノは、ロクサーヌが読む声に合わせて、自分の諳(そら)んじた声を重ねるのであった。
その時、ロクサーヌの顔色が突然変るのである。彼女は自分に恋を囁(ささや)いた男は、クリスチャンではなく、実はシラノだったと気付くのである。
しかし、彼女がそれを読み終えた時、既にシラノの息は絶えて居たのである。シラノは、自分の生涯を賭(か)けて、男の心意気を貫いたのである。男の意地を通したのである。見上げた男と云うべきか。
私は、エドモン・ロスタンの著わした有名な戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』に、『葉隠』の「忍ぶ恋」を重ねて居たのである。
─────乗馬クラブで別れた後、由紀子は何度か道場に電話を掛けて来たらしかったが、彼女から電話が掛かって来ることを事前に予知していた私は、他の者を電話口に出させ、「俺だったら、今、所用で出かけているので、此処には居ない」と言え、というふうに指示しておいた。
これで彼女は、私への気懸(きが)かりな心配を募らせ、私の術策(じゅつさく)に落ちるのである。これは外れているかも知れないが、私にはそんな自信があった。
自分自身の自負と言うか、自惚れと言うか、そんな自信があったのである。これによって彼女は「不測の出来事」を心に思い、それを予期し、その心配を今一層募らせるのである。彼女の泣きどころは母性が強いことである。先天的かつ本能的な愛情は、危ない者を保護しようとする、この愛情が、由紀子は人一倍強いのである。私はこのような、他愛のない計算と策を巡らせていたのである。
私は、「すれ違いの恋の方程式」を画策したのだった。
それは、戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』がいうところの、「安定は情熱を殺し、不安は情熱を掻き立てる恋の方程式」だった。恋愛と云う情熱の焔(ほのお)の中には、魔物が潜んでいるのである。その魔物は、男女がお互いに相手のために、苦しみを与え、傷つける行為に及んだ時、「かえって燃え上がる」という働きをするものだったからである。
恋人関係に、総ての障害物や不安が無くなった時、その恋の焔は沈火に向かうのである。一方逆に、不安となり、お互いが離れ離れにある環境の時には、今にも況(ま)して、恋の焔は激しく燃え盛るのである。人間の心中には、こうした「すれ違いの魅力」に惹(ひ)き付ける魔物が棲(す)んでいる。
彼女は無視されたことで自尊心は傷つけられたのだろうか。そんなしつこさが、私への電話の応酬(おうしゅう)であると思われた。一端は捨ててみたものの、実は気掛かりなのである。母性の強さから来る、母親のような性質が、一方で泣きどころとなるのである。私はそのように、背後から彼女を値踏みしていたのである。
恋愛は、愛の形を形作る前の、情熱に他ならない。その実体は愛情ではなく、愛情以前の情熱なのだ。したがって、情熱を秘めた恋は、簡単には色褪(いろあ)せないが、一旦安定に落ち着くと、恋の焔は沈静化に向かうのである。
不安と不安定と離れ離れになる構図は、この時、私の術策により仕掛けられたのだった。
─────そんな次の日、特攻隊の、とうとう『半日、百万』の裏仕事の日がやって来た。
私はこの仕事を、由紀子と篠田氏の関係を半分嫉妬したような、そして、半分自棄糞(やけくそ)のような気持ちで請け負った。
もし、これを請け負ったことで、私自身が滅びて了(しま)うのなら、それはそれで、いいと思っていた。
(毒を食らわば皿まで……。あとは野となれ山となれ……)そんな寂しさから、頭が馬鹿になりかけていたのだ。麻痺していたのである。
なるようになれ、という気持ちで、白黒の決着がつくまで、行き着く所まで行き着かなければならないのである。ここまで来たら、後には退(しりぞ)けず、もう誰も止められないのだ。サイは投げられたのだ。それが良き結果に終わるか、悪(あし)き結果となって顕(あら)われるか、それは天のみが知ると言う気持ちで、私はわが心を殺して懸(か)かった。
百万円がこの半日で転がり込んで来れば、小我(しょうが)を殺して、大我(だいが)の道場運営資金の、肥(こやし)程度にはなるであろうと踏んでいたのである。資金に窮する貧乏人の考え方であった。貧し過ぎようが、既に請け負ったことに貧富の差は生じず、守備よく終わるか、それが外れるかの、ただのそれだけであった。
私はこの仕事の相棒として、大谷と言う忠実な道場の指導員を選んだ。彼に午前8時、道場に来てもらった。大谷は自分の仕事を途中で放棄して、会社を無断で抜け出して来たと言う。
予(あらかじ)め背広を着てくるように指示していたので、彼は背広で来た。
私も成人式の日、母に作ってもらった一張羅(いっちょら)の背広を着ていた。背広の色は紺が好きだったので、それを着たら、彼も同色系統の色の背広を着て着た。そして大谷の車で、黒崎の江川組の事務所まで行った。
若頭の石田という、今度の仕事の世話人が、札束の入った大型のアタシュ・ケースを持って来て、私たち二人に説明をし始めた。そのケースの中には、全部五百円札が入っていて、枚数は全部で千枚、合計で五十万円という。これを投票場の前で、選挙投票通知票と交換に配れという指示であった。不正投票の依頼である。
当時の選挙は、今と違って一種のお祭りであった。このお祭りには、選挙ブローカー達が一堂に会する。巧妙な智慧(ちえ)比べが始まる。したがって、選挙ブローカーや選挙事務所の運動員は、したたかな上に、これを犯罪だとは思っていなかった。捕まっても、直ぐに出られた。しかし、こうした取締も次第に取締がきつくなり、警察は検挙の手を緩めなかった。
ところが選挙に勝てば、開票と同時に官軍になれるのである。少々の悪事は不問に付(ふ)されるのであった。そして依頼主は、選挙ブローカーの悪智慧で、必ず勝つと信じていた。だから勝たねばならないのである。猿は木から落ちても猿だが、国会議員は選挙で落ちれば、唯の人なのである。威厳は一夜にして崩壊するのである。
指定区域の選挙投票整理票が、どういう手段で集められたかは知らないが、兎(と)に角(かく)千枚集められていた。この千票は大きかった。確実に次点票を引き離せるのだ。そして、その横に百万円の入った紙袋が置かれていた。
車も用意されていた。74年式の紺色のキャデラックである。この車を大谷に運転させた。左ハンドルで、しかも車幅が広いので運転し辛かったようだった。特に細い道に入った時など、車に傷つけないように、かなり気を使っていたようだ。
彼の運転は、元タクシー・ドライバーだけあって、この車にも直ぐに慣れ、操車は見事なものだった。キャデラックは衣擦(きぬずれ)の音をたてて、静かに進み行く貴婦人のような気高さだった。そして輻輳(ふくそう)する車の間を滑るように走って行く。
端から見れば、背広を着込んだスマートな近代やくざが、高級外車の乗り回しているように見えるだけである。したがって、他の車は必然的に道を開けるのである。そんな他愛のない優越感に浸っている時、彼が私に声をかけた。
「先生。大きい車はいいですねェ。こんな凄い車乗ったの、生まれて初めてですよ。先生も中々顔が広いですねェ」と、まるで子供がはしゃぐような声を上げた。
彼は私の本当の正体を知らないようだ。知らないからこそ、この仕事の依頼に同意したわけで、知っていたら同意する筈がない。今から犯罪を犯そうとしているのである。彼にとっては、ただキャデラックを運転していることだけが問題なのであろう。私の裏家業など知る由(よし)もないのだ。だからこう訊(き)かれた時、再び後ろめたさと、憂鬱(いんうつ)さが込み上げてきたのであった。
私の裏家業は、しがない選挙ブローカーなのである。道場主が表か、選挙ブローカーが表か、あるいはその逆か、彼はこのことを知る由もない。私の反省は、このような純真な青年を犯罪に巻き込んだことに、何らかの後味の悪さがあった。
この不正投票とも言うべき依頼主の親玉は、A競艇場の警備をしているB警備保障株式会社の代表・佐々木慶太の政治派閥の親分筋に当たる、当時、保守党衆議院議員、保守党政調会長の木村源治であった。私たちは、この代議士の秘密特攻隊員となったのである。
秘密特攻隊員は、現行犯で逮捕されても、任意出頭を命じられ、あるいは逮捕されて、精神的あるいは神経的な拷問(ごうもん)されても、絶対に口を割らないというのが、この家業の意地であり誇りであった。
私と大谷は、自分たちの顔が覚えられないようにと、前金としてもらった二十万円の金で、近くのメガネ屋で二万円もする金縁の高級サングラス二つと、靴屋で三万円の白と黒のツートンカラーの高級革靴二足を買った。各々一方は大谷の分であった。
財布が朽ち果てていたので、ついでに鞄屋に寄り、鰐皮(わにがわ)の高級な札入二つを値叩きして二万五千円で買って、一つを大谷にやった。貰った金が天から降って湧いた泡銭(あぶくぜに)である以上、痛い出費をしてしまったという金銭に対する感覚が全くなかった。もう既に、金の桁(けた)が分からなくなる程、金銭的な麻痺が始まっていた。
鏡の前に立った二人は、その姿を見比べた。やがてお互いに向かい合ってニッコリ微笑した。どう見ても傍目(はため)は、ヤクザである。そして再び車に乗り、ゆっくりと車を走らせ、指定された投票場に向かった。そこで車を止めて暫(しばら)く待っことにした。
車のボンネットに、五百札の入ったアタシュ・ケースと選挙投票通知票を乗せた。やがてこの車の周りに、烏合の衆と化した老人たちが、金の匂いに釣られて、密に群がる蝿(はえ)のように集まり始めた。
外車に乗って行った理由は、この老人たちを凄(すご)みで脅(おど)し、柔順な下僕(げぼく)にして威圧するためであった。この当時の投票会場では、この手を、保守系の運動員たちや、裏で選挙工作を依頼された選挙ブローカーたちは、よく使ったものである。
こうした手法は、今日の選挙では見られなくなったが、これと同じ事をやっているのが、街金の借金取立であり、彼等がベンツなどの高級外車を使って押し掛ける理由は、下層階級の庶民に対し、威圧を与えて、従順な下僕(げぼく)に仕立て上げるためである。
もし、こうした威圧を与えなければならない時に、1000ccクラス程度のファミリー・カーで押し掛けでもしたら、直ぐに嘗(な)められてしまうからである。
来た順に名前を確認し、金と選挙投票通知票を渡し、投票用紙には、「きむら」と書け、と念を押した。
この単純に思える仕事は、何処かで警察の目が炯(ひか)っていることを覚悟しなければならないので、実は相当な度胸と肚(はら)構えがいるのである。警察の監視の目が何処かで炯っていないかを背中に感じながら、大胆不敵に、悠々(ゆうゆう)と実行しなければならない。
度胸がなくなり、びくついたり、おどおどした様子を少しでも見せれば、老人たちからは、こうした心の動揺を直ぐに察知されてしまうのである。
更に筋金入りの肚の据(す)わった欠如が疑われれば、直ちに嘗(な)められてしまうのである。双方は互いに騙(だま)し合いの、腹芸を披露するのである。老人は弱々しそうに見えながら、実は人間の心を読み取る、狡猾(こうかつ)な生き物なのだ。
したがって、ここには手慣れた素早さと、何処かで誰かに見られている二重の警戒が必要なのであった。
しかし、千人分の金と選挙投票通知票は意外と早くなくなり、午後2時頃には、ほぼその全てが終わってしまっていた。これで一気に、千票は確実に基礎表の上に、上乗せされるであろう。選挙ブローカーとしての私は、その票読みの確信があった。
仕事が一段落したところで、この車を八幡中央町にあった高級料亭『むらさき』に走らせた。此処で、この日の仕事の報告をするために指定された所であった。此処に到着したら、密談の特別室で酒席の用意がされていた。佐々木が来ていて、私たちに温泉にでも行って、一時、姿を隠すように勧めた。
「どうだね、暫(しばら)くワラジを履(は)いてみないかね」
「はア……?」
「旅に出てみる気はないかね」
「旅ですか……」
「選挙結果が出て、政局が落ち着くまでだ」
「旅は、いいですね……」
「そうか、これで決まった」
「しかし何処へ行ったらいいんですか?」
「何処でも、君の好きな所に行けばいい。取りあえず温泉にでも行って、一ヶ月程、姿を眩(くら)ませることだ」
「いいでしょ」
ワラジを履く……。
早速そうしようと思った。しかし何故か、後ろ髪を引くものがあった。
そして今日の報酬(ほうしゅう)とは別に、三十万円のボーナスをくれた。佐々木は、さっさと此処を去ったが、私たち二人は、ここの高級料理に舌鼓(したつづみ)を打った。
それが終わって、黒崎に車を返しに行った。最初からの口約束であった今日の仕事料五万円を大谷に渡し、彼とはここで別れた。
私の手元には、僅か半日ほどの荒稼ぎで、一気に百万円以上の金が転がり込んだのである。
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