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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 22


 ─────次の日は、夜の寒さで熟睡できない儘(まま)、朝を迎えた。

 時計は既に保管されていたので、はっきりとした時間は分からないが、辺りはまだ暗かった。午前6時前後ではなかったろうか。
 落ち着かない心境の中で、微睡
(まどろ)みと、寝苦しい寝返りとを交互に繰り返し、その狭間(はざま)を行き来しながら、寒さで寝つかれない感想を持った朝であった。

 鉄格子
(てつごうし)の向こうの廊下側の電灯が、まだ薄暗く絞(しぼ)られて灯(とも)されていた。寝苦しい目醒(めざ)めは、起床とともに悪夢を思い出させ、天井のコンクリートの滲(し)みを、呆然(あぜん)と眺(なが)めならがらの呪(のろ)われた目醒めであった。
 夢の中の悪夢は、眠りから覚めても、それは延長されていた。疑心暗鬼を掻
(か)き立たせ、心を陰鬱(いんうつ)に陥れて、不安と恐怖が共鳴し、無限に膨張する何かが私の心を騒がせていた。そして此処は、「悪夢」という名の牢獄(ろうごく)であった。

 その時、房の奥から「点呼!」という大きな声がかかった。房
(ぼう)に繋(つな)がれた者は、ゴソゴソと床から出し、直ぐさま毛布を畳み、廊下側の鉄格子に向かって正坐(せいざ)しなければならない。点呼の時は「正坐」と決められているのである。そして巡回中の看守二名の、氏名の問いかけに対し、名を呼ばれたら、大きな声で「はい!」という返事をしなければならなかった。

 朝7時丁度に朝食が出された。
 当時、学校給食用に使われていた真鍮
(しんちゅう)か、アルミ製のアルマイトという軽金属製の食器茶碗に、「麦4」対「米6」混じりの飯がつがれ、その上に沢庵(たくあん)が二切れ載り、それと味噌汁と、冷えてしまったお茶が添えられていた。

 これはグルメとは言い難いが、この「麦」対「米」の配合は、中々絶妙なバランスである。麦4に対し、米6と言うのが、この絶妙さを維持しているらしい。
 俗に刑務所は、胃腸病院であるとも言われている。

 この根拠は、食事の際の「麦」対「米」の巧妙な配合にあるらしい。公費節約と言う意識が受刑者の胃腸に貢献しているという訳である。これはまんざら嘘でもないようだ。胃腸病に悩まされていた受刑者は、刑務所の食事をすることで、病気が治ったという話が数あるようだ。

 この時、不図
(ふと)死刑囚のことを思い出した。
 何かの本で読んだことがあるが、昭和30年代の死刑ラッシュの時、死刑執行の日の朝には、沢庵
(たくあん)が三切れ載っていたという。その日に刑の執行を受ける死刑囚は、「生」に執着するあまり、ろくに食事が咽喉(のど)を通らなかったと書かれていた。
 世間で云う、「沢庵三切れ」が縁起の悪いとされたのは、これに由来するらしい。

 私の茶碗に載っていたのは、二切れであった。どんなに最悪な状態になっても、死刑にだけは免
(まぬが)れるという変な安心感があった。
 先客の男は、その食事を待ちかねたように貪
(むさぼ)りついていた。私は食欲がなかった。一口だけ食べて、後はそのまま残した。

 それを見た、先客の男が、
 「兄さん、その飯食べないのなら貰ってもいいかね?」
 「お望みならどうぞ……」と言って渡したら、喜んで食べた。
 その食べ方はガッツいていて、食器のアルマイトの底まで削
(けず)りとってしまうのではないかという食べ方であった。味噌汁が多少辛めであるのか、この男は看守を何度も呼んで、「おやっさん、お茶くんねい」と言って、看守の警官を鉄格子の前に呼びつけていた。

 留置場では、看守の警察官を、「おやっさん」と呼ぶ。この「おやっさん」の階級は巡査であるが、これが警察機構の最下位に属しながら、留置された容疑者には中々手強
(てごわ)い存在であった。
 そして、この「おやっさん」の胸三寸
(むなさんずん)で、煙草や身内からの差し入れが決められるのである。容疑者の態度が大きかったり、ふてぶてしいと、これらのものは容易に手許(てもと)に届かない。届いたとしても、食べ物であれば腐っていたり、着替えの下着などの差し入れは、何処かで故意に汚されて届くらしい。

 面会は、警察で48時間、検察庁で24時間の拘束時間が終わらなければ許されない。手紙を書くことも、電話をかけることも一切禁止される。外部とは一切遮断され、完全に隔離されてしまうのである。
 食事が終わった後、再び護送車に乗せられ、Y警察署に連行された。
 Y警察署は、留置場が改修工事のため、このような面倒なことをして護送を繰り返していた。取調室に着くと、再び長々と同じ調書が取られる。

 私は取調官が犯行の核心を突いてくると、貝のように口を閉じ、その頑
(かたく)な態度を崩さなかった。それがまた取調官の機嫌を損(すこ)ね、何度も悪態をついた厳しい罵声(ばせい)飛んだ。
 ニエをきらした取調官は、苛
(いら)付いた様子が隠せない儘、間を置くためであろうか、それとも突っ込みの糸口を変えるためであろうか、訊(き)きもしない誰かの身の上え話しを始め、私に煙草を一本勧めた。
 喫煙の習慣がないというと、少し不機嫌そうな様子を見せながら、元の煙草箱の中に戻し、しんみりと身の上話しを始めた。

 しかし今日では、このような煙草等の、物を勧める行為は利益誘導になるため、原則としてはやらないようだ。したがって、テレビに刑事ドラマなどで、取り調べの最中、容疑者に煙草を奨めたり、カツ丼や、その他の食べ物を奨めることは絶対にあり得ないのである。ただ、1970年代は煙草を奨める程度の、「人情泣き落しの策」は使われていたようだ。

 口を割らせることに手慣
(てな)れたこの取調官も、どうやら私には、お手上げのようであった。
 今まで使って来た、通り一遍
(いっぺん)の、他の容疑者と同じような遣(や)り方では通用しないと思ったのか、今度は紙と鉛筆を私に押しつけ、手に嵌(は)めてあった手錠を外し、
 「暫
(しばら)く待ってやるから、これにお前の犯行を正直に書け!きっとだぞ!」と念を押して取調室から出て行き、何時間もその儘(まま)放置された。

 これは一種の心理作戦のように思われた。こうした中、容疑者はこれ迄の過去の事をいろいろと回想するらしい。そして、その後の自分の身の振り方を、どのようにしたらよいか、一通りの損得勘定に則って身の処し方を決めるらしい。
 そのために、情状酌量を狙って、これまでの犯罪の一切を吐露
(とろ)し、自分の裁判での立場を少しでも良いものへと画策するらしい。私も過去の事が、何度か断片的に脳裡(のうり)を交錯した。

 夕方の5時近くに再び戻って来て、私が何も記載していなかったのを見ると、机を叩いて烈火
(れっか)の如く、大声で怒鳴った。そして「時間切れ」となり、昨日と同じような時間帯で、再びT警察署の留置所に護送されて帰って来るのである。
 この日は、護送されて帰って来た時間が早かったので、夕食は此処で取ることになった。

 麦飯混じりの飯の上にカツ丼の具が盛られていた。豚肉を包んだ小麦粉の衣は、下手な調理で酷
(ひど)く焦(こ)げ、味は極めて不味(まず)かった。砂糖と塩を間違えたのではないかと思う位に食えない味だった。更にその不味さに拍車を掛けたのは、それが冷えて、油分がゼラチン状に凝固していることだった。私は半分食って、後は残した。

 これを見た昨日の男が、
 「兄さん、それもう食べないの?貰っていいかなァ」
 「いいですよ、どうぞ」
 男は常に腹を空かせている様子であった。見るからに育ちが悪く、片方を立て膝のまま貪
(むさぼ)りついて、掻き込むような箸(はし)使いで食事をしていた。そして、この日も終わった。


 ─────次の日は、朝の食事が終わって暫
(しばら)くすると、検察庁の私服を着た警務官のような者が二人、私を福岡県検察庁小倉支部に護送した。

 私の手に手錠をかけ、全く逃げる気配のない私に、両脇からカッチリと組付いた。その不快感に身をよじると、更に強く抑え込むように組付いて来た。不図
(ふと)こうした、強い組み付きも、果たしてこれまで会得したと思える「合気」で、振り解(ほど)けるか、そしてこれから脱出できるか、そんな途方もない事が一瞬脳裡(のうり)を翳(かす)めた。
 もし、柔剣道で鍛えた警察官の猛者にこれが出来れば、今まで私が教わった「合気」は真物
(ほんもの)となる。

 よく、大東流や合気道の演武会などで、数人のド素人の観客を舞台に上げ、演技者の師範が「合気」と称して、数人相手に技を掛けることを遣ってみせるが、あれは相手がド素人であるから、それらしい技が掛かったように見えるのである。実際には、柔道や相撲、アマレスなどで鍛え抜かれた相手であれば微動だにしないものである。しかし、この「微動だ」にしない相手を外すことが出来たら、それは本物であろう。果たして外せるか。
 護送される途中、一瞬こんな途方もない事を考えたのである。しかし、それは行動にならなかった。

 私が抗
(あらが)う度に、連行者は腕を捻ったり足を踏んだりして、盛んに服従を強制するのである。連行者二人が自分らの型に、私を嵌(は)めようとしていることは容易に分かった。多くの容疑者達が、こうした強制に服従したのであろう。一種の屈辱であった。私も彼等二人に、服従し、平伏(ひれ)されなければならないのか。

 検察官の取り調べは、警察の取調官の比ではない。
 融通
(ゆうづう)もきかなければ、また人情味も温情味も無く、こうした人情の機微(きび)の配慮の無さは、遠く警察官には及ばない。

 司法資格
(司法権の行使に関与する立法・行政資格者で、裁判官をはじめとして、検事や弁護士がこれに入る)を持つ彼等は、頭脳の構造が些(いささ)か違うためか、話術での脅迫と拷問(ごうもん)が、実に巧みである。憶(おぼ)えがない等と空惚(そらとぼ)けると、皮肉たっぷりの激しい罵声(ばせい)が飛んだ。容疑者に人権など全くないのである。
 惚
(とぼ)ける度に、何度も誘導尋問(ゆうどうじんもん)のような質問方法で切り返して来て、自らの培ったこれ迄の個人的な人格を潰(つぶ)しにかかる。既に罵倒により、人格の破壊が始まっていた。罵り、侮辱し、軽蔑の限りを尽くして、汚らしく「お前」という。

 気の遠くなるような浩瀚
(こうかん)な検事調書は、安易な逃げ場を許さない。告白したことが事実であろうとなかろうと、法的権力階級の描いた表現能力に劣っていれば、新たに「反省の色なし。情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の見込みなし」という冷たい烙印(らくいん)が押されてしまうのだ。罵倒されても、自分を失わずに耐えるしかないのである。また、此処で逆らえば、身に覚えの無い汚点が付けられるのである。
 重要参考人や容疑者はそれを嫌って、譲歩し、改心の意を認めながらも、検察側有利の軽薄な自白さえしてしまうことがある。誘導尋問の巧妙な罠
(わな)に引っ掛かったり、早く楽になろうとして、自分の罪ではない事まで、安易に認めてしまうのだ。

 「これはお前が殺
(や)ったのだろう!?」と迫られれば、「はいそうです」と応えてしまうのが、冤罪(えんざい)を生む元凶となっている。

 検察官自身、自らの頭脳をひけらかし、国家権力という組織に、その身分が保証され、それに胡座
(あぐら)をかいた検事の鋭い問い詰めには、実に厳しいものがあった。

 取調室には、検察官の他に一等低い書記官が居て、検察官が頭の中で整理し直した文章を、書記官が改めて筆記し直すという方法で調書が記載されていく点は、警察の取調官の不能率なやり方と全く違っていた。

 それは刑事より検事の方が、その頭脳も地位も高いためであろう。しかしこの検察官に、知性の面において恐るべき能吏
(のうり)に相応しい、高等な冷静沈着さを読み取ることは出来なかった。公益の代表者として、一定の権限を有する行政官という国家機構の役人としては、実に俗人ぽく、世間知らずで、法の上級機関の官吏と云うイメージではなかった。難解な司法試験に合格し、司法権の行使に関与する官吏の官名である「検察官」という呼び名は、絶大な権力を持っていた。その一方で、頭脳と地位を保証する高級官吏は、人間的なアンバランスな一面が隠せないわけでもなかった。

 昼食に食べたと思われるレバーニラ炒めの口臭は、想像を絶する酷いもので、異常に不愉快だった。その口臭と共に、ひしひしと伝わってくるのは、耳を疑いたくなるような、社会正義を振り回す愚痴
(ぐち)であり、何という愚鈍(ぐどん)、何という非常識な、滑稽と苦笑したくなるような説教じみた言葉の連続であった。味噌も糞(くそ)も一緒くたにし、そして糞の位置に焦点を定め、事件をほじくるらしい。

 半ば脅迫的に尋問
(じんもん)を繰り返す検察官から滲(にじ)み出ているものは、形式的な、然(しか)も単純な、明治以来の伝統的官僚機構に代表された官憲特有の、カントからヘーゲルに至るまでの畸形(きけい)的なドイツ流の観念論や国家哲学の社会秩序の厳守であった。
 万民を正義の名の下
(もと)に厳守させるような通り一遍(いっぺん)の、滑稽で、耳障(みみざわ)りな説教以外に何も喋らなかった。恐らく彼は、民間社会の下々(しもじも)に課せられている荒波の実体など、凡(おおよ)そ想像出来ないのではあるまいかという、狭義的な世界でしか生きていない人種のように思われた。

 法学者の端
(はし)くれを気取るこの検察官は、現実社会が、死と苦痛の誘惑が稀(まれ)でない社会、あるいは不正が中枢の核心に渦巻いている現実を知らないのではないかという、安易な幼稚ささえ感じたのである。そこに法律と人間社会のジレンマが併(あわ)せて存在している現実性を、この検察官は見落としているのではあるまいか。
 どうやらこの検察官の思考の一部には、道徳的白痴
(はくち)という一種の不幸現象が蝕んでいるように思われた。

 私は、そしてこの検察官に、些
(いささ)か反抗的な態度を示した。またそれが検察官の敵愾心(てきがいしん)を煽(あお)ったようだった。
 話の所々に、私に対する敵意のようなものが漂っていた。恐らく検察官の脳裡
(のうり)には、私の罪を一等でも、二等でも重くするような画策を巡らせているのかも知れないという、不穏(ふおん)なものが感知された。

 兎
(と)に角(かく)私は、検察官の問い詰めに苦悶(くもん)しながら、此処で24時間拘束されることになった。
 警察と検察庁で合計72時間を拘束され、私は国家権力の前にその身を屈したのである。
 そして次の日、再捜査続行のためにT警察署に戻されていた。

 Y警察署の捜査二課も、些
(いささ)かお手上げの状態であるらしく、私の別件容疑を洗っているようであった。選挙違反容疑を、別件の傷害罪で埋(う)め合わせる気でいるらしい。しかしその洗い出しは、かなり手間取っているようだ。
 同室の男は、既に他に移されていて、もう此処には居なかった。
 この日は、食事が終わっても何の取り調べもなかった。実に退屈な一日であった。

 食事が不味いので、殆ど食べないで、看守に見られないように水洗便所に流した。食事を摂らずに栄養失調になることだけを考えていた。あるいは看守の隙
(すき)を見て醤油をがぶ飲みし、心臓発作を起して、その儘(まま)、病気になって病院行きになることを期待していた。
 それから、このような日が三日程過ぎたであろうか。

 私は72時間の拘束を受け、更に三日以上も収監されて、尚も釈放されなかった。どうやら別件で拘留延長をして、再逮捕する気でいるらしい。

 司法警察員、つまり取調官は都道府県の公案委員会から特定の資格を与えられ、同時に彼等は、裁判官に対して逮捕令状を請求できる資格をも与えられている。
 しかし逮捕令状を得て容疑者を逮捕しても、その身柄を拘束できるのは48時間でしかない。つまり国家権力が容疑者を拘束するのは警察が48時間、検察が24時間、合計72時間なのである。

 しかし通常の場合、それ以上拘束しなければ捜査できないのが現状である。そのために拘留期間の延期を申し出るのであるが、この延期拘留を請求できるのは取調に当たった警察官には権限がなく、警察官は検察官に頼んで拘留請求をしてもらうのである。
 つまり検察官の胸三寸で、容疑者は身柄を拘束されたり、あるいは「この事件は立証不足で駄目だ」といわれれば、即座に釈放が命ぜられ、解き放たれたりする。身柄を拘束する場合、これらを「検事拘留」という。

 検事拘留の期間は十日間であるが、これより更に延期拘束が認められれば十日が追加され、これらを合計すると、警察での留置、検察での留置を加えて結局容疑者は二十二日間の身柄を拘束されることになる。そして捜査機関が、容疑者の身柄拘束の限度日数は二十二日間なのである。

 私は検察官の胸三寸で検事拘束が適用されたらしい。検事取調の際、敵愾心
(てきがいしん)を煽(あお)り、何かしら敵意を抱かれたことが、この請求の原因になっているらしい。こうなっては諦(あきら)めるしかない。此処に居ると段々時間の感覚と、日付けの感覚が分からなくなる。ただ空白な時間が意味もなく流れていた。

 いつも身奇麗
(みぎれい)を心掛けていた私であったが、収監を三日以上も上乗せされて、この中に留められると、不精髭(ぶしょうひげ)をだらしなく伸ばし、段々世間と隔離されていくような状態に陥っていくのに気付き始めた。

 風呂に入る場合は、看守がいつも付いていて、一人僅かに15分以内と決められていた。私は着替えを差し入れてくれる者がいないので、風呂場で自分の下着や衣服の洗濯もした。剃刀
(かみそり)はT字型の安全剃刀だけが許可の出る剃刀で、他の型式の剃刀は許可が出ない。私には面会者の差し入れはおろか、T字型の剃刀を持ち合わせないので、伸び放題の髭も剃ることが出来なかった。もうここでの生活は拘置所や刑務所の、私の代用監獄として当てられていた。

 次の日も退屈であった。もう何日入っているか分からなかった。恐らく世間は正月の真っ只中であろうと思った。
 務所帰りの者から、冬の刑務所は寒いと聞いていたが、此処も、とにかく寒い。獄舎の中で、何が一番辛いかというと、太陽の拝
(おが)めない冬以外に、それを上回るものはない。

 一日中留置場の中に閉じ込められていると心身ともに腐ってくる。青鼻がズルズルと垂れきて、鼻をかんでもかんでも、それを抑えようがない。ただ、寒さの中で孤独に耐えてじっとしているしかない。散歩も運動も、外の外気に触れることもできない。

 少年の頃、春の公園で、のんびりと手足を伸ばし、日向
(ひなた)ぼっこをする老人を見かけたことがあるが、私はあれを、当時自分とは無縁のものと思っていた。
 しかし、こうして獄に繋
(つな)がれ、太陽の光から一旦遮断(しゃだん)されてしまうと、その温(ぬく)もりが一番貴重なものであることを思い知らされる。ある意味で、此処は拘置所や刑務所より残酷な場所であった。

 刑も執行されずに、だらだらと留め置かれ、動物が檻
(おり)の中で、一生閉じ込められて生涯を終わるような状態になるのではないかという恐怖感が、脳裡を翳(かす)める場所でもあった。一旦刑が決まれば、その刑期を模範囚(もはんしゅう)として過ごせば、いっかは裟婆(しゃば)に出られる機会があるが、刑の決まらない留置場暮らしでは、だらだらと伸びることがある。

 日本の現行法は、基本的には疑わしきは罰せずであるが、それを裏から解釈すれば、疑わしきは別件に持ち込んで逮捕状を用意し、徹底的に罰すると言うことなのだ。それが一つの恐怖だったのである。

 毛布に包まって、高い格子の付いた窓から、空の様子を窺
(うかが)った。外は霙(みぞれ)混じりの冷たい雨のようだ。そして私の眼は、この小さな窓越しに見える雨の中に投げられていた。


 ─────今回の選挙違反容疑の決定的な弱点は、誰かが事前に手を打って、保釈金を積んでくれるという保障は何処にもない点であった。従って、この儘
(まま)ここから裁判所の公判を受けて、実刑を食らい、刑務所行きになる恐れが十分にあった。もし、そういう羽目になった場合、事は最悪となる。

 今回の場合、欠点は幾つかあった。
 弁護士費用がないため、弁護人は当番性の国選弁護人となる。
 国選弁護人は、その殆どが司法研修習生を了
(お)えて、数人の弁護士なりたての者が合同で法律事務所を開いたばかりの、若い経験不足の弁護士のため、判例経験が実に乏しい。その上、裁判官にも検察官にも顔が利く知り合いが少ない。これらは皆無と言ってよい。
 経験の乏しい彼らが、敏腕
(びんわん)な凄腕検事を相手にして、有利な裁判を展開できるわけがないのである。

 国選弁護人という制度は、刑事事件に限り、国が当番性で新米の彼等を指名し、弁護士費用の払えない容疑者や弁護の引受手がない容疑者のために、その弁護に当たらせるもので、裁判の正当性を厳守するための「形式的なもの」に過ぎない。
 また裁判実験の、彼等の実習の場にも使われるのだ。
 したがって検察側の主張する強引な求刑を覆
(くつがえ)すような、弁護側の有利な公判審理の展開は、殆ど期待できないのである。これはただの形式であり、明治以来の裁判上の儀式である。
 地獄の沙汰だけではなく、裁判沙汰も金次第とは、この事である。

 よく、推理小説に出てくるような凄腕弁護士の出現で、公判審理を覆
(くつがえ)す逆転判決など、全く期待できないのだ。
 同じ有罪になるにしても、負け方が上手でなく、下手をすれば検察官の求刑通りになって、執行猶予の付かない場合すらあるのだ。そうなると事態は最悪となり、実刑判決を食らうことになる。

 それは弁護士を雇えない苛立ちと絶望感から起こる、私の辛い空想であった。一人で孤独な監房の中で考えることの恐ろしさは、「杯中の蛇影
(はいちゅうのだえい)」の恐怖に負けてしまうことにある。

 杯中の蛇影とは、『晋書楽広伝』
しんじょらくこうでん/晋代の正史で、唐の太宗の時、房玄齢らの奉勅撰)に記された、「蛇の姿が見えた杯中の酒を飲んで、重病になった人物が、その蛇が壁にかけた弓の絵が映ったものだと分ったとたんに治った」という故事に由来するものであり、疑えば、何でもないことでも、神経を悩ますもとになることの喩(たと)えである。

 ありもしない巨大な影に戦
(おのの)き、疑心暗鬼(ぎしんあんき)に陥ることである。それが長期化することによって、やがて不安は苦悩に変わり、苦悩は更に絶望感へと変わっていくのである。
 そして此処には、一縷
(いちる)の希(のぞ)みすら断たれた観(かん)があった。
 私はこの日、酷く、末期症状的な考えに陥ってしまっていたのだった。




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