●不起訴処分
それから二日経っても、拘留延長は続き、まだこの中に居た。
はっきりとした起訴する極め手がなく、疑わしいだけで、いい加減な収監をされると、容疑者には無罪を有罪と認めてしまう妥協が生まれ、恐怖心と苦悩が色濃(いろこ)いく滲(にじ)んで来るものである。
その結果、白を黒と言うような軽率な自白さえすることがある。希望のない暗澹(あんたん)たる現実の中で、私の頭もそのようになりかけていた。
監房の隅(すみ)で毛布に包まり、由紀子のことを考えていた。彼女は、一体どんな存在だろうと思う。私に関与してきた接点は何だったのかと思う。しかし、それを考えても、何も帰ってもない。短い間に様々な事があったと思うが、そこに残っているものはなにかと考えた場合、改めて残っているものは何もないと思うのである。
綾羅木(あやらぎ)海水浴場で遭ったあの日から思えば、今日までの時間は長いようで短かった。その場、その時には様々な、鮮明な想い出がありながら、いざ思い返してみると、漠然とした事しか思い出せない。所々に、確かに幸せな時間はあったと思うが、それが総てが瞬間的なもので、何の克明な記憶も残さないほど、朦朧(もうろう)としていて捕らえ所がなかった。
そして、これまでの一切のことが走馬灯(そうまとう)のようになって回り始めた。
各々の人の顔が思い出され、優しく微笑みかけてくる。過去の想い出が逆回転を始める。
その思い出の中には、平戸(長崎県平戸市)での幼馴染(おさななじ)みの美代子がいる。少年時代の想い人・千代が居る。教員時代、愛くるしく付き纏ったみどりがいる。道子がいる。そして艶(あで)やかに振袖を装った由紀子がいる。
しかし、誰もが漠然としていて、愛され、愛し、そうした想い出であっても、それは抽象的でありハッキリとした形は残らないものであった。朦朧とした輪郭(りんかく)だけが姿を顕わすが、やがて虚しさだけを残して消えて行く。そして、それが終わると、何とも言えない、投獄の辛(つら)さが襲って来る。
どうしようもない寂しさが、吹き付ける風と共に何処からともなく襲って来るのだった。まるで山から沖へ吹きおろす地嵐のように。
時々寒さと寂しさに負けて、頭を抱え込む程、辛い幻影が襲いかかって来るのである。
何処からともなく声がして、《お前は何をしたのだ?!》とか、《何て態(ざま)だ!見るがいい、お前のその姿を》とかの、ありもしない幻聴が聞こえ始めて来るのだった。一瞬自分でも、とうとう狂ってしまったのかと思わずにはいられなかった。
これには耳を塞(ふさ)いで抵抗するしかなかったが、塞いでも聞こえて来るようであった。それは外側からではなく、裡側(うちがわ)に潜む魔物のようなものであった。そして再び反省が込み上げて来た。
一方において、人格陶治(じんかくとうち)を試みながらも、糊口(ここう)を潤すために、富者の意の儘(まま)になって操られ、犯罪を働く。果たしてこれでいいのだろうか、そんな自己との鬩(せめ)ぎ合の葛藤(かっとう)であった。
釈放の夢空しく、絶望感と寒さの中で、毛布に包んだ躰(からだ)を監房の隅の壁に預(あず)け、膝を抱えた儘、身を震わせていた。私の心は、あたかも白蟻(しろあり)に食い尽くされた住居のように、ぼろぼろに蝕まれていた。
そんな時、横にいた男が、妙に躰を震(ふる)わせ始めた。どうやら、寒さのために発熱しているらしい。私は看守を呼んだ。
「看守!看守!」
「何事だ!」面倒臭そうに姿を著わした。
「病人が出た。医者に見せてやれ!」
「どうせ仮病(けびょう)だ。この男はこの前にもこの手で、脱走を図った」
「しかし容態(ようたい)が悪そうじゃないか」
「今夜は担当医がない。朝まで待て」そう言って戻って行った。
半分人権を失った容疑者の戯言(たわごと)など、一々気にしていられないという態度であった。
男が、「えろう、すんまへんなァ、兄さんに気を遣(つ)わせしもてェ。儂(わし)やったら大丈夫やさかい、心配せんでおくれやっしゃ」この男に、どこか人の良さを感じた。
夜の12時を回った頃だったと推測するが、この男の様態(ようたい)は益々酷くなって呷(うめ)き出した。私は見ていられず、
「おい、看守!この人の様態が益々酷くなっている。医者見せてやれ!」と怒鳴った。この男は、盛んに自分に構わないようにと遠慮しながら、私に「すんまへん、すんまへん」と仕切りに謝る。
看守が苦々(にがにが)しい顔をしてやって来た。
「明日の朝まで我慢しろ。これ位のことで、人間はそう簡単に死にゃあせん」
「何に言うか!お前は看守だろ。看守は被疑者の生命と人権を守る義務がある筈だ。早速医者を呼べ!」
看守は私の言葉にムッとしながらも、仕方なしに緊急電話から医者に連絡を取っていた。
15分位して、医者がやって来た。診察の結果、悪性の感冒という。この男は此処から連れ出されて、二度と戻ってこなかった。
男が立ち去ってから数時間たった。
早朝、私も発熱したようだ。躰の震えが止まらず、満足に歩くことも、立ち上がることもできない。震えとともに身を丸めて朦朧(もうろう)となり始めた。
(このまま斃(たお)れて死ぬのもよし)と、そんな囁(ささや)きが脳裡を疾(はし)った。
一瞬、脳裏に山頭火の、
霜(しも)しろく ころりと死んでいる
という行き斃(だお)れで、病死した旅人を詠んだ句を思い浮かべた。
私も、ころりと死ぬのだろうか?そう思っているうちに、意識不明のような状態に陥った。
それからどれだけ時間が流れたか分からないが、気が付いた時は、何処かの病院のベットの上に寝かされていた。
腕には点滴が施され、鼻には酸素吸入器のビニール製のような管(くだ)が差し込まれて、如何にも急病人の集中治療をしたような措置のとられたのが窺(うかが)われた。頭が重くて身動き一つできない。天井を見つめながら場所を穿鑿(せんさく)していた。いったい此処はどこなのか。
暫(しばら)くすると、由紀子が入って、
「お気付きになった?」と私に訊ねた。
私は何処に居るか、まだ把握できないでいる。そして夢なのか。何故、由紀子が此処に……居るのか。そんな混乱の最中(さなか)にいた。糠(ぬか)喜びさせる、悪い夢でも見ているのかと思った。あるいは夢の中の悪い冗談か。況(ま)して由紀子がいるなんて。
夢と現実が相半ばしていた。
「此処は何処だろう?」と微睡(まどろ)みながら訊くと、
「此処は中央病院よ。もう大丈夫だわ、どうやら峠は越したみたいだし……」
私は、もはや案ずる様態ではないらしい。
何処で、どうなったか全く憶(おぼ)えていなかった。
「今日は何日ですか?」
「今日は一月十四日よ」
「あなたは東京に戻らなくっていいのですか?」
「明日帰ります。あなたが一段落したから……」
「そんなに長いこと休んで大丈夫なのですか?」
「でも、元気になって本当に良かったわ。少し、お眠りになったら……」こう言って、暫(しばら)く由紀子は此処の病室に居て、私の看病をしていたようであったが、いつ帰ってしまったのか気付かなかった。そしてこの後、彼女に会ったのは、それから二ヵ月後のことであった。
私は結局、この入院した状態で、証拠不十分の儘、不起訴処分になった。警察と検察は、結局私を起訴するには、有力な証拠が揃(そろ)わなかったらしい。
●闘病生活
集中治療の個室から、大部屋に移されたが、二月に入っても、この病院からは退院できなかった。
留置場生活で体調を崩したのかも知れない。
大谷がある日、見舞いにやって来た。彼はいつもになく元気だった。彼も私のことは既に知っていて、道場を切り盛りしていたのである。それを訊いて随分気が楽になった。
彼はニコニコしながら、「おめでとう御座います」という。
「何がだ?」と、訊いてみたら、不起訴処分になったからだという。
してやったりと言うふうな顔で、「先生の粘り勝ですよ」と嬉しそうに喋った。その顔の奥には、私が「大した役者だ」と言わんげな、畏怖(いふ)の念が窺(うかが)われた。
私の躰は衰弱していた。以前、64kgあった体重が、55kgになっていた。二十日程の投獄生活で、体重が10kg近くも減ってしまったのだ。これから回復していくように思えたが、益々体重が減り始めた。一時は食事を受けつけないため49kgまで落ちた。
時々、いろんな人が見舞いに来てくれた。母も来てくれた。私の収監された一ヵ月位の間に、母はめっきり年老いたような気がした。不肖(ふしょう)の息子を持つと、親はどうも老け込むらしい。白髪が一段と増えたようだ。人の子にとって、「おふくろ」と言うのは、どうも人間の泣き処であるらしい。
見舞客は、多方面にわたって彩りを揃えたが、ただ、由紀子だけは来る筈がなかった。彼女に逢いたかったが、来れる筈もないのだと自分に言い聞かせて諦めた。
三月も終わろうとする頃、石田が舎弟分を数人従えて、大きな花束と超特大の果物籠(くだものかご)を二下げ下げて、やって来た。私の入院していた大部屋が、やくざの集団で占拠されたのだ。
やくざ映画顔負けの、親分への見舞いのような状態になった。恐れをなした病室の同居者は、何らかの用事を作って、鼠(ねずみ)が逃げ出すように、次から次へと外へ逃げ始めた。
「やあー、おつとめ、本当にご苦労やったのう。見舞いに行こうと思いながら、遅れてしまって申しわかなかった」深々と頭を下げてお辞儀をした。それに釣られて舎弟衆も一斉に「おつとめ、ご苦労さんでした」と合唱し、深々と最敬礼した。
「あんたは本当に偉いやっちゃのう。男の鏡やァー」と盛んに褒(ほ)めちぎった。
彼は私を褒めそやすというより、私が彼等の素性を喋らなかったということに感激しているらしい。私が一言でも喋れば彼等も、また選挙違反の容疑が掛けられるからである。自分の身の安泰を考えて、彼等は私を褒めそやしたに過ぎなかった。
「一体、何がですか?」
「一言も、儂(わし)らのことを喋らんやったからのう。うちのおやっさんが褒めとったで」
「これ少ないけど、納めといておいてくれ。うちのおやっさんからの見舞いじゃ」と言って、御見舞いと書いた祝儀袋(しゅうぎぶくろ)を私にくれた。
受け取らない理由もないので、黙って受け取った。この金は此処の病院の入院費に化けた。
─────三月も下旬になっていたが、体調は相変わらずであった。体重は、55kg程度に回復したが、まだ闘病の最中(さなか)だった。
外に出られない辛さと、娯楽のない病院では、毎日が単調すぎて退屈でならなかった。
ある日、道場生の高田が、たこ焼き五パックを買ってやって来たが、食べる気がしなかったので、私の前で、「全部これを食べて見せてくれ」と命令して、苦しそうに食べる彼の顔を見て楽しんだ。これは私の小心者なるが故の、残酷な一面だったのかも知れない。小心者は、他人の不幸を見て喜ぶ残酷な人種らしい。
しかし、娯楽施設のない病院では、こんなことでもして楽しむしか楽しみがない。ついでに石田から貰った果物が残っていたので、この上に林檎(りんご)五個を食べさせた。一時(ひととき)の、久々の彼の役者的ギャグを楽しんだ。私には、こんな残酷な愉(たの)しみしか残されて居なかったのである。
彼はわが道場きっての、宴会専門の幹事長なのである。
私はこの男に、ただの幹事長ではつまらないので、「北部九州方面総幹事総長」という仰々(ぎょうぎょう)しい渾名(あだな)をつけてやった。
彼はこれを聞いて、「《総》が二つもつくんですか?」と首を捻っていた。彼は道場生から「ソウチョー」と呼ばれていた。
高田の腹は、蛇が、兎(うさぎ)か、何かの動物を飲み込んだ時のようなボッコリとした、ボテ腹になり、彼自慢のとっておきの「一発芸」が待っていた。
それは予(あらかじ)め、「人間の尻(ケツ)って、真後ろから眺(なが)めると、桃の割れ目に似ていませんか?」と聴くことから始まった。彼がそのように訊くと、「そのように見えるかも知れないな」と返事する以外なかった。そして、彼は何を思ったのか、まだ果物籠に残っていた一個の桃を取り出し、それを盆の上に載せて、おもむろにハンカチを被せたのである。
私は、何か手品でも始まるのかと思っていたら、ハンカチの端を、どこか艷(なまめ)かしく捲(まく)り上げ、まるで女性のスカートを捲るように「ケツ!」と一声発したのである。
私はこのギャグに一瞬と惑ったが、何故彼が「人間のケツって、真後ろから眺めると、桃の割れ目に似ていませんか?」と聴いたことがはじめて分かったのである。この一発芸は、周りにいた同居者たちをも巻き込んで、大いに爆笑させたのである。
この他愛もない一発芸をかませて、私を喜ばせた後、彼はボテ腹を抱えて帰って行ったが、その後、彼は更に大爆笑の一発芸を編み出すのである。
彼の考案したこの一発芸は、酒に酔い痴(し)れて、意識が朦朧(もうろう)としている時に、引き合いに出される無礼講の時だけに通用するものである。それ以外は、憚(はばか)られる。素面(しらふ)のときは、一瞬躊躇われ、流石(さすが)に万人だできるものではない。非常に下品だからだ。
その一発芸は、二人の男が客席に対して、まず最初深々とお辞儀をする。次に、くるっと180度回転して、また、床の間か、神棚に対して深々とお辞儀をするようなポーズを見せ、ここで一旦間を持たせるのである。二人を見ている客席側は、一体何が始まるのだろうかと充分に期待を持たせ、勿体をつけるのである。
そして、これを訝(いぶ)しい貌(かお)でこれを見ていると、いきなり二人はズボンを脱ぎ、尻を出して、それぞれが大声で「すもも!」「毛もも!」とやらかす、何とも下品な下ネタを題材にしたものである。実に馬鹿馬鹿しい、一発芸を思い付いたのであった。
要約すれば確かに、尻の毛が一本も生えていなければ、それは桃に見立てて「すもも」であろうし、毛むくじゃらの尻では「毛もも」に見えるだろう。こうした下品な一発芸を編み出したのである。見ている方は、この下品さに爆笑するであろうが、遣(や)っている方は、絶対に素面では遣れない一発芸である。無礼講に限り、宴会の席全体が酔い痴れた状態でなければ、流石に身を引く一発芸であった。
─────そうこうして毎日を送っているうちに、少しづつ元気になっていったが、元気になると困るのが性欲の抑止方である。毎日、朝、自分の一物が熱(いき)り立ってしょうがない。怒張は恢復(かいふく)の兆(きざ)しだった。
過剰な欲求が、現実と空想の間を行き来する。この日も丁度いいところに高田が来たので、エロ本を買わせに行かせた。彼は手当り次第に選んだと思える十冊程の表紙の派手なやつを買ってきた。
表紙が派手な割りには、中身は実につまらない。それでも無いよりは増しだと思って、四流五流の記事を読み更けった。
親しくなった看護婦からは、いつも、「嫌らしい!」とか、「変態!」とか、罵倒(ばとう)され、変態視される程、この病院では風紀を乱す不貞な入院患者として悪名が高くなっていた。そして全てが、順調に恢復(かいふく)しているように思われた。
露骨な言葉で、顔馴染の看護婦たちをからかった。頭の中が、女のことで一杯になり、寝ても覚めても女体がちらつく。頭は単純化され卑猥(ひわい)な空想に汚染されていた。
やがて空想の悉々(ことごと)くが、あたかも久米仙人(くめせんにん)の失態ように、清らかな瀰漫(びまん)から一挙に墜落して、そんな色香(いろか)に惑わされるような、露骨(ろこつ)一色になっていた。私の脳裏には、久米仙人が見た、あの、女の太腿(ふともも)が支配し始めていたのである。
そして、その露骨を引き裂くような事件?が起こった。
三月の医師国家試験受験(当時は)を終え、六月の合格発表までの三ヵ月のブランクの間、此処の病院に、由紀子がインターンとしてやって来たのだ。
(【註】現在は医師国家試験の受け付けは、二月に受け付け、三月に試験、四月に発表である)
わが国における医学者のインターン制度は、昭和21年に導入されたが、昭和43年には廃止されているので、彼女の場合、インターンというよりは、この病院の医局員というような形になるだろう。
●退院
私は、彼女がこの病院にやって来た事を知らなかった。
顔馴染の看護婦を冗談と露骨な言葉でからかい、馬鹿なことを言って、下品な色情狂いとなって露骨一色の坩堝(るつぼ)の中にいた。卑猥(ひわい)な動物のような状態で暮らしていたのである。そして軽薄の一途を辿る馬鹿な人間になっていた。
この日はいつもの様に、表紙の派手なエロ週刊誌を読んでいた。表紙は実に派手であるが、中身はその期待を裏切って、極めて落胆させる、例の拍子抜けする駄作のアレである。
この時、運悪く此処の病院に由紀子が白衣を着て現れた。
そんなことは露程(つふほど)も知らず、何処にでもあるその手の、馬鹿馬鹿しい有り触れた、別に驚くに値しない猥褻(わいでつ)な記事を読みながら、
「うあっちゃー、嫌らしかー」と独り言を言いながらニヤけていていた。まさに馬鹿丸出しだった。
表紙だけが派手で、中身がその期待を裏切って、派手でないのなら、せめて私だけでも派手を装って、迫力のない記事に力をつけて盛り上げるしかない。こんな下らん記事がよく書けるものだという言う感想に添えて、期待外れのピンク週刊誌編集者への負け惜しみをぶつけていた。
週刊誌で顔を覆って読んでいたので、誰か人が立っているとは思ったが、その白衣からして、いつもの看護婦だろうと思って、例の如く、知らない振りをして惚(とぼ)けていた。その時、この静けさを裂いて、突然声がした。この声には、流石(さすが)の私も慌(あわ)てざるをえなかった。
「あなたって、嫌らしい本を読むのねェー!」由紀子の恐ろしく尖(とが)った声であった。
(アレっー)その言葉を云う間もなかった。
それは突然であり、予想していなかった私の油断を突いたものだった。この声で反射的に週刊誌を放り上げた。
エロ週刊誌を読んでいる最中に、自分に気がある女から突然声をかけられ、咄嗟(とっさ)の行動として、これ以上の方法が他にあるだろうか?
由紀子が仁王(におう)立ちになっている。軽い苛立ちにも似た表情が彼女に漂っていた。こんな時は一言も出てこない。私は拙(つたな)い現場を見られた現行犯なのである。こんな時、言い訳をして、これにとりつくには案外難しいものだ。実にタイミングが取りにくい。現行犯としては、全く弁解の余地もない。
況(ま)して相手が、男の細やかな楽しみ事を理解してくれない女だったら、差し当たり、これをどう恰好付ければいいのだろうか?
私は、間の悪さを隠す術(すべ)を知らなかった。
私は無言でいた。同室の同胞達は、何の助け船も出さず、私の痴行(ちこう)を、口に手を一杯に覆い当てて、くすくすと笑を燻(くすぶ)らせていた。
由紀子の顔は微かに笑っているが、その真意は怒りのようなものが漂っていて不気味だった。
(ヤバイなァ、これは)と私は思った。
この予感は的中した。ベットの下にあるエロ本が、一冊残らず見つけ出され、由紀子によって抱え出された。それを同室の同胞達は、気の毒そうな目?で見ている。誰もが、今からどういう事が起こるか固唾(かたず)を呑んで見守っていた。
「どうなさったの、これ?!」
由起子の手によって一冊の雑誌が取り上げられた。指先で摘(つま)むように、私の面前に突き立てた。
これには頭を掻(か)いて、何か言い訳をしなければと思ったが、そう簡単に出てくるものではない。抗(さから)うことの出来ない証拠を突きつけられたような気持ちに陥って、私は苦笑いに顔を引きつらせながら、
「いや……その……、そこの隣の人に借りました」と往生際(おうじょうぎわ)の悪いことを云った。
この返事に彼女は、(万事知っているのよ)と言わんばかりの顔で、声を昴(たか)ぶらせてやり返した。
「嘘でしょ!」
彼女のこの一言で、大部屋203号室は大爆笑の渦に包まれ、ベットから転げ落ちるまで馬鹿笑いした者までいた。
由紀子の眼が鋭く炯(ひか)る。蛇に睨(にら)まれた蛙(かえる)であった。この事がまた、将来、私が彼女から尻に敷かれる原因を作ることになる。ベットの上に正坐して有り難いお説教を聞く以外なかった。
とうとう、大部屋203室は、これから清潔一色となるのだった。
部屋にあったエロ本というエロ本は、彼女によって完璧に撤収(てっしゅう)整理され、入院病棟に本を持ち込む際は、部屋の全員が、一々彼女の検閲(けんえつ)を受けなければならないという破目になった。私のお陰で、他の入院患者も、とんだ飛ばっちりを食ったものだ。
当時、検閲によって、彼女が合否判定を下した書物を分析してみよう。
合格したものとして、文藝春秋、週刊新潮、朝日ジャーナル、諸君!、山と渓流、旅と歴史、NHK英会話、四柱推命学、月間太陽、趣味の園芸、金魚の飼い方、毛沢東語録etcなど、女の裸が一切出てこないもの。
不合格だったものは、週刊実話、プレーボーイ、薔薇族(この病室の中にも、その方面の同好者がいたらしい)、朝日フォート(ヌード写真があるのでバツ)、猟奇物語、うわさのチャンネルetcなど精神的肉体的不健康なもので、これらは即ゴミ焼き場直行となった。
誰かが病院長にこのことを告げ、撤回(てっかい)するように求めたが、逆に由紀子から逆螺子(さかねじ)を食らわされて、悪書摘発?の検閲が、病院上げての合法的な習慣行事となり、当然の如く実施される事になった。戦中のファシストの思想検閲並みの取り締まりに、同胞の入院患者達は舌を巻いた。
しかし私は同時に、ある種の満足感に浸っていた。それは由紀子が病室に花を活けてくれる事であった。
「素敵ですね」と声をかけると、彼女は「でしょう?」と返事を返す。
その活け方が、何かの流儀を顕(あら)わすものかのか、否かは分からないが、しかし定石に添って活けられたようにも思われる。私は寧(むし)ろ生け花のことより、毎日彼女が此処に来て、花を活けてくれるというのが嬉しかった。
彼女は勤務中の時は母親じみた、あるいは姉御(あね)さんじみた態度をとり、非番で遊びに来た時は、何処か甘えたような、少女のような態度を見せた。そしてその落差が余りにも極端な事であった。
私は曾(かつ)て、鉄棒から落ちて足を怪我し、入院したことがあったが、あの時見舞に来てくれた由紀子と、今の由紀子を重ねて見ていた。そして陶酔のようなものを屡々(しばしば)感じ、今までの心の空虚の中に彼女が入り始めていたのである。
彼女は何故、私に世話を焼くのだろうか、それは一種の隣憫(りんびん)と同情のためだろうか。
─────それから数週間後、私の退院の日が来た。
同胞達の居住する大部屋203号室の人達に、私がして遣(や)れたことは、せめてもの健全で、清潔な療養生活の切っ掛けを作ったことぐらいであろう。決して、彼らはこのことを、心の底から有り難いこととは思わないだろうが……。
兎(と)に角(かく)これで、私をくすくす笑い、あるいは爆笑した、この部屋の同胞達に細やかな恩返しができたわけである。
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