●間合い
開眼(かいげん)の成就も空しく、悟り切れない心境は、元の振り出しに戻っていた。
この日、山村師範と木刀を握って向かい合い、会津自現流の剣術の教えを乞うていた。物が平面に見えて、さっぱり今までの間合いが掴めない。心眼が開いていないためか、間合いや動きの勘(かん)も実に掴み辛い。
山村師範の打ち込んだ木刀が避け切れないために、容赦(ようしゃ)なくビシビシと躰(からだ)に当たる。巧みに捌(さば)いて避けたつもりであったが、肩や背中を尖先(きっさき)が鋭く擦(さす)る。躱(かわ)して、外したと思えた右小手に木刀が打ち込まれて、自らの木刀を落とすという無態(ぶざま)な醜態まで演じた。
再び、拾って木刀を構えたが、同じ処に、故意に木刀を打ち据えられた。二度同じ処に打ち据えられて、右腕が馬鹿になり、握っている感覚がなくなった。眼に頼って周囲を見ているため、平面に映し出された景色からは、間合(まあい)の勘(かん)というものが、全く掴み取れない。
私がこのことで困惑している隙(すき)に、再び同じ処(ところ)を叩かれ、右腕の骨が折れた。既に勝負がついていたので、山村師範はこれ以上の無用な打ち込みはしなかった。
右腕の骨が折れたことは、私にとって非常に良い薬であった。
それは考える時間を与えてくれたからである。
右腕に添え木をつけ、折れた骨が動かないように包帯で、要所をしっかりと固定した。その治療を山村師範がしてくれたのである。
今まで腫(は)れて痛んでいた腕が、山村師範の接骨でピタリと止まった。実に見事であった。普通骨折は、腫(はれ)が引くのに約24時間かかる。しかしこの間が使い物にならなくなる。
そこで、古来より考え出された独特の野戦接骨術で、あまり時間をかけずに癒(なお)す方法であった。これが山村師範の行った野戦接骨術なのだ。(【註】西郷派大東流合気武術には接骨の仕方に特殊な添え木を遣い、骨折箇所の当て方に口伝がある)
数カ所の要所を固定するだけで、手が自由に動かせるのである。この辺が、現代の整形外科の治療法とは根本的に異なっていた。
此処から帰る時、山村師範がぽつりと言われた。
「動物じゃよ。動物になれ!」
(動物か……)と考えてみるのだが、その意味がよく解らない。
鳥居(とりい)を抜けて、階段に差し掛かった時、一匹の猫が蝶(ちょう)を追って遊んでいる。不図その光景に眼を投げた。
(解ったぞ、これだ!)山村師範の言葉が、これで初めて理解できた。
肉食動物が獲物を追い込んでも、直に飛びかからず、一旦、飛びかかりやすい位置に体(たい)を沈めて、間合(まあい)を取ってから攻撃しているのに気付いたのである。実に巧妙な間合をとっているのである。
間合とは、即ち、二、三歩近寄られても、直に攻撃されない守りの位置であると同時に、また、直に攻撃できない位置でもあるのだ。
まさに両刃(りょうば)の剣(つるぎ)の様相を持つ。互いが制空圏にいて、一進一退の、攻防の姿が間合なのである。私は、これを切っ掛けに間合を習得したのだった。
耳を澄ませることによって、相手の呼吸の吐納(とのう)を読み、この呼吸の中から、相手の位置を勘(かん)で検討つけることを身に着けたのである。心の変化まで解り、その動揺まで読み取ることができるのである。これに捌きを合体させることで、球体運動の『転身之足(てんしんのあし)』を会得したのだ。
今まで、よく見えなかったことが、天は私に「間合の勘」を授(さず)け、また相手の呼吸を巧みに読み取って、一歩 の捌きで、剣を躱(かわ)す「転身之足」を授けたのである。開眼は、意外な形で訪れたのだった。
肉眼がよく見えていた時に見えなかったものが、距離感のある鮮明な現世の肉眼を失うことによって、新たに見えるようになった。時にはこれが霊眼(れいがん)となって、屈折して見えたり、物理的には存在しない不思議なものすら見えることがある。
─────折れた腕を、大事に抱えるようにしてアパートに戻ってくると、玄関前に由紀子の車が止まっていた。車の中には誰も居なかった。私が居なかったので退屈紛(たいくつまぎ)れに、何処かに少しの間出かけたらしい。私が部屋に入って10分程経ってから、由紀子が大きな紙袋を抱えて戻ってきた。何処かで買い物をしてきたようだ。
狭い入口の三和土(たたき)に靴を脱ぎながら、
「あなた、お食事まだでしょ。今日は腕によりをかけて美味しいお料理作ってあげますわね。……あら、その腕どうなさったの?」
「ほんの掠(かす)り傷ですよ」
「怪我したのね?……ねえ、あたしによく見せて下さらない」
近寄って来て、私の腕の表と裏の関節を返し、外科医のような診察をする。彼女はこうすることによって、何らかの安心と満足を示し、母性的な愛情を注いでいるようであった。
「名医の、ご診察の所見の程は如何でしょうか?」と、私は惚(とぼ)けたふりをして、この外科医ならぬ、小児科医に鎌手を掛けてみた。
「ヤーねェー。何だか野蛮だわ、この治療の仕方」
「これで痛みはピタリと止まっているからいいんです」
「でも、何だか不衛生な感じがするわ。汚い包帯だし、何処かの道端で拾ったような板切れが当てられていて……」
山村師範の衛生観念は、彼女から手痛い批判を浴びている。おまけに、私は私で、腕の裏と表を散々扱い回されている。そして彼女の診察はなおも続く。
「あッ、痛い!骨が折れているんですから乱暴に触らないで下さい」
「まあ……、骨が折れてるの?」
「大したことありませんから、これ以上触らないで下さい」
「痛かったでしょ。ごめんなさいね。でも、病院でちゃんと治療した方がいいんじゃありませんの?」
「下手な外科医よりは腕は確かです。この儘(まま)、二週間もすれば元通りになりますから構わないで下さい」
確かに山村師範は衛生的とは言い難いが、日本武術の伝統ある野戦接骨術を野蛮な治療といわれたので些(いささ)かムッとした。だが、彼女の心遣いには勿論有り難く感謝していたが……。
●通い妻
あの骨折から三週間位で、骨が何とか繋(つな)がったようだ。もし、整形外科などに行っていたら、まだギブスがとれずに、恢復(かいふく)も遅れていたであろう。
しかし野戦接骨術は、現代外科医学を遥かに上回る接骨の技術が隠されていた。戦場の智慧(ちえ)である。そして現代は、こうした古人の智慧(ちえ)を真剣に研究する医学者は殆ど居ないと云うのが実情である。
また現代は、医師法ならびに医療法と云う法律がどこまでも付き纏う為、医師や柔道整復師以外これを行い事が出来ず、明治以降の医師法に絡(から)めとられて、こうした「秘伝」は益々忘れ去られる一方にあるのである。
─────今日は由紀子が女房気取りで『帆柱荘』に訪ねて来た。
彼女は今、掃除の最中で、殺風景な私の部屋の中を片付けて回るのに余念が無かった。そのお陰で部屋の中は、次第にさっぱりと片付き始めた。
私の部屋の中には、生活の匂いのするものが殆ど無い。置物や額(がく)や花瓶すらない。喰いちらかした出前の丼や皿などの器を除けば、差し当たり散らかる程の物がないのだ。 ただ財産と言えば、第一にコーヒー党の私には欠かせない、コーヒー・メーカーのコーヒー豆の処理をする器具とアルコール・ランプセット。次に山頭火の俳句集と、刀剣類の書籍や剣豪小説の類。父の残しくれた、レコード・プレイヤーとは言い難いが、旧式の蓄音機に、数十枚のクラシックのレコード盤、と順に続くのだ。
そして前の入居者の放置していった古いベットと、私愛用の煎餅蒲団(せんべいぶとん)、台所の流しの上にある食器類数枚、棚にある、いつ買ったかは忘れてしまった飲み残しの洋酒の安酒の瓶(ぶん)、二、三本に合わせて、既に空けてしまった数え切れないぐらいのビールや、洋酒の空き瓶が隅の方にゴロゴロと転がっているだけだった。
そして忘れてはいけないのが、古箪笥(たんす)の奥深くに隠された四振りの日本刀だった。
それに厄介なのが、相変わらず放置された儘(まま)の、高々と積み上げられた皿や茶碗等の食器類であった。私には、食器は洗うものではなく、汚れたらまた新しい器を買うという世間の通念とは違うところがあった。この点は由紀子を呆れさせたに違いない。
彼女は食器の山を見ながら、さて、何処から手をつけたものだろうか、と思案にくれているようであった。
私は、売卜者の言に遵(したが)って、『帆柱荘』に引っ越してきたが、このアパートの所在地を、努めて、人には知られないようにひっそりと生活していた。それは己(おの)が棲家(すみか)が、他人に自慢するような場所ではないし、散らかし放題で無態(ぶざま)を極めていたからだ。
しかし酔いに任せて、一か月程前、由紀子を此処に連れて来てしまったのだ。連れて来たというより、送り届けて貰ったという方が正しいかも知れない。
そしてこのアパートに送り届けて貰った時に、此処には何も無いということが見当つけられていたらしい。
彼女の一存で用意周到に不足の調理器具や食器類が取り揃えられていた。殺風景な部屋は、いきなり御祭りの飾り物のように賑(はな)やかになった。
腕捲(うでまく)りをし、気忙 に動く、エプロン姿の由紀子が眩(まぶ)しかった。これが危ない綱渡りをしている私の結末か、と込み上げてきた笑いにある種の苦笑を覚えた。あるいは、かつて売卜者がいった、これこそ正真正銘の“女難の荘”か。これから先どうなっていくのか見当がつきかねた。刻々と刻まれる時間に対して、恐れと、不安のようなものを抱いた。この儘(まま)何事もなく無事に過ごせる筈がないのだ。
不思議と何処かで胸騒ぎがしてならなかった。由紀子に近付き過ぎたせいなのだろうか。あるいは魅入られたのだろうか。由起子と言う美しい妖怪に……。美しきものに、妖艶に魅入られた“女難の相”と思った。
由紀子の物を片づける手際は、実にうまいものだ。
適材適所に物が納まる。昔、母から茶道の嗜(たし)みのある人は、物を片付ける際、無駄なく手際(てぎわ)よくやると聞いていたが、どうもその心得があるらしい。
母は、第二十九代平戸藩主・松浦鎮信の創始した鎮信流茶道の師範をした人で、私は子供の頃、些(いささ)かだが、この指導を受けたことがあった。
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▲ 閑雲亭(松浦資料館内)
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▲ 閑雲亭/茶室
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▲ 閑雲亭より遠望す
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小さな台所には、彼女の一存で買いつけられた包丁やマナ板、鍋や電気炊飯器までが新しい仲間に加わった。
私は冗談混じりに、
「そんな物まで買い込んで、このボロアパートに住み着く気なんですか?」
「そうして欲しいの?」この冗談とも取れる返事は、私を狼狽(ろうばい)させた。
「えッ……?」正直言って度胆を抜かれた。
いつも一枚上手の彼女に、何処かで揚げ足を取られていまうのだ。
私は悲哀と歓喜の、綯(な)い交(ま)ぜになった気持ちに襲われていた。
このプラトニックラブの恋愛ごっこは、次に飯事(ままごと)となり、益々拍車が掛かるのであった。
この日から由紀子は、私のアパートの部屋の鍵を持った通い妻になったのである。
そして女が手鍋(てなべ)をさげて尽くすような、私にそのような魅力があるのだろうか、と苦笑せずにはいられなかった。私の運命を操る者の、質(たち)の兇(わる)い悪戯(いたずら)だろう。
だが、これは何となく気持ちが落ち着かず、不安定な感じがして怕(こわ)かった。いつか必ず、火薬庫に火が点(つ)いて、途轍(とてつ)もない大爆発が起こるような気がして、気が気でならなかった。
由紀子が怕いのではなく、突き進む時間が、そしてその運命の結末を見るのが怕かった。
この儘、一人娘の由紀子を生け捕るようなことをして、親が黙っているわけがない。何事もなく無事に済む訳がないのだ。
これ以上由紀子に深入りしてはいけないという自制心と、これ以上彼女の好意に甘えて、世話になり続けれはいけないという歯止めが掛かり始めていた。私の未来には不透明な重荷が、音もなく確実に伸(の)し掛かろうとしていたのである。
それはあたかも、嵐の前に突然現れる凪(なぎ)であり、台風が通過する時、その目の中にすっぽりと嵌(はま)った、あの明々と輝く、偽りの晴天であった。
自分に自問したのは、これだけであった。誇りだけは高くなければならない。
(誰の世話にもならず、自分の足で確(しっか)りと立つていろ!)これが今日この頃の自問自答であった。私の心の中には、新たな苦しみの葛藤(かっとう)が始まろうとしていた。
─────ある日の日曜日、由紀子は休みを利用して部屋の掃除に来てくれた。
昼過ぎまで寝て居たので、彼女の急な来訪は、寝込み襲われた冬眠中の蛙(かえる)という感じであった。
「男鰥夫(おとこやもめ)に蛆(うじ)が湧く」とは、よく言ったものである。
私は男鰥夫ではないが、こうした私のグウタラな生活からはカビ臭い匂までが、何処からともなく漂ってくる。殆ど掃除をしないためである。といって、自分から進んで掃除をやるような人間でもなかった。
《人間はもともと怠け者なんだ。怠けてはじめて怠け者と気付く。一生懸命に掃除ばかりしていたのでは、その汚さすら見えてこないではないか。
結局、ボロの中に身を置いてこそ、ボロが見えると言うものだ。そして人間はボロの中に居て、はじめて苦しみと言うものが分かってくる。
苦しみによって人間は考えさせられるんだ。》私の独り言である。
私は当時、何かにつけ独り言を言う癖があった。
また一人活計(ぐらし)では、こうした独り言が、自分のスタイルを決めているような観があった。
しかし、これからはそうもいかなくなっていた。
「まだ少し時間がありそうだ。もう一回、寝て見るか」
これも独り言である。
この言葉を掛け声のようにして、再び万年床の中に躰を横たえ、蒲団に潜り込むのである。
そして一時間でも、二時間でも、また半日、一日と微睡(まどろ)む事が出来、やがて総(すべ)てを忘れたように深い眠りに就くと、《自分だけが特別な拾いものをした》というように感じるのであった。
時々締切の雨戸を開け、外気を取り込むと明るい光が部屋中に溢れてくる。空気は一変して黄金に耀(かが)やき、辺りが金粉(きんぷん)でまぶされたように眩(まぶ)くなる。
由紀子は私に部屋に入ると、直ぐに南側に面した窓を開け放してしまうことが癖であった。この日も幾らか乱暴に窓を開け放ち、窓際で深呼吸するような仕種(しぐさ)をするのだった。
この深呼吸は私の部屋に罩(こも)っていた息苦しい男臭さを、嫌ってする癖の一種であると思われた。あるいは締め切った部屋の中に、幾許(いくばく)かの邪気の穢(けが)れを感じて、その癖を繰り返したのだろうか。
そして無為(むい)にして、「怠慢」が私の今日この頃の活計(くらし)向きであった。
しかしこの活計向きは最近になって破られていた。それは由紀子という、通い妻のせいであった。
「いつまで寝て居ますの!」の、叱咤(しった)から始まり、事細かに不摂生を詰(なじ)る。そしてあッと言う間に、蒲団は剥(は)ぎ取られる。
この異変?の中、私は我に返って、のろのろと起き上がったのだった。
台所の流しで顔を洗っている途中、殆(ほとん)ど押し入れに片付けたことのない万年床が跡形もなく、押し入れに仕舞われてしまうのである。
(ああ、何と言う早さ)と、取り付く島さえ与えて貰えなかった。私はいわば趣味的な活計をしている、私の生活習慣を、彼女は容易に認めようとしないのである。
「雨戸くらい、ちゃんと開けて下さいね。掃除も一日に一回は、きちんとやらなきゃ駄目ですわよ」等と、私のグウタラの側面を、次々に指摘し、厳しく改善を求めるのである。
世間には押し掛け女房という言葉がある。しかし彼女の場合は押し掛け女房というより、押し付け女房である。一見、腹立たしくもあり、また嬉しくもあった。未知の生活が珍しいからである。
(何と言う事態が起こったのだ。何と言う羽目になったんだ)これが正直な私の感想であった。
この間、部屋中に彼女が持ち込んだ掃除機の音が響きわたった。
それから数時間か過ぎた後である。台所でブラウスの袖を腕捲りをした彼女が忙しく洗い物をしていた時であった。そんな時、私は由紀子に言葉をかけた。
「あの……」
この怕々(こわごわ)とした最初の細い声は、水の音に掻き消されて届かなかったようだ。
「あの……!」大きな声であった。
「何ですの?」
彼女がやって来て、私の前に来て、かしこまって正座した。
私もかしこまって、恐る恐る切り出すしかなかった。
「あの……、僕は叩けば埃(ほこり)が出る躰です」
「それで……?」
彼女の莫迦(ばか)に落ち着いた切り返しに、たじろぎながら、
「えーッ、実は……」と切り出しにくい言葉を繋(つな)いでいた。
これを聞いた彼女は小さな笑い声を上げた。
私は顔色を変えて、
「何がそんなに可笑しいのですか?」と突きかかった。
「だって、突然かしこまって、変なこと言い出すんですもの……」
「変なことですか、これが……」
「変なことじゃァありませんの?」
「極めて真剣なつもりですが……」
「それで何がおっしゃりたいの?」と切り返した言葉は、一層の冷静さを保っていた。
どう話せばいいのだろうか、と思案しながら、
「つまり……、叩けば埃(ほこり)が出る躰と言っているのです」
「人には、各々触られたくない傷や、叩けば埃の出ることが、一つや二つはがありますわ」
「しかし、ねえェ……。僕の場合は……、つまり……」
「だからと言って、あたしが愛想を尽かすとでもお思いになって?」
狼狽(ろうばい)して言葉に詰まった。そして彼女は彼女で、再び流し台に戻った。
彼女の好意に、このまま甘えてもいいものなのだろうか。そうかと言って、彼女の好意に、この儘(まま)甘え過ぎても、男が廃(すたる)るのではないかと言う変な意地があった。第一彼女の両親にこれを、どう言い訳すればよいのか、説明できる状態でなかった。これこそまさに“女難の相”ではないか。
「知らないよ、とんでもないことになっても……」これも独り言であった。
「えッ、何が?」と切り返されたが、私は黙った儘であった。
これまでの一切が、天に導かれて成るようになった、成り行きなのだろうか。それとも単に、彼女の気紛れなのだろうか。“女難の相”は、益々深く、ゆっくりと、進行する進行ガンのように忍び寄っていた。やがて、私の至る所をボロボロに蝕んで食い付くすに違いない。
懐疑的穿鑿(せんさく)は、やがて自己嫌悪に陥るのだった。これが気紛れに近ければ近い程、私は彼女に惨めな醜態を曝(さら)け出しただけでなく、自尊心が盲目になりかけていた。貧者が富者に恵んで貰っていると言う側面が、露(あらわ)になりだしたからだ。
《乞食ではない》と咽喉(のど)まで出かかったが、それは音声にならなかった。
世間一般では、好きな女から尽くされて、タダで何もかもしてもらい、上げ膳、据(す)え膳の至れり尽せりを、非常に得をしたように思う男どもが多いと思うが、私はこれを損得勘定で考えて、決して「思わぬ得」をしたとは思わない。
まず、絶対に訝(おか)しいのである。自分は何もせず、喰(く)わせてもらっていると言う行為が、絶対に訝しいのである。こうしたジゴロのような生き方をする事は、自らの人格の否定となり、それは第一、身分の否定にも繋(つな)がるのである。その身分とは、人間としての身分であり、この身分が確保できなければ、人間以下に成り下がってしまうのである。
よく身分とは、階級において遣われるような言葉であるが、この場合の身分は、一個の人間としての身分である。その身分は、格が低ければ、人の好意を得と受け取るであろうし、逆に身分が高ければ、人の好意を受ける事を長々とは甘んじて、それを続けようとは思わないはずである。
上げ膳、据え膳は、一見得のように見えて、実は一個の人間と見た場合、大変な損をしている事になるのである。更に、人格否定にも繋がってしまうのである。
身分の確認とは、人の世話はしても、人の世話にはならないと云う事なのである。この身分の確認がしっかりして、人間ははじめて「人」になれるのである。
脳裏には、吹き切れない、わだかまりが吹き荒れて、心の片隅に枯れ葉のようになって積もり始めた。これを一種の悩みとでも表現しょうか。
この降り積もった悩みは、今初めて私の中で発火したことが確認できた。
それは丁度、不始末で火事に疎(うと)い人間の、安易に捨てた一本の煙草が、重大な山火事を引き起こすように、その不始末の怖い現場を如実に見たような気がした。この私の恐れは、現実となって、何もかもが、焼き尽くされるような結末に終わることは、結局、時間の問題と思われた。
─────この日、由紀子が帰った夕刻、ぶらりと私流の買い物に出かけた。
由紀子が此処を後にする際、今晩の夕食を作ってくれたが、それを横目にしつつも、食べる勇気が湧いてこなかった。第一、上げ膳、据え膳では、自らの身分を否定した事になるではないか。
いつも通り、食パンの耳に、得体の知れない安物のホルモンを自分で味つけして鍋で煮込むというのが、私には似合っていると思った。例の調子で、馴染(なじ)みのパン屋に向かった。
いつも確実にあるパン屋の張り出したウインドウの上に置かれていた、一袋20円のパンの耳は、どうしたことか今日は見当たらない。
きょろきょろして捜していると、店の主人が、
「お客さん、今日は売り切れましたよ。申し訳ありませんが、また明日来て下さい」
残念と思うと同時に、この言葉で、勇んで出た買い物の、第一の試みは、初(しょ)っ端(はな)から挫(くじ)かれてしまった。買い物の意欲が萎(な)えた私は、アパートに戻ることを余儀なくされた。
由紀子が買ってくれた新しい小さなテーブルの上に、今日の夕食が載っている。それをじっと眺(なが)めながら、暫(しばら)くそれを凝視していたが、いっの間にか空腹に負けてパクついていた。身分の確認は、これで崩れていたのだった。
しかし、何かが違っていた。何処が不味いというわけではないが、何となく一味物足りないという感覚に襲われていた。いつも食べるパンの耳に、こってりと味をつけた煮込んだホルモンに比べれば、遥かに豪華で、遥かに繊細(せんさい)な味がするが、何かが欠けていた。それはこの場に由紀子が居ないことが原因なのか、等と勝手な想いを巡らせていた。
独り暮らしのせいか、彼女の来ない時は、旧(もと)のグウラタ生活を決め込み、無精と億劫(おっくう)さに押されて、食事の摂り方は極めて不規則で、食べたり食べなかったりといった不摂生な生活が多かった。食べても栄養のバランスなどあったものではなかった。
道場の稽古のない日は、一日中敷きっぱなしの蒲団の中に閉じ籠(こも)り、翌日まで寝るというグウタラな生活をしていた。まるで熊か何かが、穴蔵の中で越冬し、翌年の春まで冬眠するように……。
そのため目を覚ました時、今日が何日で、何曜日か、あるいは午前か午後か、全く判らなくなって居ることが多かった。それでも、寝たい時に寝て、食べたい時に食べるという自由奔放(じゆうほんぽう)で、気儘(きまま)な生活を堪能(たんのう)していた。これは凡(おおよ)そ世間一般の社会の趨勢と一致しない、社会不適合の証(あかし)を曝(さら)け出した観があった。
本来ならば、武術家は規則正しい生活が必須条件である。ところがこうした条件をいつの間にか、私は破り、為体(ていたらく)の限りを尽くしていたのである。
今日も蒲団の中で、冬眠した熊は冬眠の途中、空腹を感じて、のこのこ起き出した。雨戸を締め切って居るので、時間の検討が全くつかない。目覚まし時計を見ても、端(はな)から時間調整ができて居なかったので、それを見たところで当てにはならない。
手探りで枕許(まくらもと)のスポットライトを捜す。三角傘の埃(ほこり)をかぶったスポットライトの手許スイッチを引っ張り、ほの暗い明かりが枕許(まくらもと)に灯(とも)った。この何の変哲もない為体な毎日が、私の寝覚めの行事なのである。
更に、枕許近くに置いてあった手鏡で顔を見るのである。これは一つの癖と言おうか。
自分の顔をしげしげと見る。頬(ほほ)には寝相(ねぞう)の悪さを表す、畳の目の跡(あと)が微かについていた。恐らく蒲団から食(は)み出して、畳の上で寝返りを打っていたのであろう。
空腹を覚えて例の如く、パンの耳と安物のホルモンを買いに出かけた。
外はいつになく良い天気だった。太陽は南中にかかって居なかったので、まだ正午前であろうと見当がついた。
いつものパン屋の前にやって来た。(あれッ)と思った。
張り出しのショー・ウインドウの上にいつも置いてある、パンの耳がぎっしり詰まったあの袋が今日もない。それに今日は、いつもに比べれば早い時間である。
暫(しばら)く、そこに立ち止まって物欲しそうにして居ると、店の主人が出てきて、
「お客さん、済みませんね。今日は、まだ耳が出ないんですよ。悪いですが、12時過ぎには出ると思いますから、その頃になったら、また来てくれませんか。お客さんを予約第一号にしておきますから……」その言い方は慇懃(いんぎん)な、しかし裏に意地悪が隠(こも)ったような返事だった。
いつもタダ同様の耳ばかりを買って、肝心な買って欲しいパンを一つも買わないから、私には売りたくないのではと疑いたくなった。いや、売りたくないのだ。
そう極付けらずには居られなかった。貧困の武術家は、貧しいというだけで、随分と嘗(な)めれたものである。
これ以上うろついても、ろくなことはない。そう思うと、仕方なくアパートに戻った。
部屋に入ると、直に服も脱がない儘(まま)、今まで寝て居た温(ぬく)もりの冷め切らない蒲団(ふとん)の中に潜り込んだ。
寝れば極楽(ごくらく)である。嫌なことも、たった今起こった不愉快なことも直に忘れてしまう。何もかも、記憶に残る嫌な残像はここで断たれ、現れることもなく、それを再び夢で見らない限り、一時の記憶が削除されて、安息の極楽が約束されるのである。
この日、夕方近くまで寝たであろうか。
「まだ寝て居るんですの!多分、こんな事じゃないかと思って来てみたら、やっぱりでしたわね。さあ、起きた起きた!」
潜り込んだ蒲団の外から、由紀子のグウタラを指摘する声が飛んだ。怕(こわ)い世話女房ならぬ、通い妻のお出ましである。
蒲団の中に蹲(うずくま)りながら、(人の事は、ほっておいてくれ)と言いたかったが、これは許してもらえそうにない。早く起きないと、次にどのような罵声が飛ぶか分からない。慌(あわ)ててスタンドのスイッチを捜そうとしていた。
先日、由紀子の手によって片付けられていた、レコードと本の山に手が触れてしまい、それが頭にドサッと崩れかけてきた。
夕方になってから雨戸が開け放たれたが、近所の人はこれをどう思ったろうか。
雑然たる薄暗い部屋が、突然夕暮れの光りに満たされ始めた。夜光虫(やこうちゅう)と化した私の眼は、暗さに慣れてしまったためか、この夕暮れの差し込んだ朱色の光が実に眩(まぶ)しかった。
「お食事、ちゃんとしているのでしょうね?」
私と三日ぶりに対面して、彼女のかけた最初の言葉はこれであった。
彼女はこの日、私に食べさせる夕食の材料を買ってきていなかったので、私は彼女の買い物に付き合うことになった。例のパン屋に差し掛かった時、
「あそこで、パンを買って行きましょうか?」と彼女が言い出した。
「いや、止めときましょう。パンは余り好きじゃないんです」
「そう」気落ちした投げやりな言葉だった。
その時である。私を見た店の主人が、
「お客さんが、早く来ないもんだから、パンの耳、別の人に売ってしまいましたよ」
(何と意地悪で、お節介なおやじだ)と思い、逃げるように、この店先の前を立ち去った。
由紀子が、
「いつも、あんなモノばかり食べているんですの?」と叱責(しっせき)するように訊き返した。
「まあ……、そんなものです」
「バランスのとれたお食事、ちゃんと摂らないと駄目ですわよ」
(だからと言って、俺にどうしろと言うのだ?)と、反論したかったが、一言でも、うっかりと口にしようものなら、忽(たちまち)のうちに返り討ちにあうのは目に見えていた。だから敢えて口に出すことを控えた。
社会の常識と、ややズレたところに棲息(せいそく)する天然記念物の私としては、しかし「あんなモノ」で結構だったのである。
近くの市場に入り、何にするか物色をしたが、何処の店も慌ただしく店を仕舞う用意をしていた。買い物に来た時間が遅過ぎた感があった。何処の店も売り払った後で、これといったものは並んでいない。ただ、魚屋の前を通り掛かった時、一匹の売れ残ったハマチが置かれていた。
「あれにしませんか」
「ハマチ?」
「あれを丸ごとです」
「じゃあ、いいわ」
彼女の決断は速かった。
「済みません。おばさん、そのハマチ、お刺身にして頂けませんか」
この彼女の注文に、
「済まないねぇ、今うちの人が急な用で出かけて、魚を捌く人がいないんだよ」
「そうなの、仕方たないですわねェ……」
由紀子はがっくりしたが、これに間髪入れず、
「僕が捌けますよ」と言うと、
「大丈夫なの?」と不安な眼差しで私の方を見た。
「任せて下さい」と思わず見栄を切っていた。一見暴挙とも取れる私の申し出は、多少なりとも彼女に不安な気持ちを与えたようだ。
残りの付け出しは、まだ店仕舞中の店で、私の裁量で好き勝手に選んだ。この買い物の仕方に、由紀子は呆れたような顔をしたが、そのソツのない選び方に感心しているようであった。
早速、戻ってからの私の腕の見せ所が始まった。
ハマチの頭を落として三枚に下ろし、頭は口から背中側に出刃包丁を刺し込んで兜割(かぶとわり)にした。頭や骨は吸い物のダシになるのだ。
刺身に捌く包丁捌きを見て、
「中々上手じゃありませんか。それ何処で覚えたの?」
「学生時代のバイトでです。板前の見習いをしていました。門前の小僧習わぬ経を読むと申しましてね」
「そんないい腕しているのなら、自分で毎日ちゃんとお食事を作ったらどうですの」
「はい、はい」
この後、返事は「一回で宜(よろ)しい」と叱られたが、私としては他人の食事の仕方に、一々口を挟まないで欲しいと反論したかった。
私の包丁捌きを横から覗き込みながら、
「上手なものですね。それだけのいい腕しているのに、どうして自分のお食事くらい作れないのかしらねェー」と嘆きに似た小言を漏らした。
「僕の場合は、板前と言っても、《華板(はないた)》なんです」
「それで…… 」
「だから華板なんです」
「でも板前なんでしょ?」
「華板というのはねェ、人が居ないところでは料理をしないんですよ。人が居ないと張り合いがないと言うか、気合いが入らないと言うか、見ている人がいなければ、何にもしないんですよ。つまり一人芝居が嫌いなんです」
「じゃあ、あたしが毎日来て、見ててあげれば気合いが入ると云う事ですの」
「えッ……?」
私は言葉を詰まらせていた。
「だったら、毎日来て、見ててあげましょうか」
「……………」
その先を言えば、些(いささ)か二人の間には、何らかの亀裂が入るのではないかと言う不安から、またこれも控えたのである。まさに“女難の相”は確実に奥へ奥へと進行しているように思われた。
それはあたかも、愚鈍な夫が、賢い妻に圧倒されるような恰好(かっこう)だった。あらたな天敵現象であった。これが“女難の相”とセットになっているのなら、まさに最悪の難儀が予想された。
捌いたハマチの刺身は、私の和食のセンスと自己流のレイアウトで、どこかの食堂の回収し忘れた大皿二枚に、大根の桂(かつら)剥(む)きを添え風流を込めて盛りつけた。しかし二人で食べるには少々多過ぎる観があった。それで両隣の人を呼び集めることにした。
二人とも初老の独身男で、普段は何をしているのか分からない人達だった。
この誘いは直に同意され、四人で例の如く、肴(さかな)を前にして酒盛りが始まった。両隣の人は、この時ばかりと、多少羽目を外し、よく食べて、よく飲んだ。私もそれに準じた。
やがて酔いが回り始めて、今日の仲間内の会話にも呂律(ろれつ)の回らない言葉か飛びかっていた。私は二人の初老の会話にしばらく耳を傾けていたが、直に酩酊(めいてい)が始まり、辺りが浮遊(ふゆう)し始めた。由紀子はこんな私の、目の縁を朱(あか)く染めた顔を覗き込んだのか、
「少し、飲み過ぎじゃありませんの。もうそれ位にしたら」と釘を刺された。
しかし手に握った酒杯(さかずき)は、彼女の忠告を無視して、無造作に干されていった。
些か飲み過ぎの観があった。やがて生臭い寝息を吐いて寝入ってしまったが、この後のことは全く憶(おぼ)えていない。
翌朝目を覚ましたら、由紀子が私に背を向けて台所で朝食を作っていた。彼女は昨夜帰宅しなかったのだろうか。
そう察しがつくと、何か恐れ多い、大それた事件を起こしてしまったような反省が脳裡(のうり)を翳(かす)めていた。やはり“女難の相”と思わずにはいられなかった。
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