第五章 同棲時代
●奇妙な同棲
「お帰りなさい。今日は、何処に行ってらしたの?」
「僕の個人的な所です」
「個人的て……?」
「一々、あなたに説明しても、ちょっとやそっとで理解してもらえませんよ」
「まあ、おっしゃいますわね。そんなに難しいことですの?」
「はい、とても難しいことなのです、“道”を求めるって言うことは……」
「そんなに難しい道を求められているのですか。とても遠い道なのでしょうね」
「はい、とても遠い“道”ですよ」
「そんなに遠ければ、車でお行きになれば宜(よろ)しいじゃありませんか」
「あのですね。そんな“道”じゃないんです」
由紀子は、愛嬌(あいきょう)のある笑いを添えて冗談混じりに、私に鎌を掛けてくる。一枚上手の彼女は、私がムキになるのを楽しむ性癖(せいへき)?があるようだ。
「では、どんな道ですの?」
「人生のような“道”なのです。途轍(とてつ)もなく険(きび)しくて、中々理解できません」
「中々理解できないって、あなた何年おやりになっていらっしゃるの?」
「もう、かれこれ、二十年近くになりますか」
「そんなに長くおやりになっていらっしゃるの?」
「はい、中々得がたいものです。中々進歩しません」
「へー、そんなに長くやって、進歩しないって、はっきり言って、あなた、才能が無いのじゃありませんの」
勿論、これは冗談であろうが、(ズバリ言いやがった)と思った。
やけくそで、
「そうかも知れませんね」
「あなたは小学校の時、体育は不得意だったし、鉄棒から落ちて、足を大怪我したじゃありませんか」
実にその通りであるが、(嫌なこと思い出させる)と思った。
「まあ、鈍感な僕のことです。余り、干渉しないで下さい」
「お怒りになった?」
「別に……」
「ほら、怒った……」といった具合の会話を交わし、波風が立たない平穏(へいおん)な生活を送っていた。一切がほんの些細(ささい)な雨宿りから、彼女とは皮肉な運命の巡り合わせでこうなってしまった。一種の夢を見ている感覚だった。これがいつまでも続けばいいと思っていた。
男が女に近付くには、それなりの意図があり、また単純で直截(ちょくせつ)な思惑がある筈だ。更に、一人の女と男が、他人と言うには憚(はばか)られ、然(しか)も同棲と謂(い)う形を形式なりにも採って、一緒に棲(す)むということは、私自身にそれなりの何か決定的な要素がいる筈である。
では、それは一体何か。
短直に謂うならば、私には女を勾引(かどわ)かす、ジゴロ的な才能がないから、それは運命と謂う外ないであろう。これを喜んでいいいものか、悲しんでいいものか……。そんな大それたことをした後の、反芻(はんすう)が趨(はし)るのだった。
話は再び前後するが、私はこの時、母の実家から離れて八か月程、八幡駅前近くにある九千円の『帆柱荘』という、木造二階建ての十世帯くらいの安アパートに住んでいた。
此処に棲(す)む経緯に至ったのは、私を、四ツ辻で呼び止めた売卜者(ばいぼく‐しゃ)の言に寄る。売卜者の言に下がい、吉方として八幡駅周辺が選ばれたのである。それに道場にも近いという理由で此処を選んだ。
六畳と、三畳の板張りのキッチンがあり、トイレと洗濯場は共同で別になっていた。勿論、風呂もない。だから家賃が九千円なのである。
そんなところに、どう言い訳か、つい最近まで、通い妻をしていた由紀子が、転がり込んできた。危ない綱渡りをする、私の監視でもするつもりなのであろうか。
こうして飯事(ままごと)のような生活が始まり、兎(と)に角(かく)奇妙な同棲生活の始まったのである。
この築二十年以上は経(た)つと思われる木造二階建の安アパートの前には、似つかわしくない彼女の3ナンバーの赤いフェアレディZが止まっている。この車は一体何を意味するのか。赤い車の「赤」は、私にとって“女難の相”を意味するものか。
彼女が、私のこの場所に住んでいること自体が既に狂気(きょうき)の沙汰(さた)であり、いつ飛び翔(た)っても不思議でない白鳥のような渡り鳥に思われた。私の直感的判断からして、この本能的な危惧(きぐ)は、恐ろしい程の予見に満ちていた。
汚れを知らない柔順な生娘(きむすめ)のような彼女は、果たして、私の愛を受け容(い)れたのだろうか。
そして現実として、将来、その職を嘱望(しょくぼう)され、女医になるべき中央病院の医局員(正確には六月の医師国家試験の合格待ち)が、私と一緒に、此処に住み着いているのである。大変なことになるのは目に見えていた。この儘(まま)無事には済まされるわけがないのだ。それを由紀子も知っている筈だ。
大それた事件を引き起こしているのではと言う後ろめたさが、大きな悩みとなって伸(の)し掛かろうとしていた。それでいながら、由紀子と別れる勇気は持ち合わせていなかった。良心の呵責(かしゃく)に責められながらも、羞恥(しゅうち)や悔恨(かいこん)は全く感じていなかったのである。両者は奇(く)しくも、相入れぬ不可思議な矛盾に満ちていた。
─────人間の運命など、何処でどう変わるか分からないものである。その根元を何故か、何故かと、辿(たど)って行っても切りがないのだ。私には大きな偶然?の運命が働き、そして支配していた。
最初、私は此処に一人で棲(す)んで、独(ひと)り暮らしの自由奔放(じゆうほんぽう)なグウタラ生活を楽しんでいた。
「余(よ)に問う、何の意(い)ありてか碧山(へきざん)に棲(す)むと。笑って答えず、心自(こころおのず)から閑(かん)なり。桃花流水(とうかりゅうすい)、杳然(ようぜん)として去る。別に天地人間(じんかん)に有ら非(ざる)なり」
これは唐代の詩人・李白(りはく)の『山中(さんちゅう)問答』である。
まさにそのような気儘(きまま)な生活をしていた。私にとって、このアパートは碧山の棲家(すみか)であった。
そこについ最近まで通い妻をしていた由紀子が押しかけて来て、住み着いた?のであった。物好きなものである。こんな外道(げどう)の私に付き纏(まと)って、何の得があろうというのか。
こうなった原因は、私の無茶な沖仲仕(おきなかし)の仕事に端(たん)を発しているらしい。無断で五日も居場所を晦(くら)ましたのが、その原因のようだ。これからは危ない私の綱渡りを、24時間、監視するつもりでいるのだろうか。
とは言え、由紀子の頭の中の構造が、一体どうなって居るのか不思議でならない。構造が良過ぎて、凡人の組織(organization) とは何処か違うのだろうか。
そしてこの事を一人娘の彼女は、両親にどう言い訳し、どう説明しているのであろうか。
兎(と)に角(かく)、いつ爆発を起こしても、不思議ではない活火山のような危険な状態に置かれているのだった。
季節は、春酣(はるたけなわ)の、仄(ほのか)に初夏の気配を思わせる朧月夜(おぼろつきよ)の美しい晩であった。たった今、山村師範の稽古から帰って来たばかりであった。既に、夕食が食卓の上に用意されていた。
いつも食事は、彼女が全部用意してくれる。彼女の居ない昼食分は朝作って、私の分が、食卓の上に用意されていた。夕食分は、病院の帰りに近くの市場で買い物をしてくるらしい。
洗濯も同じ様に全部してくれる。下着から、厚手のこわごわした刺子(さしこ)の道衣まで洗ってくれ、私のテトロンの白い袴には、きちんとアイロンが当てられていた。
これで、彼女とセックスしたら、罰が当たるというものだ。
それで、一度も今まで由紀子を抱いたことがない。
自分を抑えるのには自信があった。欲望は彼女に知られないように金で自由になる処ですませていた。由紀子の気品と気高さに、おいそれと手が出せなかったのである。この意味で、彼女は私の天敵であり、一番手強(てごわ)いな女であった。
そして、これが私の唯一の痩(や)せ我慢であった。
彼女に手を出さないことが、瑞々(みずみず)しい純情を保ち、これが、この恋愛ごっこのルールであると考えていた。せめてもの私の「忍ぶ恋」の意地でもあったのだ。
世間一般の恋愛術において、一旦肉体の営みを経験した男女は、その快楽から、ともすれば弛緩(しかん)な喜びに、ブレーキが利(き)かなくなり、無反省に溺れていくものである。
耽溺(たんでき)のあまり、そのコントロールが利かなくなり、ついには巨大な空隙(くうげき)に陥って、恋の緊張感は崩落するのである。その意味で、私は耽溺に陥る男女の愚行を注意深く警戒し、その緊張感を以て、更に警戒の気持ちを怠らなかった。
男女が性関係に耽溺した場合、多くは耽溺に陥り、根底から恋の原形を狂わし、やがて訪れるであろう、繁雑で、退屈な倦怠(けんたい)への弛緩を味わって、緊張を失った男女関係に陥るものである。そこに新鮮さはなく、中年の緊張を失った倦怠期に陥った夫婦関係の如く、崩壊の第一歩を味わうのである。
しかし私は肉体関係を回避(かいひ)することで、「忍ぶ恋」の原形はいつ迄も保たれ、彼女は処女時代の夢であったのと同じく、私にとってはこの同棲生活が夢であるように、この夢は、私が彼女に肉体関係を迫らない限り、いつ迄もこの夢は醒(さ)めることがないのである。そして、この幸福は生涯続きえるものに思われた。
私は彼女と居るだけでよかった。それだけで贅沢(ぜいたく)な気持ちになり、しっとりと潤(うるお)った木蔭(こかげ)の下で、安らかに休息しているような平静さと安堵感(あんどかん)を感じることが出来たのである。
そして私は獣(やじゅう)の爪を隠し、紳士を気取り、至って、彼女を恭(うやうや)しく扱っていたのである。
─────私のライフ・ベースを紹介すると、まず収入は、当時のサラリーマンに換算して、およそ三万から四万円程度であった。
当時の大学卒業のサラリーマンの初任給が三万円程度であったから、別に下回っていたわけではないが、サラリーマンのように、年二回の賞与(ボーナス)の出ない点から考えれば、別にいい稼ぎではなかった。選挙ブローカーの足を洗ってしまった今、取り敢えず、収入というのは道場の月謝の上がりだけであった。
そして支出は家賃が九千円。その他に水道代、電気代、ガス代などの水道光熱費や道場の家賃一万円を払わねばならなかった。
そして母には一万円の生活費を渡していた。
これを差っ引くと、殆ど手元に残る金銭はなく、その上厄介なことは、三度三度の食事代であった。三度を二度に減らし、二度を一度に減らすような生活をしていた。それでも赤字すれすれの生活を強(し)いられていた。
それが、由紀子が転がり込んで来て、合法的に助けようとしたのであった。どうしてだろう、という不思議な気持ちに駆られた。
それを思いながら、女に助けてもらう自尊心を考えてみた。貧乏人への一方的な奉仕は真(ま)っ平(ぴら)だと、意地のようなものがあったが、情けないことに、それを我慢して受け入れることしかなく、背に腹は返られなかった。そして、これが一つの屈辱(くつじょく)となって、私を安易に腐敗させて行ったのである。自嘲し、何たる矛盾と自責する。
此処の生活は、風呂の無いのを除けば、差し当たりこれと言った不自由な面はない。風呂は近くの銭湯(せんとう)に、二日に一回の割で一緒に行く。先住民である私の財産といえば、書棚(しょだな)に散乱された書籍と、薄くなった煎餅(せんべい)蒲団と、最低限度の食事が出来る食器しかなかった。それと置き去りのベットである。
このベットは、此処に棲(す)んでいた前の住人が置いていった置土産(おきみやげ)であった。それは部屋の中では動かせるが、部屋の外には運び出せないという、莫迦(ばか)でかい、不便で厄介(やっかい)な代物であった。組立の接続箇所が、接着剤と釘でカッチリと固定されていて分解できない状態にしてあった。
夜、このベットは、彼女に譲る事として、寝る時は、私が床の畳に煎餅蒲団(せんべいぶとん)を敷いて寝た。どうもベットは、私の性(しょう)に合わないのである。
最初は飯事(ままごと)遊びのような彼女の引っ越しであったが、彼女が住み着いて三日も経つと、室内は一新した。真新しい家具や調度品が一気に増やされた。母屋は乗っ取られた感じであった。
床には彼女の好みと思われるグレーの毛足の長い高級絨緞(じゅうたん)が敷かれ、窓には白い薔薇(ばら)の花をあしらった趣味のいいカーテンが吊られた。
日用品は彼女が住み着く前から、予(あらかじ)めその殆どは用意されていたが、更に、電話が引かれ、カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、クーラーまでが彼女によって新たに装備された。全てが豪華になった。快適になった。見慣れない真新しいもので埋め尽くされていた。物質的には満ち足りていて、此処には何一つ欠けているものはないように思われた。
しかし、これには多少の懸念(けねん)があった。私の自尊心には、篦深(のぶふか)く矢が突き立てられていたのである。
何から何まで彼女の恩恵に預かっていることが、何処かで男のプライドをひどく傷つけられている様な気がしていたからだ。何となく彼女の好意に流されて、誇りを失ってしまった惨めさが、心の片隅で燻(くすぶ)っていた。そして矛盾入り混じる現実に、何一つ、これに抵抗できないでいた。
これに不平を言い、文句を言うのは御門(おかど)違いであるかも知れないが、単純に諸手(もろて)を上げて喜ぶにはいかず、心の何処かに甚(はなは)だ迷惑な當(あた)り籖(くじ)を引いた観があった。
窓際の日当たりのいい片隅に、彼女の机と書籍棚があり、その中には医学書がビッシリつまっていた。この部屋で差し当たり、重々しく威厳を保っていたものは、この目を見張る書籍棚であった。
そして由紀子は物質的に恵まれた環境に育ちながらも、その生活態度においては、どこか慎(つつ)ましいところがあった。実に不思議な女である。
恐らく見栄より実質を選び、非常時においては、何の戸惑も無く、全てを切り捨ててしまうような非情さが感じられた。要するに私と違って、経済感覚が非常に発達し、私のような丼勘定(どんぶりかんじょう)で、その日暮しをしている人種とは異種の存在ということになるだろうか。
─────私たちは、隣近所の人たちから、最近結婚したばかりの新婚の夫婦と思われていた。そして金持ちの娘を誘惑したがの如く、私は陰で、「あいつは女を誑(たら)した悪い奴」と誹(そし)られていた。まるで誘惑者への誹りであった。
しかし実情は、他人に説明が不可能なほど複雑を極めていた。その裏返しの実態は、由紀子との間柄(あいだがら)は取り分け、誕生日が、ほんの数か月違いの姉弟のような、そして小学校の同じクラスの、席が隣同士のランドセルをしょった男の子、女の子であった。
その意味では夫婦以上に、複雑な気遣いと、精神的恋愛感情を持っていた。それは、明治維新以降に持ち込まれてきた西洋のプラトニック・ラブではなく、日本武士道の源流に流れる『葉隠』の「忍ぶ恋」であった。
この夜、私は食事が終わって、昨日買った安瓶(やすびん)のサントリー・レッドを飲んでいた。
安瓶(やすびん)は悪酔いする。頭も悪くなる。これは蒸溜酒(じょうりゅうしゅ)でないためだ。
旧ソビエトのグルジア地方の世界的長寿者が飲愛しているワインやブランディーはともかく、私の飲んでいるのは超庶民派の安酒である。兼ねがね由紀子から、この点を指摘されていた。それで酒は、由紀子が買ってくれた“ジョニ黒”や“ヘネシー”等の高級洋酒があったが、これには一切、手を付けなかった。私の痩せ我慢でもある。貧乏人の意地とでも言おうか。それに手を付けたが最後、この「忍ぶ恋」は空中分解して、終焉(しゅうえん)を迎えるのである。手を付ける事は、それは「結合」を意味した。
情熱の原理を熟知していれば、「結合」と言う安易な受け入れは出来ない。かの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を持ち出すまでもなく、安堵した安定は情熱を殺し、ただ、不安だけが情熱を掻き立てる原動力になるのである。
主人公シラノは云う。
「もし、自分が想い人であるロクサーヌと結合すれば、自分のような人間でも、やはり狎(な)れから倦怠感を感じ、飽きてしまうかも知れない」と。
「それなら、この危険を避けて、絶えず彼女には情熱だけをもとう」と。
それにはどうすべきか。
その答えは簡単である。彼女と結合しなければ良いのだ。ロクサーヌを自分の手の届かないところに置き、彼女のために情熱を抱き続ければ良いのである。あるいは不安を感じつつ、恋敵のクリスチャンに嫉妬を抱き続けることで、シラノの情熱は冷める事なく、永遠に滅びないのである。つまり、「恋は死なない」のである。
私は戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』の主人公シラノに自分を置き換え、意地で「忍ぶ恋」を実践して居たのである。
読者諸氏は、眼の前に自分の愛する女が居て、なんで抱かないのだ。心だけではなく、愛情の疎通は肉体の上でも必要ではないかと思う方がいるかも知れないが、もし、そのようなことをすれば、確かに「恋は死ぬ」のである。したがって、今日の世間風では、やたらに「愛だ」「恋だ」といって肉体を先行させてセックスに奔(はし)る男女が多いが、これでは恋はその後、数週間、あるいは半年以内に確実に死んでしまうだろう。
つまり、情熱の不思議は、ここに「矛盾の公理」というものがあり、これが巧妙に、不安定に、苦悩を伴って働いているうちはいいが、不安定が無くなって、安定に転じた途端、「恋は死ぬ」のである。
それは長年愛し合い、恋愛結婚で夫婦になった男女が、やがて安定と安心から倦怠感に陥り、すっかりお互い性に飽きてしまって、「性格の不一致」などといって、離婚を辿る「恋の崩壊」を見れば一目瞭然であろう。
だからこそ、貧乏人の誇りは、意地で立っしかないのである。貧乏人には元来そういう習性がある。貧乏人は臆病で、小心者である。それなるが故、人の好意に甘えたり、伸び伸びと手足を伸ばし、それを受け入れない程、気持ちが萎縮(いしゅく)してしまっているのだ。
元来貧乏人は風采(ふうさい)の上がらない、劣等感に固執(こしゅう)してしまうものなのである。
いつも心の何処かに、冨者への憤(いきどお)りを胸に抱きながら、意地と誇りでこれに対抗し、自分自身の魂と格闘して、哀れな堂々巡りを繰り返し、結局小我(しょうが)の世界から抜け出すことが出来ず、貧しい発想しか出来ない生き物なのだ。
これを私は悲しい衆生(しゅじょう)だと思う。果たして私は、彼岸(ひがん)の岸に辿り着けるのだろうか。
この初めて経験する馴(な)れない生活は、一つ屋根の下での、些(いささ)かの息苦しさだった。刺(とげ)だらけの美しい薔薇(ばら)の花束を抱え込み、その刺が、私の感覚の何処かに触るような感じがしていた。そんな感想を持った私が、此処に居た。
そして、この現実と対決するべき喘(あえ)ぎから、俳人・種田山頭火(たねださんとうか)の強烈な生き態(ざま)に、いつしか触発されて、今夜も、私の後ろ姿は時雨(しぐ)れていた。
─────青春を謳歌(おうか)し、息巻いた年代は、何かにつけ、心が訳もなく揺れ動く年代であるらしい。
呑(の)めない酒を呑まずにはいられない、そんな心境に追い込まれてしまうものなのだ。
今夜も私の片手には、悪酔いの指摘を受けたウィスキーのグラスが握られていて、片方の手で山頭火の拘集を読み漁(あさ)っている。これは私の警戒すべき夜の『禁断の書』なのである。
こんな夜は、また、柄(がら)にもなく眠むられなくなってしまうのである。目が冴(さ)えて、魂が揺さぶられてしまうのだ。
『禁断の書』と言うのは、そんな夜を眠らせない、不思議な魔力を持っている。
「あなた。もう、お休みになりませんの?」
「いいから先に寝て下さい。僕にとっては、まだまだ宵(よい)の口なのです。もう少し酔わないと眠れない気分です」
「もう、大分、お飲みになっているわ」
「素直に寝るには、これくらいの馬力では、まだまだ力が足りないんです」これは痩せ我慢と、細やかな彼女への抵抗であった。
「でも、そんなに飲んじゃ、躰に毒だわ」
それは叱り付けているのではなく、優しく幼児にでも言い聞かせるような口調であった。しかし由紀子の労(いたわ)りは、私の心の渇(かわ)きを理解してくれてない。
そんな時、私の読んでいる本を、虫眼鏡で覗くような眼差しで、由紀子が覗き込んだ。
「何をお読みになってるの?」
彼女の眼は興味津々(きょうみしんしん)という感じであった。
「山頭火です」
「へッー、変わったものお読みになるのねェ」
「山頭火って、知っていますか?」
「ええ、一応は。俳人・種田山頭火のことでしょ?」
「松尾芭蕉の現代版のような人です。日本の俳人の中で、芭蕉以降の偉大な俳人と思っております」
私のこの一言が余計であった。
由紀子が、私の句集を覗き込みながら、
「あら、五七五の定型句じゃありませんわね。字余りであったり、字足らずであったり、それに季語のはっきりしない句もありますわ。遠く芭蕉には、及ばないのじゃありませんの?」
これを聞いてカチッと頭に来た。
(判官贔屓(びいき)の山頭火さまに、何てことを言いやがる)と思った。酒に浸りながら、山頭火の句集を読み漁(あさ)っていれば、いつかはこう言う質問が、由紀子から飛び出して来るのではないかと予期していたので、その答え方は予(あらかじめ)め予習し、密かに私なりの答を用意していた。
「芭蕉の精神を生かすのに、形式に拘(こだわ)った定型句は必要ありませんよ。山頭火の句が、定型でない点を指摘するなど全くのナンセンスです」
「でも、世間はそうは見ませんわ。少なくとも文壇は……。芭蕉以降の俳人といっても、人々はそれに耳を貸すでしょうか?素人の暴論にくらいしか思われず、かれこれと論(あげつら)う人も少なく無いと思いますが、如何がですか……」
由紀子の意見は、俗世間風の一般評を代表していた。
彼女も単に医学一本槍の馬鹿ではない。大学受験の時に、日本文学史ぐらいは勉強した筈だ。この儘(まま)、話を続けていけば、口論になるかも知れないと思った。
「しかし、ですね。山頭火が、非定型句の道を歩いたればこそ、能(よ)く芭蕉の真髄(しんずい)に迫り、ある意味でそれを越えたと考えます」
次第に叙情的な過熱状態に陥り、いつの間にか、力が入り、ムキになっていた。何も力説するつもりはなかった。由紀子を軽く流すつもりでいた。それがどうしたことか、ムキになってしまっていた。それは私の人間的な未熟を物語るものであろうか。それとも今宵の酒のせいであろうか。
しかし酒のせいにしては、何処かが噛(か)み合わない、空回りを繰り返す歯車のような後味の悪さがあった。
そして由紀子も負けてはいなかった。教養の貯蔵庫の様な彼女が、本気で私に噛(か)み付けば、薄っぺらな私の学問など、一溜(ひとたま)りもなく没してしまうのである。
「では、お訊(たず)ねします!」由紀子の声が尖(とが)った。
彼女は本腰を入れて、反撃に転じたようだ。私は手厳しいかも知れないということを予(あらかじ)め覚悟した。
「何でしょうか?」胡座(あぐら)を静坐(せいざ)に改め、神妙(しんみょう)に訊き返した。
「島崎藤村は、松尾芭蕉を心の師としていましたが、そうした芭蕉の魂を自らの作品に通じさせて、その結晶として『若菜集』を刊行し、以後詩人から近代小説家となり『破戒』から、膨大な歴史小説である『夜明け前』に至るまで、その背後に芭蕉の崇高(すうこう)な精神で貫かれています。この事が、藤村を文壇の巨人の一人に押し上げる一つの切っ掛けをつくったのですが、あなた、この事がお分かりになりまして?」
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▲ 『若菜集』島崎藤村著
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私を小手先で軽くあしらった観があった。そして彼女は高遠な文学談の中に、私を引き込もうとしているように思われた。
心で、(島崎藤村と来たものだ)と思った。ややこしいものを持ち出して来た。どう答えればいいのだ。
私も『破戒』は、一読したことがあるが、主人公の瀬川丑松(せがわうしまつ)が、亡き父の遺言であった戒めを破って「我は部落の民なり」と告白し、苦悶(くもん)と動揺を重ねながら、男らしく社会と対決する決意を固める物語であったが、その程度の事までしか識(し)らない。そこには主人公と藤村自身を重ね合せた起死回生の、背水の陣にも似た、一瞬プロレタリア文学に見間違うような内容であった。
しかし私は、彼女に比べてその理解度も、読書量も遥かに落ちるのである。目から鼻に抜ける彼女の才気縦横(さいきじゅうおう)の比ではないのだ。元来血の巡りの悪い私は、狭量(きょうりょう/人を受け入れる心の狭い小人物の器)の知恵を絞って、必死に答えるしかなかった。
「藤村文学は、確かに近代精神に則った、ルソーの日本版と思います。藤村も山頭火も、同じ芭蕉を追いかけた求道の文人であり、一人は小説という形態を取り、もう一人は非定型句という武器を持って、芭蕉のそれに、よく迫ったと思います。その意味で山頭火は、超リアリズムを持って現実に迫り、現実主義の一面では、芭蕉を越えた『野の詩人』、あるいは『雑草の俳人』なのです」
「でも俳句の基本は、十七字型が、その裏付けですわ。山頭火はそれをやらなかった人ではなかったのでしょうか。ある意味で基本を無視していると思いますが、これをあなたはどう、ご説明なさいますの?」と、些か皮肉を込めて言う。
「芭蕉の時代は徳川時代であり、世は封建制度や、形式ばった格式の真っ只中にありました。だから、風流が重視されたのです。そのためには、是非とも定型句でないといけなかったのです」
私は益々言い張った。由紀子からの冷ややかな嘲弄(ちょうろう)も意に介さず、自分だけの饒舌(じょうぜつ)に全意識を集中し、熱弁を振るっていた。しかしそれは一種の負け惜しみでしかなかった。
「でも、先人の構築したその定型句は、その儘、現代に受け継がれていますわ。十七字型を以て、学校でも指導し、更に多くの文壇詩人までが、これに従って俳句を作り上げています。これをどう説明なさいますの?」彼女は勢いを失わず、一向に怯(ひる)む様子がない。
「山頭火の時代背景は、明治後期から昭和初期に掛けてでした。戦前とはいえ、世は型に捕らわれない大正デモクラシーの自由時代の真っ只中でした。超リアリズムを表現するためには、寧(むし)ろ非定型句の方が効果的で、尚(なお)かつ現実的だったのです」
山頭火の愛読者ならば当然分かり切っていることであり、これを一々説明するのに、私の顎(あご)はだるくなっていた。私の熱弁的エネルギーは、山頭火の非定型句からなる作品弁護のために費やされた。ムキになって熱が頭を上り詰めていた。熱弁し、興奮するうちに、酒が回っていた。安酒は、酔いが回るのが一段と早いようだ。
私が興奮して喋っているのに比べ、彼女は依然(いぜん)おっとりとした流暢(りゅうちょう)な口調を崩さず、冷静沈着だった。そして彼女は反論を秘めた燃えるような眼差しを私に向け、再び唇を切った。
「でもね。俳句の五・七・五。短歌の五・七・五・七・七。どちらもとても美しいリズムと思いませんこと?宇宙の波動に適(かな)っているようで……」
「えッ……?」
そう言われれば、そうであった。五・七・五や、五・七・五・七・七には、確かにリズムがあり、小気味好く、何かしら波動のようなものを感じる。
「この波動は、また精神的にも、心をリラックスさせるし、自然の野山のイメージまでも豊かにさせてくれますわ。目に映る自然の風景や、心に浮かぶ心象現象までも、見たままに、そのリズムの中に納まってしまいますわ。これは、とても素晴らしい、先人の知恵と思いませんこと」
これを聞いた時、私の反論は力を失いかけていたばかりでなく、この場にいること自体が、意地悪な、そして居(い)辛い場に変わろうとしていた。
また、それが酒の一気飲みの呷(あお)りへと追い討ちをかけるのであった。手にしたグラスの水割りを一息で呷り、沈黙を保って、次の反撃を模索していた。私の心には「うううッ……。クソーッ、やられっぱなしだ」という口惜しさが残った。しかしその反撃の材料は容易には見つからなかった。
「……………」
私は逃げ場を失った小動物のように翻弄(ほんろう)されているのではないかという、小さな被害妄想が脳裡(のうり)を過(よぎ)り始めた。
そして由紀子の最後の止めと思えるような一撃が、私を襲った。
「俳句の五・七・五や、短歌の五・七・五・七・七が宇宙の波動、つまり人体の持つ鼓動と共鳴し、そのリズムが脳波に影響を与える大脳生理学のことを、あなたは御存じかしら?」
「えッ!大脳生理学?」(そら何じゃ……?)
「このリズム感がアルファ波に……、つまり平素のベータ波をミッドアルファ波の状態に変換させ、快い影響を与えることを御存じだったかしら?」
「ミッドアルファ波……?」
知的怠慢(たいまん)があり、私は皆無であった。(何じゃ?それ……)と、再び心の中で呟(つぶや)いた。
「快いリズム感は、脳波をアルファ波状態に移行させくれますのよ。そして右脳に影響を与え、インスピレーションや閃(ひらめ)きを与えて、潜在能力を引き出してくれますの。
右脳は膨大な貯蔵庫だから記憶力も増大され、感性も豊かになりますわ。更に意識の活性化を促し、自律神経も安定させてくれますわ。自律神経が安定すると、脳内生化学反応が起きて、ドーパミン、チロトロビン、ベータエンドルフィン等が体内を循環し始め、心身が好循環と共に、活性化されて行きますのよ」
由紀子は、じわじわと医学用語を並べ立てて、私を身動き取れない状態に追い込んで行くように思われた。ここまで理詰めで追い込まれると、手も足も出せなくなった。
二人の間には、一瞬にして深い溝が出来、双方が遠く隔てた、反比例の様相を強めた。そしてこの議論は、何処まで行っても噛み合わないユークリッド(Euclid/紀元前300年頃のギリシアの数学者)の平行線で、徒(いたず)らな堂々巡りの観があった。
双方の言葉が止まり、暫(しばら)く二人は沈黙を分け合った。
由紀子は、私のこのような状態を逸(いち)速く察知していたに違いない。
私など簡単に言い負かしてしまうことが出来るのに、これから先へと話を進めて、更に攻め入ろうとはしなかった。彼女の賢明な処がそうさせるのであろう。
俳人・山頭火を縦横に論じたとは言い難かったが、一時の知的な会話が双方で交わされ、それを楽しめた事が、今夜の私を、快い満足感に浸らせていた。
昨今は露骨で猥褻(わいせつ)な話題が、男女間にも氾濫(はんらん)し、男女が知(ち)と知をぶつけ合って、火花を散らす事など、実に稀(まれ)になった。また同士的な思想で一致しない限り、余り得る確率も極めて低い。
あるのは唯(ただ)男女が興味本位に、互いの性器に翻弄(ほんろう)されて、双方の性欲や肉欲を満足させるだけに留まっているのが、現代の男と女の関係式の実情ではあるまいか。
つまり底の見えた、肉欲本意の雄(オス/動物ので精巣)と雌(メス/動物で卵を生み、または子を孕(はら)む器官)の関係を、愛だの、恋いだのと言っているのである。
況して、肉体を交え男女のお互いが、性の至る所を知り尽くしてしまった後では、長年の恋人同士も、長年連れ添った恋愛結婚で結ばれた夫婦でも、以上の述べた、白熱の議論は何一つ出て来ないであろう。出て来るのは、お互いが辟易(へきえき)した、愚かしい愚痴や小言ばかりであろう。
一般人に認識されている夫婦というものは、動物の番(つがい)の如く、唯の性(せい)への生殖と、性交を取り違え、溺愛(できあい)に終始しする、男女の性器と錯覚している節があるのではあるまいか。
それらの夫婦は、やがて時間が経つと、互いが倦怠感に陥って、初期の瑞々(みずみず)しさを失い、終局的には、金と物の煩悩(ぼんのう)に執着する二人三脚の、あの哀れなマスゲームの一員と成り下がり、双方単独の物質的過当競争に入れ揚げる愚行を冒しやすくなる。行き着く果ては、欲に転んだ人生設計の図面引きに終始する。こうした箇所に、現代の不幸現象が潜んでいるのである。
これでは余りにも当初の頃の、そして初恋の……、お互いが想い人としての新鮮さは戻って来ないのではあるまいか。そして、これは実に悲しいことではあるまいか。
その意味で私は、心が少年のような初々(ういうい)しい新鮮さを失ってはいなかった。これが、「忍ぶ恋」を前提とした、私たちの同棲生活であった。こうした事は、容易に理解されることはあるまい。
そいうい意味で由紀子は私の「忍ぶ恋」の対象者だったわけだ。
だが、彼女の知的な面をもってしても、「男のロマン」という、山頭火の強烈な魂の揺さぶりに触発されて、同じ路程を模索している、私の心の渇(かわ)きなど、彼女に理解できる筈がなかった。
人とは不思議なものである。
例えば、自らが、何かに傷つき、あるいは虐待(ぎゃくたい)を受けて傷ついたとしよう。その痛みと苦しみは、外に洩(も)れることはないにも関わらず、その痛みの悶絶(もんぜつ)と悲壮(ひそう)の苦しみを、他人に訴えようとして、同情の限りを尽くす現実がある。物乞いに似た卑(いや)しさを煽(あお)り、あたかも人類共通の事柄として訴えることがある。
しかしながら、自らの背負った痛みと苦しみは、常に自分自身の肉体的領域、あるいは精神領域を出ることはない。それでいながら、その訴えを退けない現実がまた一方ではある。
その訴えを、訴える方も訴えるなら、その訴えを聞く方も聞く方である。誰もが、同情の手を差し伸べて、巧妙に偽善者ぶる。そこに歯車の噛み合わない「御涙頂だい」のヒューマニズムがあるのではあるまいか。
そんなことを思いながら、それとは裏腹に、彼女と暮らす、この安穏(あんのん)とした日々は、実に捨て難いものがあった。私は、実にデッカイ夢を見ていた。恐らくこれは、私のエゴから発したものであることは疑う余地がなかった。
そして生きている時は、片時も彼女から離れまいという矛盾が込み上げてくるのだった。
そんな思いに浸りながら、私は由紀子を先に寝かせて、酔えない後味の悪い酒を朝方近くまで呷っていた。しかし酩酊(めいてい)の先には何も見えてこなかった。
脳裡(のうり)で、どうしてこうなったか反芻(はんすう)する。何故こうなってしまったかと。
そうした原因の糸を手繰(たぐ)り寄せると、ただ酩酊に任せて、一つだけ思い出したことがあった。
それは由紀子が自分の車に、手短な荷物を纏(まと)めて、此処に乗り込んで来た時のことであった。今まで通い妻を気取っていた彼女は、とうとう母屋(おもや)の占領を目指したのだった。
「今日から此処に住まわせて頂きます」
取り澄まして、由紀子はこう言ったのである。
彼女の言葉を聞いた時、私は絶句し、青天の霹靂(へきれき)といった激しい衝撃を受けた。それがまた真摯(しんし)な眼差(まなざ)しで言ったのだから、度胆(どぎも)を抜かれない筈がなかった。
通い妻としての領域を出ることのなかった彼女は、そのような気配すら一度も見せず、その兆候もみられなかっただけに、私は突然こう言われて、その衝撃は想像を絶していた。心の準備というものがなかったのである。
しかし世間知らずと言おうか、お嬢様育ちと言おうか、ネジの外れている?大胆な、こんな彼女に、私の心の裡(うち)を説明しても、直ぐに理解して貰えるとは思えなかった。好きにさせるしかなかったのだ。
そして気付いた時には、彼女が此処から仕事に通い始めて、あッという間に、半月が過ぎたのだった。
この間、当時の文化生活で必要とされたものは、全て取り揃(そろ)えられていたのであった。それに飯事(ままごと)遊びのような、この異様な現実から逃避するためには、酒に明け暮れるしかなかった。
男の責任やその義務を考えた場合、女に養われていることは実に心苦しいものである。だから由紀子は抱かないし、私自身の手で床の間に据(す)えた由紀子には、手も触れないし、迫りもしないのである。これが私の痩我慢(やせがまん)であり、由紀子は何処までもプラトニックラブの相手でよかったのである。
だが、しかしまた男の意地は、そんなことだけで解決はしない。解決しないならば、そこで当然のように葛藤(かっとう)を繰り返しながら逃避行を企てる。そんな私の逃げる処があるとすれば、それは泥酔(できすい)の世界しかなかったのである。
それでいながら、彼女を不幸にさせたくないという、安っぽい感傷に囚(とら)われるのであった。
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