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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 38


不動明王は火炎を背負い、大日如来が教化し難い衆生を救うために忿怒(ふんぬ)の姿をした仏である。一面二臂で、右手に降魔の剣を持ち、左手に羂索を持ち、大日如来の使者として登場する。


第七章 対決


●対決前夜─────義によって助太刀もうす

 数日前、ちょっとした事件に巻き込まれた。
 道場生の一人が、街のチンピラに絡まれ、喧嘩
(けんか)を売ってしまったのである。

 喧嘩をした道場生は、及川英治と言う大学生で、喧嘩慣れして手が早く、私もこの男には以前から、何か起こさなければと注意をしていた。
 それがこともあろうに、広域暴力団系の安田組の息のかかるチンピラ相手に、五人斬り
(1対5の喧嘩)をやらかしてしまったのである。奴等数人を叩きのめし、重傷を負わしたという言い掛かりをつけられたのである。以降、奴等から陰湿な嫌がらせを受けているという。
 私のモットーは『覚有情
(かくうじょう)【註】仏語で、梵語はSattva/生存するものの意で、情である心の働きと感情を持つもののさす。生きとし生けるものの総称であり、衆生(しゆじよう)の、愛憎の心のあることをいう)。放置することが出来なかった。

 彼からこの相談が持ちかけられ、その始末をどうすればよいかという策
(さく)を求められた時は、些(いささ)か困惑したが、助けを求めて来た以上、聞き捨てには出来ない。窮鳥(きゅうちょう)(ふところ)に入れば猟師も殺さず」だ。門人が救いを求めて来れば、見殺しにするわけにはいかない。及川の師匠として、私が話をつけねばならないと思った。しかしこの相談以来、及川は道場にすっかり姿を現わさなくなった。そうかといって、放っておけないのである。喧華を売ってしまったことが禍(わざわい)をしているのである。

 昔、何かの本で「仇討ち」の物語を読んだことがある。そして武士と言うものは、腕に覚えのない、弱い筋から、仇討ちの助力を頼まれると、「義によって、助太刀
(すけだち)もうしつかまつる」と、カッコいい台詞(せりふ)を吐いて、自らの命を死地に投じた。そんな内容の物語を、子供の頃に読んだような覚えがあった。
 いまどき、こんな考え方がはやるか、はやらないかは知らないが、弱きを助けて強きを挫
(くじ)く、真実に与(くみ)して、弱い者を助けることは、これこそが「義」だと解釈していた。

 私は溜息
(ためいき)混じりに「義か」と口にしてみる。「義」とは如何にも、大時代的なものを感じさせる色褪(いろあ)せた発想であるが、及川に助け舟を出すならば、その大義名分は「義」に求める以外ないのである。もう一度、「義か」と口にして、苦笑しながらその理由を求めたが、一言で「義」といっても、そんなに単純なものではなかった。しかし、やはり「義あって助太刀もうす」旨を及川に代わって、実践するしかなかった。

 それから一週間が経
(た)った時のことである。
 一向に姿を現さない及川のことが気になり、私は及川の家を訪ねることにした。
 及川の家は母一人、子一人の母子家庭であったが、母親が理容院を経営していて、生活は意外に裕福であることを小耳に挟んでいた。

 私は道場が終わった後、由紀子の待つアパートには戻らず、直ちにその足で及川の家を訪ねた。
 (確か、及川は中央町と思ったいたが……)そんな独り言を呟(つぶや)きながら、疎(うる)覚えの記憶を辿(たど)り、中央町(北九州市八幡東区)の方に足を向けていた。及川の家は直に分かった。
 既に、夜9時半を回ったというのに、店には明かりが明々
(あかあか)と灯(とも)され、数人の店員が忙しく後片付けをしていた。

 『及川理容室』と書かれた入口のドアを押して店内に入ったら、若い女の店員が、
 「御客様、もう当店の営業は終わりましたので、明日おこし下さいませ」と言って、私を外に丁重
(ていちょう)に外に出そうとしたが、これに及川の母親が私に気付いたらしく、
 「まあ、先生じゃ御座いませんか。英治の母で御座います」といって、深々と頭を下げた。

 「及川君は、今、居りますか?」
 こう訊
(き)くと、この母親は不信そうな顔をして、
 「敏夫は今日も道場に行くといって、今日は6時頃に家を出ましたが……」
 それを聞いて一瞬首を捻った。それを先回りしたかのように母親は、
 「今日、英治は道場に行かなかったのですか?」その顔はまさかという顔であった。いったい彼は何処に出掛けて行ったのだろうか。

 私も正直に話すしかなかった。
 「彼は、一週間程、道場に姿を現さないので、病気でもしているのかと気になって、今晩お訪ねした次第ですが」と訪問の理由を述べた。しかし、喧嘩に巻き込まれて、ややこしい事件を起こしたことは黙っていた。

 「いつも、ご迷惑ばかり掛けて申し訳ありません。あの子は先生の言うことだけはよく聞くと見えて、てっきり今日も道場に行っているものばかりと思っていました。毎日出かけているので、道場に行っていると安心しましたが、一週間程、道場に姿を現さないということは、あの子は良からぬ仲間に誘われて……」というような調子で語り始めた。心配の尽きない話が、永遠に続きはしないかと、一先ずここで、口を挟んだ。

 「いいえ、彼に関してそんなことはありません。何か、僕にも言えないことがあって、出掛けているのでしょう。ところで及川君は最近何時頃、戻ってきますか?」
 「そうですね。いつも深夜12時過ぎに戻ってくるようですが、道場か、何かの付き合いで遅くなるのではと思って、気にも止めなかったのですが、実はそうではなかったのですね」
 母親は念を押すように喰
(く)い入った。

 「いいえ、それは誤解です。明日にでも彼と会って、事情を確かめてみますから、悪い方に考えないで下さい」
 この返答に対して、母親は、「あの子は一人息子なので、そこのところは、どうか宜
(よろ)しくお願いします」と言って頭を下げたが、後はその事の繰り返しであった。

 私は何か、この母親に責められているような気持ちになった。及川が道場に通うのは、あなたが悪いのだ、と言うふうに言われているような感じであった。この程度の言い種
(ぐさ)で済むのは、商売人としての物腰の低い及川の母親であればのこそであり、もし、これが他の家庭の親であったら、こうなった事が私の責任であり、さも罪人呼ばわりしたに違いない。

 私は、個人的で勝手な行動の、それも喧嘩の責任まで取らされては、迷惑だと言う気持ちになった。その上、この後始末は割りに合わない。喧嘩をしたのは及川の若気
(わかげ)の至りであり、その責任が私にあるとは思われなかったからである。しかし、弟子の受難をこのまま見捨ててもおけなかった。そして私は、自らの購(まかな)いで、その落とし前を付けさせられようとしていた。

 元から一匹狼の喧嘩師を気取っていた私は、この話の決着を付けに、一人で、及川の被害者になったと自称する、組事務所に乗り込んだ。
 その事務所には、及川から暴行を受けたと、口を揃
(そろ)えて自称する末端組員数名が、頭や手や足に包帯を巻いて、行儀よく勢揃(せいぞろ)いしていた。

 「あんたが何者かは知らんが、要するにワシらは、怪我人の治療代と慰謝料を払って貰えれば、それでいいんじゃ。警察沙汰にする気はないから安心しろ」
 この事務所のナンバー・ツーらしき、凄
(すご)みのある男が、黒の長襦絆(ながじゅばん)のようなダボシャツから青刺(いれずみ)をちらつかせながら、私の鼻先で口を突き出すように囁(ささや)いた。そして私を睨(にら)み据えた。
 私もおいそれとは眼を反
(そ)らすわけにはいかず、陰険なこの男の眼と戦う破目(はめ)となった。

 それにつけてもこの男は、今日の昼食に、餃子
(ぎょうざ)と、キムチを食べたとみえて、口臭は吐き気のするような大蒜(にんにく)の匂いに包まれていた。私も餃子やキムチは嫌いではないが、こう鼻先で、口臭となった大蒜の匂いを直(じか)に浴びせられると、気持ちの悪いことを通り越して、逆に腹立たしくなってくる。

 私は元来小心者である。
 表面だけは冷静を気取って強がっていたが、相手が暴力団ということもあって、私の心臓は恐怖に戦
(おのの)き、萎(しぼ)んでいた。しかしである。
 この小心者を激怒させる、大蒜の悪臭
(あくしゅう)は、一瞬、何もかも、周りの小綺麗に飾られた大紋の装飾品や機材を目茶苦茶にして、この場で大暴れしたいような気持ちに駆られていた。

 「ねえ、兄さんよォ。今、兄貴が言ったこと、素直に聞いた方が得だとよ。後で取り返しのつかないことになっても知らないよ」と、安物のサングラスを掛け、腕に包帯をして、三角巾
(さんかくきん)を首から吊った男が言った。

 これを私は聞いているような、いないような、そしたてふてぶてしい態度で、不屈な笑
(え)みを浮かべながら、窓の外を眺(なが)めていた。話は、さっきの男が言ったことの蒸し返しであった。結局、堂々巡りの様相を深めていた。この男も、包帯をしているからには、及川から叩きのめされた一人なのだろう。

 私が、もう、講釈はうんざりだという顔をして苦笑し、天井を見上げていると、
 「ねえ、兄さんよォ、何がそんなに可笑しいのかよ!真剣に人の話を聞いているのか?!」と、サングラスを掛けた男が、貌
(かお)をめい一杯歪め、巻き舌の呂律(ろれつ)に凄味(すごみ)をきかして息巻いた。
 この男は、私の不屈で不可解な冷たい笑いと、そして無視したような、ふてぶてしく、かつ毅然
(きぜん)とした態度が癪(しゃく)に触ったらしい。

 「聞いていますとも。それにしても、あなた方は随分と派手にやられましたね。実はね、あなた方をヤッた男は、うちの道場では右も左も知らない駆出しの下っ端
(ぱ)で、初心者並みの技の下手な奴でしてね。それにこの頃、やっと八級になったばかりのズブの素人(初心者)ですよ。つまり100%ド素人です」
 この一言は、奴等を黙らせるのに充分な威力があった。

 恐らく奴等は、「八級」という言葉と、「ズブの素人」あるいは「100%ド素人」という言葉に虚
(きょ)をつかれ、狼狽(ろうばい)したに違いなかった。そのためか、暫(しばら)く目が点になったような呆然(ぼうぜん)とした沈黙が続いた。しかし奴等の態度は、これくらいの虚仮威(こけおどし)しでは容易に崩れそうもなかった。
 寧
(むし)ろ幸(さいわい)なり、という態度を続け、高飛車な態度はついに崩れなかった。横柄(おうへい)の極みに達した儘(まま)、交渉を複雑にし、話は振出に戻って、無理難題から再度蒸し返し、結局譲歩の意図がなく、交渉は決裂(けつれつ)した。そして、一方的に多額の慰謝料を強引に要求された。

 奴等は弱肉強食を演じながら面子
(めんつ)に拘(こだ)わる人種である。面子を穢(けが)されると、これに疵(きず)を付けられると死に物狂いで挑戦してくる。ただこの一点だけに、死を賭(と)して戦うのだ。
 とは言っても、見栄
(みえ)と虚栄で覆(おお)われているから、要するに奴等のそれらの欲求を満たして遣(や)るような形で話を付けなければならないのであるが、奴等の主張する仁義とやらを、私は理解する心理状態になっていなかった。つまり、これは最悪の事態を意味していた。

 素人衆を、有無も言わせない、奴等独特の弱肉強食の世界を思った。弱肉強食を思わせる為に、奴等は精一杯悪ぶっている。ヤクザ特有の残忍さが、その表情と物の考え方に克明に顕
(あら)われていた。要するに、私は奴等から「狩られたのだ」と思った。

 私流
(わたしりゅう)に、一言で云えば、相手が悪かったと言う他なかった。負傷者が三人で、一人百万円を払えという無茶苦茶な要求を吐かれた。驕慢(きょうまん)を通り越して無茶苦茶である。奴等は何食(なにく)わぬ顔をして、無理難題を押しつけ、弱肉強食の陰険な本性を現し始めた。交渉はとにかく決裂したのだ。



●落し前

 私の肚(はら)は、この時に決まった。奴等と対決するしかないと、肚を括(くく)ったのである。要求通りに金を払うのが落し前ではない。
 傲慢
(ごうまん)に押し捲(まく)られて、その威圧に屈し、奴等の軍門に降るのは、実に悔(くや)しかったし、奴等の要求する大金も私にはなかった。
 これを解決する手段として、私設武力の行使で解決するべく、対決の一大決心をしたのである。

 私はどちらかと言うと、自分自身を小心者と値踏みしている。小心なことは臆病にも通じる。気が小さく、臆病で、心配症の癖に、どうかすると途方もない危険に、敢
(あえ)て挑んだりする。そして前後の見境がない

 国家間の政治でも、国際政治の場でも、一旦交渉が決裂すれば、後は政治的手段の延長と、武力行使が実行される。袂
(たもと)を分かつ以上、結着は武力に物を言わせた強行手段以外ない。
 そして両方には、自分が正しいと言う「正義」があるから、相手の立場の正義は認めず、自分の方の正義ばかりを強調する。これが戦争の実態である。

 私にも、自分の立場としての正義があった。以後は、これを押し通すしかない。こうした訳の分からぬ不正な暴力には、とことん抵抗することが、本当の武士の生き態
(ざま)ではなかろうか。不屈こそ、私の最後の砦(とりで)であった。私はそう思って対決を決意したのである。

 わが人生を屈することなく、勇敢に生きるためには、どういう態度であるべきか。また不正かつ不当な暴力に対して、どういう態度をとるべきか。それは毅然
(きぜん)とした態度であろう。
 暴力を正面から受けて立つ勇気もなく、寛容
(かんよう)と忍耐を口に出しても始まらないのである。何もせずに、どこまでも無抵抗で通す事が正義ではないのである。また、泣き寝入りをして、長い物には巻かれろでは、余りにも不甲斐(ふがい)ないではないか。
 暴力を恣
(ほしいまま)にさせてよい筈がない。哲人カントImmanuel Kant/ドイツの哲学者)すら、《正義が亡びるなら、この世に住む必要はない》と言い切っているではないか。

 そもそも「武」とは何か。
 読んで字の如く、「戈
(ほこ)を止める」と書く。不正な暴力の戈を止めてこそ、まさに「武」なのだ。
 緩柔
(かんじゅう)な教えに従い、無抵抗を気取って、寛容と忍耐で、無力な自分を修飾しても、つまるところは狼に歯向かえない、無力な仔羊(こひつじ)でしかないのだ。

 陰険な本性を現し始めた不正かつ不当な暴力に、報復処置を取ることこそ、武術家に残された最後の砦
(とりで)なのである。奴等に歯向かうことこそ、武術家の心意気なのである。私はそう確信していた。
 そして、死を心に充
(あ)て、その死の行方(ゆくえ)を探していたのである。

 何しろ相手が拳銃を所持する暴力団なのである。今度こそ、本当に死ぬかも知れないと思っていた。それで、その覚悟を決めるものが欲しかった。
 この世の顕界
(げんかい)とは、如何なるものか。その実態とは、いったい何から構築されているものなのか。

 『葉隠』で説かれている顕界
(げんかい)を“夢”とするならば、いったい夢ではない、不変の実体(じったい)は何処にあるのか。現実すら夢であり、夢ですら現実と説く、現世の顕界(げんかい)とは如何なるものか。

 私は、夢想して夢を思い、現実を思う。夢と現実の間には、いったい何があるのか。それを夢想せずにはいられなかった。
 仮に琥珀色
(こはくいろ)の製造法が、搾(しぼ)り立ての牛乳と、人の鮮明な赤き血を、五分五分に混合させ、やがてそれが攪拌(かくはん)されて、あの赤茶の褐色(かっしょく)を作り出すものだとしたら、半(なか)ば、薄汚れた煩悩(ぼんのう)から起こる迷道(めいどう)の原動力と、半ば清々(すがすが)しい、悟りに似た悟道(ごどう)の原動力を撹拌すれば、各々が混ざり合って、やがてバラバラに斯(さ)くが如く、撹拌を始める。もし、この現世が撹拌構造で製造された琥珀色の各々の原液であるならば、また、そこには紅(あか)き血が存在するのではあるまいか。あるいは、あの赤血球の赤い玉ではあるまいか。

 おおむね黄色を帯び、脂肪ならびに光沢いちじるしい、あの赤玉は、また琥珀に回帰するのであろう。
 もし、そうだとすると、その種の根に、類似点を見い出せるような認識の顕現
(けんげん)があることになり、夢と現実は、同根に帰一する要素を持っていることになる。碧玉(へきぎょく)の赤い物は、まさに夢の中の、熟した李(すもも)を幻想させる。まさに“紅き玉”である。

 進むも夢、退
(しりぞ)くも夢。幻想は、思い起こせど尽きることはない。夢は、かくも現実を見る如く、また夢としての現実を見ていることになる。かくしてこの世界は、夢を根源とし、蜃気楼(しんきろう)のような幻(まぼろし)を実体とするものではなかろうか。私はその追求に余念がなかった。碧玉の紅い色は、そこに回帰するのだった。あの艶(あで)やかな赤い玉。

 そう思うと、由紀子自身も「夢の中の人」なのか。それが夢なら、夢でいい。好きな女と一時
(ひととき)ではあるが、念願通り暮らすこともできた。もうこれで潰(つい)えても思い残すことはないのだ。
 精神的には途方もない贅沢
(ぜいたく)をしているのだ。これ以上、何を望むことがあろう。
 今が盛りの“甘い密”に浸って、あるいは一時
(ひととき)の酔いに浸って、死ぬのも悪くはないと思っていた。
 万一のことがあって、私が死ねば、由紀子は泣くかも知れないが、しかし泣き付かれて死ぬ方が、よほど増しであろう。だらだらと平穏
(へいおん)な日々を送り、時間が経って、無慙(むざん)に捨てられて死ぬよりは、まだ増しではないか。彼女の恩寵(おんちょう)が加わらなければ、私はただの“痩せ我慢”の徒(と)に過ぎないのである。

 華々
(はなばな)しく戦って、華々しく死ぬのも悪くない。そして太く短くの、無分別の生き態(ざま)でも、これはこれで、いいではないか。そんな事を考えながら、勇敢に、死地に向かうい原動力が欲しかった。
 この時、一冊の本に行き当たったのだった。


 ─────現代の思想の劇薬
(げきやく)として恐れられている、山本常朝(やまもと‐つねとも)の口述書『葉隠論語(はがく‐れろんご)』である。
 「武士道というは死ぬことなり……」の冒頭で始まるこの書物は、死に向かって猪突猛進
(ちょとつ‐もうしん)する危険な思想として恐れられている書物である。

 これは大東亜戦争
(太平洋戦争)当時、多くの出征兵士に読まれ、精神を鼓舞(こぶ)した。しかし戦後は、一変して悪書と恐れられ、恐れるが故に、劇薬(げきやく)と称された。しかしその毒は、一方で薬にもなるのだ。
 私は、その書物と快川和尚
(かいせん‐おしょう)の火定(かじょう)を重ね合わせてみていた。これはまさに行動家の必見の書であった。

 「安禅は、必ずしも山水
(さんすい)を用いず。心頭(しんとう)滅却(めっきゃく)すれば火も自(おのずか)ら涼(すず)し」と壮語したのは、織田信長に滅ぼされた、武田家の菩提寺「恵林寺」の住職、快川和尚であった。

 燃え盛る火の海を恐れず、平然と猛火に焼かれて、己一身の生を顧みない、快川和尚の大胆さに、信長軍は驚嘆
(きょうたん)した。それは大胆不敵の行動の中に、現世の俗人には真似できぬ、魂のあり方を、自らの身を以て示していたからだ。

 「冷熱
(れいねつ)は、生道人(なまどうにん)の知るところにあらず!」とは、慧春尼(えしゅん‐に)の言葉である。慧春尼は燃え盛る火の中で、最乗寺の住職の「火の中は熱いか?」という愚問に、これで答えた。

 そして「心頭滅却すれば……」とは、その上に新たな世界が広がっていて、何処か安らぎのようなものがあるのではないかと思わせるのは、どこか「葉隠」と共通点を持っているように思われる。

 つまり、単的に言うならば、吾
(わ)が身の保身と、物資界の物財に取り囲まれるような、唯物論的な生き方以上に、それを超越したところに、もっと別の、上の次元があることを窺(うかが)わせる。
 此処に到達すれば、現世で惑わされている、美男美女も、あるいは醜男
(ぶおとこ)も醜女(しこめ)も、そんなことは一切問題ではなくなり、また貧富の差すら超越して、そこに真当(ほんとう)の世界があるとする、永遠界、絶対界に辿り着けるような、勇気すらを抱くのである。そんな予感すら感じさせる、異次元世界が広がっているように思えてくるのである。

 更に、葉隠の武勇の項には、
 「武士たる者は、武勇に大高慢
(だいこうまん)をなし、死に狂いの覚悟が肝要(かんよう)なり」の名言があり、《人の死に態(ざま)の決心》を促している。
 これに突き当たった時、言い知れぬ戦慄
(せんりつ)が趨(はし)った。そして、いつの間にか、死を正面から凝視(ぎょうし)した内容に触発されていた。

 毎日を、いつ果ててもいいように、全力疾走をする人間は、「死は決して最後のもではない」と説いている。常に死を覚悟して、今日一日を精一杯生きる人間には、その行動が眩
(まぶ)しいくらいの光で満ち溢れているということを説いている。私もこの光が欲しかった。

 禅の実践者が、常に、生も死も捕らわれない心を以て、行き着いた先には、如何なる者にも、束縛
(そくばく)されない自由があった。
 しかし、これら実践者の最大の不幸は、死ぬべき時に死ななかった場合である。死ぬ事が実践者の行動原理であり、そこには純粋さを決して失わせることがない。
 そして、死ぬことも……。
 死ぬことこそ、究極に掲げられた耽美
(たんび)の象徴なのである。

 実践者が死を恐れたり、生に執着した時は、実践者で無くなり、もはや行動家としての志は、船が舵
(かじ)を失って航行不能となり、やがては座礁(ざしょう)する哀れな結末に似ている。そうなると生死の域から抜け出せない哀れな、迷宮の世界に、身も心も迷い込む事になる。

 これについては、武士の生き態
(ざま)も同じ事が言えるのである。
 生死に迷いを持たぬ事が、武士の行動原理であり、武士が死を恐れ、死を避けた時は、最早
(もはや)武士では無くなっているのである。
 武士にとって大切な事は、乱世や平世を問わず、生死の迷いに捕らわれることなく、行動によって自らの勇気を鼓舞し、それが行動とともに一貫していなければならない。まさに陽明学の行動原理が此処にあり、『知行合一
(ちこうごういつ)』は、これを明確に物語った言葉である。私は、自分の行動原理は『知行合一』でなければならないと思った。これこそが不言実行の原点なのだ。

 これで私の肚
(はら)は決まったのであった。喧嘩師として肚を据(す)えたのである。
 そして、その行動原理は、《分別のない狂暴性》であった。分別知に頼らない、無分別智が必要なのだ。

 分別のない行動こそ、純粋で強力なものはない。事を起こすのに、一々分別を持ってしまったら、その決断は鈍
(にぶ)り、行動には迫力がなくなって、新鮮さを失ってしまうのである。心意気や怒りまでもが薄れてしまうのだ。目的意識も、ふやけよう。

 だから、行動の終わった後の事を、一々考えてはいけないのである。
 例えば行動において、世間風の分別をもって考えると、結果は最悪となる。怪我したり、させるのではないかとか、警察沙汰になるのではとか、親兄弟家族のこと等と、一々考えてしまうと、その行動は力を失い、実に弱いものになる。行動を起こすその手段と、それが実行されて、終了するまでのことだけを考えればいいのであって、その後の事態は一切考えなくていいのである。事後処理までを考えると、目的意識がぼやけるからだ。

 それで、由紀子の事も頭の中から消した。彼女の事を一々考えれば、こんな行動など出来るものではない。時間は時として、人間を従順にした後、堕落
(ついらく)させることすらあるのだ。

 時間というものは、人間を向上させる要素も兼ね備えている反面、冷静な分別を与えて、意志薄弱の境地にも陥れてしまうのである。それが時間だ。時間が経過すれば、時間は人間を従順にする。

 後先考えないで、一気に攻め込むところに、この行動の新鮮さがある。私は出かける前に、そう考えていた。そして、これを絶対に由紀子に知られないようにしなければならなかった。ここに女の口が入れば、止
(や)めるように泣きつかれるのは目に見えていた。

 一旦泣き付かれれば、この決意は薄れてしまい、やがて分別が起こって、従順となり、目的を遂げることができない。だから無分別に、躊躇
(ちゅうちょ)することなく、一気に事を決行しなければならない。そう思っていた。
 だが、二つだけ分からないことがあった。

 一つは、無分別を以て縦横
(じゅうおう)に暴れ回るのはいいが、一体素手で暴れるのか、それとも得物(えもの)を持って、それをどう行うのか決めかねていた。真逆(まさか)ダイナマイトを抱えて、暴れるわけにも行かないだろう。
 しかしそれに近い位の得物
(えもの)はないかということを考えていた。根性の据(す)わった者でも、臆病風(おくびょうかぜ)に吹かれて、ワッーと逃げ出すような適当な得物はないかと考えていたのである。

 最初に浮かんだのは、私の所持していた日本刀である。
 私はこの操作を充分に知っていて、据
(す)え物斬りの経験も充分に積んでいた。相手に致命的な傷を負わせることなく、しかも相手が蜘蛛(くも)の子を散らして逃げ出すような得物は、やはり日本刀ではないかと考えていた。そして二つ目には、その行動をいつ実施するかであった。八門遁甲で云う「軍立(いくさだて)」である。


 ─────得物の模索中のことである。
 箪笥
(たんす)の中から、私が学生時代から蒐集(しゅうしゅう)していた日本刀数振りを取り出して、一振り一振りを眺(なが)めていた。当時私は日本刀マニアで、古物商の免許を持つくらいの、所謂(いわゆる)刀の蒐集(しゅうしゅう)気違いであった。

 鞘
(さや)を払い、刀の刀身を暫(しばら)く眺めていた。そして、まるで女性に囁(ささや)き懸(か)けるように、刀に話し掛けていた。
 「みっちゃん、一人にしてごめんね。ずいぶん淋しかっただろ。もう、一人にしないからね。今からは君と一緒だよ。一心同体だからね」愛しさを込めて、にたつきながら語りかけていた。
 こう、囁いた刀は、奥州会津住藤原道長
(おうしゅう‐あいづじゅう‐ふじわら‐みちなが)だった。

 この一人芝居の囁きを、由紀子が聴いているとは思わなかったのである。それを事も有ろうに、由紀子に聴かれてしまったのであった。私は彼女が帰って来た事に全く気付かなかったのだ。しかし彼女が、私の囁き聴いてしまったのは確かなようだ。

 「“みっちゃん”って云うの、その刀の名前?随分と可愛い名前じゃありませんこと」
 これは“みっちゃん”だけをとって、そう云ったのだろう。それはまさに唐突だった。まさか由紀子が帰って来たとは、夢にも思わなかったのである。
 「……………」私は目が点になりかけていた。
 由紀子が居ることに気付かなかったのである。私は由紀子を睨
(にら)むように注視した。まずいところを見られ、かつ、まずい囁きを聴かれてしまったのであった。しまったと思った。
 

 すると彼女は言い訳をするように、
 「今のは冗談ですよ。そんな怕
(こわ)い顔して、睨(にら)まなくともいいでしょ」と笑いながら、言い逃れをした。
 「刀に“みっちゃん”と呼び掛けては駄目なのですか?」開き直ったふうだった。
 「気にしないで。今のは、ほんの冗談のつもりで言ったのだから……。お気にさわったら、ごめんなさいね」
 「……………」
 この彼女の言葉に不機嫌そうに黙り込んでいたら、通り過ぎた筈
(はず)の彼女が、エプロンをしながら、また戻って来て、
 「でもねェ……」と勘
(かん)の利(き)いたことを呟(つぶや)いた。
 「?…………」
 「ねえ、まさか、それで喧嘩でもするんじゃないでしょうね。いま一心同体とか、何とか云っていたから……」
 「えッ…?」

 今度は心の底まで見られたとうな気がして、
(もしや見破られたのでは……?)と言う懸念(けねん)が趨(はし)った。
 「僕は今、心を静めるために日本刀を見ているのです。これは僕の趣味の領域だから、一々干渉しないで下さい」と突っ跳ねたのだった。
  しかし、これがいけなかった。

 「どうして心を静めるために刀を見るの?」
 「それは……ですねェ。刀の波紋の美しさと地肌を見ていると、自然と心が落ち着くからです」 
 「刀って美しいばかりではなく、切れるんでしょ?」
 「ええ、切れますとも。あなたが病院で使っているメスよりもね」と、つい、口を滑らせてしまった。

 「じゃァ、人を斬ろうと思えば斬れるんでしょ?」
 「そうですが、抜刀術や据え物斬りの熟練者でなければ簡単には斬れませんがね」
 「でも、あなたはその熟練者なんでしょ?」
 「まだ実際に、人間は斬ったことはありませんがねェ」
 「まだですって!?じゃあ、これからそうしょうと思っているの?」
 「えッ……!?」
 うまく彼女の誘導尋問
(ゆうどうじんもん)に乗せられそうな感じであった。危ない綱渡りの兆候(ちょうこう)を感じたのであろうか。

 「もしかしたら、危ないこと考えているのじゃないでしょうね」 
 「……………」これに私は狼狽
(ろうばい)した。
 真顔で私の顔を覗く。男はこうされれば案外とボロが出てしまうものだ。


 ─────食事中も、私は刀を横に置いて考え事をしていた。
 「あなた、背中!背中!」
 これは由紀子の口癖
(くちぐせ)のようなものである。まるで母親が子供の不足を叱責(しっせき)するように、食事中、彼女はいつもこう言って、私の姿勢の崩れるのを注意すのである。これも彼女の母性の現れであろうか。それとも由紀子が育った家庭環境が、常にこうしたものであったのだろうか。

 「ほら、もう少しちゃんと背筋を伸ばして」
 「う、うん……」
 きちんと正座し、背中を伸ばして食事をするのが、わが家の食事時のマナーなのである。私は、これが彼女との飯事
(ままごと)の延長なのだと自覚しながら、苦笑いに似た苦笑を引きずっていた。
 そして彼女は、その日の私の健康状態を点検するばかりでなく、私の心の動きまでもを点検し、内省干渉し、奇
(く)しくも、それを探ろうとしていたのである。

 「ねえェ、何を考えているの?」
 「何も考えていませんよ」
 「ウソ、刀のことでしょ?」
 「僕がこんな刀の一振りで、革命を起こすとでも思っているのですか?」
 「革命は起こせないにしても、喧嘩くらいは出来るでしょ。今あなたの考えていること、あたしにも半分、分けて頂だい」
 こう言われた時、食べているものを咽喉
(のど)に閊(つか)えそうになった。

 「バ、馬鹿なこと言っちゃァいけませんよ。そう思うなら、その理由を言って下さい」
 「それは……?……うん……」
 「馬鹿も休み休み言って下さいよ」
 「でもねェ、……傷害事件の前歴もあることだし……ねェ……。それにあの時云った、あの事が、今でもあたくし脳裡
(のうり)をちらちら翳(かす)めますのよ」
 私の顔を正面から窺
(うかが)うように覗き込んだ。
 「一体あの時、云ったあの事とは何ですか?」
 「あら、いやだ。もう自分の言ったこと忘れてしまいましたの?」
 「えッ……?」
 「あなた、おっしゃったじゃありませんか。『そのうちデッカイ、臨場感があって、迫力のある大芝居、長編小説なみの大河ドラマを見せてあげますから期待してて下さい』と……」
 「あれは冗談ですよ、冗談。バ、馬鹿なこと想像しないで下さい」
 「何だか怪しいわ、そんなにムキになるところをみると」と、私の顔をじろりと眺める。
 「いやだなァ、そんなに見詰められると……」
 「じりじりと白状しろ……」顔は笑いながらも、更に彼女は、私の心の裡側
(うちがわ)を覗こうとする。

 これは彼女の惚
(とぼ)けた鎌かも知れないが、のらりくらりと会話を交わすうちに、私のボロは暴露(ばくろ)されてしまいそうな気がして来た。
 「おい、どうなんだ?!……」と、まるで刑事が犯人を白状される為に、誘導尋問に誘い込むような、悪戯ぽい言い方で迫って来る。顔は笑っている。しかし、私の微
(かす)かな動きを見逃すまいとする目配りはしたたかであった。

 「そんなに危なっかしいのなら、この刀、あなたが何処かに、厳重に保管してしまったらどうですか!」
 これは、自棄糞
(やけくそ)の暴言であった。

 「それもそうね。じゃァ、あたしが、銀行の貸金庫か何かに、暫
(しばら)くの間、保管しようかしら……」
 (さあ、とんでもないことになったぞ。これでは丸腰ではないか……)
 戦う前に、私の得物が奪い取られてしまったのである。彼女に渋々保管をお願いするしかなかった。
 こんな訳で、私は日本刀を得物として使うことを諦めざるをえなかった。次の得物を模索しなければならなかったのである。


 ─────幾日が得物の模索が続いた。
 ある日、工事現場の横を通り掛かった。大工が軽やかに、木材に釘を打ち据えている。あんなに軽々と打ち込めるものかと関心をして見ていた。
 その時、「これだ!」と思って、突然私の脳裡
(のうり)に、「金槌(かなづち)と言う新たな得物が浮かび上がって来た。此処を通りかかったのはまさに「渡りに舟」であった。天は私を見捨ててはいなかったのだ。

 この時の金槌へのヒントは、平成3年11月の千葉県習志野で、街の糞ガキのチンピラ十数人と戦う時にも、大いに役だったものである。これが私の暴れた「習志野金槌事件」である。
 私一人で十数人を相手にし、頭蓋骨
(ずがいこつ)陥没等の重傷を負わせ、私が逮捕されるという事件が起こった。
 この事件は、ある者が一方的に痛めつけられているという、助けに応じて、私が「義によって助太刀
(すけだち)申す」加勢に駆けつけた事から始まった乱闘であったが、無意識にも金槌を握り、これを唯一の武器にして、多勢に無勢を相手に、大立ち回りやってしまったのである。

 チンピラどもはコンビニに逃げ込んで助けを求め、私はこれで一件落着と思い、引き上げたところ、深夜になって警察が、自宅に踏み込み、寝込み襲われたのである。そして逮捕劇の始まりとなり、この晩、習志野警察署員に逮捕された。
 事情聴取で、最初はさんざんこっぴどく、痛めつけられていたが、事の真相が瞭
(あきらか)になるにつれ、取調官の同情が趨(はし)るようになった。ひと晩留め置かれたが、翌朝には釈放された。これによって、街のゴミは一掃されたのだった。結果的には検察庁送りにもならず不起訴となった。

 ところがこれから後、一ヶ月もしないうちに、習志野警察署と習志野市福祉事務所と街の民生委員の三者がやって来て、「当面の生活費と家賃等の金を出すから、習志野から出て行ってくれ」と云われたのである。
 しかし、急に出ていってくれと言われても、行くところがなく、私の知人に、毎月、わが流の講習会に参加していた八光流柔術皆伝師範の松永毅
(まつなが‐たけし)氏が、「行くところがなければ、豊橋に来ませんか」とお誘いを受けたので、そのお誘いに応じて、愛知県豊橋市南小池町に、関東から愛知県へと都落ちすることになる。


 ─────さて、再び話しを前に戻そう。
 早速、その足で工具店に行き、柄
(え)のしっかりした適当な金槌を捜し出して買った。私は、今度こそ彼女に見つからないように、道場の書類入れの奥に仕舞い込んだ。これで後は、対決の日取り(日時/軍立(いくさだて)の決行の時機)をこちらが決めれば言いのである。
 この日取りを決めるのには、最も危険と思われる「八門遁甲」の秘術を使うことにした。それは再三再四、山村師範から絶対に遣
(つか)ってはならないと申し渡された封印の秘術である。

 こちらが優位な場所に位置して、そこから攻め込み、しかも多勢の敵に臆病風を吹かせ、敗走させるような事態が起こりうる日取りを、既に頭の中で計算していた。
 この日取りを八門遁甲では、「軍立
(いくさだて)」という。

 その日時を複雑な計算式から割り出して、十分な準備を重ねていた。もし、この軍立に隨
(したが)って戦うとしたら、それはいつやるか。即ち開戦時刻である。そして夜陰に乗じての夜襲を考えついたのである。大勢の敵と戦うには、こちらが奇手(きて)を用いた陽動(ようどう)作戦に出なければならない。夜襲を以て掻(か)き回すしかない。奇(く)しくも、この立案した軍立の日取りが、夜襲をかける時刻と一致していたのである。その日は、月も出ない新月(しんげつ)の闇夜であった。

 この対決に用いようとしたのは、「八門遁甲・金鎖の陣
(てっさ‐の‐じん)」であった。これで勝てると言う自信が湧いて来た。

 私の心の中には、ある種の憤
(いきどお)りがあった。それは暴力団が暴力を武器にして、商売して居るとは言え、その暴力に屈しない男だって、世の中には一人くらい居るのだと言うことを、奴等に思い知らせてやりたかったのである。


 ─────しかしこれだけでは、まだ不十分であった。奴等の状況が知りたくなったのである。言わば人数と戦力と兵器の内訳である。
 相手は何しろ残虐非道
(ざんぎゃく‐ひどう)な暴力団である。どんな残忍な手口で襲って来るかも知れない。これに対抗するためには、敵の勢力と戦力と兵器の把握(はあく)が必要となるのだ。

 だが、私が奴等の組事務所の前に隠れながら、敵陣偵察は出来たものではなかった。一度顔を知られた以上、何らかの方法を考え出さなければならなかった。暫
(しばら)く模索の日が続いたが、決定的な考えは浮かんでこなかった。

 もし、これが国家的偵察活動であれば、人工衛星でも打ち上げて、解像力の優れた偵察写真を撮るという方法もあるが、如何せん、貧乏人の私にそんな真似は出来る筈
(はず)がないし、単にこれはSF紛いの机上の空論でしかなかった。

 私が最も知りたかったのは、まず第一に対決となった時、何人の人間を動員することは出来るか。それには奴等の一集団だけではなく、その兄弟分筋の盃
(さかずき)を交した連名を結んだ団体が、幾つあるかということであった。

 次に装備および兵器であった。差し当たり火力であるが、まさかダイナマイト等の大量破壊兵器は使われる筈がないから、多くは小型拳銃か、あるいは日本刀や匕首
(あいくち)などの刃物であろうと察しがついた。
 それで戦うとしたら、その遣
(つか)い手や、操作に慣(な)れた者は、何人いるかということであった。最近はこうした集団にも、かなりの遣い手が居ると聞く。
 そして過去の犯罪歴や抗争事件数も把握しておきたかった。しかしそれが掴めないでいた。
 得物も決まり、八門遁甲で立てた「軍立」の日時も刻々と迫っていた。日取りが迫ってくる度に、焦
(あせ)りを感じ始めていた。
 祈ることは、この焦りが由紀子には気付かれてはならないという、祈りに似た願いであった。

 この儘
(まま)では徒(いたずら)に時間を浪費し、自分自身を死地に追いやっているように思われた。何としても偵察を試みたかった。
 しかし情報収集の手口が見つからなかった。奴等の組事務所の前まで入ってみるのだが、その中に足を踏み入れて、諜報活動は出来たものではない。ミイラ取りがミイラになるのだ。
 したがって、それ以外の方法を考え出さねばならなかった。そうかといって、敵情偵察にスパイを送り込んだり、奴等の誰かを買収して、その情報を得る事は不可能であった。一旦は奴等のアジトを遠巻きにしながら近寄ったりするのだが、後は、ただ仕方なく引き下がるしかなかった。



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