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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 39


●画策

 諜報蒐集(じょうほう‐しゅうしゅう)に苦慮する、丁度、その時であった。
 一軒の豪奢
(ごうしゃ)に構えた骨董屋が目に入ったのである。そのウインドウには、日本刀の大小が刀架(かたなかけ)に飾ってあった。軒の上を見上げると、看板には『三宝堂(さんぽうどう)』とあった。私は店内には入らず、ウインド越しに店鋪の様子を窺(うかが)った。

 入口のガラス越しに、主人をよく観察すると、四十の半ばを超えたくらいの初老の男であり、貫禄
(かんろく)もあり、着流しに角帯を締め、茶羽織(ちゃばおり)という姿で、低い帳場格子(ちょうばごうし)の三枚の囲いに中に、まるで狸(たぬき)の置き物のように、どっしりと坐っていたのである。その時、一瞬の閃(ひらめ)きが趨(はし)った。

昭和46年当時、筆者が所持していた古物商許可証と古物台帳。

 私も、店こそ構えていないが、古物商(刀剣ならびに道具類扱い)の許可証を持っていたので、『旗師(はたし)』を装って探りを入れ、突っ込んだ、奴等の内情を探る諜報活動が出来るかも知れないと思ったのである。
 仁侠右翼やヤクザ者が、業物
(わざもの)の刃物を求めて美術商の店に出入りすることは、昔から能(よ)く知られていた。もしかしたら、骨董屋を渡り歩けば、某(なにがし)かの情報が得られるかも知れないと、そう思ってみたのである。そして『旗師』になればいいではないかと思ったのだ。

 旗師とは元来、端師
(はたし)あるいは果師(はたし)という字をこれに充(あ)て、行商をしながら全国の、骨董屋から骨董屋へと渡り歩いたりする、行商の刀屋の事で、全国の刀剣市と、各地に散らばる得意先の固定客の間を行き来しながら、刀剣売買を繰り返し、その利鞘(りざや)で、利益を稼ぐ行商人のことである。
 私はこれに成りすまして、奴等の情報が掴
(つか)めないだろうかと、一瞬、そうしたことが閃(ひらめ)いたのである。何も、古物商許可証を取得しながら、これを宝の持ち腐れにすることはなく、これを利用して、当って砕けろの気持ちが湧(わ)いたのである。

 私は奴等の内情を知る為の情報蒐集
(じょうほう‐しゅうしゅう)を企(くわだ)てていた。一種の画策である。その唯一の接点が、この『三宝堂(さんぽうどう)』と看板を掲げた骨董屋(こっとうや)であった。「何か、あの店にはある」これが私の率直な勘(かん)であった。
 その勘から裏側で、「世間には口に出来ないことがあるのではないか?」と値踏みしたからである。別に確信があったわけでない。勘である。ただ、そんな気が直感的にしたのである。

 それにスパイ小説では、まず第一に、諜報
(ちょうほう)活動を始めるのは、決まって骨董屋の客に成り済まし、そこから情報を探る手口が多いらしい。私も、こうした範例の手順に随(したが)ったまでのことであった。
 スパイとは、要するに自らの分析能力を発揮し、間諜
(かんちょう)として、敵の背景にあるものを読み取りながら、その規模や構造を組み立て、自国の諜報機関に、その実態などを一部始終報告することである。

 スパイ術によると、諜報活動には、「黒組」と「白組」があると言う。
 黒組とは、地下組織などにも通じ、非合法活動を以て、破壊工作をしたり、重要情報を入手することが主な任務であるが、白組は正面から堂々と、合法的な手段で情報蒐集活動を入手する組織である。ふつう彼等は、外務省に所属して外交官などに成り済まし、敵国内の領事館などに勤務して、領事館員として諜報活動を続けるのである。

 一方、地下組織で暗躍
(あんやく)するのが黒組である。そして白組は、組織下の黒組と脈を通じながら、合法的に表面にあらわれ、外交折衝によって蒐集活動を展開するのが彼等の役目である。
 白組の活躍は、黒組の暗躍の力を借りて、互いが助け合う関係になっている。つまり、二重構造で、いわば表の裏の関係で表裏一体を為
(な)し、一般国民が想像することも出来ないような重大情報を入手し、その極秘事項を外交上の切り札とするのである。

 私の諜報活動の場合、このどちらにも属さないようだ。
 地下組織に通じて、非合法活動をすることもなく、また金にものを言わせて、合法的に情報を蒐集する必要もなかった。
 ただ、毎日暇
(ひま)を持て余している、骨董屋のオヤジの友人に近いような関係になれば、それで事は足りるのである。要するに話し相手になれば、それで済むのだ。話の中で何かを探るのだ。その言葉の中に某かのヒントがあるはずだと思った。そう楽観的に考えたが、それがそう容易(たやす)いことで無い事を、数日後に思い知らされる羽目になった。

 それは例の、『三宝堂』と看板を掲げた美術品商の「古物許可」の番号にあった。古物商法で提起されている店の様式は、看板の他に、古物商許可を示す灰色地に、白貫文字で「古美術商」と「登録番号」を書いた札を軒先に出す事になっている。『三宝堂』の、この札を見た時、福岡県公安委員会の登録番号が「第78号」であったからだ。
 つまりこの商売を、此処の主人は福岡県で、非常に早くからはじめ、早くから許可を取得し、古くから老舗として古美術売買をしていることになる。

 ということは、この店の主人は、それだけ場数を踏んだ相当な仕事師であり、私のように登録番号が「第10221号」と若くないからである。
 要するに「第78号」とは、福岡県で七十八番目という、かなりの古さであり、当然、海千山千の“つわもの”と考えねばならなかった。目利きでの決闘勝負も、一度や二度ではあるまい。一戦交えるにしても、相当に相手が手強
(てごわ)いことを覚悟しなければならなかった。

 私は一戦を交えること決心した時、最初に目を付けたのは『三宝堂』であった。別にこの店が、何かを孕
(はら)んでいるという具体的な理由からではなかった。
 ただ気になったのは、骨董品を扱いながらも、一方で日本刀を扱い、更には古美術の粋
(すい)と言われる大層な焼き物まで扱っていたからである。
 しかし店の構えは、素人目を惹
(ひ)く刀剣店である。誰もが、「あッ、刀だ」と気付き、そう思わせるように仕掛けられ、日本刀が飾ってあることは、直ぐにでも分かる造りになっている。それなのに、刀だけでは納まらないと言う、扱う品物の奥行きの広さだ。“目の勝負”に長(た)けた、眼力がなければ、これだけのことは出来ない筈(はず)である。
 そして、少なくとも外から見る感じとして、ウインド越しに、まず刀を配置して、素人目にも刀を展示していることを印象づけ、それが客引きの要素になっている事であった。実によく考えたものである。この店の経営者は、単に老獪
(ろうかい)であるばかりでなく、かなりの策士だろう。

 普通、刀剣店ならば、刀だけを扱って売買すればいいようなものであるが、その店は、間口が狭い割りには、奥行きが深く、店内はギャラリー風で、古美術全般のオール・マイティーにも見えるのだ。また、それだけに知識も豊富で、生半可な一般素人の知識では太刀打ちが出来ないだろう。

 更に、その店の周囲を廻
(まわ)ってみて気付いたのであるが、裏側には、たいそうな庭を有し、茶室まで構えていたからである。
 そしてこの家の門は、実は、茶室を配した庭側に正門であり、敷き詰めた飛石伝いの向うに、間口の広い玄関が構えられており、そこから少し反
(そ)れて、茶室に向かう露地(ろじ)が配置されていたのである。贅(ぜい)を凝(こ)らしているが、何ともアンバランスで、奇妙な造りであった。その事が頭の中で引っ掛かっていたのである。
 私は、ここの店の主人を唯者
(ただもの)ではないと睨(にら)んだのである。

 刀剣を表看板にしながらも、その実、裏では書画骨董に手を出し、かつ茶室まで構えているということは、この店の主人の交友関係の広さを物語るものであった。おそらく有志あるいは紳士録に名を連ねる、高額所得者の中に深く食い込んでいると想像出来るのであった。
 このタイプの店構えは、有名人の集まる京都などに多いが、北九州にもこうした店があることは、今まで古物商をしながらも、実は、はっきり言って、今まで全く知らずにいたのである。そして私の勘
(かん)を直撃したのは、茶室を構えているということであった。
 茶室に、妙に引っ掛かったのである。ここでは社交に模した、裏取引が行われているのではないかと踏んだのである。

 今日では、「大物」といわれる連中は、“接待ゴルフ”などの招きの中で、此処を社交の場と決め、ゴルフを遣
(や)りながら商談を決めると云うが、それは、例えば商社ならば、部課長ランクの小物レベルの取り引きであり、大物はゴルフなどで、大事を動かす取り引きなどはしない。
 「接待ゴルフで商談」という図式は、小物レベルの商談であり、昨今は貿易商社と国家公務員トップが癒着
(ゆちゃく)して商談を決定するようにニュースなどで報じられているが、こうした接待ゴルフでの取り引きは、あくまで“小物レベル”の取り引きでしかない。
 つまり、小物はゴルフに現
(うつつ)をぬかすが、大物はゴルフなどしないのである。

 政治を陰で動かす“一握り”の連中や、その日の、何某
(なにがし)かの相場の価格を決めるような超大物は、決してゴルフなどしないし、また接待ゴルフを余り喜ばない。また、既にゴルフが極めて庶民化した為に、超大物クラスはゴルフ場から逃げ出して、別の場所で取り引きをすると言うのが、今日の重大事項を取り引きする通り相場となっている。ゴルフは労働者のするものとなってしまったのである。
 ゴルフに庶民が参入してくると、秘密が筒抜けになるからだ。

 また、今日ではゴルフ場にヤクザが出入りしている為に、こうした庶民化された場所で、重大事項を取り引きしたり、決定事項をゴルフをしながら、という庶民の遊びは敬遠されているのである。下手をすれば、悪質な「賭
(か)けゴルフ」の罠(わな)に掛からないとも限らないからである。あるいはゴルフからセックス・スキャンダルに及ぶことも多く、仕掛けれれて食い物にされるケースも殖(ふ)え始めたからだ。
 有名人や政財界のトップ・クラスは、これらの低俗化してしまったゴルフから、もう、とっくに引き上げているのである。ゴルフを楽しむといったクラスは、主に中小企業や一部上場の大手でも、代表権や取締役権の持たない部課長クラスである。

 では、ゴルフから大物クラスが、なぜ撤退
(てったい)してしまったのか。
 ゴルフは、ゲームのみを楽しむには殆ど問題は何も発生しないが、ゴルフ終了後の、「接待」と称した予後の時間に美人局的
(つつもたせ‐てき)な女性スキャンダルを捏造(ねつぞう)される危険が大きくなったからだ。

 今日のゴルフ場には、様々な「負の部分」を担当する仕掛人が多く出入りし始めた。つまり、女性スキャンダルを食い物にする「強持
(こわも)て」の政治屋や政治団体などの人間であり、こうした連中はセックス・スキャンダルでターゲットになった獲物を巧妙に絡め取っていく。とことん食い物にする。この「負の部分」が敬遠されはじめられたのだ。

 日本のゴルフブームは、現代といわれる昭和三十年代の高度経済成長と無関係ではない。この時代から日本は経済大国の道を歩み始める。つまり、「55年体制」である。これを機に、日本では歴史区分でこれを「現代」と言う。これを皮切りに、政財界は「負の部分」の仕掛人と絡み合いながら、彼等の協力を得て、高度経済成長下の日本を動かし、清濁
(せいだく)を合わせて呑み込み、経済大国へと成長して来たのであるが、その後のバブル崩壊によって、不況が深刻化し、特に経済界にあっては、システムの見直しを余儀無くされたのである。

 また、このシステムの見直しに該当したものが、“接待ゴルフ”であった。
 世の中が不況になれば、接待ゴルフに絡んでくる仕事師が多くなり、そのもって行き先は、セックス・スキャンダルである。このセックス・スキャンダルにより、近年、有名になったのが長崎県佐世保市に本店を置く、親和銀行の不正融資事件であった。ゴルフを通じ、ゲーム終了後の予後の時間に仕掛けられた、この銀行を巡る巨額の不正融資事件は、全国紙にも取り上げられ、かつての頭取が女性スキャンダルで転げ落ちた顛末
(てんまつ)を報じられたのであるから、当時は大きな社会問題となり、その波紋が政財界に波及したのである。

 そして“接待ゴルフ”に絡む女性スキャンダルは、結局、大物をゴルフ場から退却させてしまったのである。
 ここで、この手の仕掛人が、セックス・スキャンダルを仕掛けるおおまかな種明
(たねあか)しをすれば、ゴルフのゲームから延長されたゲーム終了後の「第二の仕掛け」である、酒食の絡む色仕掛けである。

 ゴルフ場からの影の仕掛人は、ビデオカメラのファインダーを覗いて、その光景を一部始終記録し、そこにはまず、獲物
(えもの)にされるターゲットになる被害者と、二人の抱え役としての太鼓持がいる。
 彼等は単に、他人にお追従して、その機嫌取りをする程度の連中ではない。遊客の機嫌をとり、酒興
(しゅこう)を助けるのを仕事とするプロである。それも裏仕事のプロだ。その仕事は徹底している。しかし、肩書きは中小企業の代表取締役などの地位についていて、獲物にされる被害者は、彼等の正体を中々見極め難い。

 例えば、かつて長崎県佐世保市に本店を置く親和銀行では、某頭取が巨額の不正融資事件で食い物にされる、事件の発端は、長崎県の壱岐
(いき)のあるゴルフ場であった。当然、仕掛けゴルフに出る為、太鼓持の二名は、自分達のゲームには手抜きをし、ターゲットを御機嫌にするテクニックを心得ている。高スコアが出て、ターゲットを御機嫌にさせることを怠らない。パートナーに恵まれたという印象も明確にさせて、ターゲットを喜ばせることを忘れない。

 そしてその後、予後の「接待タイム」となる。この時に、「息抜き」と称したり、「ストレス解消」という言葉を巧みに用いて、第二の接待が開始される。此処に女が登場
【註】最近はゴルフ場から、プロゴルファーなみの美女が登場)し、ターゲットが絡み捕られていく仕掛けが待っているのである。
 つまり、「息抜き」は風呂の混浴などから始まり、此処にはとびっきりの美人が待機している。ターゲットが一人で風呂に入っていると、「お背中、お流しします」などといって、風呂に入ってくるのである。勿論こうした場面も、ビデオに盜撮される。
 更に「ストレス解消」には、混浴に続き宴会が用意されていて、豪華な“お造り”と称される伊勢海老
(いせえび)などを中心にした魚介類の刺身の山盛りも用意されていて、まずこれでターゲットの度胆を抜く。

 一方、混浴をした美人はこの宴会にまでも継続して付き添い、ターゲットに対してきめ細やかなサービスを忘れない。そして何よりも、仕掛人達の巧妙な心理作戦は、徹頭徹尾
(てつとう‐てつび)、ターゲットを有頂天にさせることを絶対に忘れないのである。美女の接待と、太鼓持のお追従で、ターゲットをいい気にさせるプロ中のプロである。

 この仕掛けにターゲットはまんまと嵌
(は)まり、巧妙に絡め捕られていく。宴会での話題の中心は、ゴルフの話である。ゴルフの話をして、ひとしきり盛り上げ、此処からがターゲットと二人の太鼓持との指しつ指されつの、酒食となり、その合間に美人の太腿(ふともも)に手を置くなどの“お色気作戦”が始まるのである。あるいは陰部に近いところまで、手を招き入れる。

 酒と色気が絡み、ターゲットは仕掛人の意のままに有頂天になり、
完全に絡め捕られていく。日本酒やビール、それにウィスキー、あるいはカクテルといったアルコールの中に、巧妙に溶かした睡眠薬が仕掛けられていて、“お開き”になる頃には溺酔状態になる。

 ターゲットはこの頃になると、御機嫌のうちにガックリと両肩を落とし、心地よい余韻
(よいん)が跡を曳(ひ)いている。美人に腕を抱えられ、寝所へと向かう。美人はマッサージなどの名目で、寝所に付き添う。
 最初は「2、30分おもみして差し上げる」という名目だが、寝所に着くと、直ぐに崩れ落ちるように溺酔状態になっていて、横になると前後不覚のまま眠りに落ちる。

 その後、10〜15分を経て、熟睡を見計らった頃、予定通りのビデオカメラ撮影ならびに、暗視用高性能一眼レフカメラの撮影が始まるのである。ビデオカメラや一眼レフカメラには薄明かりでも鮮明に写る高感度フィルムが装填
(そうてん)されていて、今から始まろうとするシックス・ナインのポーズから撮影が開始となる。そしてポーズは次々に変化し、巧妙な動きが加わり、まるで両者は烈しく絡み合ったセックスをしているように巧妙な演技が始まるのである。
 また、ターゲットの相手をする美人に仕込んでおいた演技力が、実に巧みで、見る者を圧倒し、功を奏するような仕組みになっている。

 最初の打ち合わせの手はず通り、ビデオと写真を撮り続けた後、美人はターゲットの床に朝まで寝ることになっている。そしてターゲットが朝、眼を醒
(さ)まして、自分が女性と寝ていることに気付くと、「昨夜は烈(はげ)しかったのよ」という台詞(せりふ)を忘れずに吐く。
 またコンドームやティッシュの細工も忘れない。コンドームには唾液が仕組まれ、屑籠
(くずかご)にはティッシュが放り込まれている。

 そして朝になる。
 ターゲットは自分の横に美人の女性が寝てことに、口から心臓が飛び出さんばかりに驚く。自分の横に、どうして素っ裸の女がいるか、このことを昨夜から反芻
(はんすう)する。しかし、幾ら思い起こそうとしても、酔って斃(たお)れた後のことは、全く覚えていない。更には、ターゲット自身も素っ裸である。なぜ自分は、こうした姿でいるかも分からないのである。記憶の中には、断片的な出来事しか残っていないのである。

 ターゲットは更に反芻する。ゴルフで高スコアを出した。嬉しくて御機嫌だった。御機嫌調子に勢いつき、美人と混浴した。宴会でも調子付いていた。しかし、二人の太鼓持には若干、乗せられた観がある。つい、気が太くなって、指しつ指されつの酒盃も交わした。宴会は、盛りに盛り上がった。そこまでは何とか思い出せる。しかし、それから先が釈然としない。酷く酔い、美人に腕を取られながら、寝所に向かったところまでは、何となく朧
(おぼろ)げながらに記憶がある。しかし、それから先は全く途切れて思い出せない。この先からのことをターゲットは大いに悩むのである。

 ターゲットが眼を醒まし、暫
(しばら)くするとベットの横に寝ている美人が寝返りを打ち、毛布がズレ堕(お)ちて、二つの胸が露(あらわ)になり、次によく括(くび)れて締った腰が顕われる。更に下腹が顕われ、その下の艶(つや)やかに光った繁みまでが顕われる。この光景に、ターゲットは更に「ぎょッ!」とする。
 今の光景を他人に見られたら、全く言い訳できないと思うのである。また、こうしたターゲットは50、60の者が多く、こうした歳になって、暫く無縁であったセックスが、何故ここで頭を抬
(もた)げてきたか、それを思い悩むのである。

 「昨夜、美人と寝た」という記憶は自分では全く無いのであるが、やがて彼女が眼を醒まし、「これは一体どういうことか」と質問すれば、「昨夜は烈しかったのよ」と切り返されれば、それまでであり、更には「顔に似合わず助平ね」などといわれると、そこまでである。そして、究め付けは、屑籠
(くずかご)の中に捨てられている使用済のコンドームとティッシュまで見せられれば、一言も反論できず、あるいはそうかも知れないと思い返すのである。
 ターゲットは、ただただ年甲斐もなく、些
(いささ)か乗り過ぎたことだけを悟のである。

 こうした直後に、接待ゴルフから宴会までを付き合った太鼓持二人が、朝の挨拶の為に部屋に顕われる。ターゲットはこの二人の顔を視て、一瞬、脳裡
(のうり)に「嵌(は)められたか?」をいう疑いが過(よぎ)る。
 しかし、太鼓持に謂
(い)い含まれて、「男なら誰でも、事の成り行きで一度や二度は、こうしたことはよくあるものです」などといわれれば、今さら悔いても仕方がないと自分に言い聞かせるものなのである。そしてこのように自分の心の整理が付くと、幾らかでも気分が楽になり、一先ず安堵(あんど)して胸を撫(な)で下ろすのである。

 太鼓持二人と、とびっきりの美人の二人三脚で、一瞬「嵌められたか?」という疑いを抱きながらも、済んだことを悔いても仕方ないと諦めるのである。
 そして、一週間が経ち、二週間が経ち、やがて一ヵ月が経って、忘れた頃、突然「寝耳に水」というような驚くべき事態が発生するのである。

 総会屋、政治ゴロ、仁侠右翼、暴力団、ブラックジャーナリストらが、もう既に、記憶は薄れ掛かっているころに、とんでもない電話が掛かってくるのである。それは「美女との絡み付いた写真」をネタに、広告料や賛助金を名目とした資金の提供である。女性スキャンダルをダシに使って、次から次へと畳み掛けてくるのである。

 しかし、問題の焦点は此処にあるのではない。
 総会屋、政治ゴロ、仁侠右翼、暴力団、ブラックジャーナリストらの女性スキャンダルをダシに使って、資金提供を要求する連中を抑える為に、ヤクザがこれに絡んでくることなのである。それも田舎のヤクザではなく、広域暴力団が、である。

 そして更に、この広域暴力団を抑えると称した次の段階である「総合コンサルタント」の肩書きを名乗る事件師の登場である。
 この「総合コンサルタント」の肩書きを持つ火消し役は、ヤクザの世界にも通じ、「押さえるツボを心得たプロ」と称しているが、問題解決という名目で、ターゲットを徹底的に食い尽くす「葬式屋」に他ならない。
 上は火消し役といわれる影の演出者である大物仕掛人から、下は小物といわれるチンピラネットワークまでが絡んでいて、ターゲットを徹底的に食い物にするのである。しかし、この元凶の発端は、「接待」に名を借りたゴルフだった。

 この手の事件は、政財界にはよくあることで、誰が考えても馬鹿気
(げ)た事件なのであるが、昔から後を絶たない手段として、よく遣(つか)われているのである。またその為に、政財界は国家ビジョンや国家的経済戦略が崩壊するような、“接待”に名を借りたゴルフは、今では敬遠される対象となってしまった。
 むしろ、こうしたゴロツキの出入りする場所には、超大物と云われる連中は、今では殆ど足を運ぶことがない。また、彼等はゴルフ自体を遣
(や)らなくなっている。ゴルフが金持ちのスポーツから転落して、庶民化した為である。ゴルフにステータスな面は消滅したのである。

 しかし、いまゴルフは中国や韓国では、これまでの日本の経済発展が“接待ゴルフ”にあったことに気付き始め、ゴルフのプロを国家戦略として養成し始めた。最近では、こうした経済的途上国は、中国人や韓国人の美人プロゴルファーが、来日までして、よくテレビなどに登場するようになったが、これは日本が経済大国の道を進むことが出来たのは、その背景に“接待ゴルフ”があったことに気付き始めたからである。国家的ビジョンや国家的経済戦略は、「接待」の名を通じて、縁が取り持たれたゴルフだったと分かったからだ。

 また、中国人や韓国人の美人プロゴルファーを通じて、機密事項が漏洩
(ろうえい)し始めた。
 特に、中国から送り込まれてくる美人プロゴルファーは、予
(あらかじ)め中国国内で養成された軍属出身の女スパイである場合が少なくないようだ。
 日本は世界の中でも有数のスパイ王国であることは周知の通りである。中国から女スパイが日本に向けて放
(はな)たれたとしても不思議ではない。

 今日、中国からはビジネス、研修、留学、観光、興行、国際結婚、技術交流、医学向上などの名目で様々な中国人スパイが入り込んで来ている。プロスポーツ界も例外ではない。
 特にゴルフは、絶好の女スパイの眼の付けどころであり、接待ゴルフからそのゲーム後の宴会やアバンチュールまでセットになって、日本の有能な人物や頭脳に接触し、機密事項を盗むことが盛んに行われている。
 特にこのターゲットになり易いのは、政財界はもとより、医者や弁護士、大学教授や学者などであり、彼等は接待ゴルフに始まり、アバンチュールに終る、この一連の巧妙なテクニックにまんまと絡め捕られ、機密事項を漏洩させているのである。

 中国のスパイ活動は、人民解放軍
【註】この部署を担当するのは中国人民解放軍総参謀部第二部であり、核や宇宙兵器の技術を盗むことを目的としている)から選抜された、身分を変えたい若い女性が主力になっている。したがって、来日後、紹介される政治家さえ確保しておけば、如何なる政財界の連中にも自由に接触でき、一般には「通訳」として、どのようなターゲットにも貼り付ける訓練を受けている。
 あるいは大物を確保するには、美人プロゴルファーらがこれを担当し、接待ゴルフを通じて、獲物を獲得していくのである。

 では、日本のターゲットは遣
(や)られ放しかというと、そうではない。
 日本では機密事項の漏洩の発端となる、ゴルフとの腐れ縁を、既に断ってしまっているのである。政財界の大物が、ゴルフ場から撤退した理由は、こうした経緯からである。

 超大物クラスが、密
(ひそ)かに寄り合うところは、茶会を通じての茶室であり、茶室と云う密室に籠(こも)り、ここで本当の取り引きや、密談を遣(や)るのである。
 また、日本では古来より、貴族階級は「講
(こう)」という上流階級のルールに則(のっと)って、茶会と観月会などを組み合わせ、貴族ならではの「秘密講」を催していたのである。これに異国民や異文化は入り込めない。その為に、茶室が珍重され、そこでは庶民が想像することも及ばない重大事項が決定されていたのである。
 つまり、茶室の持つ意味は、単に婦女子が、稽古事を花嫁修行の一つとして修得すると言う、そんな軽いものではなかったのである。

 かつて私は、陰
(かげ)の超大物と称される人から、「ぼくはゴルフなど遣らなくて良かったよ」と、こんな話を聞いたことがあるが、実は、「ゴルフが庶民のスポーツ」に転落したことを、この人は云っていたのである。ゴルフをする企業家も、ゴルフをする政治家も、ゴルフをする官僚も、糸を手繰(たぐ)り寄せれば、みな小物なのである。高給取りではあるかも知れないが、結局は体裁の良い高級労働者である。高級労働者では最終的な代表権や決定権はない。したがって、超大物は最近はゴルフに参入しない。決定権を持つ主人と、使用人としての労働者とでは、階級が違うからだ。
 そしてこの、陰の超大物は、茶道に通じた人だった。

 書画骨董に手を出すとは、庶民の知らない、上層階級に通じていると云うことなのである。
 そうと決まった時、私は直
(ただち)に、目をつけた『三宝堂』には出向かず、昼間はアパートに籠(こも)って、自分の持っている有りっ丈(たけ)の刀剣の書籍を貪(むさぼ)り読んだ。その範囲を刀剣だけにでは止めず、焼き物や書画骨董、並びにその他の道具類まで範囲を広げ、勉強し始めたのだった。とはいっても、私の所蔵する書籍の数ではお話にならず、図書館に出向く必要があった。
 高価な本は、近くの図書館にまで出向き、そこで読めるだけ読み尽くして、記載された写真や人脈の系図まで丹念に写し取り、時間切れで閉館になった時は、借りれるだけの本を借りてアパートに持ち帰ったのである。

中国、福建省の建窯(けんよう)で南宋時代に作られた天目茶碗の一つに曜変天目(ようへん‐てんもく)茶碗がある。漆黒釉面(ゆうめん)に大小の星紋(せいもん)が浮び、そのまわりが玉虫色に光沢を放つという、天目茶碗では最上級ものとされる。

 刀剣や骨董品の勉強であれば、由紀子に怪しまれる心配はなかったからだ。しかし刀剣関係のものは、出来るだけ図書館内で読書・閲覧(えつらん)を済ませ、陶器や道具類の類の本だけを借りて帰ることにした。これは実に妙案だった。

 由紀子から、 
 「この頃は骨董品の本ばかり見て、随分
(ずいぶん)と年寄りじみた趣味に変わってしまいましたのね。刀の方が、少しは若者らしい趣味だと思いますけどね。ねえェ、いかが。それとも書画骨董にまで趣味が拡がりましたの……?」などと冷やかし半分の御託(ごたく)も並べられたが、「まあ、そんなところです……」と惚(とぼ)けていた。

 「刀には興味がなくなってしまいましたの?」と、言われた時、

 (俺の刀は、あんたが全部取り上げてしまっただろうが……)と反論したかったのだ。しかし下手に反論して、その意図で見抜かれてしまっては、本(もと)も子(こ)もなかった。それで、素直に聞き流すことにした。

 「書画骨董も中々いいものですよ。年寄りじみている言いますが、これらの写真などを見ていると、刀剣とは、何か違った、何か別の魅力が湧いてきますよ」
 「へーッ。そんなものかしら……」

 私の作戦の手始めは、まず味方を欺
(あざむ)くことであった。味方を欺くことが出来ずして、敵を欺くことは出来ないのだ。刀剣関係の本を一切持ち帰らなかったことは、まさに正解であった。そして、骨董の勉強のために、一週間程を費やしたであろうか。
 しかし、骨董の目利きになるのは、これだけでは足りないのだ。日本美術史を更に研究しなければならないのである。私が目を付けた、『三宝堂』の主人も、茶室を構えていることからして、かなりの“目利き”であろうと踏んだのである。これに対抗するには、私自身が、かなりの目利きになる以外ないのである。
 結局、骨董の目利きになるとは、日本美術史にも通じていなければならないということなのだ。

茶亭
 したがって、日本美術史を研究するには、書画骨董および道具類

の範囲だけでは駄目である。茶道にも通じ、茶室やその建築にも、

ある程度の知識を詰め込んでいなければならない。更には、庭園の勉強をしなければならなかった。正直言って、古美術を勉強するには、庭園を学ばねばならず、これを避けて通る訳には行かなかった。茶庭も勿論の事であった。
 こうした猛勉強が、また明日から始まるのである。


 まず、はじめに何処かに出かけて行って、庭園からと思ったのであるが、いきなり実地ではその成果も薄く、とにかく今は文献による下地を造ることに専念した。手始めに茶道全般の下調べに掛かったのである。
 茶道を勉強するには、単に茶道そのものを研究修練すればよいと言うものではない。若い女性が嫁入り道具の一つとして、お茶を習うのとは次元が違うのである。

 したがって、茶室の勉強が欠かせないのである。茶室を勉強すれば、次に茶庭というものの構造様式を研究しなければならない。
 茶庭とは、茶室を囲んでいる庭の事であるが、通常はこれを「露地
(ろじ)」と呼んでいる。露地の多くは“外露地”と“内露地”に分かれ、その中程に「中潜(なかくぐり)」をつけて、更に内露地の奥に茶室が造られているのである。

 また外露地には「寄付
よりつき/庭園などに設ける簡略な休息所または茶会の待合)」があり、茶会に呼ばれた客達はここで待ち合わせをしたり、服装を改めたりして、中潜を抜け内露地へと入るのである。その後、客は茶室に入るのであるが、入る前に蹲踞つくばい/石の手水鉢を低く据えてあって、手を洗うのに茶客が「つくばう」からこう呼ばれる)で、口を漱(すす)ぎ、手を洗うのである。

 茶道は単に、茶を飲むだけの作法ではない。これを大局的に捉(とら)えれば、一つの宇宙として捉えなければならない。その為に、露地にこれだけの施設を置くのである。そして露地の庭としての意味は、何処にあるのか、それを研究しなければならないのである。これが茶道のメインテーマなのだ。
 それは“外の世界”からの日常空間から、茶の湯という別世界に導き入れる通路たるべき“通り道”が露地の第一の意味なのである。したがって此処は、日常生活の空間と同じであってはならないのである。外の世界と同じの日常空間の延長であっては、茶の湯の“別世界”へと導き入れることができないからだ。

 また、飛石
(とびいし)も「宗易ハ渡りを六分に景気けいき/景色また、景観を添えるもの)を四分に居(すえ)るよし」とあり、これは今日でも“古伝”として伝えられている。
 「渡り」とは、通路としての効用であり、景気とは眼で見る「眺
(なが)め」であり、したがって飛石は、表現的であってはならないのである。こうして露地の持つ、芸術的隔離性の意味が明白になってくるのである。

茶室を囲む庭園

 蹲踞(つくばい)で口を漱(すす)ぎ、手を洗うのも、実は心頭を漱(すす)ぐ為のものであり、ここにも隔離性の意味が、明白に顕(あら)われているのである。
 しかし、こうしたものを研究すればするほど、その奥の深さを思い知らされ、散々これまで図書館にも通い詰めたが、地方図書館の書籍のレベルでは、どうしても限界があることを感じ始めていた。

 地方では駄目だ。もっと大きな、書籍量の豊富な図書館でなければ駄目だということに気付き始めたのである。それに気付くと、ついに頭を抱え込んでしまったのである。
 『三宝堂』の主人と対決するためには、この程度の狭い知識では駄目なのである。もっと幅広く、もっと深いものが必要であった。それは知識の集積ではなく、智慧
(ちえ)の豊かさが要求されたのである。書画骨董の奥深い智慧が必要なのである。

 必要に迫られて、(あそこしかないかない)と、そう思った先が、東京都千代田区永田町にある国立国会図書館であった。ここの書庫の総収蔵能力は約1,200万冊といわれている。ここで日本美術史に関する蔵書を貪(むさぼ)り読むことしかなかったのである。

 さて、こうなると東京にまで出かけて行くことになり、これを由紀子にどう説明するかという厄介な課題が残された。果たして、二つ返事で行かせてくれるものかどうか。
 駄目だと言っても、強硬突破で行くしかないだろう。さて、これをどう説明するか、そんな難問が私の脳裡
(のうり)を支配し始めていた。

 兎
(と)に角(かく)、計画を立て、それを実行する以外ないのである。交通手段並びに、滞在する期間や宿泊先も決めなければならないであろう。また、それに掛かる費用も用意しなければならない。悠長(ゆうちょう)に構えている時間はないのである。そんな焦(あせ)りが、私を覆(おお)い尽くそうとしていた。



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