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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 41


●藤四郎

 京都駅に着き、駅の外に出て、眼の前に迫って来る京都タワーを見て、いよいよ京都に来たかという、そんな印象で京都の土を踏み、そこから徒歩で丸太町通りの仙洞御所(せんとうごしょ)へ向かった。歩いても、せいぜい20分程度であろう。

 炎天下に照らされながら、烏丸通り真っ直ぐ北上した。市電に乗れば御所までは直ぐだが、歩いて、町並みの古風な造りを見たかったのである。日本建築の勉強なるし、また京言葉の嫋
(たお)やかな京訛りの音色を思わせる、こうしたものにも触れてみたいと思ったからだ。
 汗を吹きながら北上して、やがて仙洞御所の入口に着いた。

桂離宮・庭園。桂離宮を含めて、仙洞御所や修学院離宮を参観するには、宮内庁京都事務所宛に参観申し込みの手続きをしなければならなかった。

 ところが、仙洞御所に着いて分かったことだが、此処を参観するには、面倒な手続きが必要であり、入場資格は18歳以上と限られ(これには問題ないが)、官製往復はがきで、参観希望場所を作成し、あらかじめ仙洞御所(せんとう‐ごしょ)・桂離宮(かつらりきゅう)・修学院離宮(しゅうがくいん‐りきゅう)の参観を希望する場合は、宮内庁京都事務所宛に申し込み、決められた日の、決められた時間に、庭園を見せて頂くというルールに則(のっと)らなければならない事であった。

 私は、思わず「アチャー!」と大声を張り上げてしまった。折角
(せっかく)此処まで来て、参観できないとは、いったい何たる事であろうか。
 しかしこの儘
(まま)では引き下がれないと思い、もう一度受付の係員に掛け合い、ごねてみた。係員は判子(はんこ)を押したように「駄目です」の一点張りを繰り返すばかりだった。そしてこの種の人に、何度言っても無駄であると悟るのに、そんなに時間が掛からなかった。
 そして、もう一度「アチャー!」と大声を張り上げてみた。

 その時、一人の下駄履きの老人が傍
(そば)を通りかかった。そして私を見て、こう言うのだった。
 「あんさん、さっきから、何を“アチャー!アチャー!”言っておりますのや。花菱アチャコ
はなびしあちゃこ/大阪の漫才師で、『二等兵物語』で伴淳三郎と組んで当時人気者だった)やおまへんでェ。ここはなァ、三ヵ月前に、ちゃんと宮内庁に申し込んどかんと参観できませんのやで」
 「そうらしいですね」
 「何処からお出でなさったん?」
 「福岡県北九州市からです」
 「そらァ随分と遠くから……」
 「仙洞御所の庭園を参観しようと思ったのですが、参観できずに残念です」無念の表情を露
(あらわ)にしていた。
 「そら、可哀相になァ……」
 「まったく……」
 「ほならァ、庭園を見るくらいの時間潰しやったらァ、“うち”へ寄って行かれまへんか。狭い処やけど、小さな庭もおます。仙洞御所とはいかずとも、その百分の一の箱庭くらいはおますで。ほな、行きまひょか」
 こう言って、私をしきりに誘うのである。そして一瞬ではあるが、この老人のキラリと烱
(ひか)る、鋭い目が気になった。

 そして、私の寄るか寄らないかの返事も訊かず、勝手にどんどん先へと歩いて行くのであった。
 「もし……、御老人」と声を掛けても、私の意向はお構え無しに、先を歩くのだった。
 だが、これも何かの縁と思って蹤
(つ)いて行くことにした。老人の下駄がカラコロと響いていた。そして蹤いていった先は、京都市左京区烏丸○○上ルだった。

 間口はそれほど広くないが、奥行きの深い。何とも大層な邸宅だった。
 座敷に通され、「お茶でもどうでっしゃろ」と言われた。そのお言葉に遵
(したが)い、座敷へと上がらせて頂いた。そして座敷から見える庭が実に見事だった。
 庭と言うより、まさに庭園である。先ほど老人が、「仙洞御所とはいかずとも、その百分の一の箱庭くらいはおますで」の言葉の意味は、これを見せる為の方便であったのだろうか。

 私は「実に見事ですね」の言葉を最後に、とうとう絶句してしまった。人間、上には上がいるものだと思った。
 先ず、眼の前に飛び込んだものは、森閑
(しんかん)とした枯山水(かれさんすい)を想わせる広々とした庭であった。庭に惹(ひ)き付けられて、廊下の板張りに出てみた。そして縁側の大きなガラス戸は、室内に涼(りょう)を取る為に開け放たれていた。

 京都の夏は蒸し暑いと聞いていたが、此処だけは別世界だった。気持ちの良さそうな春風が吹き抜けて行くような爽やかさを感じた。八月上旬の、外は照りつける炎天下の猛暑でありながら、この庭は異次元に迷い込んだ錯覚を抱かせる、見間違うばかりの清々しさがあった。此処に、古来よりの日本人の智慧
(ちえ)の数々が展開されていた。
 外では蜩
(せみ)の大合唱である。だがその蜩の声も、実にいい。私は絶句したまま、縁側で胡座(あぐら)を組んで、暫(しばら)く庭を眺(なが)めた。

静寂な佇い。静寂とは、音がないことではない。適度な、耳障りを感じさせない音が存在する、そこが静寂の真っ只中なのである。

 苔(こけ)に覆(おお)われた築山(つきやま)があり、そこから甃(いしだたみ)が庭の中央に延びていた。そしてそれを取り囲む白砂利は、陽の光りを照り返して、白く眩(まぶ)しい光を放っていた。
 此処には孤独と寂寥
(せきりょう)と、そして瞑想を耽らせずにはおかない、何かがあった。

 総
(すべ)ての音と光は、築山の庭苔(にわごけ)に吸い取られてしまうのではないかという錯覚を抱かせた。蜩(せみ)の声さえ、吸い取り、その声を調べに置き換える、何かが働いているのである。
 一般に静寂と言えば、「音が無いこと」を静寂と勘違いするようであるが、静寂とは、決して音が無いことではない。耳障
(みみざわ)りを感じさせない、適量な音が存在しているからこそ、それは自然であり、また寂寥(せきりょう)の要素になり得るのだ。
 例えば、小川の“せせらぎ”とか、秋の“虫の声”とか、あるいは夏場の“蜩の声”などもそうである。そして風に揺らいで鳴り響く、風鈴
(ふうりん)もその一つであろう。

 この庭には、その静寂の透明の中に、名石が点々としていた。一見乱雑に置かれたかのように見えるそれは、実は整然とした規則によって配置され、その儘
(まま)宇宙の玄理(げんり)に結びついているのではないだろうかと、奥深い幻想を抱かせるのだった。
 石と樹木による枯山水の庭の構成。そして自然物を素材として、構成される動かぬ佇
(たたずま)い。そうした物言わぬこれらの戸外作品は、それだけに、天候如何で、様々な表現を催す事であろう。
 これからの季節は、樹木の深緑が、やがて紅葉に変化することだろう。それは実に見物に思われた。

 蝉時雨
(せみしぐれ)は未(いま)だ鳴り止まず、脳裡(のうり)に染み入って来るが、私は既に、秋の気配を感じ取っていた。この庭は、やがて秋には紅葉に染まり、そこで“落ち葉時雨”が始まることであろう。
 また冬には、雪で白一色となり、深閑
(しんかん)とした静寂を取り戻す。そして春には、桜の花弁(はなびら)が乱舞することであろう。そんな光景が、今にも眼の前を覆(おお)いつつあった。
 そして再び冬に引き戻され、葉を落とした木々や、この辺りの静まり返った景色は水墨画のような世界が現われるのである。それは限定的であろうことを想像した。
 私はいつしか、この庭の春夏秋冬の、変化を齎
(もたら)す世界に引き込まれ、水墨を以て、描かれたような幽玄性(げんゆう‐せい)に、妙に心を惹(ひ)き付けられていたのだ。

 この意味で、枯山水
(かれさんすい)と云う言葉には、一種独特の響きがあり、人を惹(ひ)き付けて離さない魅力のようなものがあるように思われた。
 庭の構造。それは無数の世界観や宇宙観が、この中に凝縮されているのである。動かぬ、そして物言わぬこれ等の自然物は、時間と空間を飛び超えて、醸造
(じょうぞう)され、円熟して、根を張り、日本人ならではの美意識の世界に誘(いざな)って、寂寥の縮図が此処に漂っているように思われた。そうした世界観が私の脳裡(のうり)に渦巻いていた。

 「あんたさんは、庭が理解出来る御仁
(ごじん)とお見受けしました。お気に召されましたやろか。まあ、そんな庭ばかり見とらんと、一服してお茶でも飲みなはれ。粗茶(そちゃ)どすけど、如何でっしゃろか」老人が背後から、こう声を掛けた。
 私は背後で老人の声を聞きながらも庭に見入って、「うーん……」と唸
(うな)り、魅(み)せられていた。
 「何をそんなに、うーん…うーん…唸っとりおすのや。お茶でも飲んおくれやす」
 「いやーッ、これは実に見事ですね!」
 「そんなに力
(りき)までも宜(よろ)しいがな」
 「でも、実に見事です!」
 「これはこれは、お褒
(ほ)めに預かって光栄どす」

 そしてお茶を頂こうとして、振り返った二間ほどの床の間の「違い棚」を見て、また唸らざるを得なかった。
 一個の茶碗、一幅
(いっぷく)の掛け物に、大金を叩(はた)いて購入したものと思われる物が、そこら中をゴロゴロしていた。さり気なく座敷を飾っている「貫名海屋ぬきなかいおく/江戸後期の書家。幕末の三筆の一人)」の書額に寒雉かんち/江戸中期の釜師で、宮崎寒雉)の鉄瓶(てつびん)
 更には、今、お茶として出された永楽善五郎作の赤絵金襴手
(きんらんで)の極彩色物の煎茶茶碗(せんちゃ‐ぢゃわん)。この家では、こうした高価な書画・骨董類を生活必需品として、何気(なにげ)なく日常生活の中で使っているのである。これは唸るしかなかった。
 本来は見る美術品が、ここでは生活の一部に溶け込んで居た。そして、それが全く不自然を感じさせないのである。

 更に周りを見渡せば、古伊万里の鉢
(はち)が飾られており、吉田窯(よしだがま)の徳利があった。他にも、陶磁器色絵物、古赤絵や鍋島(なべしま)、古伊万里や柿右衛門などがさり気なく置かれ、このお宅では、観賞陶器の影響を殆ど受けていないように窺(うかが)われた。本来ならば鑑賞用として、美術館に展示品として置かれていても訝(おか)しくないものが沢山あった。

 「あんたさんは、庭だけではなく、随分と書画骨董がお好きな人とお見受けします。あんたさんの目を見て、よう分かります。本当にあんたさんは、こうしたものが本当にお好きですのやね」
 「はあ、駆
(かけ)出し者ですが……」
 「では、“虎穴に入らずんば、虎子を得ず”という言葉も知っとりおすか?」
 「?…………」
 「書画骨董が本当に好きで、これを求めんとするならば、“目利
(めき)き”の人に接して勉強しなければなりまへん。本の上だけの知識では役に立ちまへん。この事が、よう分かっとらんと、絶対によい物は手に入れる事が出来まへん。そして、目利きの人から買うか、譲るかしてもらっておけば、必ず、そうした物は日とともに、美術品としての価値がどんどん上がっていき、いよいよ美術品に対して、楽しい希望が生まれくるものどす。
 しかし今までと違い、今後の書画骨董の世界では、余程この道のこと、よう研究や探究せんことには、掘り出し物も見つけ出すことができまへん。
 売る人が目が利かず、買う人が目利きならば、売る人の負けでおます。また、この逆もおます。したがって、いい加減な研究で、自信過剰に陥ったり、修羅場
(しゅらば)の真剣勝負を避けて通るようなことをしていては、よい物を見る目は養われず、こうした事では、まことに浅慮(せんりょう)と言わねばなりまへん。これこそ、固く慎(つつし)まんと、いかんのと違いますやろか。
 更に、これを投機的に買い漁
(あさ)っている人にも、同じ事が言える思うのどす。
 昨今は、投機は株式か、骨董か、と言われておりますけど、株式を買うか、骨董を買うかの問題は、これを同じ土俵の持ち出して論ずるのは、ちと訝
(おか)しいのと違いまっしゃろか。……わては、そこんところが、どうも残念でたまりませんのや」
 「………………」私は黙って聞き入っていた。成る程と思う。

 「真に古美術を愛する人は、金儲けには無関心で、精神の世界に素晴らしい喜びを持ち、心の富者として、名器と共に、清貧に甘んじる心境に至れる人こそ、真に好ましい愛好家と言えると思うのどす。
 つまり、骨董は投機の対象から外れて、欲張り者より、好き者としての道を選び、日本文化と共に生き、これに誇りを感じていく心が大切なのと違いまっしゃろか。
 掘り出し物は、骨董の世界を愛する者達の一つの夢であり、この夢があればこそ、この道を愛する者は、希望を持って、それに邁進
(まいしん)することができると信じます。
 どうか、あんたさんも大いに見て、大いに学び、大いに掘り出し物を探し求め、物を見る眼を養い、この道に、たえまない研究と努力を注ぎ込んでおくれやす。
 あんたさんの意見も聞かず、わし、一人でしゃべってしもうたけど、あんたさんは本当に古美術を愛しているとお見受けしたから、失礼も顧みず、つい年寄りの独り言が出てしもたのどす。どうか、口の過ぎたことを堪忍しておくれやす」
 私は、じーんと心に感じるものがあり、黙って聞き入っていた。凄い精神世界を語っているのだ。
 この老人の誘われるまま、このお宅まで蹤
(つ)いて来たが、蹤いて来て、本当によかったと思った。私の眼の前の、邪魔な鱗(うろこ)が、また一つ墜(お)ちたような気がした。

 その時、「ただいま」と玄関から元気の良い娘の声がした。
 「ああ、あれは孫娘のトウシロウです」
 「?…………
(トウシロウ?)」と思わず言いかけた。
 その娘が元気の良い姿で、座敷に顕われた。

 「おい、トウシロウ。お客さんにご挨拶をしなはれ」
 「あら、おじいちゃん。また、お客さんを連れ込みはったん?」
 「これ、ご挨拶……しなはれ」
 手にはエッチバンドで縛った数冊の教科書を持ち、白の半袖のブラウスに紺色のスカートで、彼女が何処かの大学の女子大生であることは一目で分かった。細面
(ほそおもて)の中々美形の顔立ちで、髪型はボーイズ・カット(当時流行の七三に分けた短かめの髪型)ある。面(おも)立ちがはっきりしている上に、キラキラ輝く目が特に美しい。
 更に付け加えるならば、短い髪がスポーツ・ウーマンを思わせ、どことなく活発さが全身から滲
(にじ)み出ている。膝上の短いスカートから窺(うかが)えるその美しい脚は、俊敏な「カモシカ」という印象を受けた。

 私は、老人の孫娘に促した機先を制して、まず私の方から名乗るのが筋道であると思った。
 「ああ、これは申し遅れました。僕は福岡県北九州市八幡区から参りました岩崎健太郎と申します。仙洞御所の前で、ご老人とお会いし、奇
(く)しき縁で、お宅に御招待を受け、お邪魔しております。お庭を見せて頂いたり、骨董を見せてもらったりしておりました」
 「そうでしたの。ところで御所は参観されはりましたの?」
 「いいえそれが、前もって申し込んでおくなどの手続きをしなかったものですから、結局、中に入れて貰えませんでした。しかしご老人に、誘われ、お宅をお邪魔して、大変な眼の保養をさせて頂きました」
 「そうでしたの」娘は愛想よく応えた。

 「まあ、ゆっくりしていきなはれ。わても、一席ぶって、大変楽しませてもらいました」
 「あら、おじいちゃん。またこの方に骨董の話されはったん?
 ……ねえ、聴いて下さい。うちの祖父ったらねェ、誰でも此処に上げて、骨董の話を一席ぶたはるんですのよ。そら、構かましませんけど、うちのこと、人前で“トウシロウ”“トウシロウ”と呼ぶんです。これ、失礼と思はりません?」
 「その“トウシロウ”って、何のことですか?」
 「それはねえェ、業界用語で“藤四郎”といわはるんですよ」孫娘がすかさず切り替えした。

 「藤四郎ッ……て?……たしか『慶安太平記
(けいあん‐たいへいき)【註】由井正雪・丸橋忠弥らの企てた倒幕陰謀事件を材料とした講談の題名)に出て来る、弓師の名人の栗林藤四郎のことですか、あの由比正雪(ゆいしょうせつ)を密告したという……?」
 「いえ、違います」
 「?…………」
 「つまり、“藤四郎”とはねえェ、素人の意味。逆さ読みして、擬人名化した隠語が藤四郎で、反対から読めば“とうしろ”となりますやろ」
 「なるほど……」
 「変なところで、感心しないで下さい」
 「……………」
(こりゃ、失礼致しました)と頭を下げそうになった。
 「でも失礼しちゃうと思はりません?女の“うち”捕まえて藤四郎だなんて……ねェーッ」
 この活発な娘は、祖父が渾名
(あだな)する「藤四郎」の呼び名が嫌であるらしい。同情を求めるように、私にいう。

 「うち、早斗子。久我宮早斗子
(こがのみや‐さとこ)いいます。お見知りおき下さい」
 「えっ!?もしかしたら……、では、ご老人は、古美術界で著名な久我宮修平
(こがのみやしゅうへい)先生ですか!」
 「さよう」一瞬待ち構えていたように、老人が頷
(うなず)きながら返事をした。

 「これは大変失礼しました。予々
(かねがね)先生のお名前だけは、日本美術史界で聞き及んでおりましたが、こうして御本人に直接お会い出来るとは、夢にも思わず、まことに光栄です」
 そう云ったのも束
(つか)の間、(ではこの娘は、最近ちょいちょい新聞のスポーツ欄で名前を顕わす、今売り出しの女流剣道学生日本一で、M学院大学の久我宮早斗子四段か。これは驚いた……)と思った。骨董界の神様的存在の達人に、今、売り出し中の女流剣道選手。
 
(いやーッ、世間とは狭いものだ。いつどこで、どんな人に遭うとも限らないこの世の世界を、実に不思議なものだ)と思った。

 「いや、こちらこそ、どうぞ宜
(よろ)しく」私は改めて正坐し、彼女にも頭を下げた。
 「“藤四郎”は骨董が好きやあらしませんのや。どうかご勘弁を」
 「また、うちのことを“藤四郎”と呼ぶ。うちの厭
(うち)なのは骨董ではなく、“藤四郎”と呼ばれることが嫌いなんです」彼女は可愛く拗(す)ねてみせた。

 「あんたさん、書画骨董もお好きで、造詣を持ってるようですけど、相当に、腕に覚えもある御仁
(ごじん)と観(み)ました。違いまっしゃろか?」
 「いや、めっそうもありません。僕はその道の“藤四郎”です」
 これを訊
(き)いて老人は、膝を叩いて大声で笑った。
 「うんうん、それで宜
(よろ)しゅおます。流石(さすが)ですな、藤四郎どの」
 「はあ……」思わず、照れて頭に手を遣
(や)っていた。
 「能ある鷹は爪を隠すと申します。それで宜しいがな」こう云って、また老人は大声で笑った。私も笑った。

 娘はこの意味が掴み切れずに、「ねえねえ、おじいちゃん。何を二人で、そんなに笑っていはるの?藤四郎と名乗ったり、藤四郎と呼んだり……。ねえねえ、教えて」
 こう糺
(ただ)されて、再び老人は笑い、また私も笑った。
 「二人とも、変なの……」と浮かぬ顔をした。

 老人は、私の正体が何者であるか分かったのであろう。流石である。眼光鋭いその目付きは、やはり私を何者か、見抜いていたのである。
 そして私の運命は、不思議なところに、不思議な人の縁で、不思議な交わりとして運ばれて行く自分に気付いたのだった。確かに私は、運命に命を運ばれていたのである。

黒楽の平茶碗。普通の抹茶茶碗より高さが低く、口径が大きいもので、主に夏季の茶の湯に用いる。手捏(てづくね)で作る鉛釉の陶器は京都産である。

 帰りしなに、早斗子女史の盆略(ぼんりゃく)のお点前(てまえ)で、お茶を一服ご馳走になった。
 「お薄
(うす)を一服差し上げます」と彼女は挨拶した。
 彼女は茶道にも通じているらしく、その帛紗
(ふくさ)捌きは中々見事であった。お点前としての仕組みや、棗(なつめ)から薄茶が茶匙(ちゃさじ)によって茶碗に落とされ、瓶掛(びんかけ)の鉄瓶(てつびん)から湯が注がれる、その一切合切が堂に入ったものであった。そして茶筅(ちゃせん)で茶が立てられた。その一部始終を観ていたが、その動作には隙(すき)がなく、見事なお点前であった。
 そして私の前に出された茶碗は、美術館から持って来たかと思われるような、何と、古九谷
(こくたに)の赤絵染付け平茶碗であった。絶品以外の何物でも無かった。


 ─────久我宮修平
(こがのみや‐しゅうへい)老人ならびに、早斗子(さとこ)女史に門前まで見送られた。
 
 「また来ておくれやす」久我宮老人がそう言った。
 「では、お気をつけて」早斗子女史の、声高の京都訛
(なまり)が愛らしい。
 二人からそう言われ、私も会釈でこれに応えた。
 少し歩いて、後ろを振り向くと二人は並んで会釈
(えしゃく)し、早斗子女史は笑顔で手を振っていた。彼女の清々しい笑顔が、強い印象となって脳裡(のうり)に焼き付いた。

 烏丸通に沿って京都駅に向かった。そして午後四時の新幹線で、無事京都駅を発
(た)った。
 仙洞御所は参観できなかったが、著名な久我宮老人に、偶然にも会えたことは何よりもの収穫であった。そしてその示唆するところは、今後の私に大きな影響を与えたことだった。
 繰り返し久我宮老人が言われたことを、脳裡
(のうり)で反芻(はんすう)してみた。そしてそれは、重い量感をともなって、再び私に問いかけるのであった。

 新幹線の車窓から見える、飛ぶような景色をぼんやり眺めながら、それを繰り返していた。
 この日、わが家に辿り着いたのは、午後8時を過ぎた頃であったろうか。予定通りの到着であった。
 夕飯は既に用意され、由紀子の給餌
(きゅうじ)で夕食を食べたが、この日、久我宮老人が語った言葉が頭から離れなかった。



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